第九話 備え、不全につき
その日の夕方、圭介らパーティメンバーはホテルのロビーに一度集合して今日起きた出来事を話し合う運びとなった。
加工所での出来事を雑談感覚で話そうと浮かれていた圭介ら三人は、シプカブロガに残った二人から語られる“ラハイアの座”に関する話で気分を地の底まで叩き落とされる。
何せ想定外の事態が想定外の人物も関わる形で起きてしまっているのだから。
「パトリシアさんが……?」
信じられない、という感情を抑えきれず、圭介の声がやや裏返る。
「ばーちゃんに限った話でもなさそうだったぜ。“ラハイアの座”は身内に死なれたそのへんの人らを片っ端から味方につけてやがる」
『となると具体的な勢力の大きさが予測不可能となります。当然、どれほどの組織に何人“ラハイアの座”とその仲間が潜入しているかも不明です』
「騎士団も会社員も学生も、それこそ旅行に来てる人さえ候補に挙がるわけっすもんね」
聞いた情報を整理するだけでも相当な脅威だった。
多くの観光客が行き来するシプカブロガの往来で、人形とそれに魅入られた一般人がそうでない人々に紛れ込む。
索敵魔術の範囲や精度をどうこうしたところで敵と味方の見分けがつかない。
対抗策など皆無と言えよう。この時点で圭介らパーティとシプカブロガの騎士団は既に先手を取られてしまっている。
加えて恐ろしいのが、現在宿泊しているホテルが満員であるという事実だ。
街中の飲食店一つを事実上の貸切状態にしてしまうほどの影響力があるというなら、今こうしている間にも“ラハイアの座”かその協力者が部屋に来ないとも限らない。
つまり現時点で安全地帯が存在しないのである。
何となればこれから接する全ての人物が疑わしくすら思えてしまう、恐るべき相手。
それが“ラハイアの座”なのだ。
「おまけに操られてる人形が小鳥の群れに分裂するところまで見せられた。これでもう私達は小動物一匹にすら気を許せない」
「……騎士団には?」
「一応報告はしておいたけど、あんまり本格的な動きはしてくれないっぽかったね」
言いつつユーもその点に関してはどこか納得しているように見える。
騎士団とて暇ではない。特に相手の言い分を信じるなら、つい最近[そよ風の一味]なる犯罪組織が“ラハイアの座”によって一晩で壊滅に追いやられたばかりだ。
直接的な被害を生んでいない以上、ただ接触したという情報だけで首都全域に、それも均等に目を光らせるなど不可能に近い。
「下手すりゃあたしらの話を聞いた騎士の兄ちゃんが“ラハイアの座”じゃないとも言えねーぜ」
エリカの言い分もあり、どこまで騎士団を頼れるか判然としないのも恐怖であった。
「それ抜きで考えたとしても、向こうからすりゃあたしらなんざちょっと勲章持ってるだけの外国から来てるガキんちょだしなあ。しかも“ラハイアの座”の魔術が頭おかしすぎて信じてもらえたかも微妙だった」
『せめてフェルディナントの討伐実績を持つマスターが直接出向いていれば多少は違ったかもしれませんね』
「加工所行ってたから無理だわ。ごめんね」
言い方こそ軽いものだったが、圭介も内心穏やかではいられなかった。
パトリシアが裏切った。否、この状況を裏切ったと形容できるかどうか。
何にせよ親しい誰かが敵に回るという、恐れていた事態が起きてしまった。
彼女を[デクレアラーズ]に引き入れたのは警戒していた♦の札でこそないものの、よりにもよって[十三絵札]の一人である。
街中で暴れられれば手のつけようがない相手だ。それが大勢の人々を率いて、都市一つを混乱の渦に陥れようとしている。
加えてもう一つ、考えなければならない事案があった。
「ていうかそんなのが圭介君を狙うとかじゃなしに、あくまでも騎士団の足止めなんすね。ってなると別にもう一人“騎士の札”がいるのか……」
「可能性があるとしたら、ビバイ迎賓館で会ったアイツだ」
順番で言えば今のところ最後の“騎士の札”。
外見は上半身だけ厚着している少年で、確か名前は蔣光清と言ったか。
♣のJ、“ランスロットの座”を名乗っていた彼は圭介がルドラに向けて放った渾身の一撃を樹木で防いでみせた。
「植物を操る魔術を使ってた。どの程度の戦闘能力を持ってるかは何とも言えないけどね」
「でも“ラハイアの座”の話を聞いた限りだと、同じくらいヤバい奴なのは確定だよね」
ミアの懸念は正しい。たった一度の攻防しか経験していない圭介に相手の実力を判断するなどできないが、少なくとも戦闘を不得手とする♦のJ、フェルディナントより強いのは確実なのだ。
増してや“ラハイアの座”を差し置いて圭介との直接戦闘を担う存在である。地獄のような戦闘になると覚悟を決めておく必要があるだろう。
話の流れで気になったのか、エリカがスマートフォンで調べ物をしている。
「植物操作の魔術、ってなると何ができるかハッキリしねえな。成長を促進するやつもあれば作物の味やら量やらに関わるのもあってキリがない」
「戦闘に使えるやつだけ調べてみたら?」
「検索条件追加してもまだ多い。しかも[十三絵札]って確か機械の体に改造されてるからめっちゃ長生きしてるんだろ? 下手すりゃ全部使ってくるぞ」
『つまり事前にできる対策が限られているという事になりますね』
もちろん圭介とてカレンから教わった複合術式がある。
手札の数で言えば互角か、あるいはそれ以上だろう。
それでも相手は“騎士の札”だ。
フェルディナントは圭介にとって渾身の最大威力たる第二魔術位階【バニッシュメント】を回避し、近接戦闘によって一撃を入れてきた。
レオの協力が無ければ間違いなく死んでいたに違いない。今思い出しても恐るべき相手であった。
然るに今回シプカブロガに来ているという“ラハイアの座”と“ランスロットの座”も彼と同様、一瞬の油断が命取りとなる程の強敵であると見なすべきである。
「あー、ていうか今までの話をまとめると」
そう言ってミアが顔を押さえながら天井を仰いだ。
「まずこのシプカブロガの都心部で“ラハイアの座”が、加工所周りの緑地で“ランスロットの座”がそれぞれ暴れ回るって事だよね」
「多分そうなると思う。“ラハイアの座”が信用できるかどうかは別として、適性を活かすなら逆はあり得ないはず」
同意するユーの表情も芳しくない。
誰が敵かわからない状況を作り出す者が雑踏に紛れ、植物を操る者は自然豊かな環境を選ぶ。
相手のホームグラウンドとまでは言わないまでも、明確にこちらが不利な状況と言えた。
「で、ゾネの騎士団の人達は潰された犯罪組織の調査やら何やらで手一杯な状況と」
「ついでにさっきも言ったけど、騎士団内部に“ラハイアの座”やそのお仲間がいる可能性だってあるぞ」
『いずれにしても本格的に相手が動き出した時、騎士団の動きは平時のそれと比べて劣っているものと予測できます』
「……[デクレアラーズ]が今回も来るんじゃないかとは思ってたけど。予想以上に容赦ないな」
今まで圭介の戦いは、その多くが他者の助けを頼りにしていた。
仮に騎士団が協力してくれていなければ死んでいた場面も数え切れまい。
前回のフェルディナント戦でさえ、最後はレオの助けがあってこそ勝利を得られたのだ。
だがこれからゾネ君主国で起きようとしている戦いは、敵が二手に分かれて騎士団の動きを抑えようとしている。
いくら国防勲章を有していると言えども一介の客人に過ぎない圭介にとって、シンプルが故に恐るべき脅威であった。
感情が顔に表れていたのか、圭介の顔を見てエリカが指を弾く。
そこから生じた指先程度の大きさの魔力弾が額をパチンと軽く叩いた。
「いでっ」
「深刻に考えたところであたしらにできる事なんざ限られてんだろ」
ぶつける言葉の割に深刻な表情をしているのはエリカも同じだ。
よほどパトリシアの現状がショックだったのだろう。
それでこそ決めた心も、きっとあるのだろう。
「今はグリモアーツの強化にだけ集中してろや。後々何が起ころうと“ラハイアの座”はあたしらがどうにかする」
「エリカちゃん……」
「ふざけた話だが、ご本人からヒントももらってるしな」
心中で混ざり合う苛立ちと呆れを処理するように、彼女の鼻から深い息が漏れた。
「ケースケとレオは加工所に用あんだろ? だったらもう一人の方はお前らで片付けてこいよ」
「でも……」
「お前がこっちに下手に残って二人の“騎士の札”が合流しちまったら、それこそ手がつけられねえだろ。ばーちゃんの件は黙ってこっちに任せな」
頼もしい発言ではあるが、どうしても懸念が残る。
現時点で判明している事実だけ並べても“ラハイアの座”は難敵だ。
己の人格を組織のためだけに最低限残し、それ以外のリソース全てを死者の模倣に割く怪物。
現時点でシプカブロガに点在する宿泊施設を人形とそれに連れ合う一般人が埋め尽くし、騎士団がンジンカ緑地まで手を伸ばせなくなるほどの騒ぎを起こすつもりでいる。
どんなに強力な魔術を手にしていようと人手が足りない。そもそも相手の具体的な狙いも見えない。
それを踏まえてか、レオが口を開いた。
「そうなると申し訳ないんすけど……ミアさんは明日から俺らンとこ来ないで、こっちで騎士団の支援に徹した方が良いと思うっす」
「……まあ、今の話を聞いちゃうとねぇ」
名指しされたミアも腕を組みながら納得した風に頷く。
何が起きるかわからないにしても、国防を担う組織の力が落ちると聞いては黙っていられない。
ミアの魔術は広範囲を支援しつつ防御もできる。流石に“ラハイアの座”を相手取って完璧に対応できるわけではないにしても、事態の収拾に協力は可能なはずだ。
「それに俺も“フリーリィバンテージ”を分割して離れたところにいる人を回復できる。明日からとりあえず百分割くらいして事前に渡しておくんで、もしもの時は使ってほしいっす」
「さらっと郊外から都心まで回復魔術を届かせられるんだからレオも大概すごいよ、マジで」
思わず賞賛してしまう圭介だが、実際彼とミアがいるかいないかで話は大きく変わる。
単体での戦闘能力が求められるのは恐らく“ランスロットの座”の方だろう。
しかし集団での強みを求められる“ラハイアの座”との戦いでは、どちらかと言うと連携できるコミュニケーション能力及び支援能力の方が重要視される。
想像以上にシビアな役割分担が求められる戦いだ。
恋人だからと呑気に二人仲良く同じ場所に揃うべき場面ではない。
「一応僕の方からも騎士団と加工所に連絡入れておくよ。狙われてるのが僕だってはっきりわかれば説得力はあるだろうし」
『加工所はともかく騎士団がどこまで人員を割けるかは未知数ですが』
「だとしてもあんだけデカい団地なら誰かしらいるだろうし、連絡しないわけにもいかないっしょ。いざ戦いが始まったら率先して避難誘導してもらわなきゃ困る」
いくら郊外に位置すると言っても、流石に騎士団か、あるいは自警団のような存在が一人もいないはずはない。
最悪の場合でも敵の狙いである圭介自身が加工所や団地から離れればそれで済む。
目下最大の懸念事項は、やはり“ラハイアの座”であった。
思い出したようにエリカが呟く。
「そういやシプカブロガって地下街あったよな……」
「あー…………」
「そっか、うわーしんど……」
ユーとミアもそれぞれ眉間に皺を寄せた。
『では警戒すべき範囲は都市の地図に描かれているより広いということですか』
「何ならこの街が地下何階まであるのかすらあたしら知らねえぜ」
「一般人が行ける範囲で地下四階まであるよ。それより下は……うん…………」
「エリカちゃん、明日は【マッピング】よろしくね」
観光客が多い影響で人は人口以上に多くいる。
地下街の発展も目覚ましく街は外観より広い。
敵が動くまでに残された猶予すらわからない。
国防勲章の信用性も国が変われば通用しない。
実績と経験を重ねて高い実力を有し結束も固い彼ら彼女らでさえ、こうしてみると大人を頼れない状況がどれほど心細いかを思い知らされた。
子供にできる事など知れている。
だが、それでも動かなければ圭介が殺されるのだ。
困難な道を進んでいる自覚はありながら、それでもこの場に諦めている者はいなかった。
「とりあえず今夜は食べてお風呂入って寝よう。もう僕色々考えて疲れたわ」
厳しい戦いを前に、それでも圭介は強がって笑えた。
ここで笑えないようでは勝てないと心のどこかでわかっていたから。




