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足跡まみれの異世界で  作者: 馬込巣立@Vtuber
第十四章 再起する白狼編

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第二十一話 前へ

 冷気を伴い変幻自在に歪曲する斬撃。

 当たれば凍傷、掠めても凍結により動作が鈍る“フィンブルヴェトル”の猛攻は射程も速度も常人が対処できる範囲を超えていた。

 遠距離からの攻撃があろうと縦横無尽に動く刀身と吹雪が防ぎ、冷気と氷で開いた距離を物ともせず応戦できるだろう。


 しかし。

 近距離とあらば当たるはずのたった一撃を、ダグラスは避け続ける。


 先ほどの部屋と比べて幾分出力が劣るとはいえ、【スノウラビリンス】で視覚情報と異なる角度から叩き込まれるそれらが、周囲の壁や氷の足場を斬りつけながら彼にだけは当たらない。


(ハッ、馬鹿野郎が)


 どうしてこうも避けられているのか、心を見透かされているのかと焦燥に歪むアダムの顔に反し、ダグラス自身は自らに向けて呆れた笑いをこぼしていた。


(最初からこうしてりゃ、怪我の一つもありゃしなかっただろうが!)


 体と空気の間に生じる空気抵抗を調整し、全方向に運動エネルギーを風として放つ物理抵抗術式【ガストキャンセル】。

 本来の用途は名の通り霧や煙などを払うための魔術だが、魔術の系統に適性を持つダグラスが優れた魔力操作で調整すれば異なる役割を担う。


 それが振動を感知するという形での広域索敵だ。


 微弱な抵抗を周辺の空気に接続することで、彼は【スノウラビリンス】による光の屈折とそこから生じる幻影を全て看破することができるようになった。


「見えてんだよボケェ!」

「がっ……」


 遠く離れているように見せて急接近していたアダムの右腕に、“ボロゴーヴ”の石突を鋭く叩き込む。

 己の位置と意図を隠し通せていると誤認していた彼は、防御するための用意もできないまま右腕の肘という重要な関節に傷を負ってしまった。


 景色が歪んだかと思うと虚像がかき消され、至近距離にアダムの姿が現れる。


「貴様、何故……!」

「うるせえ!」


 それでも果敢に振るわれる薄く柔らかな刀身が冷気を放つも、月白色に輝く氷の粒子はダグラスが纏う風によって霧散した。


「っぐ、何故、動ける!?」


 迫る穂先を柄で受け止め、アダムが叫ぶ。


「氷点下に近い極寒の中、低温魔術の適性も持たず、動ける道理があるものか!」


 冷たい空気に全身を晒されながら、それでも変わらず動き続けている。

 この現状に対しダグラスの中に答えはあるものの、この局面で律儀に教えるはずもない。


「テメェが知ってどうするよ、三流公爵がァ……!」


 接触した刃から敵の柄に加わる物理抵抗力を増幅し、動かずして突き飛ばす。


 後方の水辺も凍らせて氷の足場を延長させた先に着地したアダムは、まだ“フィンブルヴェトル”を振り回しながら周囲に視線を巡らせていた。

 恐らくアヴドゥルが追いついて【デコイボム】による増援を届けてくれるまで、時間稼ぎをしながら待っているつもりなのだろう。


 もちろんダグラスとしてはそれより早く攻め落としたい。

 今度も猛スピードで跳躍し、アダムの顔に掌底を繰り出した。


「ぐぅ……!」

「お?」


 意外にもその一撃をアダムは負傷した右腕で受け止める。

 そうしてまた後ろに飛ばされそうになったところで、足元を凍らせその場に留まった。


「やはりそうか」


 腕越しにダグラスの手を感じながら、何か情報を得られたらしい彼は苦悶の吐息を交えつつ入手した情報を確かめる。


「この体温の高さ……貴様、血管の抵抗を弱めているな!」


 自力で正答に至ったアダムをダグラスは内心で称賛した。


 体血管抵抗、と呼ばれるものがある。


 血流の循環を成している血液と血管の間には、常に抵抗が働いている。

 特に顕著なのは毛細血管で、体温の低下などによって血管が収縮するとこの抵抗力が強まり血流を阻害するのだ。


 本来であれば低温環境において、全身に血を巡らせている生物は活動を弱めてしまう。

 何せ循環効率が悪くなる。こうして毛細血管の抵抗が強まると心臓がより多くの血液を送り込み、心拍数の増加とともに血圧が上昇するのである。


 そして低温環境下においてこれを発生させず、血流の抵抗を弱めて通常の動きを維持する魔術がこの世界には存在する。


 物理抵抗術式の第五魔術位階、名を【ブラッドコート】。

 ダグラスはかつて仲間として触れ合っていたとある老人から、単純な防御では防げないであろう低温魔術への対処法としてこの魔術を教わっていた。


「当てたから何だぁぁぁ!?」

「ぐああッ!!」


 身体能力の低下という【スノウラビリンス】の副産物すら無効化された今、ダグラスにとってアダムはただ複雑な動きをする剣を持っているだけの存在だ。

 スピード、膂力、手数に行動の選択肢。どれで競うにしても負ける道理などありはしない。


 当然、そうなったところで全てが順調に進むというわけでもなかった。


 横槍は爆砕する壁と、そこから出現したアヴドゥルの分身二体という形で入れられる。


「あっぶねえ!」「大丈夫か公爵!」


 ピーコックブルーの煙を突き破って出現したそれらが、アダムとダグラスの間に立ち塞がった。


 寧ろここまで辿り着くのに時間がかかった方だろう。よほど急いでいるのか魔力に余裕がないのか、分身の数も頼りない。

 それでも片方がダグラスに飛びかかり、もう片方がアダムを引っ張って壁に開いた穴の奥へと引き下がるくらいの働きはしてみせた。


「邪魔だボケェ!」


 自分に密着しようとした【デコイボム】による分身を横薙ぎ一閃で五分刻みにし、ダグラスは未だアヴドゥルの魔力が残滓として舞う煙の向こうに飛び込む。

 後方で上半身と下半身に分割された分身が爆発するも爆風に巻き込まれず、奥に続く通路の先へ【ガストキャンセル】による索敵を行使した。


 まだ不慣れなためか索敵の精度は甘い。

 しかし何らかの動きをボロボロになった部屋の奥、昇り階段の先に感じ取る。


 間隔はおよそ六ケセル(十二メートル)。

 直線距離なら跳躍で届くも、壁を破りながら接近するとなるとアヴドゥルの自爆に巻き込まれる可能性が生じてしまう。


 遮蔽物に衝突してどの程度減速するか、また接近してから氷の壁などで新たな障害物を作られた場合は重ねてどの程度の遅延が発生するか。


 などという小賢しい計算などダグラスはしなかった。


「そっこかァァァァァ!」


 もはや策も何もない。

 ダグラスは手に持った“ボロゴーヴ”を、その反応がある場所に向けて投擲した。


 過程にある壁や天井を打ち砕き、黄土色の魔力を纏う赤い矛はベージュ色の障害物を【タッチチョッパー】で貫通しながら標的へと迫る。


 先端が二人と思しき何かに接触した瞬間、またもピーコックブルーに輝く爆風が飛来した“ボロゴーヴ”を弾き飛ばした。


「んにゃろっ……!」


 想定と異なるのは、爆風の勢い。

 かなりの威力があると見え、散った瓦礫がダグラスに向かって飛んでくる。


 ともに行動していたアダムへの配慮はどうなっているのか、という疑問は【ガストキャンセル】の索敵によって大雑把な正解を得られた。


「うおおおおおおおおおお!!」


 自分に向けて飛ばされる瓦礫に少し遅れて、冷気を伴う剣を片手にアダムが飛び出す。


 どうやらアヴドゥルが起こした爆風を逆に自身の推進力に変え、ダグラスに急接近するという賭けに出たらしい。


 今“ボロゴーヴ”は手元を離れアダムの後ろで床に落ちている。

 グリモアーツから離れた影響で、ダグラスの魔術はその出力を減少させている事だろう。


 ここから“ボロゴーヴ”を弾き飛ばし手元に飛来させるまでに、アダムはダグラスを斬り殺すつもりでいるのだ。


 死地に活路を見出す、無茶苦茶ながらこの場で最も勝利に近い動きであった。


(すげぇな、オイ)


 先ほどアダムに対して抱いていた、一族の仇がどうたらという憎悪は既になく。


(あんた、そんな動きしちまうのかよ)


 あるのは一人の戦士としての敬意。


 一面的な事実として白狼族の祖たる人物。

 その立場に恥じない、実に勇敢にして冷静な判断である。


(だとしても)


 そんなアダムだが、四つの点においてダグラスより大きく劣っていた。


 一つ目に年齢。

 外見こそ若いものの、既にアダムの年齢は初老を過ぎている。となれば十代のダグラスと比べて身体能力はどうしても劣ってしまう。

 単純な膂力は当然として、反応速度や咄嗟の判断に至るまで、アダムがダグラスに勝てない項目はあまりにも多い。


 二つ目に種族の違い。

 白狼族は理論上最も高い身体能力を得られるように作られた獣人だ。

 これに関して言えば、同じ獣人のアダムでも流石に真正面から力比べは無謀と言えた。


 三つ目に負傷の度合いと傾向。

 全身に万遍なく火傷と切創を作ってしまっているダグラスよりは軽傷ながらも、アダムはアダムで右腕を負傷してしまっている。

 そのため繰り出す斬撃は当人が思っている以上に隙が多く、遅い。ダグラスの動体視力と経験はそこに生じた突破口を見過ごさない。


 そして四つ目に、経験の差。

 王城を始めとして様々な権謀術数に精通しているアダムとて、実戦経験においてダグラスには勝てない。

 というより、裏社会で客人を殺戮してきたダグラスにそこで勝利できるような暇な貴族など、この大陸に存在しないだろう。


 それらの要因が重なった結果。


「俺が負けるわきゃあねえええぇぇぇぇえだろうがよおおおおおぉぉぉぉぉぉ!」


 アダムは目視どころか五感と経験の全てを総動員しても、自身に向かって飛び出すダグラスの動きを捉えきれなかった。


「おごへぇえ」


 虚を突く形で放たれた蹴り上げが“フィンブルヴェトル”が生じさせる嵐のような斬撃の狭間を縫って、アダムの腹部を真上へと貫く。

 口から吐瀉物を散らす彼は足の裏で発生した【リジェクト】による運動エネルギーの炸裂で、割れた天井より遥か上へと打ち上げられた。


 衝撃で意識を失ったのか空中でも動く様子のないアダムを無視し、離れた位置にある“ボロゴーヴ”の穂先にまたも【リジェクト】を発生させる。


 床との間に生じた抵抗力で弾き飛ばされ、赤き矛は持ち主たるダグラスの手元へと帰還した。


 全ては、アダムが自由落下をし始めるより早く完了している。


「俺個人としちゃあ恨みなんざどっか行っちまったが」


 ダグラスは戻ってきた“ボロゴーヴ”を上に投擲した。


 狙いは一つ。

 己の運命を定め、人生と尊厳を踏み躙ってきた男へと。


「皆の分があるんでな。これで一旦済ませてくれ」


 言葉を紡ぎ終えるとほぼ同時。


「ぐひゃあッ!」


 ダグラスの目の前に、腹部を矛に貫かれたアダムが落下してきた。


 落下の衝撃によるものか右目が飛び出しそうになっていて、傷から漏れる臓腑と血は既に彼の死を約束している。

 それでもダグラスにとって無二の仇敵たる男は、最期の力を振り絞って血に濡れた左手を伸ばした。


「ぁ、ぁぁ…………ダグ、ラ、ス……」

「おう。何だよ」


 助かる余地のない男と目が合う。


 アダムの瞳にも、憎悪など無かった。

 ただ己の生を終える者の諦観と、それとは違う別の何かがまとめて渦巻いている。


「白狼、族………………我が、一族、の、汚点……」


 もう、何も見えていないだろう目をそれでも見開き、彼は言葉を遺す。


「……お前さえ、いなければァ…………!」


 それが、彼がダグラスに向けた最期の言葉。


 公爵家のエゴで生み出され、戦争のためだけに生きる事を強いられていた一族の生き残り。

 そんな一人の青年に向けられたのは己の境遇に対し抱いてきた全てを載せての、純然たる責任転嫁だった。


「馬鹿野郎。そこで俺のせいにしちまったら、テメェに何が残るんだよ」


 力尽きて手を落とし、事切れたアダムの亡骸をどうするでもなく。

 最後の白狼族は一族の仇を倒してから、すぐにその場を離脱する。


 残された敵は離れた場所に身を隠している一人のみ。

 もうここにいる意味はないのだから。


 やがて今まで内部で生じた戦闘や爆発により深刻なダメージを負ったであろうダンジョンの一画が、音を立てて崩落していく。


 降り注ぐ瓦礫を払いのけ、天井を突き破りながら地上を目指す。


 と、その途中。


「いけね、忘れるとこだった」


 外ではなく途中にある一室へと跳躍し、凍った床に着地した。


 先ほどアヴドゥルに案内された隠し部屋だ。

 アダムの死によって月白色に輝く魔力の氷が溶け始め、徐々に本来の姿を取り戻しつつある。


 彼の目当てとなる物も、自身を覆う氷から解放されつつあった。


「まだ通信は繋がってんのか?」

『……戻ってきてもらえて助かりました。そのドローンは第二王女のコレクションだそうで、そのまま回収をお願いします』


 聞こえてきたのはララの声。

 氷漬けにされたドローンが、今になってようやく元の状態に戻ったのである。


「ソレ、お姫様のおもちゃだったのかよ。ってなりゃあ確かにここに置いてくわけにもいかねーか」

『背後で王城騎士が笑顔のまま見ているので、なるべく優しく運んでください。もう自律飛行システムも機能していません』

「はいはい」


 安全圏のようでいて、向こうは向こうで苦労しているのだろう。

 少しだけ同情しながらダグラスはドローンを小脇に抱え込み、今度こそ外に向けて跳躍した。


『決着はつきましたか?』

「アダムは殺したが死体の回収は無理だ、諦めてくれ。んでアヴドゥルはこれから探す」

『そうですか。え? はあ。では伝えますが……ダグラス』

「あ?」


 通信機の向こうで、ララが背後にいるという王城騎士と何らかの会話を交わしたらしい。

 間接的に伝えられるそれはきっと王城騎士当人の言葉ではなく、第二王女マーシャの言葉なのだろう。


『アヴドゥルは一旦見逃してもいいそうです。それより元来た出入り口にて他のメンバーと合流してください』


 言われ、空中で空気抵抗を蹴り飛ばし方向転換した。


「いいのか?」

『ダンジョン周辺に配置していた騎士団がマティアス・カルリエにより壊滅的被害を受けたものの、敵が去ってから控えていた別働部隊により新たな包囲網を展開済みだそうです』


 つまり、このままその別働部隊が山狩りを始めればアヴドゥルの捕縛自体はできるのだろう。

 先ほどの動きを見るに魔力も尽きつつあるのはわかっていた。騎士団が連携を取れば苦戦する相手でもあるまい。


 後は他の[デクレアラーズ]構成員による妨害が入るか否かだ。

 そしてそこはダグラスにとって、仕事の範疇ではなかった。


「じゃ、戻るか」

『ええ。早く帰ってきてください』


 鉄面皮とばかり思っていたララの声からやや気まずそうな雰囲気を感じ取る。


(こいつがメシ食えるようになるのも、時間の問題かもな)


 散々暴れ回った影響は相当大きかったらしい。

 心と体は軽くなり、背後ではダンジョンの崩落が進んでいた。

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