第七話 嫐
圭介らが加工所に向かった後、エリカとユーはシプカブロガの街並みを眺めながら二人並んで歩いていた。
どちらも学生の身で国防勲章を王家から授かった美少女である。
その名と相貌は隣国たるゾネにも伝わっているらしく、雑踏の中から時折彼女らに興味を示す声などが聞こえてくる。
「おい、あれ」
「ギラン・パーカーの勲章の……」
「映像で見た以上に美少女じゃんビビるわ」
「めちゃくちゃ強いってホント?」
「知ってるか? ユーフェミアって本気出したら飲食店一つ閉店に追い込むくらいの勢いで飯食い尽くすらしいぜ」
「マジか……今日の昼飯早めに済ませておかないと……」
「エリカは河原でエロ本集める癖があるって聞いた。遠方訪問先でもエロ本買ってたってネットで書き込みあったし」
「マジか……絶対に子供近づけないようにしないと……」
どうにも不名誉な評判まで広まっているらしいが。
「そこかしこでヒソヒソ言ってら。有名人ってのも考え物だなユーちゃん」
「だねぇ。さっきも隠し撮りしようとしてる人が二人くらいいたし」
「なんか魔術使ってんなと思ったらそれでか」
ユーは第三魔術位階【阨黯暝澱】を会得してから、グリモアーツを【解放】せずとも小さな魔力の刃をある程度まで操れるようになった。
なので持ち前の勘で群衆の中から悪意を感じ取り、カメラのレンズに傷をつけて撮影できないようにするなど造作もない。
エリカはエリカで瞳に薄く魔術円を付与する形で簡易的に【マッピング】を常時発動し、眼球にかかる負荷を極力軽減しながら周囲の状況を視覚的に俯瞰して把握する術を身に着けている。
観測できる範囲は知れているものの、アズマの魔力探知に近い精度で魔力を追跡できるようになった。ユーの動きを察知できたのもそのためである。
特別強化合宿の成果は確実に出ていると言えよう。
「まあ、私もまさかこの期に及んで盗撮する人がいるとは思ってなかったけど」
「名目上は観光とグリモアーツの加工目当てで来てるっつっても、あたしら外国から来た王家とも付き合いある国防勲章受勲者って立場なはずなんだが」
「ね。普通は怖くて変な真似したくないよねぇ」
言いつつプラスチックのコップに入ったアイスティーをストローで啜るエリカに、ユーが売店で購入した野菜の串揚げを齧りながら返す。
当然のように十本一袋のセットを六袋ほど一人で抱え込んでいるため、通行人がやや怯えていた。
「あるいはそんな私達に迷惑かけて、国際問題を意図的に起こそうとしてる人がいる……とかかな」
「だとしたらアガルタの排斥派がこっちまで出張ってきてるかもしれねえな。クソめんどくせー」
可能性としてあり得ない話ではない。
ホテルのフロントでちらりと聞こえてきた従業員同士の会話曰く、ここ二日ほどで例年以上に観光客がこのシプカブロガに集まっているという。
まず客観的事実として第二次“大陸洗浄”の影響により犯罪者集団が旅行者を襲撃する頻度は減り、同時に原因は不明だが超大型から中型までのモンスターも年々数を減らしている。
そのため危険であるが故に費用のかからない、陸路での移動は極めて安全なものとなっていた。
結果的に安価且つ安全な旅行の手段として、観光バスで国境を越えて旅をする一般人が増えているのだ。
「観光客が増えてるからってわざわざ外国にまで乗り込んでくる排斥派がいたとしたら、そいつぁ相当なバカ野郎だな」
「あるいはそれでも仕事をこなせるくらいには有能だったりね」
殺気を放っても気配を消しても、どちらにせよ存在感を際立たせてしまうのが雑踏という環境である。
増してや大半の人々は外国から来た有名人に迂闊に近づかないよう遠巻きに見ているばかり。
事前に調べた情報曰く、ゾネ君主国の国民はアガルタ国民と異なり遠慮がちな性格であると聞く。
つまりここで接近する行為はそのまま二人の警戒心を呼び起こすきっかけとなるのだ。
そう、普通であれば簡単に接近などしない。
「こんにちは。なんだか久しぶりねぇ」
「あん?」
「えっ?」
つまりこの状況下で周囲の目を気にせず声をかける誰かがいたならば。
「今日は二人だけ? ミアちゃんとかケースケ君は一緒じゃないのかしら」
それはきっと、普通から外れた者なのかもしれない。
「……えっと、誰、っすか?」
そう問われて、エリカとユーに声をかけた妙齢の女性は納得がいかないかのように眉をひそめた。
淡いピンクのランタンスリーブブラウスと灰色のスカートで控えめながらも可愛げのある服装に身を包んだ、二十代前半ほどのサキュバス。
純白の肌は玉のような艶を持ち、ややぽっちゃりとした顔をふわりとした銀髪の巻き毛が恥じらうかの如く左右から包む。
豊満な胸と健康的な肉付きは当人の意識と無関係に、どこか艶めかしさを伴っていた。
だが、二人はそのようなサキュバスを知らない。
少なくとも公の場で気安く声をかけてくるような相手に心当たりがない。
「誰って……ああごめんなさいね。そうね、このままじゃわからないわよね」
そう言って女性が羊のような左右の角に両手の指を這わせると、そこからゼニスブルーの術式が浮かび上がる。
「【洗い流せ】」
呟くと同時。
術式は見事に四散し、同時に目の前で妙齢の女性だった存在が別の姿へと変貌した。
背の低い老婆へと。
「あっ……!?」
「ウッソだろ……!」
彼女らからしてみれば、そちらの姿の方がよほど見慣れている。
何せ圭介が来るより以前から付き合いのあった恩人だ。
「パトリシアさん……!?」
「あんたこんな場所で何してんだ!?」
アガルタ王国にてたばこやという店を営んでいた、馴染み深い依頼主。
パトリシア・ケアードが微笑みを浮かべて現れた。
「急に顔を見せる形になってごめんなさい。でも今はこっちの姿でお話したいわ」
言って再び己の角を指でなぞり、またも術式を浮かべる。
「【理想の自分へ】」
短い詠唱を終えて、一瞬。
その一瞬で彼女は先ほどと同様、若く美しい女性の姿へと変わった。
これぞサキュバスという種族が持つ特性の一つ。
自身を若く美しかった頃の姿に変化させる、彼女らしか使えない第六魔術位階【ブラッドメイク】である。
「今はおめかししてるところなの。何せホラ、彼と彼女が一緒だもの」
「おーい、先に行かないでくれよ」
パトリシアが振り向いた先、未だ呆けるエリカとユーに追い打ちをかけるような形で今度こそ見知らぬ二人が近づいてきた。
男の方は黒い頭髪と体毛を持つ、色黒な青年。
姿を変えたパトリシアと同じかそれより上と思しき年齢で、水色のシャツに青いチノパンを履いて茶色い革のジャンパーを羽織っていた。
人好きのしそうな笑顔は誰とでも関係を深めようという意欲に満ちており、油断すると引き込まれかねない甘さを備えている。
「三人で一緒に、という話だったでしょう。昔から貴女は……」
「まあまあ、いいじゃない」
男の隣りで寄り添うように歩いてきたのは、パトリシアと旧知の仲らしい女性。
こちらは二十代半ばを過ぎた程度か。尖った耳はエルフのそれと比べると幾分短く、彼女の種族がハーフエルフであることを示している。
赤茶けた長い髪を飾り気のないヘアゴムで無造作に束ね、キリと鋭い眼差しを携えながらも彫像よろしく端正な顔立ちが畏怖より陶酔を呼び起こす。
それでいてあまり自身の装いに興味がないのか、上下を赤紫色のジャージで揃えている。ファスナーを開け放った上着の前面からはストライプ柄のインナーが見えている。
しかし服装に対するこだわりの無さなど補って余りあるほど、パトリシアすら凌駕する胸部の膨らみが彼女の女性的魅力を前面に押し出していた。
「あの、そちらのお二人は……?」
「ご紹介が遅れてすみません。エリカ・バロウズさんとユーフェミア・パートリッジさんですよね? 国防勲章の件も含めて、お噂はかねがね」
慇懃な物腰で黒髪の青年が話しかけてくる。
敵意も害意も感じない。そこにあるのはただ純粋な、若人に向ける年長者からの興味関心のみ。
そして二人はその男の口から、信じ難い言葉を聞く。
「初めまして。パトリシアの夫、柳瀬時高です」
彼の名前が持つ響きは、ビーレフェルト大陸に生きる通常の人々が持たない響きを有していた。
圭介と同じような響き。
客人以外にあり得ない名前。
だが、かつてパトリシアの夫だった客人は。
「色々とありまして、こうして再び彼女らの前に姿を現す結果となりました」
ここにいないはずの、死人。
いるはずのない人物がいるという奇妙な現象を前に、【ブラッドメイク】で若返ったパトリシアは平然としながら立っている。
隣りにいるマーシーも同様だ。自分の寄り添う相手が死者だと認めながら、それでも構わず彼の腕に自分の腕を絡めていた。
「今日は二人に――[デクレアラーズ]と敵対する立場の君達にお話があって、こうして会いに来ました」
「ちょちょちょちょっと待て! 急に色々ありすぎて受け止めきれねえ!」
「あの、一旦どこか落ち着く場所に……」
ここで出される[デクレアラーズ]の名。
明らかに不穏な雰囲気を感じ取り、無言のままでいた二人も流石に我慢の限界を迎えた。
想定外の人物との再会、当たり前のようにそこにいる故人、その背後にあるらしい[デクレアラーズ]の影。
一度に処理できる情報の量ではない。ユーの言う通り、まずは落ち着く必要がある。
「……これは失礼。驚くのも無理はないでしょうね。ではあちらのレストランでお話しましょうか。パトリシアからもちゃんと紹介してもらわなければ」
「わ、かりました……」
「うっす……」
二人の少女の反応を見た上で、時高と名乗った男はハーフエルフの女性を連れたまま小さなレストランへと歩き出した。
それをパトリシアも走って追いかけ、空いたもう片方の腕に抱き着く。
エリカはポリポリと頭を掻いて、ユーは髪の先を指先でいじりながら各々の戸惑いを抑えて移動する。
店内は決して広くないものの昼時というのもあり、それなりに混雑していた。
しかし運よく五人で座れる丸テーブルの席が空いていた。店員に促されるまま時高達三人とともに、引かれた椅子へ腰を下ろす。
壁や床は磨かれ白い鉱石で覆われており、アカシアの板を組んで作られた天井からは照明器具としてランプが吊り下がる。
ランプを天井と繋げているのは金属の鎖。
本来なら無骨な印象を見る者に与えかねないが、敢えて四角い形状に作られたそれらは光を受けて赤く輝くことで寧ろ洒脱な佇まいを見せていた。
照明に照らされる時高の顔色は至って健康的だ。
本当に死者がそのままここに来ているのであれば、ここまで血の通った状態にはならないだろう。
「誘った手前、ここは奢らせてください。でなければ二人に呆れられてしまう」
「年長者だものね」
「あ、ども……」
「ありがとうございます……」
最初は二人もこの状況に対し、死者の肉体を再利用するというおぞましい手法も考えた。
しかしそうであったとしてもパトリシアの夫が死んだのは随分と前の話になるはずだ。
長期間が経過しているのなら、いかなる魔術を用いたとしても死体の劣化は防ぎようがない。
時高の様子はどう見ても、現在進行形で生きている人間である。
少なくとも死体に細工を施して動かしているだけでは説明できまい。
「さてお話の前に今一度、こちらから自己紹介をさせていただきます。パトリシアの夫、柳瀬時高……改め、時高・ケアードと名乗るべきでしたね」
「もう、今は特別にケアード性は名乗らなくていいって言ったのに」
「戸籍上の名前も言っておかないとややこしいかと思ったんだよ」
夫婦のやり取りが落ち着くのを見計らって、彼の左側に座るハーフエルフの女性も軽く会釈した。
「名乗るのが遅れてしまってごめんなさい。私はマーシー・フィアロン。トキタカとパトリシアの、共通の友人です」
友人、という部分に心なしか力が加わる。
仮にそうだとして、そんな立場の女性が友人夫婦の夫にああも露骨な好意を向けて腕に絡みつくだろうか。
先ほどパトリシアが時高に向けて言った「ケアード性は名乗らなくていい」という発言も汲み取ると、恐ろしく複雑な人間関係が垣間見える気がした。
「昔はこの三人でパーティ組んでたのよねえ。当時はメンバーの移り変わりも多少あったけど、最初から最後までずっと一緒だったのよ」
ラフな服装に反してしっかりとした様子のマーシーに、対照的と言えるほど呑気そうな声でパトリシアが付け足す。
この場で初対面となる四人は、旧知の仲である彼女によって接続されている。
それを認識して少女二人も慌てて自分の名を述べた。
「エリカ・バロウズです。パトリシアさんとは二年ちょっとくらいの付き合いになると思います」
「ユーフェミア・パートリッジです。その、よろしくお願いします」
「あのねトキタカ、この子達はね……」
「っで!」
互いに互いの名と顔を知ったところで、まず喋り出そうとしたパトリシアを手で制しながらエリカが声を上げた。
「で、そのぅ……トキタカさん? は、いつから今の状態に?」
生き返った死者。
あまりにも特異な存在に、控えめながらもまず要点を突く。
そんなエリカからの問いかけに、時高は笑って応じた。
「ちゃんと説明すると長くなりますが、言ってしまえば僕は本物の柳瀬時高ではないんですよ」
「あ?」
「え?」
ただでさえわけのわからない状況で余計に混乱する二人に、それでも他に言いようがないとばかり時高は続ける。
「僕は[デクレアラーズ]幹部格[十三絵札]が一人――“ラハイアの座”が操作する人形のうちの一体に過ぎません」
どこか悲しげに微笑みながら、彼は己の胸に手を当てた。




