第十一話 地下街は既に
夕方、シプカブロガの地下街。
ミアはエリカとユーに連れられて、上下左右が薄黄色のタイルで包まれた通路を歩いていた。
「照明とか見当たらないのに明るいじゃん」
「壁とか天井の素材に発光術式仕込んでるんだと。魔力はマナタイトから供給されてるらしい」
地下とはいえ観光名所となるだけあって人通りの多い場所は大きな店舗などが並び、各所に宣伝用の映像や地図などが空中に浮かび上がる。
そこから奥まった場所に移動すると、今度は機械部品や工芸品といったマニアックな店もちらほらと目に入り始めた。
「こんなところまで来てるかなあ、“ラハイアの座”……」
「来てない可能性の方が高いとは思うけど。でもそれだけに騎士団があんまり見に来ない場所でもあるからねえ」
「何なら多分ここに来るまでに何体も人形自体は視界に入ってるだろ。あたしらが気付いてないだけで」
今のところ“ラハイアの座”は騎士団の挙動に関わるほど大きな騒ぎを起こしていない。
先に場所だけ特定された[ヴァージャーズ・ロウ]の本拠地にも一回足を運んでみたものの、外から見た限りでは平穏そのものだった。
騎士団も警邏を強化するとは言っていたが、この地下街が発展しているせいでシプカブロガは地図でわかる範囲以上に広い。
故に隅々まで見るのが困難であるのなら、と三人で怪しい動きがないか見て回っているのだ。
結果、今日は空振りに終わりそうだった。
「自分を大量の人形に分けて、それぞれに死んだ人を演じさせるためだけに自分を捨てた客人、か」
ミアが思わず出してしまった表情と声色に「関わりたくない」という感情が滲み出る。
ここに来るまでに歩いてきた大通りや有名店などでは、無数の楽しげな会話が聞こえてきた。
家族、恋人、友人。大切な誰かとの時間を過ごす純粋な喜びの声。
それら全てが純粋なものであれば楽しい旅行となったであろう。
だが今のシプカブロガには“ラハイアの座”がいる。どうしても偽物が紛れ込んでいる可能性は無視できない。
そして、その偽物に本物の感情を向ける者達の存在も、また。
「パトリシアさん、今どこで何してるんだろうね」
「……さあな」
エリカが悪態一つ言わずに短く流す。
それだけ彼女らにとって、パトリシアが[デクレアラーズ]側についた事実は重かった。
きっと事が終わった時、どんな形であれ彼女は後悔する。
優しくて賢い人だから。
死んだ本物の夫に対して、敵に回した自分達に対して、多大な迷惑をかけた社会全体に対して、自身の許容量を超えるほどの罪悪感を抱くだろう。
そんな彼女の姿など、三人の中の誰も見たくはない。
「事が事だ。話し合いで解決は無理だろ」
「そうだね。……そんな人が今、たくさん来てるんだよね。この街に」
エリカとユーが噛みしめるように言ってから三人で角を曲がった辺りで、ミアの耳に遠くからの話し声が漂うように届いた。
「……あちゃー、まだ大司教様は折れてくれないのか」
「……俺も何度も説得したんだがな。ああなるともう梃子でも動かない」
離れた位置に向かい合って話す男が二人。
片方は若くどこか軽薄そうなエルフの青年。
もう片方は角度の関係で顔が見えないものの、後ろ姿から筋肉質な魔族の男であるとわかる。
そして聞こえてきた大司教という単語。
宗教が衰退した大陸においてその称号を持つ者がいるとするならば、該当者は主に四種類に分けられる。
一つ、ラステンバーグ皇国が定めし政府公認の役職を持つ者。
一つ、数は少ないが最近立ち上げられた新興宗教団体の構成員。
一つ、フィクションの世界に生きる架空のキャラクター。
そして残る一つがカルト教団として活動する犯罪組織における、高い立場を示すための呼び名だ。
「二人とも、ちょっと」
「おっ」
「わかった。……ちょっと離れた位置にある雑貨屋前の二人だね?」
ミアの鋭い声でエリカが地面につく直前の足を少し浮かせ、ユーは索敵範囲に捉えた相手の確認をする。
「ちょっと」の一言で察してくれたらしい。こういう時は付き合いの長さがものを言う。
騎士団学校での授業で習った内容を反芻する。
騎士を目指す以上、怪しいと感じたならばまず真っ先に悪徳な団体の可能性を疑わなくてはならない。
疑惑の段階でしかない以上あまり目立つ動きはすべきでないが、逆に疑惑を無視するのも危険であるためだ。
「俺らだけでも逃げちまうか」
「逃げるったってどこにだよ。俺はアガルタでまだ時効になってないし、お前なんて戸籍すらないだろ」
「ンジンカ緑地じゃ何かと後ろめたい連中を世話してくれる加工所があるって聞くぜ」
「アホ、あそこは[色無き御旗]のシマだ。俺らの顔憶えられてたら殺されるぞ」
ただの通行人を装って近づくにつれ、いよいよ隠し切れない言葉が会話の中で飛び交う。
一般に宗教用語を知る者が減少傾向にある昨今、そういった言葉を内部で用いる組織はたまに存在する。
特に相応の知識と教養を持つ者が上の立場にいる、中規模から大規模の団体などは符牒として好んで選びがちだ。
情報をまとめるに、恐らくこの男二人は[ヴァージャーズ・ロウ]に属する者達だろう。
「じゃあいっそ山賊にでもなるか?」
「今は第二次“大陸洗浄”の真っ最中だっての。山賊なんていつ殺されるかわからん真似するより、大司教様の説得に賭けた方がまだ生き残れる可能性高いだろ」
バベッジには【パーマネントペタル】の術式を仕込んである。
ある程度まで近づいたら魔力で構成された無数の花弁を使い、二人まとめて拘束するところまで瞬時に決めた。
今のうちに構成員を騎士団に突き出して可能な限り情報を引き出せれば、あるいは“ラハイアの座”に先手を打つ方法も見つかるかもしれない。
あらゆる面で余裕がないため、少々乱暴な方法だが確認すべきは余さず確認する必要があった。
山賊だの第二次“大陸洗浄”だのといった会話をしている以上、これで単なる勘違いという可能性も極めて低かろう。
妙な表現だが、安心して疑うことのできる相手を見つけられたのは幸運と言う他あるまい。
「マジで伯母ちゃんに買ってくお土産全然決まらねーんだけど。中年の独身女が喜ぶものって何だ、ペット育成ゲームとかか」
「それはちょっと残酷なんじゃないの」
「具体的に何を残酷としているのかによってはユーちゃんのがよっぽど残酷な発言したぞ今」
ミアの意図を汲み取った二人が日常会話を偽装し始める。
まだ少し離れたこの位置からであれば不自然でもない。
「今はアロマキャンドルとか流行ってるらしいけどね。普段からあれだけストレス溜めてる人だし、落ち着く香りのやつ選んであげたら?」
ミアも無難な発言で参加しつつ、二人よりやや前方をゆったりと歩く。
男二人は三人をちらりと見たものの特に強く興味を示す様子もない。
いかに彼女らが若くして国防勲章を受勲者と言えど、外国の有名人などそんなものだろう。
「つってもなぁ……大司教様、なんだってシプカブロガにそんな執着してるんです?」
「俺も詳しくは知らんが、噂じゃ誰かが来るのを待ってるらしいな」
「その誰かってのが結局誰なのかは?」
「だから知らんって。そもそもが秘密の多い人なんだから」
あと少しで【パーマネントペタル】の有効範囲に入る、というところまで近づいた時である。
「大司教が待ってるのは三十年以上前に死んじまった恋人のサマンサ・スケールだ」
軽薄そうなエルフの男が自身で放った疑問の答えを口にしながら、急に右腕を振るった。
「えっ」
「あっ」
「は?」
「……ぇ?」
三人が注視する先で魔族の男が大量の血を迸らせながら、あまりにも短い最期の言葉を遺して仰向けに倒れ込む。
ようやく見えるようになったその精悍な顔つきは、ただ呆気に取られたような表情を浮かべていた。
「まだ彼女が生きてると思ってるあの人は、この街で再会する約束を律儀に守って組織ごとアジトに留まってる」
振り抜かれた腕は刀剣よろしく長い刃を三本ほど指として携えた、異形の姿へと変形している。
至近距離でその斬撃を受けた魔族の男は、綺麗な三本の傷が胴体部分に痛々しく刻まれていた。
エルフの男は先ほどまで話し相手だった男の亡骸を踏み越え、ミア達の方を向いて微笑みながら歩み寄る。
返り血のついた服はどろりと表面が溶けて、付着した血とともに地面へ落ちて蒸発していく。
唐突な殺人事件と不気味な衣服の変形を受けて、雑貨屋の中にいる者も、数こそ少ないが彼女ら以外の通行人も咄嗟に反応できない。
「だから俺達“ラハイアの座”の動きは終始変わらねえし、使えそうな情報もくれてやらねえよ」
男の鋭い目は、明らかにミア達三人の方を見ている。
全く気付かなかった。気付かれているという事に。
「……ま、[デクレアラーズ]なんぞに殺されてこうしてお人形になっちまった俺としては複雑な心境だがね」
異形の腕は蜜柑色の燐光を散らしながら刃を内部に収納し、長く太く変形した腕を折り畳んで元の大きさに戻していく。
それを見てようやく誰かの悲鳴が響いた。
「まさか、おい……!」
「お察しの通り、俺みたいに殺されて入れ替わってる奴は犯罪者の中でも珍しくない。[そよ風の一味]もこれで不意を打たれて壊滅したのさ。そして」
会話の途中で男の輪郭が顔の左側からゆらりと歪み、歪んだ部分から蜜柑色の輝きが拡がっていく。
「俺を追いかけようってんなら諦めた方がいいでしょう。時間の無駄ですからね」
話す間にもエルフの男はその姿を徐々にヒューマンの女性へと文字通り変貌させていき、体つきどころか服装に至るまでもが女性のそれへと文字通り変身していく。
「“ラハイアの座”は誰でもあって誰でもありません。ですので追いかけるだけ時間の無駄だ」
言う間に今度はたった今殺された魔族の男へと姿が変わる。
目まぐるしく一個人が一つの体で何度も入れ替わる様を見て、ミアは一つの確信に至った。
「コイツ、体臭まで変わってる……!」
「最悪かよ!」
思わず出たらしいエリカの一言に心から同意する。
これで“ラハイアの座”は誰にも正体を見抜かれることがない。
不意打ちにせよ逃亡にせよ、いつでも主導権を握ったまま行動を起こせる。
のみならず、騎士団などが情報を得るため尋問すべき相手すら先回りして処理できてしまう事が判明したのだ。
おまけに獣人の知覚能力を使っても判別できないほどに高度な変身魔術を人形に付与している。
これを見抜くなど到底不可能だと、断言しても構わない。それだけ相手は完璧な動きを見せつけてきた。
そして真に恐ろしいのは、行動を起こした後でさえ殺意を隠し通したところ。
声色や体臭といった物理的要素と比べて偽装などできるはずもないとどこか油断していた部分でさえ、“ラハイアの座”は容易く偽装できてしまう。
これが無数の民間人を味方に引き込みながら最低でも飲食店一つを丸ごと制圧できてしまうほどの勢力を揃え、しかも都市全体に散らばっているという恐怖。
ミアはフェルディナントによってその場にいる全員が同時に攻撃を受けた時の経験を思い出し、[十三絵札]という存在の恐ろしさを反芻した。
大人数を揃えて完璧な連携を取らないと実現できない行為を、彼らは単独でこなしてみせる。
敵に回した相手は、人間ではなく怪物なのだ。
「それじゃあ、僕はこれで失礼するよ」
今度は温和そうな青年の姿に変わった“ラハイアの座”の人形が、軽い挨拶でもするかのように右手を上げてその場を去る。
既に何人もの一般人が騎士団に通報しているが、きっと捕まえられないだろう。
魔力反応を見て追跡しようにも、同じ“ラハイアの座”の人形がそこかしこにいるのだ。
互いに同じ魔力を有する人形同士でカモフラージュを重ねている以上、特定などできるはずもあるまい。
「……振り出しに戻るというより、スタート地点に閉じ込められてる感覚だな」
エリカの比喩は、わかりやすく且つ的確にこの窮地を言い表していた。




