第十七話 無明
『うはははははは! いやあお見事お見事、騎士団ともなるとやはり容易く駆逐するというわけにもいかないものですねェ!』
公爵領に存在する山々の一画。
ダンジョンに複数存在する出入り口の一つを守護する騎士団は現在、マティアス・カルリエによる襲撃を受けていた。
「城壁防衛戦では姫様が出張ったほどの難敵と聞いていたが、これほどとは……っ」
現場を指揮する騎士団長の男が、疲弊と混乱から絞り出すように声を上げる。
眼前にはモミやブナといった樹木が炎に包まれ、倒れたものは無数の尖った脚に踏み砕かれてゆく地獄のような光景が広がっていた。
事の主な元凶は口から炎を吐くムカデのような自律型魔動兵器。
頭部に棘が付属した装飾品を有する女神の頭部は、スライド式の顎に火炎放射器を内蔵している。
わらわらと生えた脚部の狭間にはトーチが突き出され、そこからも火が噴出している有り様だ。
製作者曰く、名をニューヨーク・センチピード。
異世界で生まれ育った彼らは知る由もないが、客人の世界においてアメリカ合衆国はニューヨークに存在する自由の女神を冒涜的な姿に改変した魔動兵器であった。
見るもおぞましい存在が群れを成して進軍してきた時、多くの騎士が悪夢としか思えない現実に卒倒すらしかけたものだ。
それも練度の高い連携によってどうにか迎撃してきたものの、絶望は奇抜な造形のムカデだけではない。
戦いが進むと今度は森を蹂躙するニューヨーク・センチピードによって拓かれた道に、キャタピラの音が響き渡った。
現れたのは建造物ほどもあろう巨大な水槽。
そしてその中には潜水艦が一隻、配管や金属板の狭間から青い光を漏らしていた。
それまでの戦いでようやく女神像の頭部を有しながら火を吹くムカデに目が慣れ始めた騎士団も、この奇妙な存在には戸惑いを隠せない。
しかしその潜水艦が水中で無数の魔術円を展開した時、彼らは一瞬でも動きを止めたことを後悔することとなる。
「か、ぁ……?」
耐え難い頭痛。
側頭部にまで響く眩暈。
鼓膜を針で刺すような耳鳴り。
胃酸が引き出されるほどの吐き気。
鍛え上げた肉体が意味を成さない、内側から侵蝕する苦痛。
ものの数秒で痙攣を引き起こしながら倒れる騎士が続出した。
『これぞ我がグリモアーツ“ブルーヘイト”に備わりし機能! えーと名前なんつったかな最近作ったんだよな忘れた』
空中に表示される画面の中で、マティアスが白衣を翻しながらポーズを決める。
発言の内容こそ間抜けだが効果は見ての通りだ。誰もが苦しみにのたうち回り、立っていられない。
『まあわかりやすく言うと毒をばら撒くんですよ。今回は一酸化炭素をチョイスしてみましたけどどっすか!?』
一酸化炭素中毒。
その名の通り、一酸化炭素を体内に取り入れたことで生じる症状の総称である。
ここまでの即効性と効果範囲は本来ならあり得ないが、魔術円の数と機械によって引き出された魔術の出力は強引に重度の中毒症状を起こす。
まだ数人の騎士が嘔吐や眩暈に苦しみながらも剣を支えに立ち上がる中、無慈悲な科学者の言葉が空間に響き渡った。
『んじゃ、次もあるしさっさと済ませましょうか。【解放“ブルーヘイト”】』
一切の力みも入っていない、呟くような【解放】の言葉。
当たり前のように突き出される、マティアス・カルリエ三つ目のグリモアーツ。
青い光が迸り、蛹から羽化するかのように水槽を破壊しながら巨大な人型機械が身を起こした。
スレンダーな肢体と膨らみを有する胸部。丸く整った形状の顔には目と思しき二つの画面があり、満身創痍の騎士団を睥睨している。
人間の女性にも似た形状を踏まえてか、頭部から腰にかけてロングヘアを模したかのような分厚い外殻が備わっていた。
全身を水で濡らした青き巨人が両目に当たるディスプレイに無数の魔術円を浮かべ、それに伴い頭髪のような厚い外殻が横一文字のスリットを四本走らせて裂ける。
壊れたのではなく、元よりそういう機構として生じた裂け目だ。
そこから一本ずつ金属の突起が生える。花の蕾にも似たそれは瞳に表示された魔術円と連動するようにして、パチパチと青い火花を散らしていた。
まだ意識を保っている騎士には、それが攻撃の予備動作にも見えただろう。
決して間違ってはいない。だが攻撃などという、やろうと思えば防げる類のそれではない。
この場でグリモアーツ“ブルーヘイト”の様子を見つめるしかできない彼らは、この時点で死を約束されたのだから。
『それでは皆さん、良い終末を』
マティアスの優しい声色が聞こえると同時、巨大な機械仕掛けの女神が全身から何か白い靄を噴出すると同時。
周辺の山々を揺るがすほどの大爆発が起きた。
当然その場にいた騎士団は一人残らず粉微塵に吹き飛ばされ、原形どころか肉片一つ残さない。
ただ地面に影を残すのみとなったその大地さえ、赤と青が入り交じる炎に彩られ焼かれていく。
グリモアーツ“ブルーヘイト”は一言で言い表すなら、物質生成術式に特化した機体だ。
先ほど未解放の状態で一酸化炭素を大量に放出し、騎士団全体に中毒を引き起こしたのも確かに一芸と言える。
が、このグリモアーツが生成できる物質はそれだけではない。
第四魔術位階【イグニスファトゥース】。
可燃性物質を大量に生成するこの魔術により、大爆発を起こしたのだ。
より具体的に言うと今回“ブルーヘイト”が使用したのは膨大な量の塩素酸ナトリウム。
高い熱に触れることで酸素を放出し、激しく燃焼する物質である。
騎士団の動きを一酸化炭素中毒で引き止めつつ炎の範囲を拡大してから、改めて広範囲に術式を起動した。
そうした積み重ねの末に、極めて大規模な爆発を生じさせることに成功した。爆発の威力は第三魔術位階にも匹敵するだろう。
だが、意図した通りの結果を得てなおマティアスの表情は暗い。
『ふぅむ、環境に依存する点は要改善ですねェ。今回もニューヨーク・センチピードによる支援がなければスムーズに爆発を起こせませんでしたし……』
かつて城壁に攻め込ませた“インディゴトゥレイト”が呪文詠唱の阻害、アッサルホルトを襲撃させた“イエロースポイル”が陣形の破壊を目指したものなら、今回の“ブルーヘイト”は極めて広い範囲での面制圧を用途として開発されたものだ。
マティアスからしてみれば、はっきり言って命中精度なんてものは二の次だった。
とにかく軍勢の数を減らせればそれで構わない。そうして作り出したのがこの“ブルーヘイト”なわけだが、いかんせん長期的な運用には今一つ何かが不足している。
アガルタ騎士団は適性を問わずある程度の水準まで気流操作魔術を扱える。
それを踏まえると不可視の毒素を大気中に紛れ込ませるだけの今のやり方では、戦闘を通して対処されてしまいかねない。
『んーっ、と』
そんな心配を、背伸びで体の外へと追いやった。
『ま、見た目女の子っぽいしニューヨーク・センチピードの生首を胸部装甲にでも組み込んで爆乳に見せかけておけばだいじょぶっしょ!』
外観がおぞましくなる現実からは目を逸らしつつ、ダンジョンの出入り口を見つめる。
『今のところ最大の問題はアヴドゥル氏ですかね。ヨーゼフ・エトホーフトとピナル・ギュルセルの離反は読めていたものの、ここから先がどうなるやら』
呟いて、次の場所を目指す。
木々を薙ぎ倒しては焼き払い、炭化したそれらで黒き道を作りながら。
その後、他の場所に配備されていた騎士団もほとんど同じ末路を辿った。
* * * * * *
もう何度目かもわからないピーコックブルーの爆風を受け、ダグラスはまた壁に叩きつけられた。
「ちィ……!」
思わず舌打ちする程度の余裕はまだある。
あらゆる衝撃を物理抵抗で打ち消す【リジェクト】も、接触と同時に爆発する【デコイボム】は完全に防ぎ切れない。
いつぞやルンディア特異湖沼地帯でエリカ・バロウズから受けた、着弾と同時に炸裂する魔力弾に類似した相性の悪さをダグラスは感じていた。
変化のないベージュ色の通路をずっと進み続けることでストレスも蓄積している。
そんな中で定期的に起きる爆発への対処は、ダグラスの精神をより蝕んでいく。
『目標地点まで残り約二〇ケセル半です。魔力の消耗は極力避けてください』
「防いでねーで大人しく爆発に巻き込まれてろってか? それもいいな」
『誰もそうは言っていません。獣人としての身体能力を活かして回避に専念してください』
「けっ」
ドローン越しにララが言う目標地点とは、ダンジョンの中で最もアヴドゥルが潜んでいる可能性の高い部屋である。
より厳密に言えば、その部屋へと続く隠された通路。最初に地図を見た時点でそういった類のギミックはあるだろうとララもダグラスも見抜いてはいた。
案の定と言うべきか、その通路に近づくにつれてアヴドゥルの分身の出現頻度も増していく。
己の位置を悟られまいとするのならやや露骨な動きにも見えたが、相手が接近を嫌っているのは間違いあるまい。
ただ、歩みを進めれば進めるほどわからなくなることもあった。
「意外と頑張るなぁダグラス」
またも魔術円が発生し、そこからうんざりするほど見てきたアヴドゥルの分身が出現する。
先ほどまで無言で爆発を繰り返し移動を遅延させてきた彼だが、ここに来て会話を試みてきたのはいかなる理由によるものか。
構うものかと先へ進む。
「お、無視か? 弱ったなぁ、気になることがあって質問しに来たんだが」
「………………」
「お前、なんでそんな頑張ってんの?」
足の裏から地面へと伝わる抵抗力を増幅して跳躍する第六魔術位階【ステップ】。
これにより一瞬にして距離を縮めたダグラスは、話しかける分身の首を矛の武装型グリモアーツ“ボロゴーヴ”で断ち切った。
頭部と胴体が分離した状態でまたもピーコックブルーの爆発が起きる。
【リジェクト】があるので非接触状態での爆発など何も脅威ではない。
脅威ではないが、それはそれとしてまた分身が今度は背後から現れた。
「生きても死んでも同じみたいな状態だろ、今。なのに律儀にお姫様の言う事聞いてなんか意味あるのか?」
「………………」
「無視してると見るべきか、はたまた自分でもわかってねーから答えられないだけと見るべきか。そこのドローンの嬢ちゃんはどうよ? なんでこんな仕事に熱心になってんだ?」
『私の場合は仕事以外に生きる理由がないからです』
素直に応じるとは思っていなかったのか、アヴドゥルの目が見開かれる。
『そして死ぬ理由がない以上、任される仕事を遂行する以外に選択肢はありません。この答えで満足しましたか?』
「……あー、そうゆう感じ? 仕事人的な? なら文句もねぇけどよ。相方の方はそうでもなさそうじゃん」
語りかける方とは別に【デコイボム】の魔術円がまたも出現し、そこから何人目かもわからないアヴドゥルが飛び出した。
前方に突き出された“ボロゴーヴ”の穂先に腹を貫かれ、しかしそのまま構わず矛を体に通しながら分身がダグラスに抱き着く。
「テメッ……」
反射的に【リジェクト】で振り払うも、直後の爆風を完全には防ぎ切れない。
術式が再度起動するまでのタイムラグを突くように届いた衝撃で、ダグラスの体が床を転がった。
また、目標地点が遠のく。
「散々人を殺してその罪悪感も母ちゃんのグリモアーツで誤魔化して、それが今じゃこのザマだ」
急ぎ立ち上がる背中に、ここまで話しかけてきた分身が蹴りを入れる。
当然【リジェクト】で防がれるも、密着した足はそのままだ。
爆発は起きない。
踏み躙るように背中に靴底をつけたまま、アヴドゥルは話し続けた。
「良かったなぁ俺の魔術が分身の遠隔操作で。躊躇いなくぶった斬れるもんなぁ? 生身の相手じゃこうはならなかっただろ?」
ダグラスは何も言わない。
言葉ではなく疲労からなる喘鳴で応じる。
それが何よりも彼の心境を如実に語っていた。
「教えてやるよ。お前を突き動かしてるのは絶滅した白狼族の仇討ちっつー目的意識の残りカスだ」
「………………」
「東郷圭介に負けたのと“カインドホロウ”を失ったのとで、テメェは今まで殺してきた分の罪悪感を全部叩きつけられてぶっ壊れた。けど最初の目的を達成したわけでもなければ、報われたわけでも救われたわけでもない」
足がダグラスの背中から離れる。
そのまましゃがみ込んで丸まった体の横を通過し、通路の先へと歩いていく。
もはやダグラスなど警戒するに足らず、とばかりに。
「ただ何となくこうして裏社会にぶら下がってりゃ、そのうち親なり友達なりを殺した誰かと会えるかもしれない。絶望ですっかり薄れた復讐とかいうくだらねーもんが、お前の命を繋げてる」
反論はしない。
できるはずもない。
アヴドゥルの言い分は全てが正鵠を射ていた。
辛うじて完全な抜け殻にならずに済んでいるのはそのためだ。
かつて燃え盛っていた怒りと憎しみ、散っていった家族や友人といった同胞の面々。
それらが蹂躙されたまま終わろうとしていることに納得したわけではない。
だから理不尽への反発心が弱々しい義務感へと変化した今も、一応は動ける状態が続いているだけ。
今のダグラスには、それ以外に中身がない。
「だから最後に残ったそれ、俺が叶えてやるよ」
そう言うとアヴドゥルは通路の壁面に手を添えて、二の腕から先を爆発させた。
爆ぜた壁の向こうには下の階層に続く傾斜があるのみ。不自然な点として、その奥からは冷気が漂ってきている。
「お前ら隠し部屋があるのは察してんだろ? これは地図にも載ってないその隠し部屋に通じるショートカットだ。この先に本物の俺と、お前にとっての一族の仇がいる」
「……ンだと?」
そこで初めてダグラスがアヴドゥルの言葉に反応した。
一族の仇。
何となく追いかけていただけの彼にとって、ここでそんな相手と邂逅するなど想定外だ。
あまりにも急な話の展開に動きを止めたダグラスに代わり、ララが現状確認に務める。
『なるほど。流石に報告で聞いた人員以外にも仲間がいましたか』
「木偶の坊一人とドローン一機程度ならどうとでもなるくらい頼りになる仲間さ」
言いながらアヴドゥルの分身が、その身を魔力に変換する形で消失していく。
ここまで来たなら無駄に爆発を起こしても無意味と言いたいのだろう。
完全に消える間際、不敵な笑みがダグラスを嘲った。
「じゃ、待ってるぜマザコン野郎」
そんな言葉を残して【デコイボム】が爆発することなく消えた。
残されたダグラスは、白く冷たい風を吐き出す壁面の大穴に視線を移す。
「……俺、は」
『ダグラス。立ってください』
ララの鋭い声が逡巡を振り払う。
『ガイ・ワーズワースは応答なし、恐らく戦闘不能状態。ヨーゼフ・エトホーフトとピナル・ギュルセルに至っては通信に最初から応じず、寝返った可能性もあります。ここで明確に投入できる戦闘員は貴方しかいません』
動けるのが自分一人しかいないと自覚しろ、と彼女は言う。
今はそういった無慈悲で配慮に欠ける事務的な言葉こそ、ダグラスにとってありがたい。
一旦考えを置いて行動できるから。
「……そうかい。なら、俺が行くわ」
『よろしくお願いします。くれぐれも、気を付けて』
万全とは程遠いメンタルのまま、手に“ボロゴーヴ”の柄を握って。
ダグラスは以前の自分であれば何も感じなかったであろう、冷たく暗い隘路へと入っていった。




