第六話 一緒に食事を
「事前に用意してもらってると思うんですけど、血と髪の毛を提出してください」
「あ、はい」
部屋からしばらく歩いた先にある下り階段で地下一階へと移動し、そこにある広い部屋へと通される。
圭介は努めて平坦な態度を貫くウォルトに言われるがまま、前もってポケットに入れていた髪の毛と血液の付着した脱脂綿が入った袋を手渡した。
圭介と一緒にグリモアーツを加工してもらうつもりでいるレオも、同じく袋を提出する。だが表情に浮かぶ疑問は未だ解消されていない。
「あの、何なんすかこの変な空気」
「後で説明するから今はスルーしてなって」
ミアが戸惑うレオの肩を叩いてなだめる。
圭介も一旦ウォルトとの過去のいざこざを横に置き、通された部屋の中を見渡した。
一言で言えば、小中学生時代によく見た身体測定での光景と大きく変わらない。
身長計に体重計。視力検査に用いる望遠鏡のような機材。
机の上で緑色に輝きながら浮遊する謎のリングは、血圧を測定するための魔道具であると騎士団学校で知った。
それから日本にいた頃と明確に異なる要素として、酸素マスクのようなものがチューブで壁面に接続されている。
これは呼気から魔力の質を読み取るための設備だとウォルトから軽く説明が入った。
要するに一通りの健康状態や身体的な特徴を測定し、より効率的にグリモアーツを加工するための情報を得るのが今回の目的であるらしい。
「じゃ、今回は男性のみとのことなんで俺一人でお二人分の測定します」
「お願いします……」
そこからは淡々としたものだった。
クリップボードと記録用紙を用いて二人分の計測結果が順々に記入されていき、会話はほとんど事務的なやり取りのみに終始する。
互いに距離感をどう調整すべきかわからないのを感じながら作業だけがスムーズに進んでいく。
そんな中、圭介は精度を向上させた索敵魔術【ベッドルーム】でウォルトの挙動に通常と異なる点を見出した。
右足と左足で歩幅と歩行速度に差異がある。
(やっぱり、歩く時の動きがちょっとおかしくなってるんだな)
彼の右足はかつて圭介を暗殺しに来た排斥派のヴィンス・アスクウィスによって踏み潰され、外観こそ元に戻ったものの後遺症を患っている。
そのため一見して大きな異常は見受けられないものの、念動力魔術で観測してみるとわずかな動きのズレなどが観測できてしまうのだ。
だからとわざわざそれを指摘するような事もない。
ただ、後を追う際に少し気をつけるだけ。
気疲れする空間で必要な手順を終え、全ての検査を終えたところでウォルトがタブレットを元あった場所に置いて充電用の配線を繋ぐ。
「……今、他に人いないから。この際言っておくけどよ」
「え、あ、はい」
口調を変えて振り向く彼に少し怯みながら圭介が応じる。
ミアが少し警戒する様子を見せるのに対し、アズマは動かずレオは表情に疑問符だけ浮かべた。
そんな反応を見てウォルトはやや呆れたような顔で鼻から短く息を吐くと、
「すまなかった」
圭介に向けて頭を下げた。
「……は、はい。こちらこそ?」
「テンパって変なリアクションになってるっすよ圭介君」
事情を把握しきれていないレオが冷静に言う一方で、以前のウォルトを知るミアは意外そうな視線を彼へと向ける。
「今更こんな風に謝るのも俺の自己満足でしかないんだろうけど、さっきからやりづらそうだったからこの場で片付けられるもんは片付けようと思ってな」
「あの、先輩。僕らのあれこれ知らない仲間もいるんで……」
「そうか。いや、そうだったな」
当事者でないレオとアズマに交互に視線を向けてから、小さく息を吐く。
「まだ帰りのバスが来るまでに時間あるよな? もし良かったら施設の外にある団地の入り口ンとこで待っててもらえるか」
「僕はいいけど……どうする?」
「逆に俺いていいんすか。いや一人だけ帰るのも気まずいっすけど」
「まあ話すとして内容は俺の事だ。別に聞かなくても何か悪いことがあるわけでもないさ」
物憂げな笑みを浮かべているものの、ウォルトの表情にかつて見たような短絡的な怒りや理不尽極まる憎悪は見受けられない。
圭介としては話くらい聞いてから帰らないと、どうにも尻の座りが悪かった。
それを察してかミアが優しく圭介の背中に手を当てる。
「聞いてこうよ。どうせ団地の中でお昼食べるくらいはする予定だったじゃん」
声色が、もう警戒する必要はないのだと告げていた。
「……じゃ、先行ってますんで。どのくらい待ってればいいですか?」
「ありがとうな。俺の方は片付けだけすりゃ今日のところは帰れるから、着替えの時間も込みで十分くらいかかると思う」
「了解です。良い感じの店あったら紹介してくださいよ、先輩」
先輩、という呼びかけに苦笑しながら、ウォルトは「ああ」と短く返して部屋の清掃道具を取り出す。
そんな彼の背中と態度にまだどう反応すべきかわからないまま、圭介達は一旦外に出るのであった。
* * * * * *
ンジンカ団地商店街の一画にある、個人経営と思しき食堂。それがウォルト行きつけの店だと言う。
「ここはウサギ肉の定食が一番うめえんだ」
「んじゃ僕それにしよ」
以前は襲われた事すらあった相手だというのに、不思議と嫌悪感も何もないまま勧められた料理を注文するに至る。
何とも奇妙な体験だった。
浅黒い木材を組んで作られた円形のテーブル越しに圭介とウォルトが向かい合い、圭介を左右から挟むようにしてミアとレオが座る。
やや露骨に距離を取られているものの、それも当然と受け入れているらしい。
ウォルトは気兼ねせずタブレット端末で全員分の料理を注文してから、改めてレオに向き直った。
「以前はアーヴィング国立騎士団学校でこっちの二人より一つ上の学年にいた元騎士団志望、ウォルト・ジェレマイアだ」
「レオ・ボガートっす。よろしく!」
「ああ、よろしく」
やりづらい空気を少しでも変えるべくレオが陽気に挨拶した。
その心遣いに応じるが如く、ウォルトも柔らかい物腰で返答する。
以前は滲み出ていた敵意や害意を一切感じない。
あの幼稚とも言える行動原理で圭介どころかエリカにまで嫌がらせをしていたような男が、随分と様変わりしたようだ。
「まず言っておくと、俺は学校にいた頃は排斥派だった」
「え」
「しかも割と派手に動いてて、周りからは呆れられててな。それで動機は家族とのトラブルでイラついてて八つ当たりしてただけだってんだから、本当にあの頃の俺は救いようのないカス野郎だった」
当時の彼なら嘘でも口にしない、明確な自己否定。
まるで別人のような変化だが、それに納得できないということもなかった。
国外の、それも首都圏内と言えども郊外に位置する加工所で、付近にある団地に住みながら働いているのだ。
この現状が楽なはずもない。表情やわずかに見せる細かな所作から日々の労働による疲労とストレス、そしてそれにより成長した人間性が所作と言葉に影響する。
「んでこっちのトーゴー・ケースケに喧嘩売って返り討ちにされて、挙句信じてた相手に裏切られて全く自分で自分が恥ずかしいぜ」
食事の前だからか足の怪我に関しては言及せず、淡々と当時の事柄を必要な部分だけ語る。
ただしここまでは圭介とミアも直接その場で見てきた範囲の情報だ。
後日談は、ここから始まる。
「退学してから先の話は、お前らも知らないよな。つってもあの時以上に酷い目には遭ってないし、そこまで語る内容でもないんだが」
自嘲しつつウォルトが周囲を見渡した。
立ち並ぶ建造物と、その合間を縫うようにして走り回る輸送車。
ここでは見飽きるほどに毎日目にするであろう景色を、どこか愛でるように。
「俺が騎士団学校を退学したあの日、親父とお袋が大喧嘩の末に離婚した。今はお袋と二人でここの一室に部屋借りて暮らしてる」
「てことは、お父さんは……」
「まだメティスに残ってるんじゃねえかな。脱税バレて雲隠れしてからはどこで何してんだか知らねーや」
どうやら父親の話題には極力触れたくないと見える。
さらりと話題を次に移した。
「まあそんでお袋がこっちの出身だってんで、メティスにいづらいからって無計画に飛び出してきたら母方の実家から縁切り宣言されてよ」
『巻き込まれたと言っても不祥事の当事者ですからね。疎ましく思う者がいても不思議ではないでしょう』
アズマの意見は容赦のない鋭さを持つが、内容は決して間違ってはいない。
犯罪者の身内である以上、知らなかったと主張しても信じてもらえない事もあっただろう。
増してや今の話を聞く限り、ウォルトの母親はわざわざ国外の相手を選んで嫁いだ身だ。
円満に実家から離れたわけではなかった可能性すらある。
頼れるのは自分だけ、という状況が彼を学生から労働者に変えたのだろうか。
「仕方ないからここで親子仲良く貧乏ながらも楽しく暮らしてる。傍からどう見えるか知らないけど、あの頃よりは苦労も多い分何かと勉強になる人生を送らせてもらってるよ」
「……そう、っすか」
初対面のレオでさえ何と言葉をかけるべきか定まっていない。
ウォルトの過去を知るミアはもちろん、殺されかけた経験すらある圭介なら尚の事である。
「ただ誤解されたくないんだが、俺は同情を誘いたいわけでもなければ、許してもらおうなんて都合のいい考えを持って話したわけでもない」
先の謝罪から察するところではあったが、彼は圭介に許してもらおうという態度を一度も見せていなかった。
となれば自身の非を認めた上で伝えるべきと判断した何かが、ウォルトの中にあるのだろう。
「これは決意表明なんだ」
『というと?』
アズマに促され、かつて排斥派だった少年は一方的に敵視していた圭介に視線を向ける。
「正直、まだ客人に対して偏見が無いかっていうと微妙ではある。良くないことだと自覚はしててもすぐに価値観が変わるわけじゃない」
「……それは仕方ないと思います。でも」
「わかってる」
圭介がどう言葉を続けるつもりなのか、本当にわかっているのだと瞳を見て確信した。
彼は本心では排斥派としての自分を嫌悪し、そんな自分を変えたいとさえ思っているのだ。
「相手が客人だからって、変な真似はしない。お前らのグリモアーツは責任持ってちゃんと仕上げるよ」
そもそも俺一人で作るわけじゃないけどな、と小さな笑みを浮かべて付け足し、ウォルトは溜め込んでいたものを追い出すように顔を上へ向けて大きく息を吐き出した。
「……変わりましたね、先輩」
「そう言ってもらえるのが一番嬉しいよ。あの頃の俺を誰よりも嫌ってるのは他ならない俺自身だから」
わだかまりが完全に解消されたとは言えまい。
それでも圭介が胸中でウォルトへの印象を更新したのは、ある種のケジメとして意思表示をしてくれたからである。
やがて料理が運ばれてきた。
ライ麦パンに大量のベーコンと野菜で器をぎっちりと満たしたトマトベースのスープ、まだ圭介の知らない黄色い果実がスライスされた状態で盛られたサラダ。
メインとなるウサギのソテーには赤いソースがかけられている。スパイスを由来とした芳醇な香りが鼻腔から肺へと伝わり、食欲を増進した。
労働者が多く利用するだけあってボリュームは凄まじいものだ。加えて栄養バランスも考えられている。
「明日は今日の倍くらい時間かかるからな。ちゃんと食って体力つけとけ。俺は予定表見て何するか知ってるけど、割とダルいぞ」
「了解っす。いやでもそうか、ダルいのか……」
「魔術適性を見るために色々魔力も消費するだろうからね。んじゃ、いただきまーす」
「いただきます。私は見てるだけだから気楽でいいや」
「あ、ミアさん明日も来る予定なんすね。何だかんだ気分的にはありがたいっす」
ウサギの肉を切って頬張りながら、圭介は以前のウォルトの振る舞いを思い起こす。
そうしてつい先日、フェルディナントとの戦いを通して吐露した自分の本心も。
(ウォルト先輩が元気そうに生きててくれて、本当に良かった)
やり直して新たな道を歩む彼の存在こそが、山盛りの料理よりも何よりも圭介の心を元気づけてくれた。




