第十六話 ありがとう
「そんな」
巨大な猪による突進は突き出された岩の拳で勢いを相殺され、
「バカな」
複数の魔力砲撃は隆起する瓦礫によってその悉くを遮断され、
「!」
それらが空中で集合していき、巨大な鎧騎士の上半身となった。
ピナル・ギュルセルが得意とする第五魔術位階【ミキシングゴーレム】。
周囲に存在するあらゆる物体を素材として、鎧騎士を模したゴーレムへと変形させ操る魔術だ。
第五魔術位階に不相応な大きさと密度は、磁力付与術式に適性を持つピナルにしか実現できない。
強力な磁力で構成要素が互いを引きつけ合い、通常ではあり得ない強度を生み出している。
「流石、今まで散々作ってきただけありますね。この点に関しては僕も貴女を信頼できます」
「えへへ、でもヨーゼフ君が指示してくれたからだよ」
ゴーレムの正拳突きを受け、空中でよろめく猪など見向きもせずに客人二人は語り合う。
その間にもジンジャーがドローンから魔力砲撃を射出したが、砕け散る壁面の素材を組んで作られた片腕で容易に防がれてしまった。
見れば部屋の出入り口ごと壁も床も巻き込んでおり、彼ら二人が入ってきた出入り口方面に向けて水が瀑布の如く流れ落ちている。
「ここに来る前から【ミキシングゴーレム】の準備しとくように言ってたもんね」
「話し合いがどんな方向に転んでも、その手の準備が損害に繋がるわけではないので。結果的にこうして助かってますし」
ただでさえ大きな瓦礫の巨人は、部屋の内部を構成するあらゆる物体を取り込みながら今も徐々に肥大化していた。
先ほどピナルが壁を走行したため、室内の壁面全体に彼女の磁力が付与されているのだ。
今しがた作られたゴーレムは内部に侵入して壁面を剥がし、全て取り込むまで落ち着くことがない。
ジンジャーとニーナからしてみれば、まるで悪夢を見ているかのような心地だろう。
何せゴーレムは彼女らの猪が砕いた足場を、まだ残っている部分も含めてお構いなしに吸収していくのだから。
そうして食われるようにして失われていく足場とともに、それに支えられている宮殿――ジンジャーの第四魔術位階【ハスティパレス】がぐらりと揺れた。
「いけない……!」
「そりゃっ」
急ぎ手を振るおうとしたジンジャーに向けて、ヨーゼフが余っていたらしい凍結術式の霊符を三枚ほど投擲する。
それを防ぐべくニーナも空中に鞭の先端で描いた魔術円から松葉色の猪を出し、身代わりにすべく飛び出させた。
が、その意識の間隙を今度はピナルが突く。
「【ストーンタックス】!」
「んなっ!」
まだ巨大化し続けるゴーレムの胴体から岩の矢が撃ち出され、ニーナの“ウォームオーナー”を弾いてジンジャーへと向かう。
それは即興で作った盾の魔道具を見事に砕き、左手を覆う“カプリシャス”の表面に傷をつけた。
衝撃と危機感からジンジャーが硬直するとほぼ同時。
魔力で構成された宮殿が、白茶色の燐光を噴き上げながら先ほどより水位の下がった水たまりへと落ちていく。
「ま、ずい……!」
宮殿を支えていた足場が全て砕け散り、ゴーレムの磁力に吸い込まれていく中で、他人の魔力の集合体たる宮殿は水底に消えた。
すると次の瞬間、ジンジャーの周囲に浮かんでいた球状のドローンまでもが制御を失って一つ一つポロポロと落ちていく。
「やっぱあの宮殿、量産した魔道具を同時に制御するための術式だったっぽいね」
「そんでその術式を経由して作った魔道具は宮殿とリンクしてるから、母体が消えると制御できなくなるってとこですか」
ピナルとヨーゼフの言葉が正答であると証明するように、ジンジャーが悔しげに歯噛みした。
しかし彼女には悠長に悔やむ暇もない。
足場としている猪を空中に浮かせているのは、他ならぬ彼女が【ハスティパレス】経由で作り出した魔道具なのだから。
「ジンジャーさん! 掴まって!」
全ての支えを失ったジンジャーは、咄嗟にニーナが発動した【チェーンバインド】で彼女の体に縛りつけられて猪の上からともに跳ぶ。
少し遅れて瓦礫で組まれた拳が猪の顔面を貫き、その全身を霧散させた。
ゴーレムの腕には放電術式の霊符が何枚も貼られていて、ピナルの磁力付与術式の効果を高めている。
瓦礫同士が強固に繋がり、結果として繰り出す一撃の重みをも増していた。
「……【己が名を刻め】ッ!」
そんな分析も刹那。
ジンジャーは急いで空中で呪文を詠唱する。
すると小さな舞台ほどの面積はあろう円形テーブルのような足場が空中に現れ、二人の体重を支えたまま滞空した。
第五魔術位階【カーペンター】。魔力で構成された即興の足場を作り出す術式。
詠唱の短さと魔術位階の低さから、高所作業などで使われることの多い魔術である。
同時に複数の魔道具を作り出して複雑な操作を同時並行処理するわけでなければ、彼女はまだ戦えるらしい。
【カーペンター】で作り上げた足場によって落下は避けたものの、最大の武器たる猪は既に散った。
今の彼女らにあるのは小さな足場のみ。
「随分と消耗したようですけどォ!」
未だ周囲の塵を巻き込んで肥大化し続けるゴーレムの手に持ち上げられながら、ヨーゼフが二人に向けて叫ぶ。
「まだやる気ですかァ!?」
煽るような問いかけに、どちらも応じない。
まずジンジャーは戦えなくもないものの、そもそもの戦闘能力が高くない。
そして支援を受けるべきニーナは、既に魔力の大半を注ぎ込んだ巨大猪を失っている。
対して、客人コンビ。
ヨーゼフは元々霊符を使うだけで大して魔力を消費しておらず、負傷の度合いは先ほど魔力弾を頭部に受けたのみ。
ピナルは巨大な【ミキシングゴーレム】がいる上に相手から地の利と宮殿という二つのアドバンテージを奪い、魔力にも余裕がある。
「…………最初からこうなるとわかってたの?」
絶対的な不利を感じ取ったと思しきジンジャーが、ヨーゼフに問い返した。
「何もかも計算済みってわけじゃありません。が、厳しい言い方をすると、オタクらの魔術は僕らの想定と対策を越えるものじゃなかった」
それでも彼女らが弱かったなどとは言えない。
目の前にいる異世界人の女達はとんでもない能力の持ち主であり、同時にこれまで戦ってきた中でも指折りのコンビネーションを見せてきた。
この部屋がもっと彼女らにとって有利な条件であれば、想定と対策を越えられた可能性すらあるだろう。
だが、少なくとも現実はこうして絶対的な差が生じた。
疑うまでもなく、ヨーゼフとピナルの勝利である。
「ピナルはヨーゼフ君の作戦勝ちだと思うな!」
ヨーゼフは部屋より手前、架け橋となる足場から既にピナルに【ミキシングゴーレム】の準備を進めさせておいた。
本音を言えばこんな形で使いたくなかった。アヴドゥルと合流して首輪を外してもらった後、ダンジョンを効率的に破壊しながら外に出て騎士団を蹴散らそうとさえ考えていたのだ。
それが知らないうちに組織の方針は想定外の形に歪み、袂を分かった先には首輪付きの生活しか残されていない。
絶望に浸りたいところだが舌打ちも溜息も堪えた。
今は目の前にいる敵を倒すべき状況である。
「ピナルさんの魔術ありきですよ。いやマジで見ててスッキリするわこの魔術。やっぱストレス解消するには何かぶっ壊すか誰かぶっ殺すか仕事サボって遊ぶのが一番だってわかりますね」
「仕事サボる以外はこれからたくさんできるね」
「クソがよ」
単なる受け答えなのか皮肉なのか。
無邪気に倫理観の欠如した発言をする仲間はともかく、まだ完全に諦める様子の見えない相手を片付けなければならない。
彼女の言う通り、仕事を放棄することだけはできそうにないのだから。
「で、その顔見る限りまだ続けるって認識で合ってます?」
「……ごめんなさいね。私達、理由があればすぐ諦められるほど賢くないの」
「ええ。それにまだ戦えないわけじゃありません」
今のやり方を否定するか賛同するかの違い、そして客人かビーレフェルト大陸の住人かの違い。
二つの大きな相違点と出逢いが遅れた事実こそあれど、一度は同じ理想を夢見た相手だ。どれほどの覚悟を胸に秘めているのか、わからないわけではなかった。
「バカ野郎がよ」
「残念だね」
軽い口調で返したものの、やはりヨーゼフとしては乗り気にはなれない。ピナルも同様だろう。
確かにジンジャーもニーナも魔力こそ使っているものの、まだ戦える。
魔道具の生成は極めて高い汎用性を誇り、それによって支援を受けた猪の群れも間違いなく脅威だ。
そう、脅威なのである。
到底加減できないくらいに。
「【チェーンバインド】!」
ニーナが振るった鞭の軌跡が空中で松葉色に輝いて留まり、そこから同じ色の鎖が何本も伸びる。
狙いはゴーレム――ではなく、周辺に散見される破壊の痕跡。
【ミキシングゴーレム】発動に際して砕かれた床や天井、壁に開いた穴の淵。
僅かに生じた突起へと鎖が接続された。
まるでゴーレムの輪郭をなぞって取り囲むかのように配置されたそれら細い線を、今度は白茶色の魔力が覆う。
ジンジャーが、左手に装備された盾に右手の指で術式を描きながら口を開く。
「【己が名を刻め】!」
鋭く短い【カーペンター】の詠唱を合図として、鎖はより幅の広い石造りの橋へと変化した。
彼女は全ての【チェーンバインド】に魔力を纏わせる形で、ニーナが生成した猪の通路となる足場を作り出したのだ。
単純に足場を作るだけなら、複雑な魔道具の動きを制御するための【ハスティパレス】は必要ない。軸となる部分を他人に用意してもらったのなら尚の事である。
それらの上に魔術円がポツポツと滲み出て猪を生み出し始める。
ニーナの魔力で構成された鎖を経由したのだろう。鞭で床を叩く以外にも魔術円を出現させる方法があるとは、ヨーゼフも予想できていなかった。
(つまるところ、出し惜しみできないところまで来たってわけだ)
即興で作った複数の通路上に猪を走らせて、ゴーレムを囲む。
狙いはヨーゼフとピナルに対する直接攻撃。それもゴーレムが腕を伸ばした程度では守り切れないよう、あらゆる角度から同時に仕掛けるつもりらしい。
単純ながら効果的な攻撃の備えを、しかし対象とされた二人は動じず見つめていた。
「あんたらが強いのは認めますが、こちとら離反したっつっても[デクレアラーズ]にいた客人です」
そう言ってゴーレムの手に掴まれたまま、ヨーゼフがたった一枚の放電術式の霊符を掲げる。
「ピナルさん」
「うん」
簡便なやり取りを遮るように。
上下左右、ありとあらゆる角度から猪の突進が飛来した。
一つ一つが当たれば人体など容易く破壊されるであろう攻撃。
人間の形状を模していて、更にまだ瓦礫を組んでいる途中で上半身しか存在しないゴーレムでは完全に守り切れない。
はずだと、きっと思っていたのだろう女性二人が相貌を絶望に染める。
放電術式が丹色の燐光を散らして発動すると同時。
大部屋の壁が一気に剥がれ落ちて、土砂崩れの如く全てを包み込んだが故に。
「あ……」
「はっ……」
ヨーゼフの手、霊符から生じる電気とそれに伴い発生した磁場を目印として、先ほどピナルが壁を走り回りながら仕込んだ術式が炸裂したのだ。
出入り口付近で組み立てられた【ミキシングゴーレム】はあくまでも完成途中でしかない。
部屋の壁をも巻き込んで、より巨大な姿になってこそその本懐、ピナル・ギュルセルの全力が成される。
「ニーナっ……」
「ジンジャーさ……」
無数の猪と【カーペンター】で作り上げられた橋はそれら外側から加わる物量に押し潰された。
当然、足場に乗って空中に浮いていたジンジャーとニーナも、互いに呼び合う彼女らの声も、全て。
死の濁流が避けて通った例外は、瓦礫を吸収して巨大化したゴーレムの手に握られたヨーゼフ。
それから肩の部分で磁力を発生させ斜めに直立するピナルのみであった。
体躯も魔術も何もかもを岩石の巨人に飲み込まれ圧砕された二人の名残とばかり、瓦礫の隙間から白茶色と松葉色の魔力が煙にも似た形で排出される。
各々が美しさと強さを突き詰めようとした二人の最期としては少々残酷な形となったが、殺し方を選べるほど弱い相手でもなかった。
などという理由だけでは割り切れないものもあるのだと、ピナルの表情が物語っている。
「意地になるだけの何かがあったのかな、あの二人にも」
崩壊して水もすっかり抜け落ち、ひたすら広く縦に長い部屋と化した空間の端。
壁面の穴で佇む瓦礫の巨人の肩に座り込み、寂しげに呟く。
「何もない異世界人が[デクレアラーズ]に加担するとは思えませんからね。聞き出そうにも手遅れですが」
言って、ヨーゼフが首につけられた隷属の証を指でなぞる。
「……さて、僕らの仕事が終わったわけじゃない。ムカつくけどまだ中に残ってアヴドゥル探しましょう」
「わかった。ダグラス君とガイさんがまだ生きてるとも限らないもんね」
建材が剥がれた跡にも磁力を付与し、レールのような役割を持たせて壁面を滑るようにゴーレムが移動する。
巨大な岩の騎士を乗り物としながら、二人は当初アヴドゥルが出てきた方の出口へと辿り着いた。
向かい側の出入り口周辺は【ミキシングゴーレム】に巻き込まれておらず、綺麗な状態を保っている。
まずゴーレムの手でヨーゼフが、次いで肩から跳躍してピナルが無傷の扉の前へ移動する。
目当ての場所に足をつけた時点で、ピナルが用済みとなった【ミキシングゴーレム】を大穴と化した部屋の中央に落とした。
「ピナルさん」
「なぁに」
背後で二人分の亡骸を内包したゴーレムの、着地とともに砕け散る轟音が鳴り響く。
「…… 」
「うん。どういたしまして」
それでも聞こえると信じて紡いだ、滅多に口にしない言葉。
どうやら届いたようだった。




