第十二話 ミンチメーカー
ダグラスらによる特殊部隊がダンジョンに足を踏み入れたのとほぼ同時刻。
アガルタ王城西方にある尖塔の最上階、無機質に白い壁で囲まれたとある一室で第一王女のフィオナと第二王女のマーシャがテーブルを挟んで見つめ合っていた。
「ルンディア特異湖沼の奇妙な安定は未だ継続中だそうよ。タイミングで言えば第二次“大陸洗浄”の開始とほぼ同時だからか、騎士団の中でさえ双方の因果関係について変な見方をする者がいるそうね」
「あらまあそれはそれは! だとすれば[デクレアラーズ]はあのオカルト現象の宝庫を沈黙させるだけの手段を持っているということになりますよねえ。いやはや何とも恐ろしい限りです」
窓の外では空を鼠色の雲が覆い隠し、パラパラと細かな雨粒を微弱な風で揺らしながら撒いている。
二人の王女が向かい合って紅茶で唇を濡らしながら近況報告という名の前置きに興じる様は、王城騎士として彼女らを見慣れているセシリアでもなければ肌に痛みを覚えるほどに緊張感を伴う絵面だ。
「広大な面積を誇るルンディア全体でのオカルト現象を鎮静化する。確かに現実にそうであれば恐ろしい話でしょう」
「ま、実際にどうなのかなんてわかりはしませんが。浮足立つ者達の存在は無下に扱えませんものね」
「その通りね」
一瞬、室内を覆う防音結界が軋んだような気がした。
「それで本題は? まさかその程度のつまらない話を聞かせるためだけに私を呼んだわけではないでしょう?」
「優秀な頭脳が錆びついていないようで喜ばしい限りだわ。私も王女の一人としてずっと心配していたから」
何せこの姉妹、折り合いがよろしくない。
末妹であるケイティに向ける愛情の度合いはどちらも変わらず砂糖菓子のような過保護ぶりなのだが、いかんせん長女と次女はそこでさえ愛情の度合いで争う始末だ。
もちろん王族ともなれば一般家庭とは根本から異なる。
肉親だからと仲睦まじくあるべきではないし、時代と立場によっては殺し合いもあろう。
「わざわざ傷物の駒を集めて元騎士団長の冒険者に握らせたそうじゃない。恥ずかしながら巷の流行には明るくないのだけれど、遊びだとすれば随分と悪趣味だこと」
「心外だわぁ。遊んでいるように映ったのならごめんなさいね。あたかも努力しているかのように見せかける習慣がないもので。私もいつかは城壁で嘔吐している姿を褒められたいものだわ」
「……………………」
「……………………」
ただこの二人はきっと、一般家庭に生まれてもこうしていがみ合っていたに違いない。
(胃が痛い。というか第二王女側の側近は何故ここにいないんだ)
城の中であまり二人を会わせたくないし、合流したその場に居合わせたくない。
というのがセシリア含めた王城騎士の総意である。
「まあ、ウィルズ・ハウスマン公爵について思うところがあるのは理解します。貴女には貴女の考えがあってこのように動いているのでしょう」
ちなみにマーシャはフィオナに対して、ウィルズ・ハウスマン家の事情も特殊部隊の構成員についても話していない。
情報がどこかから漏れるのが当たり前と化しているため、いちいち驚かないだけの話だ。
「ただ非行少年らのまとめ役に、元第六騎士団の騎士団長だった彼を起用したのは軽率だったわね」
「何か問題でも? 実力も実績も申し分ないと思いますが」
からかうようにマーシャが言い、セシリアが天を仰ぎたくなる衝動を抑えてぐっと顎の動きを止める。
事実、第二王女から第一王女への挑発としては悪くない一手であり一言だった。
ガイ・ワーズワースは表向き第六騎士団の騎士団長を辞任して王国との繋がりを絶っているが、その実まだ利用価値があると踏んだフィオナとセシリアは彼との交流を継続するつもりでいたのだ。
具体的には奔放ながらも頼りがいのある隊長という精神的支柱を失って足並み揃わぬ、第六騎士団の指揮。
もちろん民間人となった彼が公然とできる仕事ではない。
手順としては国防勲章を有する東郷圭介に第六騎士団が関係する依頼を受けさせた上で、協力者としてガイを雇う形となる。
騎士団が冒険者の指示に従う事などまずあり得ないが、あり得ないとされるほど想定されにくい事態であるためかそれを禁ずる法令も現状存在しないのだ。
なので民間からの協力者、という体で引き続き第六騎士団に関わらせていこうとしていた矢先にこの始末である。
いくら彼が剣を返上したと言えども、第二王女の要請を突っぱねられるほど立場を捨てきってはいまい。
フィオナからしてみれば拾おうとしていた人材をマーシャに横取りされたような形だった。
マーシャとて自身の行いが相手から見てどう映るかわからないはずもなく、余裕の笑みには妹ではなく第二王女としての矜持が宿る。
王族の在るべき姿として間違ってはいなかろう。
大いなる権限と大いなる責任を背負う身として、彼女らは互いに譲れないものを目指し競う立場なのだ。断じて家族などではない。
が、そう息巻く気配を微妙に隠しきれていないマーシャの前でフィオナはどこまでも妹などではなく国を見ていた。
「彼を使う際のリスクについてはどこまで考慮しているのかしら」
「騎士だった頃の規律違反は多少気になりますけれど、剣を返上した今そこまで神経質になる意味も薄いと見ての判断ですわ」
「問題児ばかりの特殊部隊なんてものに所属させて、彼がどこまで役割を果たせるでしょうね」
「実力に疑念でも? あるいは人格? 一度は騎士団長にまでなった人材に対してその疑問を持たれる? それはそれは、まるで当時選任した審査員が無能であるかのような……」
「二十九人中、生存者わずか二人」
怜悧な声にマーシャの薄ら笑いが一瞬だけ揺らぐ。
「……何の話です?」
「ガイ・ワーズワースが騎士団に配属されるより以前、アガルタ王国に進出してきた[クリームカラーワークス]の一味を単独で迎撃した際に生じた相手側の被害よ」
ハイドラ王国で名を馳せた大規模な犯罪者集団、それが[クリームカラーワークス]だ。
構成員の多くはハイドラが帝国だった時代に甘い汁を啜ってきた権力者の傘下にいた荒くれ者であり、高い実力の持ち主が多く在籍していたことで有名である。
今や[デクレアラーズ]によって皆殺しの憂き目に遭ったと思われる彼らだが、しかし当時は充分な脅威として知られていた。
それが、アガルタ王国のとある辺境に迫った時。
地元に住んでいたガイは冒険者として彼らを歓迎し、結果的に勝利した。
二十七人の屍を積み上げて。
「非現実的なこの結果を公的な記録に残すのは危険と見なされ、当時の現場の判断で隠蔽されることが決定された」
「その割にはよくご存じなようで」
「もちろん起きてしまった出来事そのものを完全に隠せるはずもないでしょう。知ろうと思えば知ることができるのが我々です。彼の強さと、危険性を」
フィオナが口にした言葉の半分は事実で、半分は嘘だ。
諜報部隊として動く第三騎士団との直接的な繋がりが薄いマーシャでは、辿り着ける真相の数と深さに限りがある。
そしてその限界を越えるような真似を姉たる第一王女は絶対に許さない。
「騎士団に身を預けていたからこそ笑い話で済む程度の規律違反しかしていなかったけれど、剣を返した今はどうでしょうね」
刃の納め方と適切な暴れ方を教えて、生きていく道を示すことで忠誠心のようなものを作り上げ従えてきただけのこと。
ガイ・ワーズワースは完全に飼い慣らせていた人材ではない。
「彼の経歴にそのような記録はありませんでしたし、当時の彼は記録に干渉できるだけの繋がりを持っているわけでもなかったはずですが」
そう。マーシャがそれを知らないと、フィオナは知っている。
だから答えを端的に示すことにした。
「彼の腕を見込んで騎士団に勧誘したのは、当時の辺境伯との交流会に参加していたダミアン・アドラムです」
その名を聞いてマーシャは「ああ」と納得する。
ダミアン・アドラム。
アガルタ王国において国王直属の武装勢力、第一騎士団に属する男の名だ。
一番の古株としてデニスとの付き合いも長く、ある意味で誰よりも重い責任を背負いながら国防の要として君臨している。
「確かに、彼がその気になれば騎士団が鎮圧したと事実を改変できますか。これに関しては確かに言い訳のしようもありませんわねぇ。私としたことが確認不足でした」
「過ぎた話と言えばそうですが、貴女が最初に掲げた少年少女の更生という建前は崩れるでしょうね」
本当に伝えたかった点――先にガイに手出ししたことへの文句と、詰めの甘さを突く形での微弱な報復――は既に言って聞かせた。
フィオナは気が済んだとでも言いたげに眉間の皺を伸ばし、悠々とティーカップに口をつける。
「何せ彼は地元において“ミンチメーカー”の名で通っていたようだから」
* * * * * *
鋭利にして重厚な“ウェルメイト”の先端をするりと避け、ガイの頭は蛇行しながら勢いよく狙った場所へと突き進んでいた。
ジェラルドの数少ない露出している部分。
危険信号を遅れて感じ取ったことへの驚きで彩られた、顔面へと。
「べぶっ!?」
振るう武器では防ぎ切れず、まともに頭突きを受けてしまったジェラルドがそのまま仰向けに倒れた。
追撃を仕掛けるより優先して立ち上がる。ガイとしても一旦姿勢を整える時間が欲しい。
「ぶっ、ぐほっ! 何、を……?」
「喧嘩となりゃあ、何でも使う主義、だが……」
鋭く重い一撃を受けたあばら骨は確実に折れている。
腕に開いた穴からは血がダラダラと流れ落ちていく。
頭部を蹴られて起こした脳震盪で視界が安定しない。
腹部への攻撃のせいで内臓も一部潰れているだろう。
当たり前に痛い。体を動かそうにも激痛と、症状が悪化しかねない恐怖に阻まれる。
しかし、使えるものはまだあった。
「くっ!」
急ぎ体勢を整え再度高速で接近するジェラルドの前で、ガイの体が横へと滑り攻撃を寸でのところでかわす。
巨体が空中を滑走する。
騎士団で学ばされた気流操作術式の一つ、第五魔術位階【エアリフト】。
足場として機能する空気の塊を作り出し自在に動かす魔術だ。
簡易的な空中戦を実現できる、と会得したばかりの騎士は教わるが、実戦での応用の幅はそれ以上に広い。
怪我の程度も地形も問わず一定の速度で移動できる。これがどれほどありがたいことか。
周囲の状況を把握する索敵用の魔術【テラーブリーズ】も、歪んだ視界よりよほど確実な情報をガイに伝えてくれていた。
「真面目に勉強しとくのって、やっぱ大事だわぁ……」
「ほざけぇ!」
それでも今はジェラルドの方が速い。
意外な機動力は最初こそ通用したが、次は避けられない。
と、相手が思っているのをガイも理解していたし、対策も可能と見越して動く。
「気流操作魔術もそうだが……よっと!」
「なっ」
横薙ぎの形で振るわれた“ウェルメイト”が、ガイに当てるつもりでいた先端部分を床に落とす。
同じく【エアリフト】によるものだ。
ただし今度は足場としてでなく、敵の攻撃に合わせて斜め横から叩きつけることで受け流すための第三の腕として運用している。
思い出すのは騎士団での戦闘訓練に呼ばれた、とある達人との手合わせ。
若かりし頃、怪力で押し通そうとして面白いように投げ飛ばされ続けたあの日。
腕力だけでは太刀打ちできない相手がいると知っているからこそ、腕力で勝てない状況でもこうして打開する動きを実現できた。
いかにあらゆる力を増幅させていようが、重い武器を下から上へ持ち上げる動作はそれまで見せてきた動きと比べて多少遅くなる。
床についた先端部分を再び振り上げようとしているその隙に、ガイの拳がジェラルドの右肩へと突き出された。
がちり、と強固に強化された鎧で防がれる感覚。
だが構わない。
拳は既に当たっている。
「しまっ――」
「【インパルス】!」
「――ァァァァ!」
ゴキリと肩が外れる音を立てて、衝撃が強化された鎧と一緒に老体へと食い込んだ。
「がっ、ぐあああ!」
「へへっ、体も防具も強化してんなら、そりゃそういうこともあるわなぁ……!」
どちらも強化している以上、柔らかい方が硬い方に押し負けるのは自然の摂理である。
ジェラルドの敗因の一つは肉体も装備品も全てまとめて強化してしまった点だった。
そして、もう一つ。
老いて弱った部分を除いても彼が自覚していない弱点があると、ガイは理解していた。
「おの、れぇ……! そうまでして止めたいか、儂らを救ってくれた[デクレアラーズ]の壮挙を!」
「言ってるこたぁ理解できるが、にしたって考え方がムカつくんだよ、テメェらは」
言うと同時、ジェラルドが無言で“ウェルメイト”を上から下へ振り下ろす。
ガイは冷静に柄の部分を【エアリフト】と拳の二つで殴りつけ、受け流した。
激昂もあってか繰り出される攻撃はどれも速く、鋭く、強い。
実戦経験も積んできたのだろう。こんな活動を続ける中で。
だが知識が足りていない。
「何故じゃ……! 何故、当たらん!」
苦悶に歪むジェラルドの表情を極力見ず、体全体の動きに意識を向ける。
【テラーブリーズ】の範囲と対象を少し絞ることで、ガイは相手の肉体の動きをある程度観察できるようになっていた。
「【エアリフト】があろうと、お前さんは既に限界のはず! それがどうして、こうも繰り返し受け流される!?」
縦から攻めても横から攻めても流される。ジェラルドからしてみれば理不尽だろう。
だがガイにとって彼の身体強化魔術は素人のそれであり、原因ははっきりとしていた。
(冤罪でブチ込まれただけあって元は優等生の完璧主義者かァ? にしちゃあお勉強が足りてねえぜ)
簡単に言うと、ジェラルドは全身を満遍なく強化してしまっている。
だから及ばない点が生じてしまうのだ。
筋肉には俊敏に動くための速筋と負荷を受け止め耐えるための遅筋があり、瞬発力に影響するのは速筋の方である。
なので短期決戦を挑み高速戦闘で勝負を仕掛けるなら速筋にのみ集中的に強化魔術を付与するべきなのだが、彼は遅筋にも装備にも均等に魔力を注いでいた。
それに加えて騎士であれば筋肉の反射や呼吸法すらも肉体の駆動に組み込んで戦うため、より優れた戦い方を実現できる。
だがジェラルドの動きにはそういった基礎が欠けていた。
多少のハンデがあろうとも、騎士団で鍛えられたガイからしてみれば効率が悪すぎて容易く対応できてしまうのだ。
「くそっ……くそっ!」
悪態を吐いてジェラルドが距離を取る。
次いで、別の場所に続くであろう通路に向けてじりじりと後退し始めた。
「儂では勝てん!」
「思い切り、いいじゃねえの……」
逃げるつもりらしい。正しい判断だ。
これ以上直接戦わなくとも、ガイとて無事な状態ではない。
ならばジェラルドに深刻なダメージがない今のうちに引き下がり、仲間と合流してから対処すれば確実に仕留めきれるだろう。
それにガイの攻撃手段は単純な殴打か【インパルス】による短い射程での砲撃のみ。
今のジェラルドが全速力で逃げればガイが【エアリフト】を使っても追いつけまい。確かにそれは大局的な勝利に繋がる。
明確に焦りを見せて感情的になりながらも、彼は老獪さは捨てていない。
(厄介な相手だ。ここで仕留めねえとな)
背を向け走り出すジェラルドは、それでもやはり素人だ。
ここでガイから視線を逸らすべきではなかった。
「【エアリフト】……」
ガイの体を支えて運べる程度に圧縮された空気が、ガイの目の前で生じる。
そこに“スカルクラッカー”を握り込んだ右の拳が当てられた。
「からの、【インパルス】……!」
これは騎士団でも教わらなかった、そして王国も想定していなかった気流操作魔術の使い道。
大柄なドラゴノイドの体を運ぶ必要があってか、ガイの【エアリフト】は他の騎士が使うそれより大きく、そして多くの空気を圧縮して作られる。
そこに優れた肉体から発揮される膂力とともに繰り出される【インパルス】が叩き込まれるとどうなるか。
結論は、風のミサイル。
背後で何が起きているかなど知らず駆け出すジェラルドの背中に、彼を上回る速度で飛来する【エアリフト】が触れた。
「ほっ」
何か異常事態が発生している、程度の認識は持てたらしい。
驚愕、恐怖、理不尽への怒りが混沌に混ぜ合わされた短い声が漏れると同時、衝撃波が老爺の背中を中心として炸裂する。
轟音の鳴り響く通路でまず床に叩きつけられたジェラルドはバウンドし、天井に触れるか否かの高さまで跳ねてからまた落ちた。
背中は衣服こそ破れているが鎧は砕けていない。しかし衝撃は確かに伝わったのだろう。
彼が起き上がる様子は、なかった。
「……あんた、おかしいと思わなかったのか」
聞こえていないと知っていた。
それでも言わずにいられない。
「人生色々奪われて、ムカついて、やられた分をやり返す。否定はしねえ。俺だってあんたの立場ならその領主と騎士団ぶっ飛ばしに行ってた。けどよ」
力が抜け、床に座り込む。
しばらくは動けそうにないので、懐から回復力を促進する携帯食料の袋を取り出して開封した。
戦いの中で見事に砕けたクッキーのような物体を口にサラサラと流し込み、残った破片を咀嚼しながら言葉を続ける。
「そういうのって、お膳立てされるこっちゃねえだろう。本当にあんたを想うなら止めに来るだろう。それを振り切ってからするもんだろう、復讐ってのは」
袋を投げ捨て、両手を合わせてから“スカルクラッカー”を元のカードの形状に戻す。
少なくともこの場での戦闘はこれ以上続くまい。
「助けを求めちゃいねーってのに、勝手に救いにくるようなダチでもねえ連中に、テメェの間違った部分全部預けてんじゃねえよ。そこは一人でやらせろとキレるべきところだろうが」
溜息一つ。
どうせ伝わらない言葉だ。自己満足に過ぎない時間は切り上げ、右手で左腕を握り込み強引に穴を塞いで止血する。
「……ま、俺も他人をとやかく言えた立場じゃねえか。あんたが頑丈で、しかも全身強化するような真面目な性格してて助かったよ」
ある意味では本当に危ないところだった。
ジェラルドの扱う魔術が強化術式でなければ、きっと。
「恥ずい思い出を再現しちまうところだったからな」
きっと先の一撃で、彼はミンチになっていただろうから。




