第二話 誰も彼もが変わりゆく中で
「ケースケ君、いつになったら戻ってくるかな」
ホームとして設置されたプレハブ小屋の中、ユーが物憂げな表情で呟く。
それに対してエリカが「んー、わかんね」と短く返した。
今この空間にいるのは彼女ら二人のみである。
ダアトでの合宿を終えた生徒らは既に全員王都メティスに帰還しており、各々の日常に戻っていた。
特に喜んでいたのはミアだ。
あれからレオはダアトの長たるカレン・アヴァロンから許可を得て、結局メティスに戻ってきている。
住居は新たに契約したらしいが、国防勲章を持つ身として相応の場所で生活しているらしい。今は二人仲良く部屋で過ごしているだろう。
「女二人で何するよ? ユーちゃんギャルゲー興味ある?」
「女子二人の状況でそんな提案されることあるんだ」
「主人公が精神的にとことん追い詰められるやつだけど」
「主人公が精神的にとことん追い詰められるやつなんだ」
そういうの好きだなぁ、と苦笑が漏れる。
ダアトでの戦いを終えてからというもの、ニュース番組や週刊誌の関係者からアプローチを受ける機会が増えた。
王族の影響でそういった動きは自粛していたはずだが、流石に今回の第一次“大陸洗浄”で暴れ回っていた客人を撃破した功績は多くの人々の視線を集めている。
もちろんその中には、東郷圭介を認めまいとする排斥派も紛れているのだ。
「実際やってみると男が女にどんな夢見てるかわかって面白いもんだぜ? どうやらあいつら、惚れた女には世界の命運を握っててほしいと思ってるらしい」
「絶対そんなことない……」
「んで世界と女の二択なら女を選ぶし、死ぬ間際になってようやく素直な気持ちで告白するらしい」
「もうそこまでいくとエリカちゃんの方が男子に変な幻想抱いてるでしょ」
顔立ちの整った三人にすり寄りながら圭介には否定的な態度を見せる連中に、ユーもエリカもほとほと嫌気が差していた。
ミアはレオという客人にして同じく国防勲章を有する恋人がいるため、そういった手合いの相手をする機会は少ない。
それでも一人で街中を歩いていると、露骨なまでに破局の兆しを探るようなインタビューを受けることがあると聞く。彼女は彼女で気分の悪い思いをしているのだろう。
そんな連中の目を避けてホームに来た今、ようやく落ち着けるかと思った。
だがこうしてエリカと二人きりになってみると別の懸念が胸中に宿る。
「ケースケ君、今どうしてるかな……」
「あいつなぁ。王城に連れてかれてからずっと閉じ込められてるからなあ。肩身の狭い生活してるのは間違いねーだろうけど」
言いつつエリカは寂しさを感じさせず、ユーの不安そうな声にあっけらかんと返す。
その所作に、寂しさのような感情は見受けられない。
文化祭直前のタイミングで、ユーの圭介に対する想いは圭介を除いたパーティメンバー全員の知るところとなった。
そして同時に、エリカから圭介に向けられる感情についても言及されている。
ユーからしてみれば元より親友相手に牽制のような真似をするつもりなどない。
だからエリカに圭介への想いを知らせた上で応援を要請するような、駆け引きじみたやり取りを求める気も一切なかった。
だがそれでも、同じタイミングで一人の共通する異性に対する好意を表沙汰にされた身として、彼女と真正面から向き合うのには相当な勇気が必要となる。
(殺し合いは怖くても平気なのに、こういう怖さはてんでダメだなぁ私)
心の内で自嘲するユーにエリカは特別怪しむ素振りも見せず、テーブルの上にカードゲーム用のカードを並べていた。
「なんか知らないけどどうせまた帰ってくるケースケのこと気にするより、今自分ができることを考えた方が有意義だぜ」
「カード並べながら言われても反応に困るよ」
「仕方ねーだろダアト行ってる間に新パック出てループコンボの主要パーツがスタン落ちしたんだから。今だとアグロが丸いっつっても環境デッキはレシピに遊びがなくて好みじゃねえからよ、ハンデス搭載型のロックバーンで大会に爪痕残してやろうと思ってんだ」
「同じ言語使ってるはずなのに、わかる言葉とわからない言葉をごっちゃにしたまま知らない世界の話されて混乱してきた」
国防勲章を受勲してからも近所のカードショップで大会に出場しているらしいエリカは、今日も変わらず遊びに精を出している。
変わらない、という強さ。
変わる宿命を背負うエルフにとってどこか羨ましく、また同時に妬ましく思えてならない輝きであった。
「やっぱりエリカちゃんはすごいなぁ」
「いやショップ行くとあたしよりもっと強い奴がいる。子供に紛れて遊んでる三十代無職の体臭きつめなおっさんなんだけど」
「カードの話はしてないかな」
* * * * * *
明朝六時、アガルタ王城の門前から少し離れた位置にある自然公園沿いの大通り。
荷物をまとめ終えた圭介とその頭部に立ち止まるアズマに並んで、セシリアが歩いていた。
要人の護衛という名目は排斥派の影響によって実質的な色を帯び、同時に[十三絵札]の一人を倒した圭介の実力を思えばどこか張りぼてめいた空虚さをも携えている。
ただ彼らにとって重要なのは、もう監視や盗聴の可能性をある程度排除して話せる環境の方だった。
「じゃあ一旦このまま部屋に戻って、夜の七時にバンブラ島で合流って感じですね」
「まあそれで合ってるんだが……呼び名がなぁ……」
圭介らが約束の場所に選んだのは、かつてアイドルユニット[バンブーフラワー]が緊急時にレンタルした浮遊島だ。
一時的に貸し出したそれは手続きをスムーズに進めるため、所有者の名義がセシリアになっている。
つまり彼女の飛空艇を自由に着地させられる島なのである。
ちなみにバンブラ島なる呼称は残念ながら正式名称だ。
名付け親は当時その場に居合わせたエリカで、彼女に命名権を与えたのは多忙から名付けの手間を惜しんで投げたセシリアだった。
「飛空艇と比べれば安価だったが、それでも懐に少なからず痛手を与えた島だ。有効活用できるならするさ」
状況がどうあれ民間人を戦線に送り出している。ここで「国防に寄与したのだから補填してほしい」と国に申し出るのは、寧ろ彼女が持つ王城騎士としてのキャリアに深い傷を刻みつけるだろう。
なのでこの島に関して言えば、終始彼女の自腹で手続きを完了させるしかなかったのだ。
『それで総額おいくらだったのですか?』
「忘れたし思い出したくない」
「やめたれアズマ」
排斥派との戦いで飛空艇が破壊された時とはわけが違う。
仲間が戦いを無事に乗り切る上で貢献してもらった身として、圭介も今回の出費に関して深掘りする気にはなれない。
あまり気まずい空気にするのも好ましくないため、さっさと話題を変えることにした。
「ニュース番組とか新聞とかチェックしててもよくわからないんですけど、僕がフェルディナントを倒してから[デクレアラーズ]の動きはどうですか?」
期待しているところとしては、幹部の一人が死亡したことで全体の動きが鈍っている可能性だ。
彼らにとって[十三絵札]は決して敗北することのない、組織の支柱とでも呼ぶべき存在である。
となれば戦闘能力において最弱と言えども一人が欠けた事実は、構成員にとって大変な衝撃となるはずだった。
だが苦虫を噛み潰したような表情のセシリアから漏れ出た声は、望ましくない答えを紡ぐ。
「結論から言うと激化している」
「……マジすか」
「まず前提から話そう。これまで[デクレアラーズ]構成員の追跡にはいつも手間取っていたのだが、どうやらフェルディナントの奴が他の連中を“ヨルムンガンド”で輸送していたらしい」
その話自体は三ヶ国首脳会談での戦いを通して、ほぼ確定はしていた。
ルドラに最後の一撃を加えようとしたところで圭介は他の“騎士の札”から妨害されたわけだが、最終的にはフェルディナントが他のメンバーを“ヨルムンガンド”に乗せて逃亡している。
あの大怪盗を名乗る変人が組織の機動力全体を支えていたという話は、直接ぶつかった圭介にとっても納得のいく話だった。
「そのフェルディナントを失った今、[デクレアラーズ]は仕事を終えてからも容易に拠点に帰還できなくなってしまった。そうなるとどうなる?」
『追跡を振り払うための戦闘が発生するでしょうね。少なくとも犠牲者は増加するのが目に見えています』
「ああ。ケースケが王城にいる四日間で、既に戦闘によって命を落としている騎士はアガルタだけで三桁に及んでいる」
「そんなに……」
四日で百人以上の騎士が死んでいる。重傷者も含めれば相当な規模で暴れられているに違いない。
「それに加えて他の[十三絵札]も動き出している。ケースケも知っている顔ぶれだと“黄昏の歌”ヒラミネ・ムカイや“酩械”マティアス・カルリエ、“葬星の牽者”ルドラ・ヴァルマなどだな」
「マティアスとルドラまで二つ名つけられてるのか……」
「三ヶ国首脳会談を襲撃して皇帝殺害に成功したとあればな。それにマティアス・カルリエは大陸各地で発明品をバラ撒き、方々に大きな被害をもたらしている」
この異世界において二つ名のつけられた者は往々にして二種類に分けられる。
社会から実力を認められた偉人か。
あるいは高額の懸賞金がかけられているという目印をつけられた、罪人か。
そして話の流れから疑問を覚えたらしいアズマが、そこで挙げられなかった名前があると気づき言及した。
『マスターの知っている顔ぶれというと、財津藤野の情報は出ていないのでしょうか』
「…………お前、主に対して容赦ないな」
「僕は平気ですよセシリアさん。でも多分、あいつの名前は今のところ表に出てきてないでしょ」
圭介の交際相手にして[デクレアラーズ]最高幹部[十三絵札]が一人“ユディトの座”、財津藤野。
例え彼女が活動していたとして、それを知覚できる者などどれほどいるものか。
「まあ、ケースケの言う通りだ。ザイツ・フジノという客人の情報はあれから一度も出てきていない。……が、報告された魔術が真実本物であればそれも当然だろうよ」
魔力を飴細工に変化させ、空気中に散布した飴の粒で他者に幻覚を見せる。
異世界で生まれ育った人々をして未だ名もつけられていないという、未知の催眠魔術。
あれさえあれば同士討ちも自決も自由自在だ。
相手の人数や実力など一切考慮せずに殺傷できよう。
同時に、自分の痕跡を魔力反応ごと誤魔化せてしまうに違いない。
「今更だがとんでもない女と交際しているんだな、お前は」
「全くですよ。こちとらアイツが向こうで待ってるものと思ってたのもあって必死に帰る方法探してたってのに」
それでも、帰る理由はまだ他にある。
父と母、兄に飼い犬と飼い猫。
家族に何も言わず姿を消してしまっているという事実が、未だ圭介の中で元の世界に対する執着を繋ぎ止めていた。
と、物憂げな表情の圭介にセシリアが少し優しげな視線を送る。
「それとな、ケースケ」
「はい? 何ですかちょっと改まって」
「お前にも、だ」
「あ?」
「お前にも二つ名がついた」
一瞬、それが名誉なことであると錯覚する。
そしてすぐさま羞恥心が胸の奥から湧き上がった。
「え、はず」
「何が恥ずかしいものか。誇っていいんだぞ」
この異世界しか知らないためか、セシリアは圭介の反応を照れ隠しと勘違いしているらしい。
「じゃあもう僕にもその、何だ。例えば“黄昏の歌”みたいな、そういうのがつけられてるんですか」
「ああ。ダアトでカレン・アヴァロンから受けたフェルディナント討伐依頼を達成したと王城に報せが届いた折に、国王陛下が直々に名付けてくださった」
あの聡明そうな男がどのような心境で圭介に二つ名などつけたのか。
興味はあるが聞くのも怖い気がした。
『ちなみにそれはどのような?』
「ダアトから届けられた映像記録を見た陛下は、お前が撃った白い光に強く関心を抱いたらしい」
第二魔術位階【バニッシュメント】。
触れた万物を分解するエネルギーの奔流。
誰もが手を焼く[十三絵札]に勝利した、圭介が行使できる最強の攻撃手段だ。確かに二つ名をつけるきっかけとなってもおかしくはないのかもしれない。
「“暁光”。それが今後お前の活躍について回る、勲章とは別の称号だ」
夜明けを告げる朝日の輝き。
それが圭介につけられた、気恥ずかしくも確かな存在感を示す名であった。




