第九話 ハリセンピエロメタリックガニとの死闘
「【行く当ても定まらないまま 柵を跨いだ羊の群れよ 呆然と眺める私を置き去りに どうか自由を知って欲しい】」
駆け抜ける中でミアの詠唱が聞こえる。同時に圭介とユーの足に青白い光が灯った。
簡単にだが脚部にかかる負担を軽減する支援用の術式【アクセル】。その効果は第六魔術位階だからと軽視できない性能を誇る。
瞬間的な三人の加速が、的確に並んだ三つの頭部全てを通過するように計算して放たれたハリセンの横薙ぎを空振りに終わらせた。
この速度に敵が順応する前より早く決着をつける必要があると見て、ユーが叫ぶ。
「ケースケ君、あれやって! あの人に向けて使っちゃいけないヤツ!」
「言い方すげぇ気になるけど、わかった!」
想起するのは嘗ての恩師にして強敵の姿。肉体を鉄鋼よろしく頑強にする魔術で仲間達を苦しめた排斥派組織より送られし刺客、ヴィンス・アスクウィス。
彼を下した圭介の必殺技“デンジャラスフリーフォール”は、その危険性から騎士団に使用制限を設けられる程度の衝撃を相手に与える。
ただ相手を物量で抑えつけて動けない状態にした後に浮かび上がらせ地面に叩きつけるだけなのだが、逃げ場のない運動量が対象の内部を駆け巡ることから防御性能など初めから無視して内部を破壊できる禁じ手だった。
幸いにも場所は森林、そして敵は木の上にいる。囲み持ち上げ叩き落とすのは難しくあるまい。
「人間相手じゃなければ遠慮はいらない! 喰らえぇぇ!」
ずぼり、と圭介に意識を向けられた樹木が上にいる蟹ごと土から離れる。同時にそれを取り囲むように周辺の木も浮かび上がり、空中に幹が織り成す牢獄を創り上げた。
牢獄は縮小して過剰なまでの圧力を加えながら蟹を抑えつけながら上昇していく。
「うっしそのまま……」
「ナンデヤネン!」
「ぃいっ!?」
だが、されるがままの蟹でもない。
道化の腕が伸びて木々に絡まったかと思いきや、バネ仕掛けによる収縮運動でそれら束ねられた幹の配列を乱す。
その結果空間的な余裕を得た蟹は【テレキネシス】の力を上回る怪力で木を押し退け、鋏で幹を切断し始めた。
音の無い切断はまるで包丁を用いてロールケーキを切るかのように容易く行われていく。生半可な威力ではあるまい。
「くそっ、まだ浮かし始めたばっかなのに!」
「ケースケ君、そのままでいいからとにかくゆっくりと地面に下ろして!」
何をどうするにしても一度は地面に引き摺り下ろさなければ、またぞろ離れた位置から一方的に二刀流ならぬ二ハリセン流を繰り出されてしまう。
手も足も出なくなるより先にまずは対等な条件を叩きつける必要があるのは確かである。
「ぐうう、動かしてる物に現在進行形で形変えられると結構バランス維持するの難しいんだよ! コイツ自身もかなり重たいし!」
「おいケースケ! こっちだ、ここに落とせ!」
声の聞こえる方を見ると、そこには地面に手を付けて待機するモンタギューの姿があった。
彼が手を当てている箇所から広い範囲の地面がぐにゃぐにゃと波打っている。その輪郭は真円を象っていて、一目見た瞬間に圭介はその円が落とし穴のような何かであると推察した。
「おおモンタ君グッジョブ! 後で野菜スティック奢ってあげよう!」
「微妙にセコい気がしないでもないがまあいいやそれでもう! 早くしろ!」
「【枯れて萎れる花はいらない 枯れず萎れない花が欲しい】」
気合いでどうにか間に合う距離ではある、と圭介の表情に闘志が灯ったのを確認してミアが詠唱を始める。
「うぉらあぁ!」
詠唱を要する程に魔術位階が高いと思われる魔術の準備が進められていることで精神的な余裕も生じ、掛け声と共に木の切れ端を念動力で継ぎ接ぎにしたような状態のまま蟹を穴の位置まで飛ばす。
地面に叩きつけられた蟹は、周りに未だまとわりつく木々もまとめて粘土状に柔らかくなった土へと吸い込まれ、着地した結果として蟹の節足部分と腹部が埋まって隠れた。
「まだだ!」
埋まった蟹の足元から伸びた“ア・バオ・ア・クゥ”が左側片方の鋏に巻きついたかと思うと、そのまま締め付けて開かないように固定する。
固く縛ったと同時、エイの頭部にも類似した先端部位を地面に突き刺して船の錨に近い役割を果たす。これによって蟹は節足と片方の鋏を封じ込められた。
「よし、でかしたモンタ君!」
「【水などいらず土も欲さず 唯々どうか身勝手に咲き続けてくれ】」
残ったもう片方、右側の鋏にミアが狙いをつける。
「ナンデヤネン! ナンデヤネン!」
そこに向けて音もなく振り下ろされたハリセンは圭介が“アクチュアリティトレイター”で受け止め、横から薙ぎ払うように振られたハリセンはユーが【鉄地蔵】を展開した両腕を交差させて防いだ。
「うっぐぁっ!!」
予想以上の衝撃に腕の骨が軋む感触を得ながらも、ユーが堪え切った。
同時に詠唱は完了する。
「【パーマネントペタル】!」
詠唱が完了したことでミアの周囲に現れるのは、山吹色に光り輝く無数の花弁。
よくよく見るとその形状は“イントレランスグローリー”にも似た菱形だった。
第四魔術位階【パーマネントペタル】。
魔力因子変質系統の術式によって作られた、腐らず枯れず萎れない花びら。集合させて強靭な盾を形成することも可能だが、分散させれば広範囲への防御陣を展開することもできる優れものである。
ヴィンスに指摘されたミアの弱点を、彼女なりの努力で補おうと会得した術式だった。
「っづぁー、やっぱ一気に疲れるなコレ……ユーちゃん、私はもう片方の鋏を止めるから! ピエロをどうにかして!」
「わかった!」
声を張ったと同時に振るわれる右手の動きを追うように光の花弁が吹雪よろしく蟹右側の鋏にまとわりついて、握り込むように圧縮する。
これで足と鋏は封じ込めた。
「ケースケ君! あの伸び縮みする腕に気を付けて!」
「一応さっきから【テレキネシス】で抑えつけようとはしてるんだけど、やりにっくい……」
たわんで伸縮するだけでなく、微妙な振動まで伴うバネの腕は予想以上に暴れてくれる。この状況においては力の加減や範囲が大雑把になりやすい念動力よりももっと物理的な干渉が必要となるだろう。
それでもある程度は減速させられている。逆に言えば、減速させるのがやっとという微妙な窮地だった。
「【首刈り狐】!」
攻撃による弱体化を試みたユーが、魔力の斬撃を飛ばした。
左肩から右わき腹にかけて斜めに走る衝撃を受けてピエロがよろめく。が、蟹の甲羅に接続している部分だからかかなり頑丈に作られているらしく、まだ微妙に動く気配を見せた。
「ええい、しぶとい!【鉄纏】!」
ユーにしては珍しく悪態を吐いて、自身の防御力を高める【鉄地蔵】を“レギンレイヴ”の刃に纏わせ直接斬りかかる。
圭介としてはピエロの無力化に加勢したいが、先ほどから脅威となっている無音のハリセンが想定外に厄介な存在として邪魔してくる。
何せ威力は高く攻撃範囲は広く、少しでもバネの先端が視界の外に消えれば無音で接近する腕への対処を強いられるのだからたまったものではない。
「ああくそ、でも他の木とかに意識向けたら今度は完全に自由になっちゃうしどうしたら……っ!?」
懊悩する圭介の真横を、何者かが通り過ぎる。
直後、轟音が響いた。
「おぉっ!?」
窮地の中に突如として駆けつけたその背中に、圭介は見覚えがある。
誰かはわからなかったが、纏う衣服は今自分が身に着けているものと同じ。
暴れ回る腕に巨大なハンマーを叩きつける同級生の姿がそこにはあった。
見れば他にも火の玉をピエロに放つ者、モンタギューやミアと共に魔術で鋏を抑えつける者、頑強そうな蟹の甲羅に攻撃する者が複数名見受けられる。
「君達は……!」
そのどれもが圭介にとっては最近になって見慣れた顔。
一度は仲良くなれたものの、ヴィンスの件で気まずくなってしまったはずの面々だった。
「ケースケ、お前にばっか頑張らせちまってすまねえ!」
「俺らも手伝うよ! ユーフェミアさん無理しないでくれ、戦力保持優先で行こう!」
「ミアちゃんもモンタギュー君もお疲れ! 私も攻撃力ないけど抑えつけるの手伝うから!」
「エリカ何してんの?」
胸中でどこまで想いを解決できているか。
それは各々言い分もあるだろうが、例えいかなる感情があれど彼ら彼女らは圭介達を支援する形で全員が行動していた。
「最高だぜ君ら! ありがとう、この恩は必ず返すよ!」
喜色満面といった様子で改めて蟹に向き直る。
足と腹部は粘土状になった地面に沈み両手の鋏は封じられ、ピエロの両腕も他の生徒達によって満足に動かせていない。
頑丈な甲羅に覆われた体も数人の戦闘力に特化した学生に囲まれてグリモアーツで叩かれてしまっては手も足も出ないのだろう。
自分も彼らに加わってピエロを叩こう、と走り出しかけたその時であった。
「ナンデヤネン! ナンデヤ……アホチャウカ! アホチャウカ!」
ピエロの様子がおかしい。
否、おかしくなかったタイミングなど徹頭徹尾なかったが、急にこれまで一貫してきた関西弁らしき台詞が変化したのである。
同時に周囲の空気もピリッとしたものに一変した。
「何だ……っ!?」
攻撃に参加していた生徒達が訝しむと同時、森の中からいくつもの影が現れた。出てきたものが何であるかを知った瞬間、圭介の背筋に冷たい汗が這う。
それは全てがゴブリンであり、全てが森の中に倒れていたのだろう生徒を背負って移動していた。
「うお、すげぇ数」
「二年生の人達じゃん。森の中でコイツにやられたのか?」
「人質のつもりかもしれんぞ」
だとするなら切り替わった音声は森の中のゴブリン達に向けた号令か。タイミングを見るに蟹とゴブリンとの間に何らかの関係が築かれているのは明らかだ。
それらの目的が人質である場合を恐れてピエロを攻撃していた学生達が手を緩めると、腕は収縮して元に戻りピエロの胴体部分は急速回転を始めて周囲の生徒達を吹き飛ばした。
「ぐっ!!」
もちろん攻撃に参加していたユーとて例外ではない。【鉄地蔵】を瞬時に展開したのか、身体的ダメージは大して通さずにいられたようだ。
「アホチャウカ! アホチャウカ!」
しかしどうやら人質という目的で運んできたわけではなさそうである。
ゴブリン達は背負ってきた生徒を地面に横たえると、蟹の足元に潜り込む。
「あ”!?」
何をするつもりか、と見入ってしまったのは悪手だった。
彼らは自らが沈む危険性を度外視して蟹の足を数匹がかりで持ち上げ、腕がへし折れ突き出した骨に筋繊維と皮膚が破かれる事も気にせずその巨体を持ち上げ脱出させたのだ。
結果として下にいたゴブリンは揃って節足の踏み台となり、切り刻まれながら粘土の中へと沈んでいった。
同時に蟹は落とし穴から脱出した事で素早い移動を始める。その移動に伴ってアンカーの役割を担っていた“ア・バオ・ア・クゥ”も引き抜かれてしまった。
結果として両方の鋏以外の自由を取り戻した蟹は、咄嗟に正気に戻った学生達から攻撃を受けるより先に次なる一手へと打って出た。
「モウエエワ! モウエエワ! モウエエワ!」
またピエロの台詞が変化する。それに応じるようにして蟹の節足が折れ曲がり、関節部分から炎を噴き上げて急上昇を始めた。
巨体は地表から離れ森の木よりも高い位置まで移動し、静止する。
「うわ、蟹が飛んだぞ!」
空中浮揚。それが蟹の出した答えだった。
元々シュールな外観の物体が宙に浮いている様子はある種圧巻であったが、逃げようとしていないところを見るに戦闘を続行する意思はあるようだ。
加えてこの状況下で厄介な問題も生じ始めていた。
「……ゼェーッ…………ハァーッ」
「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ」
「ぐぅう……」
先ほどから蟹の鋏を抑えつけているミアとモンタギュー、魔力の消費が激しい【鉄地蔵】を多用したユーの三名が疲労困憊の状態に陥りつつあったのだ。このままではいつ鋏の拘束が解けてしまうかもわからない。
(三人にこれ以上やらせるわけにはいかない……)
戦局的にも圭介の心情的にも彼らの力を酷使するのは望ましくない。ならばどうするか。
(鋏が封じられてる今の内に、僕の“デンジャラスフリーフォール”を叩き込むしかない……!)
決めてしまえば後は早い。
圭介は鋏でバラバラにされてしまった木の切れ端を【テレキネシス】で浮かび上がらせ、空中で自分達を見下ろす蟹に向けて飛ばす。
未だ健在なピエロの両腕や浮いている相手に叩きつけるという攻撃手段がどこまで通用するかなど、不安要素として残っているものは多い。
だが何もしなければ勝ちの目も何もないのだ。先ほど得た教訓を活かして、まずはピエロ周辺から埋めていった。
「お、俺も手伝うよケースケ君!」
「私も!」
圭介の意図を察した他の生徒らも、魔術によって生成された巨大な氷塊や岩の柱を圭介の目前に置いて支援する。
今の圭介に感謝の言葉を送るだけの余裕はないが、それでも心の中で「ありがとう」と呟きながら与えられる物を見境なくぶつけていく。
「モウエエワ! モウエエワ!」
対する蟹も空中で回転しながら抵抗する。のみならず、急降下からの足を折り畳んで丸くなった巨体による突進までし始めた。
「う、お」
「ケースケ、お前はそのまま集中してろ!」
その言葉と同時に盾や大鎚のグリモアーツを持った壁役を担うクラスメイト達が蟹の突進を受け止める。
完全に止める事は出来なかったものの、軌道は逸らせた。見当違いの方向に突っ込んだ蟹が一度は青空に向けて飛んでいき、大きく旋回して再び圭介を狙う。
もう一度圭介の前に立つ彼らを信じて、圭介は蟹に向けてあらゆる物という物を押し付け続けた。
体に纏わりつく物体の量に応じて減速する様子が見えたため、勝機はそこにしかないと愚直に何もかもを押し付け続けた。
森の木、土くれ、道に落ちているゴミや石ころに至るまで、何でもかんでも。
「ふぬうううう!!」
そして、圧縮。
少なくともピエロの腕は機能しなくなり、回転速度も吊るされたてるてる坊主にすら劣る段階にまで落ちていた。
「うし、後は落とせば……」
そうして気を緩めた、瞬間。
ジィー、という音が蟹の腹部から聴こえた。
それはカメラなどに見られる、小さなシャッターの開閉音に似ている。
「…………は?」
蟹の腹部周辺にあった土や鉄塊が発光と共に消失すると同時に、その光は圭介達の方へと向けられた。
「おい、まさかビームとか撃つ気かあのデカブツ!」
想定外にしてこれまでで最大級の危険な攻撃手段を前に、圭介から血の気が引く。
ミアの【ホーリーフレイム】、即ち第四魔術位階に匹敵するであろう眩いその絶望は、見ている者達の恐怖を吸い込むかのように膨れ上がった。
周囲の生徒達も逃げ惑い、先ほどまで壁役を買って出てくれていた男子らも圭介を引っ張って逃げようとしていた。
しかし攻撃範囲や射程がどれほどの規模かもわからない。逃げられる保障がどこにあるのか。
そうして圭介が判断に迷っている間にも光は大きくなるのを止めない。
(やば、死――)
「よう、何かデケェ的が浮いてんな」
自身が光に飲み込まれる未来を幻視すらしていた圭介の耳に、すぐ隣りから聞き慣れた声が届く。
その声と共に光へ向かっていったのは二十八発の魔力弾。
一ヵ所に凝縮されたエネルギーの塊は二十八連発の炸裂を受けて爆発を起こす。その間にも圭介が【テレキネシス】の発動を切らなかったからか、空中で無残に内容物と思しき機械部品を撒き散らしながらも蟹が遠距離に飛んでしまうという事はなかった。
「モウエ、エワ……モウ、エエ…………」
「……今、だ!」
ようやく起きたと思ったら真っ当に仕事を果たしたエリカに心中で賛辞を送り、“アクチュアリティトレイター”を上段に構え、
「ふんがあああああああ!!」
即座に振り下ろす。
大地と接触したことで生じる轟音と共に関西弁にも似た声は完全に沈黙した。
叩きつけられた衝撃で蟹の金属質な体もとうとう罅割れ、小さなネジやバネを撒き散らしつつ動きを止めていく。
巨体の下敷きとなったピエロは思った以上に頑丈だったのか、うつ伏せに近い体勢で砕け散ることなく貼りついた笑顔を圭介達に向けている。
ともあれ目の前の脅威は、死んだ。
「………………やっ、たぁあ」
歓喜と共に気の抜けた声を零しながら。
圭介はどたりと地面に倒れ込んだ。
「うげっ、ミアちゃんもユーちゃんもモンタ君もぶっ倒れてんじゃねーか。ってか地面は抉れてるわ森の木は引っこ抜けてるわで大惨事だな。おいケースケ寝てねえで起きろ、片付けも手伝えば余計に小遣いもらえるチャンスだ!」
暗闇に沈んでいく意識の中で、最後にそんな声が聞こえた気がした。




