第九話 突入
車両を山道の入り口で停車させ、降車した面々が砂利で整備された木組みの階段を登っていくこと十数分。
途中に鎮座している見上げるほどに大きな岩をきっかけとして、そこから敢えて正規の山道を外れ獣道へと入る。
獣道と言ってもいざ入ってよく観察すると等間隔で明るい黄緑色の草が目印として植えられており、転倒に気をつけさえすれば難なく目的地へ進んでいけた。
そうしてまた十数分ほどが経過したところで見えてきたのは大自然の中で不自然に浮いている四角。
色はベージュ。行き止まりにしか見えない岩壁においてそこだけが綺麗な正方形として鎮座している。
「ここか」
「ああ」
ダグラスの確認に短く応じたハリエットは、鞘から抜きだした武装型グリモアーツ“シルバーソード”でその自然界に浮かび上がる奇妙な模様とも取れる存在を薙いだ。
剣閃に沿って生じた風が幻でしかなかった壁を吹き飛ばす。
そうして現れたのはもはや自然でも不自然でもない。
何らかの明確な意図によって作り出されたとしか思えない、ダンジョンの入り口たるこれまた四角い銅の扉だった。
「私はここで貴様らが脱走しないよう待機する。他の三ヶ所の出入り口にも騎士団が待機しているから、ヨーゼフとピナル以外は仕事を放り投げて逃げようなどと考えるなよ」
「僕らはいいんだ」
「貴様ら[デクレアラーズ]構成員に関しては姫様が特例として脱走をお許しになられている。理由は聞くなよ。私も知らん」
投げやりなようだが王族直属の騎士ともなれば細かい意志は求められないのかもしれない。
ハリエットの言葉を受けてガイが少し複雑そうな顔をするも、何も言わずズボンのポケットからカード形態のグリモアーツを取り出した。
枡花色のカードに刻まれているシンボルは、雄々しく上へと突き上げられた一本の腕と握り拳。
「【解放“スカルクラッカー”】」
宙へ放り投げたカードを両の拳でガチリと挟んでそう口にすると、グリモアーツ“スカルクラッカー”は枡花色の柔らかな光を伴って本来の形へと変化する。
現出したのは両手の人差し指から小指までを横に覆う金属。指の配置に合わせて突起も付属しており、手の中に握られている細いクッション材が手の端から少しだけ見えた。
よくよく観察してみれば全ての指が一つの金属板によって個別に開いた穴で固定され、半ば拘束されるような形で保護されているのがわかるだろう。
ナックルダスター。
これまで騎士として“シルバーソード”ばかり使っていたガイが個人的に有するグリモアーツの形。それがこの殴打に特化した武具であった。
「お前らも準備しとけよ。俺と違って【解放】しなくてもいいっつっても、箱に入れっぱなしじゃ仕事なんざできねえんだから」
「……あいよ」
言われてダグラスが黒い直方体の上部にあるテープを剥がし、開閉可能な部分に指を引っかけてずらす。
箱の中に赤く丸い柄の先端が見えたので指で触れたところ、マナを魔力に変換するグリモアーツ特有の働きを久しぶりに知覚した。
箱から取り出すと現れたのは細長い柄と先端にある左右対称な形状の刃。
斧にも似た扇状の刃が左右で膨らむように配置されており、それらとの間にわずかな空隙を空けて菱形の刃が先端を飾る。
全体が薄く赤い色合いをしていて、屋外では陽の光を浴びて夕焼けじみた茜色の輝きを全体に帯びていた。
これは間違いなくダグラスの血液を使って製造されたものだ。
武装型グリモアーツ“ボロゴーヴ”。
一般に流通していない、マーシャがダグラスのためだけに用意した一振り。
王国に対する忠誠心のようなものがあれば泣いて喜ぶほどの逸品なのだろう。
しかし排斥派時代から大陸各地を転々と移動しながら暗殺稼業に精を出してきたダグラスにしてみれば、国が勝手に押し付けてきた上に振り払うわけにもいかない厄介な呪具の一種でしかない。
視界の端ではピナルも通常のスニーカーからローラースケートの武装型グリモアーツ“ティシュタル”に履き替えており、ヨーゼフはベルトとともに装着したカードケースを指先で軽く叩く。
ララの指示を受けるためのヘッドホンと小型マイクも各々装着済みである。
準備は完了したと見ていい。
「では行け。くれぐれも第二王女殿下を失望させるなよ」
あくまでも彼らは最初に現場に乗り込む先遣隊のようなものでしかないはずだが、ハリエットはまるで全てを解決してから戻ってくるものと見なしたように振る舞った。
彼女なりの激励なのかもしれない。事を済ませて生きて帰還するようにと言外に滲ませているのなら、そうと受け取る方が精神衛生上よろしかろう。
「あいよー」
ガイの返事だけが彼女に対する答えとなる。
ある者は気だるげに、ある者は疑問を胸に、ある者はそんな少年少女を見守りながら。
第二王女直属の特殊作戦部隊は、公爵領のダンジョンへと踏み込んでいった。
* * * * * *
中に入ってまず出迎えるのはガーゴイルと呼ばれる動く石像だ。
背中に付属する蝙蝠の翼にも似た皮膜を羽ばたかせ、それとは別に人間を模して作られた腕が肉ではなかろう筋肉を膨張させて金属の銛を構えさせる。
「こういうのはまだ残ってるんだな」
モンスターではなく備え付けの魔道具としてダンジョンに残されている石の怪物らは、いかにもやる気のなさそうなダグラスが振るった腕によって無慈悲にも砕かれた。
石の体が腕に伝える物理抵抗をそのまま腕から石へと伝わる物理抵抗に変換したのだ。有事の際は防御や加速に使う【リジェクト】を攻撃に応用した結果である。
「こいつらに関しちゃロードが生み出したモンスターってわけでもないからな。一定時間が経てば復活するように術式が組み込まれてるだろうさ」
ガーゴイルの方すら見ず、周囲の壁を見渡しながらガイが応じた。
他のメンバーもガーゴイル程度ならダグラスが何をするまでもなく対策できるためか、砕け散った人工の怪物などに目もくれず前へと進んでいく。
延々と続く未知の材質で構成された通路。明かりは天井付近で浮遊しながらぽつぽつと点在し、小さな光を提供し続ける謎の球体のみ。
「逆に言うとアヴドゥルとそのお仲間だけを警戒してりゃいいってわけじゃねえのが現実だ。他にもトラップやら何やらあると見るべきだろう」
「そいつァ困る。連中と出くわす前に魔力不足にでもなったら俺ら終わるぞ」
言いつつ前に進んでいくと、通路の先にある壁から鎧騎士の形状を模したゴーレムが剣を片手に向かってくること数回。
ガイによる殴打、ピナルによる蹴りがそれらの頭部や胴体を砕く。
今更この程度で怯む面々でもないが、やはり体力と魔力を削られるのは後の戦闘を思うと避けたい。
力を温存しながら戦うことに関しては不慣れだ。加えて視覚的に変化が少なくひたすら長い通路は進む者の精神をも削る。
「とっとと行こうぜ。薄暗くって気が滅入るわ、こんな場所」
景色の退屈さに最も早く音を上げたのは最年長どころか唯一少年でも少女でもない存在と言えるガイだった。
率先してゴーレムを処理してくれている彼に後ろめたさもあってか、その発言を咎める者はいない。
『地図ではこの通路の先に開けた空間があるのですが、極めて足場の悪い場所となっています。くれぐれも落ちないよう気をつけてください』
一応は権力者が隠匿してきたダンジョンだ。手元に確認できる地図などなく、彼らはかつてマーシャに見せられた画像を記憶から手繰り寄せて進むしかなかった。
とはいえこの場に純粋な素人はいない。
裏社会で排斥派として活動してきたダグラスとララ、[デクレアラーズ]の一員として破壊工作に及んでいたヨーゼフとピナル、かつて騎士団長という地位にいたガイ。
瞬時に地形を記憶する習慣は全員にあった。となると警戒すべきは迷うことではないのだ。
地図に記載されていなかったガーゴイルやゴーレム、トラップの類に関する情報が何よりも怖かった。
この先どのような危機が迫るかわからない。
加えて今回倒さなければならないアヴドゥルとその仲間は既にそれらを把握している可能性が極めて高い。
持っている情報の量が違うとそれだけ戦局は不利に傾く。
数々の修羅場を越えてきたからこそ彼らはその事実の重みを理解していた。
「足場の悪い場所、ねえ」
だからこそヨーゼフの口から出た、この先にある空間への懸念が込められた言葉はその場にいる全員の共通認識として空気に浸透する。
ゴーレムを生み出しけしかけてくる通路を抜けた先には、ララが言った通り広い空間があった。
あったが、床面積が極端に少ない。
空間の中央にある円形の足場へ続く細長い通路と、その円形の足場から更に別々の方向に伸びるこれまた細長い何本かの通路。それ以外は全て巨大な穴だった。
見下ろせば吹き抜けになっているその穴の先にはまた別の通路と足場が幾重にも設置されているのが見える。
そこかしこに浮遊し輝く球体が明るく照らすため視界は悪くない。
無数の通路が上下に絡み合う姿こそ、ダンジョンの中心部であると事前に地図を見ていた面々は知っていた。
「ガーゴイル、いるね」
手すりも何もない通路を躊躇なく進みながらピナルが見たままの情報を口にする。
中央の足場には身動きせずに鎮座する悪魔の像が四体、まばらな配置で枝分かれする道を塞ぐように置かれていた。
どの通路から中央に進んでもいずれかのガーゴイルが反応して襲いかかる陣形だ。
ダンジョンなるものがいかなる存在に作られたのかなど知る由もないが、そこには行き来する者を落としてやろうという悪意が見える。
「まあいますけど。ピナルさん、そろそろ今の戦い方に慣れておいたらどうですか。あれからろくに練習してないでしょ」
「仕方ないなあ。今のヨーゼフ君はあんまり霊符使えないもんね」
言うと同時、ピナルが履いている“ティシュタル”から伽羅色の魔力が薄い輝きとなって発散された。
一秒置かずして一切の動作を見せずピナルは磁力による急加速を為し、一瞬でガーゴイルに接近したところで強力な蹴りを見舞う。
敵の接近に応じて動き出すガーゴイルは結局、微動だにしないまま頭部を粉砕されて活動を停止した。
ついでとばかり磁力で足の裏にその残骸を集結させたかと思うと、またも蹴りを空に向けて振るう。
脚の動きに合わせて斥力を発生させたらしい。細かな破片は凄まじい速度で飛来する散弾となり、他三体のガーゴイルに細かな穴を開けて貫通していった。
もはや動けるガーゴイルは残っていない。
「これでいい?」
「どうも。お陰様で多少は考える時間ができました」
ゴーレムを出すまでもない、という事実に誇らしさすらない自然な態度は彼女が真に強者側に属する人物だからだろう。
この程度は[デクレアラーズ]の一員なら児戯に等しい。
これまで数多の客人を屠ってきたダグラスから見ても高い実力を有しているのは察していたが、改めて上の水準を見せつけられると客人嫌いも相まって自然と眉間に皺が寄る。
強さそのものへの嫉妬という幼稚な理由で不機嫌になってしまっている自分を短く吐いた息で戒め、丸い足場に踏み込むと同時に動きが止まった。
空間全体を敵意と害意と殺意が埋め尽くしたからだ。
「あ?」
ダグラス同様に空間の中心へと辿り着いた他のメンバーも同じものを察知したらしく、先に進もうと動かしていた足を止める。
そんな彼らの挙動を無駄と嘲るようにして、彼らが進んできた通路とそれ以外に中央の足場と繋がっている他の通路、そして当然円形の足場にもピーコックブルーの魔術円が点々と出現していく。
「早速お出ましか? つっても本人じゃあねェんだろうが」
現時点でガイの言葉が聞こえたのかどうか定かでないが、ある程度まで魔術円を展開したところでそれら全てから同じ姿をした魔力の塊が生成された。
長いドレッドヘアを頭頂部でまとめた黒人の男。
側頭部には格子状の刈り上げがあり、左耳にシンプルな意匠のピアスをつけている。
白いシャツの上に緑色のカーディガンを羽織り、下は膝の部分が破れたダメージジーンズとサンダル。
「ちっす、第二王女の犬ども」「元気かー?」「つってもまだ入り口近くだし大して疲れちゃいねえか」「朝飯ちゃんと食ってきた?」「熱とか出てたら遠慮なく言えよ」「つーか何そのドローン」
全体的にラフな印象を抱かせる外見に違わず、彼らは軽薄そうな口調でそれぞれ別々の口を使いつつ話しかけてきた。
名乗らずともわかる。
彼こそが[デクレアラーズ]において♦の8の位置にいる客人、アヴドゥル・コンテなのだと。
「冒険者のガイ・ワーズワースだ。仕事で来たんだがこうしてみると【デコイボム】ってのは想像以上に面倒な魔術らしいな」
「おっと悪い悪い」「自己紹介がまだだったか」
わざとらしく男が白い歯を剥き出しにしながら笑って名乗る。
「俺は[デクレアラーズ]のアヴドゥル・コンテ」「♦の8だからまあ、戦闘力はそんなに高くねえ」「そんなわけで手加減よろしく」
確かにな、とガイが薄く笑った。
「間違いなく喧嘩は弱そうだ。こんだけの規模の魔術、事前準備をしっかりしてなきゃいくら客人でも無理だろう。どうやら直接顔を合わせてドンパチかまそうって気概はないらしい」
「たりめーじゃん」「こちとら本質的には非戦闘員だぜ」「荒事は他の連中に任せるとするさ」
「あの」
挑発的な態度を見せるアヴドゥルに向けて、ヨーゼフが一歩前へ出た。
一瞬遅れてピナルもそれに続く。
「ん?」「あれ、お前らもしかして」
「初めまして。[デクレアラーズ]♠の6やらしてもらってるヨーゼフ・エトホーフトです」
「初めまして! 私も[デクレアラーズ]です! ♣の6、ピナル・ギュルセルっていいます! よろしくね!」
「やっぱご同輩か!」「元気あんじゃ~ん」「若いっていいねェ」「こっちこそよろしくな!」
笑顔で応じるアヴドゥルは一瞬、敵に向けていた殺気を弛緩させた。
すぐに元に戻るもヨーゼフとピナルの二人に対しては友好的な態度を見せる。
「僕らとしてもとっとと戻りたいんでね。帰るなら一緒に行きたいと思ってるところなんですが、まあ見ての通り首輪つけられてまして」
「マジかよ容赦ねえなアガルタも」「うっし待ってな」「今それ外して――」
「その前に一つ、どうしても貴方に確認しなければならない事項があるんですよ」
怜悧な声から状況の変化を悟ったらしいアヴドゥルは、笑顔のまま硬直した。
「……確認したいって?」「どした?」「なんかやっちまったっけか俺」
「あんたがガキを殺した挙句、公爵の後釜もまともに用意してなさそうな点についてだよ」
対するヨーゼフは最初から仏頂面を崩さない。
どころかアヴドゥルと分身越しながらも対面した時点で、既に薄っすらと敵意を滲ませていたほどだ。
「あー……」「それかあ」
「十五歳以降ならまだしもあんたが殺したのは小学生くらいの子供だ。[デクレアラーズ]の活動方針と一致してないんじゃねえのかよ」
言われたアヴドゥルは詰めるヨーゼフの言葉をはぐらかすように微笑んで、手をひらひらと振ってみせた。
「悪い」「込み入った話になるだろうし」「一旦俺らだけで話そうか」
そう、告げて。
何人かの分身が、通路から飛び降りた。
「っ!」
次いで、彼の【デコイボム】が一斉に爆発する。
ピーコックブルーの爆風に包まれた空間で衝撃を防ぎながら、ダグラスは妙な浮遊感を全身に覚えた。
――中央の足場が破壊され、空中に放り出されたのだ。
そう察した時点で、彼は【リジェクト】を応用して足に伝達する空気抵抗を強め空中に立ち止まる。
近くに浮いていたララのドローンも今はダグラスの傍らで周囲の状況を観察しているようだった。
『うっわダル……』
『ありゃりゃ……』
『この浮遊感、昔の入団試験を思い出すなあ……』
状況に見合わない呑気な声がそれぞれヘッドホン越しにのみ聞こえてくる。
そして声色の調子がどうあれ、彼らの言葉は末尾を雑音で乱されていった。
現状が何を意味するのかわからないほどダグラスとて愚かではない。
『分断されましたね。しかもご丁寧に通信を途絶する術式まで散布されています』
ドローンは単純にカメラ越しの映像を遠く離れた地にいるララへ届けるためだけでなく、通話を成立させるための中継用機材としての役割も兼ねていた。
なのでドローンを中心として成立する通話は今、ドローンが濃密な魔力に包み込まれていることで一時的にだが無効化されているのだ。
しばらく経てば元に戻るのは理解できるも、現時点では至近距離で話しているダグラス以外の声がララに届かない。
「つってもどいつがどっち行ったよ」
『観測できません。どうやら意図的に魔力濃度の高い爆発を起こしたようです』
「実質的な煙幕か」
ありとあらゆる情報を視界から獲得するグリモアーツ“ヘカテイア”でも、事前に対策を練られると一時的に機能不全へと陥る。
それを認めた上でこの程度の修羅場を幾度も経験しているララの声に焦りはない。
『今はご自身の安全を確保してください』
「この程度ならどうとでもできる。まあ、あいつらも大人しく落ちるような連中じゃねえだろうし助けに行く必要もねーだろ」
聞けばヨーゼフは過去に霊符で飛行していたらしいし、ガイは元騎士ならば気流操作術式が使えるはずだ。
どうせ助かるだろう。
助からなかったとしてもどうでもいい。
「問題はこっから俺らがどこに向かうかだが……」
最優先事項として。
ダグラスはアヴドゥルの本体がどこにいるかも把握しなければならない。
遠隔操作でダンジョンの構成物すら破壊できるような爆発を起こせる客人なら、このまま放置するのは危険だ。
早急に対処しなければ崩落に巻き込まれかねない。ダグラスとて魔力切れまで追い込まれれば生き埋めになった状態から助かることは難しいのだから。
「アヴドゥルの仲間の相手は後回しにして、本人を見つけてサクッと殺さねえとな」
『はい』
そんな言葉を口にしながらダグラスは内心で己の発言に違和感を抱いていた。
真面目に働く意味などないだろうに、と。




