第十一話 老獪なる者
ジェラルド・クリーバリーは強い焦燥感に苛まれていた。
ガイ・ワーズワース。元騎士団長のドラゴノイド。
種族の特徴として生まれながらに搭載された筋肉は騎士団として過ごす日々を経て研磨され、凄まじい硬さとしなやかさを併せ持つ。確かに脅威となる存在ではあった。
だが今はジェラルドの方が圧倒的に有利だ。
負傷した脇腹を庇いながらの近接戦闘は、刻一刻と相手の体力を奪う。
武器はグリモアーツを装備していると言えど、ほぼ拳での近接攻撃が主体。
騎士団で得た気流操作魔術はアガルタの国民として知っているため、対策可能。
今は第四魔術位階の結界【グールマンケイヴ】により、刻一刻と魔力を吸収されている状態である。
こんな状況でまともに戦えるとは誰も思わない。
思わない、のに。
「ガァァッ!」
「ぐうっ!」
次第に押され始める。
衰えは感じていた。若かりし頃と違ってすぐに体力が削られてしまう。
なればこそ削り切られる前に、まだ体に残されている力を総動員して早く決着をつけなければならない。
相手が骨折による激痛で弱体化している今なら、それが可能であるはずだった。
だが、この男。
ガイ・ワーズワースは痛みなど知らないかのように食いついてくる。
「らァッ!」
ガツンと右の拳で頭を殴られた。魔術で強化した兜が無ければ脳を砕かれていただろう。
衝撃を受け流すため自分から後ろに下がった分も含めて、ジェラルドは少し大きく距離を取った。
互いの間合いから外れる。
ほんのわずか、猶予が生じた。
「しつこいにも、程があろうよ……!」
「悪ぃなあジジイ。こうやって喧嘩するのァ、久しぶりでよ……楽しくなってきちまってさァ!」
会話に応じる。つまり体力と魔力にまだ余裕があるという証明。
普通なら気が逸って突っ込んできてもおかしくない。
それを先ほどからジェラルドも狙い、重心を常に体の中心より前方へ傾け迎撃の準備に専念し続けている。
そんな警戒心を読まれていると考えるべきだった。
相応に経験を積んできた身として屈辱だが、目の前にいる男は戦いの中で生じる駆け引きが巧い。
大雑把な性格と聞いて勝手に思い描いていた印象を払拭すべきと、表には出さずしかし強く改める。
「だーがそれにしたってこの結界は厄介だ。動けば動いただけ体力も魔力も削られて、こっちまでジジイになった気分だぜ」
「逆に儂は若返った気分じゃよ。こうも互角の勝負が続くとはの。ダチ公と喧嘩していた日々を思い出すわい」
「いいね。差し引き互角だァ」
「ほざけ若造。どう考えても儂の方が有利じゃ」
戯言を弄しつつ双方の間合いの境界線が接するか接しないかの瀬戸際を、チリチリとした緊張感の中で計測し続ける。
ジェラルドは術者として【グールマンケイヴ】による魔力吸収効率を体感している。だからこそ大して削れていないのだという事実を客観的に理解できた。
一般に騎士になれるだけの魔力があるなら、まだ半分も減っていまい。魔力切れを期待して動くには少し厳しい相手である。
だから早々に次の手を打つ。
「【眼と臓腑は塵に侵され くたびれた四肢は慟哭を上げる】」
「あん?」
突如始まった呪文の詠唱を受けて、ガイが即座に跳躍してジェラルドへと殴りかかる。
しかしそれを硬く強化された鎧の腹で受け止め、腹から喉へと血を伴う衝撃が走ってもまだ口を止めず唱え続けた。
「っ、【涙と汗で足元がぬかるみ 粗末な食事と寝床は病を孕む】」
追撃の蹴り上げをマチェーテ型グリモアーツ“ウェルメイト”の柄で受け止めるも、浮いた体にガイの右拳が向けられる。
構わない。とにかく詠唱を完了させなければならない。
そうすれば間違いなく、負けることはなくなるのだから。
「【穿て 穿て 輝きを求め】」
「第五魔術位階――」
やがて詠唱は完了した。
ジェラルドにとって「やっと有利な状況にできた」と思える程度には強力な魔術が起動する。
「【穿て 穿て どうせ持っていかれようとも】」
「――【インパルス】!」
圧縮された空気の塊が拳の勢いに乗ってジェラルドの全身を打つ、その直前。
偽りの坑道を彩る様々な色合いを見せていた宝石が、全て同じ刈安色に輝いた。
「ぐぉあ」
ジェラルドに向けて飛来していた見えざる砲弾【インパルス】は極限まで強化された肉体が繰り出す蹴りに弾き飛ばされ、ガイの大柄な体も声とともに遠ざかる。
空気が破裂した勢いで弾かれたらしい。一方、ジェラルドはそよ風とばかりガイが吹き飛ぶほどの衝撃を受け流す。
周囲の風景も一変して――否、元に戻っていた。
殺風景なベージュの壁と床。仮初の坑道【グールマンケイヴ】は今や無い。
ここまで吸収し続けてきたガイの魔力ごと、ジェラルドの体内に吸収されたが故に。
「んっ、だ、テメェ……!」
一度倒れてから起き上がるまでが遅い。
脇腹の痛みに阻まれて上半身の動作が緩慢になっているためだ。
立った状態で殴り合う間は意識の外へ追いやれたはずの骨折も、倒れてから起き上がる段階になれば無視できない。
対してジェラルド、先ほどまでとは比べ物にならない速度で敵に接近する。
「うお」
「死ね!」
驚きの声すら最後まで言わせない、進む動きとほぼ同調する攻撃。
ジェラルドから見て右斜め上から左斜め下へと振り下ろす動作。
ガイが咄嗟に構えた左腕で致命傷こそ避けられたものの、その腕には鋭利な先端が貫通する形で突き刺さっていた。
抜き取るには相応の力が要求されるはずだが、ジェラルドは意にも介さず己のグリモアーツを引き抜く。
「っづおおおおおぉぉぁああがッ!!」
激痛に叫ぶガイの側頭部へ今度は回し蹴りをお見舞いし、部屋の壁へと叩きつけた。
砂埃が舞い上がり屈強なドラゴノイドの肉体を一時隠す。
それでもジェラルドは粉塵の向こう側から届く視線を感じ取る。
まだ決着はついていない。
「流石にしぶといのう。まだ意識すら刈り取れんとは驚いたぞ」
とはいえ重傷には違いあるまい。数秒経ってもガイが反撃に出る様子はなかった。
煙が散ってもまだ、彼は壁に寄りかかり腕の傷を押さえながらジェラルドを睨みつけている。
呼吸の荒さと出血量を見るに、これでようやく多少の余裕は奪えたところか。
ジェラルドがたった今使用した魔術は【グールマンケイヴ】どころか先ほどから使用している身体強化、あるいは物質強化にすら及ばない簡単なものだ。
展開している術式をいくらか吸収する形で多少なりとも魔力を回復させる第六魔術位階【コレクト】。
魔力を回復させると言えば強力な効果を有しているように思われるが、実際に回収できる魔力量は消費した分と比べて頼りない。
しかもこの魔術自体にも魔力を消費してしまう上に詠唱まで要するため、効率の悪さばかりが目立つ扱いづらい術式だ。
だが、他者の体力と魔力を吸収して自身の魔力に変換しつつ保存しておける【グールマンケイヴ】と組み合わせた場合のみ、話は大きく変わってくる。
「老体にはちと無理をさせるが、こうでもしなければお前さんと体力勝負に出ざるを得ん」
「おっとなげねェ……」
「せめて覚悟と呼んでくれんか」
消費した以上の魔力を有する結界が体内に吸収された今、ジェラルドの身体強化魔術と物質強化魔術に込められた魔力量は通常のおよそ六倍ほどに跳ね上がる。
これでも長期戦を嫌って判断をすぐ切り替えた末の出力でしかない。賭けに出てもう少しじっくりと吸い取り続ければ、勝利はより確実なものとなっただろう。
「そうまでして[デクレアラーズ]に肩入れするたあ……余程の事情があるんだろうが、にしたって感心できるもんじゃ、ねえやな……」
どうにか立ち上がりファイティングポーズを取ったガイの腹を、またも一瞬で近づいて蹴たぐる。
ただでさえ鉱山作業用に作られた頑丈なブーツだ。そこに魔術による強化まで付与されているのだから発揮される威力たるや、平時の“ウェルメイト”による打突と変わらない。
「あがァ……っ!」
脇腹の骨折による激痛も加わって、再度ガイが座り込んだ。
「事情、のう。そりゃあもちろんあるともさ。特に儂ら田舎出身のドワーフはな」
【コレクト】によって吸収した魔力は膨大だ。まだ残されている時間的余裕と元騎士団長というガイの立場が、ジェラルドから言葉を引き出す。
そして言われる側のガイもまた、その言葉である程度は察したようだった。
「違法採掘の、お手伝いでも、してたかよ……」
「それも閉山と同時に濡れ衣だけ寄越してトカゲの尻尾切りよ」
思い起こされるのは【チェーンバインド】で縛られて連れ出された先、地獄のような日々を過ごしてきた洞穴の外。
灰色の空から小さな白い粒が涙のようにポロポロと降りてくる。それだけの光景に自分も同胞らも状況を忘れて泣き叫んだ。
外なんて長らく見ていなかったから。
「おかげで理不尽に投獄されて檻の中で十五年も閉じ込められる憂き目に遭い、病弱な息子には最期まで会えなんだ。出所してからは離婚届を持った妻一人だけが会いに来てくれただけじゃった」
アガルタ王国に限らず、力と器用さに秀でたドワーフを採掘の現場に置く動きは大陸全土で広まっている。
宝石の原石やマナタイトを極力傷つけずに掘り出し、短期間で理想の形に加工する。そうして労働の場が生み出される事例は昔から今に至るまでそこかしこであるものだ。
多くのドワーフはそれを種族適性によるものと納得し、あるいは望んでさえいる。
わざわざ不向きな仕事を探すよりも有利な就職先が安定して存在するのなら、その方がいいと。
ただし、そういった中で交わされる全ての契約が相互納得済みというわけでも、また合法というわけでもない。
「就職が決まって結婚して子供もできて、これからという矢先に勤め先の自動車工場が領主に焼かれた。理由は何だったか……輸送車の動作不良で昼に届くはずだった荷物が夕方に届いただの、そんな理由じゃったかの」
理不尽な話だが年配者の若い頃であれば、確かにあり得る範疇の話ではあった。
嘆かわしい話、アガルタ王国にもそういった事例は公式に記録されていないだけで頻発していた時期もあったに違いない。
「そこから先はあの男お抱えの騎士団が管理している鉱山で、老いも若きも強制労働の毎日を送らされた。あの頃に“大陸洗浄”が起きていてくれれば死なずに済んだ者も多かろう」
「ひでぇ、話だ……」
「おうとも、酷い話よのう。そうして家族も何もかも失い、路傍で絶望しながら酒浸りになっていた儂に、あのアヴドゥルという青年が声をかけてきた」
そこから先は語るまでもない。
客人たるアヴドゥルや[デクレアラーズ]の力を借りて生活基盤を整え、その上で己をここまで追い詰めた当時の領主と騎士団に対する復讐も成した。
「楽しい日々じゃった。成し遂げるまでの道のりは充実しており、成し遂げてからは未練なき余生を遠慮なくこの社会のために使い果たせる。そう貫けるだけの力がある」
「それで、俺をここまで、ギッタンギッタンにしてみせた、っつーわけか……」
「今この状態の儂は一人で騎士団一つを皆殺しにし、領主が住まう屋敷を中にいる人間ごと瓦礫の山に変えるだけの力を持っている。勝てる道理があるまいよ、元騎士団長殿」
だが、と続く言葉に憎悪は宿っていない。
「それでもやはりどこか違うな、お前さんは。あの騎士どもと何かが違う」
「育ちが、悪いもんで……」
「あるいはだからこそ、か。上等な身分を持たぬ者なれば、儂らを貶めた奴らと根本から異なる部類に入るのやもしれん」
老爺の口が笑みに歪む。
「どうじゃ。寝返って生き延びるならこれが最後の機会となろうよ。まだ突っぱねるつもりか?」
言われたガイの表情が明らかに不快感を滲ませた。
答えを聞くまでもない。当然こうなることも想定していたが、ここに至って騙し討ちのような真似すら見せないのはバカ正直が過ぎる。
「ならんか」
「なるかよ」
溜息一つで未練を振り払う。
性格は気に入ったが、殺さねばならない敵の中にはこういう手合いもいようと割り切るしかない。
「残念じゃのう。しかしまあ、その生き様があればこそお前さんを嫌いになれんわい」
相手は全身に傷を負い、自身は極限近くまで魔術で強化されている。
ここに決着を見ても良かろう。
「では、さらば」
惜しむ気持ちもいくらか載せた一撃が、座り込むガイの頭部に振り下ろされた。
金属の嘴が眉間に触れる、その直前。
(あっ?)
ガイが笑い。
ジェラルドが罠にかかったと気づいて。
瞬間、攻撃が空振りした。




