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足跡まみれの異世界で  作者: 馬込巣立@Vtuber
第十四章 再起する白狼編

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幕間 哀しくも美しき一家の物語

 公爵領の山岳地帯にある雑木林で、一人の男が走っていた。

 小枝に引っかけたのか衣服はそこかしこが破れ、黒い肌の表面には小さな切り傷や擦り傷が見える。


 息も絶え絶えひた走る、アヴドゥル・コンテである。


 彼がダンジョンを抜け出したのは、アダム・ウィルズ・ハウスマンを支援すべく放った二体の分身がダグラスの手によって無慈悲に壊滅させられた頃合いだった。


 勝ち目がないと踏んだ彼は、非常に不本意ながら公爵を見捨てる形で逃亡の道を選びここにいる。

 ダンジョンの地下通路は使えない。内部で生じた激闘の余波で壁と天井が崩れ、瓦礫に塞がれてしまったから。


 アダムは利己的な判断から白狼族を生み出した一族の末裔でありながら、相応の覚悟を持ってその責任を取ろうと藻掻き苦しんできた男だ。

 本当の気持ちで言うならば見捨てたりなどしたくなかった。しかし情に流されるには、アヴドゥル自身も若くない。


(“カエサルの座”は……反対方向か。さっき出入り口周辺で騎士どもが焼けてたし、もうここには戻ってこないな)


 ダンジョンの出入り口に配置されている騎士を片付けてくれるとは聞いていた。

 その恩恵として彼も直接的な戦闘をせず、比較的安全に脱出できている。


 とはいえ、相当に追い込まれた。


【デコイボム】の多用はもちろん、相手の位置を正確に把握するための【マッピング】まで常時発動し続けたせいで魔力も体力も大いに削られてしまっている。

 もはや結界の一枚すら展開できまい。この状況で騎士団に囲まれて、どうして無事に帰還できようか。


 遠く聞こえる爆発音と高らかな笑い声に感謝しつつ、念のため誰にも出くわさないよう獣道を進む。


(魔力が限界に近い中で無茶しちまった。まさかダグラスにあそこまでやられるなんて想定外だ)


 彼にとっての道化――アイリス・アリシアは今回、ダンジョン内で起きる何もかもをアヴドゥルに一任していた。

 東郷圭介が絡まない案件である。幾度か予測が外れた今、彼女にとって今回の件は些事と言っても過言ではなかろう。


 当然それを前提とした上で、アヴドゥルにとっても今回の仕事はそこまで苦労する内容とはならないはずだった。


(最後に【マッピング】で簡単にダンジョンの様子見てきたが、誰も合流する動きを見せねえ。どころか公爵以外に三人分あるはずの反応が一人分しかねえ)


 それに関しては心当たりがある。

 胸に突き刺さるほど、何が起きたのか察するに余りある。


 仲間内の二人が行方不明になっているという現状が意味するところとは。


 十中八九、ヨーゼフとピナルにぶつけたジンジャーとニーナだろう。

 同じ[デクレアラーズ]に属していた相手だ。敵対するからには容赦しないとわかっていた。


 間違いなく二人とも、反応が消失してしまうほど凄惨に殺されている。


(俺の落ち度だ……!)


 既に発生してしまった被害と、これから起きる防ぎようのない被害。

 二つの要素はアヴドゥルが必死に殺してきたものを呼び起こす。


(彼女らが死んだ? 公爵も死ぬ? 俺が、俺達があんな奴らに、負ける?)


 冷静に状況を判断できている。

 と、自分に言い聞かせてここまで来た。


 だがどうしても溢れ出る感情を抑えきれそうにない。


 道なき道、木々の狭間を疾駆する中で渦巻くのは敗北感と無力感。

 この異世界に来てから久しく覚えていなかった、己が力を否定される感覚。


 きっと一生心を苛むと確信を持って言い切れる、そんな深い傷が彼の胸に刻み込まれた。


「……やっと着いた」


 ひたすら走り続けた先、アスファルトで舗装された道に出た。


 公爵領の市街地に続く道路だ。物資を輸送する車両の往来が頻繁にあり、万が一の事故を防ぐため隆起する縁石で区切られた歩道も左右両側に用意されている。


 ダグラスら隠密部隊は作戦終了後、最初の出入り口で王城騎士と合流し元の拠点に戻る手筈となっているらしい。

 つまり公爵領の中を移動するだけで、街の中にまでは入らない。


(市街地に入っちまえばこっちのもんだ。部屋に閉じこもったまま【デコイボム】の分身を使えば、俺の逃走を偽装することもできる)


 そうして数日でも潜伏していれば、いずれ[デクレアラーズ]と合流する機会も得られよう。

 今しばらくは耐えるべき時だ。優先順位で言えば東郷圭介対策こそが肝要であり、アヴドゥルの魔術は後方支援として活躍の場を得る。


 復讐を成すのは、その後でも構わない。


(殺す。ダグラスも、ヨーゼフとピナルも、必ず俺が殺してみせる)


 立場を思えば今回巻き込んだ者達は駒に過ぎないはずだった。

 しかしそうと割り切れないほど、アヴドゥルは彼らに寄り添ってしまっていた。


 同士として認め、懊悩と向き合い、せめてもの救いを未来に求めて歩む。

 元の世界で軍人としての役割を押しつけられていた頃は夢にも見なかった、輝かしき日々。


 そんな素晴らしい毎日を、未来永劫に奪われた。

 奪われた、と憎悪を抱いてしまうほどに思い入れがあった。


 それは表現を変えるならば、この期に及んで――


(あいつらの未来を奪った責任、必ず取ってもらうぞ!)


――殺される覚悟を決められなかった、とも言える。


「ん?」


 心の炎に恨みの薪をくべつつ歩いていると、向かい側から車が進んでくるのが見えた。


 オレンジ色の装甲車。アガルタ王国においてその色は食料を輸送する保冷車を示す。

 市街地から山へと進むのは、街に食糧を届け終えてその帰りといったところか。


 特に何を思うでもなく歩道を進む。


 公爵令嬢を殺害した犯罪者として顔写真が配られても、市井に生きる者はその顔を実際に見てすぐに判断できないのが常だ。

 増してや輸送車の運転席である。いくらかモンスターも生息している山から降りてくる一人の男が、多少の軽い怪我を負っていたとしても運転手は見向きもしない。


 だからこそ。


 それから起きた出来事は、アヴドゥルの想像よりやや悲惨なものとなった。


「あ」


 速度を変えることもせず通過すると思っていた装甲車が、急にエンジン音を唸らせて加速し始める。

 何が起きているのかをアヴドゥルが正確に把握しようとするより早く、一般車両より遥かに大きなフロントグリルが目前へと迫った。


「ァ」


 悲鳴を上げる暇もない。


 魔力切れ目前で結界の一枚もまともに展開できないアヴドゥルは、そのまま車両に衝突されて喀血しながら吹き飛んだ。


 不幸なのは即死できなかったこと。

 軍属時代に鍛えた肉体は、助からないほどの負傷をしながら簡単に命を散らさず意識を残す。


 まだ機能している視覚が装甲車の運転席から出てきた人影を確かめた。


 女だ。どういうわけか薄汚れたドレスを着て、右手にナイフを握っている。

 年齢は三十代前半ほど。振り乱したブロンドの髪は傷んでおり、血走った目は自分が轢いた男を睨みつけていた。


「あんたが……」


 アヴドゥルは忘れていて気づけない。


 それが誰なのか。

 誰の妻で、誰の母親だった相手か。


「あんたのせいで!」


 駆け寄ってきた女はそのままアヴドゥルに覆い被さり、胸に刃を突き刺した。


「ギャッ!」

「あんたが殺した! あんたが! 死ね! 死ねェ!」

「ゴェッ、アギャッ、グェア」


 何度も何度も心臓にナイフを突き立てられ、その都度アヴドゥルの喉から血と声が無様に溢れ出る。


「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」


 仰向けの状態から、知らず手を伸ばす。

 深い憎悪に染まった女の顔、その向こうに広がる蒼穹へと。


 許しを乞うためではない。

 ただそこにしか希望がないような、そんな気がちょっとしただけ。


 そうしてすぐに悟る。


 もう死ぬしかないのに、希望などあるものか。


(は、はは。こりゃひでぇ。誰も助けに来ねえでやんの)


 小さく漏らす笑いが癇に障ったのか、女のナイフを握る力がより強まった。

 何度も体を揺らす衝撃と痛み、そして流れゆく血が生命の終わりを告げる。


(我らが道化よ。あんた、こうなるって知ってたんじゃないのか。思えばあいつらが死ぬのも、俺が死ぬのも、予測できてないなんておかしな話じゃないか)


 景色に反して冷たく暗い気配を感じ取りながら、最期にアヴドゥルは疑念を抱く。


(だとしたら、俺達は……)


 俺達は、何なのか。

 答えを出すより早く、意識が途切れる。




 やがて。




 物言わぬ肉塊と成り果てた彼にまたがり茫然自失の状態で、女は通行人に通報された。

 騎士団に連行される際にも彼女が何か言うことはなく、ただ静かに涙をこぼすのみ。


 そして殺害現場を目撃されながら、結果的に彼女は逮捕されずに済んだ。


 娘をアヴドゥルに殺されたアダムが、公爵という立場上どうしても彼を討伐対象として指名手配しないわけにはいかなかったから。


 こうして結果的に女は殺人犯ではなく、禁術を使いこなす極めて厄介な犯罪者を討伐した一人の英雄として扱われる運びとなる。

 そして手にした財産で一生を質素に暮らした彼女は、五十歳の誕生日に夭逝するまで独身を貫き通した。


 だからなのか。


 後の時代において多くの歴史専門家は、アヴドゥルの手により葬られてしまったものと推察されているアダム・ウィルズ・ハウスマンを以下のように評す。


「アヴドゥル・コンテに殺されて尚、彼は自身の妻を守り抜いた」

「娘を殺した憎き仇アヴドゥルは、夫妻の堅き絆と怒りに討たれた」

「ウィルズ・ハウスマン家はアガルタが大陸に誇る、愛溢れる一族であった」


 このエピソードを聞いて感激したとある有名画家により肖像画が描かれ、その中でアダムは妻子とともに幸福な笑顔を浮かべている。


 金ぴかの額縁に閉じ込められて。

 いつまでも、いつまでも。

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