第十話 宝石地獄
爆発に巻き込まれたガイは運よくと言うべきか、そこまで高くない位置にある足場へと落着していた。
「いって! あだっ!」
爆風の残滓をその身に引きずりながら材質不明の足場をひたすら転がる。
幅こそ広いものの急勾配の道は巨体を面白いほど転がし、都度肉体は衝撃と痛みを何度も受け止めた。
その果てでガイを待っていたのは先ほどの部屋よりも更に開けた空間だった。
「……んぁあ?」
それまで彼が見てきたダンジョンの内装は、ベージュを基調とした石とも土ともつかない素材で作られた迷宮だったはずだ。
だからこそ、あり得ないはずの光景。
色とりどりの宝石に覆われた巨大な通路。
足元に敷かれた二本のレールやそこかしこに捨て置かれたピッケルなどの採掘用の道具を見るに、鉱山の作業場を模した空間と思われる。
「あんだこりゃ……」
ダンジョンのギミックか、だとすればいかなる仕掛けが飛び出す場所なのか。
警戒心を強めて周囲を見やる中で雑音とともにララの声が響いた。
『…………答してくだ……い。誰か、応答してください』
事前情報として冷静沈着な性格とは聞いていたが、あの爆発の後でこの控えめな声量だ。
あの程度で大事には至るまい、と力量を高く見られているとも取れる。しかし少しは慌ててくれても、と思わなくもない。
(ケースケ君はそうでもなかったが、今時のガキは普通このくらいドライな性格してんのかねぇ……)
だとしても多少は交流を持つ機会が欲しかったな、などと年寄りめいた考えを一旦払拭して応答する。
「あー、こちらガイ・ワーズワース。他の連中と分断されてわけわからん場所に出ちゃいるが今のところほぼ無傷だ」
『……ダグラス・ホーキー、一応防いでこっちも無事で現在ダンジョン内を移動中だ。だがあの野郎、どうやら俺に目ェつけたらしい。さっきから何度も爆発起こされてる』
『ガイ、ダグラス両名の無事を確認。ヨーゼフとピナルは応答ありません』
実際に直接見てみると【デコイボム】なる魔術がどれほど厄介な代物か理解できた。
端的に言ってテロリストが習得する魔術の中でも最悪の部類である。
相手からはこちらの様子が見えるのにこちらからは敵がどこにいるのかわからず、事前準備さえしてしまえば先ほどのように囲んで逃げ場を奪ってしまう事もできる。
加えて爆発を起こす順番と配置も選択し、地形を利用しての戦力分断も可能。しかも分身を通して状況を見ながら、だ。
「禁術指定も納得だな……」
恐らくアヴドゥルは今、どこか安全な場所で【マッピング】を使ってダンジョン全域に索敵網を拡げながら己の分身を各所に送り込んでいるはずだ。
現在最も狙うべきは未だ[デクレアラーズ]構成員として動く客人コンビや多少は衝撃を受けて傷を負っているガイではなく、単純に爆風が通用しないダグラスということなのだろう。
このまま放置すればいずれダグラスの物理抵抗魔術を解析され、いよいよアヴドゥルの独壇場となってしまう。
急ぎ他のメンバーと合流してアヴドゥルの居場所をどうにか探し出したいところだが、少なくともガイはしばらくこの場から離れられそうになかった。
「んで、アンタ誰よ」
「……ジェラルド・クリーバリー」
何せ小柄ながらもどっしりとした体形のドワーフの男――ジェラルドと名乗る敵らしき相手が、武装した状態でガイの前に立っていたからだ。
ドワーフ用の金属鎧に身を包み、振り下ろされる攻撃を受け流すためだろう丸みを帯びた兜で頭部を守っている。
黒い髭と長髪がさらりと伸びていて、猛禽よろしく鋭い視線を目に宿していなければその佇まいは紳士的にすら映っただろう。
グリモアーツと思しきそれはハンマーとツルハシの中間に近い形状をしている。
両手で握る長い柄の先端には嘴を模した金属製の鋭利な円錐があり、反対側には鶏冠らしき半円形のギザギザとした刃がギラリと輝く。全体的に鳥類の頭部を模しているようだ。
ガイの知識にない、マチェーテと呼ばれる武器。しかし知識など必要ないほど、その形状は殺意に満ち溢れていた。
「ガイ・ワーズワースだ。顔つき見た限り歓迎してくれる雰囲気じゃねえな。……つーわけでララ、こっちは敵と接触したんでこれから交戦に入る。ダグラスのことは頼んだぞ」
『ガキ扱いしてんじゃ、っだああ! また爆発しやがったクソうざってえ』
『わかりました。一旦通信を切りますので、終わったらそちらから連絡をください』
「あいよ」
聴鱗につけたヘッドホンの電源を一度切って、両手に装着したナックルダスター型グリモアーツ“スカルクラッカー”を装備した拳ごとぶつけ合い衝突音とともに気合いを入れる。
「んでジェラルドさんよ。一応確認しておくが……譲る気ァねーってことでいいんだな?」
「当然だとも。儂は」
「ハイ確認終了ォ!」
何か語ろうとしたジェラルドに向けてガイは弾丸の如き勢いで跳躍し、接敵と同時に拳を振りかぶる。
両脚の筋力を瞬間的に強化する第五魔術位階【アルターレイド】による奇襲攻撃だ。
騎士団になるより以前、喧嘩ばかりしていた頃のガイはこの魔術による不意打ちで大抵の敵を葬ってきた。
これは実戦でありルールありきのスポーツではない。であれば正々堂々と勝負してやる理由もない。
不意打ち上等。勝てば官軍。負ければ賊軍である。
そしてその程度の認識は相手も持ち合わせていたらしい。
「やれやれ会話もまともにできんか」
老体に見合わぬ反応の速さで両手に握るマチェーテを構え、握る柄の中間部分を兜で支える姿勢。
ガイの拳を真正面から受け止めたジェラルドはそのまま武器を回転させ、玄妙な手つきと体重移動で衝撃を受け流しつつ全身を傾け移動する。
すれ違いざま、鶏の鶏冠を模した刃がガイの脇腹を斬りつけた。
「いってぇなジジイ!」
【メタルボディ】を始めとした身体強化の魔術を複数重ねがけしていなければ、肉を裂かれて内臓がこぼれ出ていただろう。
そんな強烈な一撃を受けながらもガイは「こぼれていないのだから」と気にせず裏拳で応戦する。
背骨を叩き折らんと振るわれた腕は、手の甲を柄の先端で押さえられる形で止められた。
「あれこっちまでいてぇ!?」
ただでさえ頑丈なドラゴノイドの鱗は今、身体強化術式によって相当な硬さになっているはずだ。
しかし信じ難いことに現実として、打突を受けたガイの手からは血が流れ出ている。
戦い慣れている相手の動きも気になるが、それ以上にわかりやすく脅威となるのが攻撃力の高さだった。
先ほど斬られた脇腹とて内臓が出ていないだけで無事というわけではない。
薄い切創が皮一枚隔てて血管を撫でている。攻撃を受け流したついでの一撃でこれなら、本腰を入れれば容易く骨にも届くだろう。
(やってるこたぁ物質強化……なのか? はてさてそれならこのわけわからん宝石やら洞窟やらにはどんな意味があるやら)
明るく輝く美しい宝石に囲まれた幻想的な景色の中、無骨な男二人が向かい合う様子はどこか滑稽さを伴う。
だがガイは笑う気になれなかった。
というのもここに来てそろそろ、今まで見てきたダンジョンと異なる空間に答えを見出しつつあったためである。
普通に考えればいくらダンジョンのギミックと言えど、ここまで趣向を変える空間など前代未聞なのだから。
(まだそこまで体に変化はねーな……試してみるか)
拳と拳、グリモアーツ“スカルクラッカー”同士をぶつけて火花めいた魔力の光を散らす。
発動するのは第五魔術位階【テラーブリーズ】。微弱な風を全方位に向けて放ち、一瞬だが周囲に何があるのかを探る魔術だ。
騎士団時代に習得させられた気流操作術式の恩恵は大きい。
適性を持たないガイでも大雑把に状況を探ることならできる。結果として今見えている作業場のような風景は、魔力で構成された模造品でしかないと判明した。
使用されている魔術は結界と物質構成。
本来ならこの空間はもっと殺風景な部屋に過ぎない。
ただ、それはガイとて【テラーブリーズ】を使うまでもなく予測できていた事実だ。
問題はここから生じる自身の変化。
これまで何度か使ってきた魔術だからこそわかる。
減少した魔力が、平時と比べて多い。
「なるほどそういう仕掛けか」
「察したところで遅いわい」
弾丸よろしく突進してくるジェラルドの横薙ぎを、ガイは自身も相手へと突っ込む形で防ごうとする。
長柄の武器はリーチに優れる一方で攻撃の到達と力の伝達が他の武器と比べて遅い。
一方でガイの“スカルクラッカー”は、ナックルダスターという近距離戦において相当な速さを誇る武器だ。
密着に近い距離感で相手の柄に片方の拳を当てて押さえ、もう片方の拳で殴り飛ばす。
地元で喧嘩に明け暮れていた時代はいつもそれで槍だの矛だのを相手に勝利してきたが、今回の相手はそう簡単に攻め手を許してくれなかった。
「ほっ」
「ぐむぅっ!?」
柄にぶつけた拳が押し負け、全身まとめて真横に吹き飛ばされる。
純粋な力負けという想定外に防御が遅れたためか、体が飛ぶ直前にマチェーテの先端が脇腹へと食い込んで骨にまで届いてしまった。
「っづァァア……!」
肉弾戦を得意とするガイにとって、脇腹――とりわけ肋骨の負傷はかなりの痛手となる。
体を動かす度に激痛が走り、激痛は殴打や蹴りの威力を削ぐためだ。
加えて今は結界の効果で消費する魔力の量も増えている。肉体のパフォーマンスは落ちる一方だろう。
「ヒビの一つでも入ったか。見たところ殴る蹴るの専門家、怪我の治療など簡単にできまい」
「あ”ァ”ッ……?」
「察しているはずじゃ。儂の結界【グールマンケイヴ】は貴様の魔力を奪い、儂に還元する」
そこまで察してはいなかったが、勝利を確信しているらしいジェラルドの話をガイは痛みに耐えながら大人しく聞いていた。
「加えて脇腹の負傷というこの場における致命傷。どう足掻いたところでお前さんの敗北は免れん」
「こりゃ、随分と手厳しいじゃねえの……逆転の目は、ねえってか」
「あるもんかい、そんなもの」
呆れた様子でジェラルドは己の武器を肩にかける。
追撃してくるかと身構えていたガイとしては拍子抜けする反応だ。
「悪い事は言わん。帰れ」
「あ?」
「お前さんについて儂の方でも調べはした。規律に無頓着なきらいはあれど市民を護るため尽力し続け、終いには好き放題して死んでいった部下の尻拭いという形で剣を国に返上したかつての騎士団長」
情報そのものに誤りはないものの、ガイとしてはこの状況下で急に何を言われているのか理解できない。
「儂は諸事情あって騎士なるもんに信用が置けん。しかしお前さんは儂の知る騎士とはどこか違う。死なせるにはちと惜しくてのう」
「んだよそりゃ……」
「グリモアーツを捨てて両手を上げい。そうすれば見逃してやらんでもないわい」
このジェラルドなる老人がいかなる過去を持つのかなど、ガイは知らない。
知らないがしかし、一般国民の立場から騎士に不信感を抱くような経験をしてきたのは間違いなかった。
そして、彼はガイの人格を認めて見逃そうとしている。
敗北を受け入れて武器を捨てれば本当にこれ以上何もしないのだろう。それは敵意を浴び慣れたガイだからこそわかる。
「…………そいつは、無理な相談だなァ」
「ほう?」
わかって、それでも。
冒険者ガイ・ワーズワースは、この喧嘩を捨てるつもりなどなかった。
「正直に言うとよ、あんたや他の連中が[デクレアラーズ]に協力する気持ちもわかるんだわ」
「本当に正直に言うのう」
好感を抱いているためか、ジェラルドはガイの言葉を受けて穏やかな笑みを浮かべる。
「俺だって性根の腐り切った同僚やクソみてぇなお偉いさんを飽きるほど見てきた立場だ。何せあの“大陸洗浄”の最前線で生き残った身だぜ。鬼畜外道の護衛任務に就いたのだって一度や二度じゃなかった」
「ならばそうさな話も早い。国が裁けぬ悪党を裁く、そんな気持ちもわかるじゃろう。こうして自分で動かなければ己の尊厳を守れんのじゃよ、儂らは」
国に任せても役に立たない。そう思ってしまった国民がテロリストに協力する道を選ぶ。
よく聞く話だった。“大陸洗浄”なんて戦いが起きてからは特に。
それでも騎士としての身分を捨てたガイは、義務感と異なる点で彼らに賛同できなかったのだ。
「今や剣を持たぬ冒険者じゃろう。身軽に振る舞って咎められる謂れもなし、何を第二王女の犬じみた真似に興じているのか儂には理解が及ばんわい」
「強いて言うならテメェらの正しさを全人類に押し付けてくる[デクレアラーズ]が気に食わねえ。そんだけだ」
深く事情を話す気も時間もない。
それだけ言って、ガイは両の拳を構える。
「俺も大概ロクデナシだからよ、正しくないと殺されちまうような物騒な世の中になってほしくねえのさ」
「そのためならば悪の芽を摘む我々の邪魔も辞さないと?」
「……ま、そんなとこだ」
他にも語れはするが、やはり魔力を削られるこの結界に長居するのは悪手だ。早急に決着をつけねばならない。
諦めたような溜息とともに、ジェラルドも手に持ったマチェーテを振りかざした。
「ならば致し方あるまい。不器用なものでな、加減は期待せんでくれ」
「来いよジジイ。言っとくが俺ァここからが強いぜ」
強がりを無視して突進してくる相手を、ガイも拳で迎え撃つ。
金属同士がぶつかり合う音が偽りの坑道に響き渡った。




