第七話 清濁の“濁”
ウィルズ・ハウスマン公爵邸はアルエット山の麓にある小高い丘から領地を睥睨するかのように存在していた。
敷地面積はおよそ五万平方ケセル。客人の世界で言えば一〇ヘクタールに相当する広さとなる。
この邸宅は騎士団長らによる定例会議を行う場として幾度か使われてきた。
交代制で己が敷地内に会議の場を用意するのは、アガルタ王家から公爵らに課せられた義務の一つだ。
騎士団の長たる者らには公爵と触れ合う機会を経て緊張感と高揚感を与える。
公爵には騎士団の重要性を認識させつつ貴族としての自覚と力量を示させる。
アガルタ王国に存在する公爵家の中で、ウィルズ・ハウスマン公爵は言ってしまえば力関係において最下層に位置する公爵だった。
しかしそれだけに騎士団長らの定例会議では最も懸命にもてなそうと尽くしてくれていたし、見栄えを良くするために邸宅全体の美化にも相当な資金を投入していた。
かつて半ば宴会のような様相を呈していた定例会議に参加してきたガイの記憶が正しければ、広大な敷地に見合った豪奢な庭園を有していたはずだ。
しかし、今や見る影もない。
以前は瑞々しさと色彩を見せつけていた草花は枯れ、澄み渡り輝いていた池は濁って沼と化し、雄々しく直立していた石像に至っては撤去されている。
アヴドゥルに襲撃されてからそこまでの年月は経っていない。となるとそれ以前から屋敷内で細かな問題が生じていたのだろう。
――大いなる力を持てば持つほど、乱れを隠すのは困難となるものだよ。
騎士団長時代にアダム本人から聞いた言葉だ。
「四公爵の一角が今じゃこの有り様か。来年には御三家なんて呼ばれるようになるのかね」
「だとしても極端なものだ。……見ろ、あれがアヴドゥル・コンテによる襲撃の痕跡だろう」
ここに来るまでの飛空艇の中でガイに対しては素直にハリエットと名乗った王城騎士が、屋敷の西側に当たる場所を指差した。
見れば確かに、コンクリートの壁に大きな穴が開いた跡がある。急いで補修したのか白い壁の一部分だけが灰色に染まり悪目立ちしていた。
忌まわしい事件だったはずだ。何せ幼い娘を殺されている。
だというのに壁の修復がいかにも雑なのは、もうそこに気を回すだけの余裕すら失っている証拠だろう。
ウィルズ・ハウスマンは既に、公爵として死んでいる。
まず復帰する未来はあり得まい。だからこそ第二王女であるマーシャが今回の仕事を回させたのだ。
「俺ぁもう今から公爵殿に会うのが怖いよ。あっちは憶えちゃいないだろうが顔合わせて挨拶だってしたこともあるんだぜ」
「念のために言っておくが落胆を態度に出すなよ」
「出さねえよ。ただ、寂しいだけだ」
退廃的な雰囲気に満たされた庭園を進み、屋敷の出入り口に向かう中で既にガイは憂鬱な気分だった。
「陰でダンジョンを隠し持っててそこから資源を売り捌いてたってのは確かに醜聞だが、どうにもな。あの方が私欲でそれをするたぁ考えにくいし、娘さんが同級生をいじめてたってのも信じられねえ。俺が数年前に挨拶してもらった時はそりゃあ無邪気な笑顔を浮かべてたもんだが」
感傷的な言葉を受けたハリエットは、鼻息を短く吐いて露骨なまでに呆れた様子を見せる。
「いかに幼くとも女は女だ。男の前で純朴を演じるくらいはするだろうさ」
「意外だな。あんたはそういうのこだわらない方だと思ってたが」
「私はともかく相方がこだわる性質でな。……そろそろ気を引き締めろよ」
こんな状態でも監視カメラや迎撃用術式は未だ作動し続けているはずだ。
今更ガイの態度一つで激昂するだけの気力も無かろうが、いざとなればあちらにもこちらの命を奪う手段はあるのだと強く認識しておかなければならない。
ハリエットが屋敷の扉横に吊り下がった呼び鈴を鳴らす。すると扉上部に魔術円が一つふわりと浮かび上がった。
その円に顔を向けて彼女は声を上げる。
「――ウィルズ・ハウスマン公爵閣下。アガルタ王国王城よりマーシャ・リリィ・マクシミリアン・アガルタ第二王女殿下直属騎士ハリエット・ベイン、並びに冒険者ガイ・ワーズワースただいま参りました」
彼女の声に応じてか、言葉での返答はないままに扉が開く。内側に誰かがいる様子はないので恐らく魔術によるものだろう。
ポツポツと床にも魔術円が浮かび上がって二人を行くべき部屋へと誘導しているのがわかる。
「行くぞ」
「あいよ」
短いやり取りを経て屋敷に入ると、背後で扉が閉まった。
「閉じ込められた!」
「普通に自動的に閉じただけでうるさい! 迂闊な発言をするなと言ったのに忘れたのか! 公爵殿に対して無礼だぞ!」
「わりぃわりぃ、宴会でここ来る度にこの流れがお決まりだったからよ」
「この野郎、剣を返上したからって堂々と定例会議を宴会だと……!」
玄関から見て大広間の左側の扉を抜けると、これまた荒れ果てた中庭に出る。
水を失い緑と茶色の汚れに彩られた噴水は既に元々の白を斑点のように覗かせるのみ。花壇の花々も萎びて久しいのかミイラよろしく渇いた体を横たえていた。
そこから更に右側へと続く魔術円の誘導に従い移動すると、庭に面した廊下、そこに一つだけ存在する木製のドアの前で止まった。
魔力を四散させて消失する魔術円は目的地に着いた合図だとガイは以前来た時の記憶から知っている。
この先に、娘を殺され公爵という肩書きを捨てようとしている男がいるのだ。
「どうぞ入りなさい」
聞いた話では相当弱っているはずだが、聞こえてきた穏やかながらも明朗な声は憔悴している男のそれではない。
まだ演じる程度の矜持は残っている。残り少ない期間、彼はもうすぐ失う地位に見合った振る舞いを最後まで貫こうとしているのだろう。
「失礼致します」
ハリエットが声で応じてから取っ手を捻りドアを開くと、広い空間とその壁面を全面的に占拠する書棚が視界に入った。
部屋の中心には純白の丸テーブルと椅子が数点、テーブル上には紅茶と茶菓子の準備もしてある。
が、本来応接室として使われているはずの空間にそれ以外、かつてガイが見たいかにも高級そうなソファや意匠にこだわりを見せる長方形のテーブルなどが見当たらない。
売却したのか廃棄したのか定かではないし知ろうとも思わなかった。
「ようこそ来てくれたね、ハリエットにガイ。ささやかながら恥ずかしくない程度のもてなしはさせてもらおうか」
部屋の中央に立っているのがアダム・ウィルズ・ハウスマン公爵である。
ハウスマン家は元来獣人の家系と聞いたものの、今や血が薄いためか側頭部に僅かな産毛の生えた耳を残す以外にその要素は見受けられない。
外見年齢は三十代前半だが実際には今年で御年五十二歳らしい。実際にこうして向き合ってみると、外観こそ若々しいものの年配の権力者にありがちな老獪さと生臭さが漂ってくるようだった。
「お菓子も好きに食べるといい。こんな高級品を振る舞うのもこれで最後になるだろうから」
「は、しかし公爵閣下の御前でそのような無作法は致しかねます」
「んだよ真面目だなァ。許可もらったんなら遠慮せず食っちまえばいいのに」
「黙ってろ野良の冒険者がいやうわ立ったまま食べるな行儀の悪い! せめて礼の一つでも言えんのか貴様は!」
まさしく言われたまま好き放題に焼き菓子を頬張るガイと埒外のマナー違反に動揺しつつも強く諌めるハリエットの姿に、アダムは小さく噴き出しながら破顔して苦笑の笑みを浮かべる。
「流石は姫様御付の王城騎士、お堅いことだ。それに私とてもうすぐ公爵ではなくなるんだがね。来年には我々四公爵も御三家と呼ばれるようになるだろうさ」
ボリボリと甘味を堪能していたガイが今更ぎくりと背筋を張る。その様子に再度苦笑しつつ、アダムは先に椅子に腰を下ろした。
「まあ、私のような立場の者から気遣うのをやめろと言うのも若者には酷な話か。すまなかった」
「こちらこそお気遣いいただいた身ながら、ご無礼をば働きました」
「へ、へへへ、どうも。ガキの頃から姉貴にもマナーにゃ気をつけろってどやされてたもんですが、なかなか不器用なもんでして」
三人とも座ってみて、そこで初めてガイはとある事実に気づいた。
気づいて、先の発言を聞かれていたのとは別件で、戦慄した。
(この、椅子の数……!)
最初に周囲の様子ごとざっくりと観察した時にはわからなかったが、三人が座った上で残された椅子が四つも余っている。
これは何も考えず持ち運べる限りの椅子を持ち込んだ、という話ではない。
まだ姿を見せていないはずの部隊の人員数をアダムは既に把握している。
(一体いつから、どっからどこまで知って……いやそうか公爵だもんな。王城を出入りできる輩はその時点で化け物だってこと忘れてたぜ)
瞠目するガイの様子を横目に見ながら把握したのか、アダムはハリエットに向けて話し出した。
「妻も呼ぶ予定だったのだが、恥ずかしながら例の件から彼女も落ち着きがない。仕方なく私室で休んでもらっているんだよ」
「……この度は痛ましい事件が起きてしまい、同じ騎士として未然に防げなかった同胞の不慮を恥じております」
「騎士に対して思うところなんてないさ。君達は実によく頑張ってくれている。ただやはり、それでも今回の話は私一人で対応したかった」
穏やかな笑みの奥に渦巻く感情が如何なるものか、ガイの目ではわからない。
ただ、簡単に察せられるほど単純なものではないと認識するのがやっとだった。
「何せあれから妻も排斥派に傾きつつあってね。流石にそんな状態の彼女を今回の件に関わらせるのは気が引けた」
遠回しに「第二王女直属の隠密部隊に[デクレアラーズ]の構成員が在籍しているのは知っている」と言われたようなものだ。
「お気遣いいただき御礼申し上げます。何分他の者らは出自が出自ですもので、こういった場に相応しくないとこちらで判断しました。これからお話いただく内容についても必ず彼ら彼女らに共有すると約束しましょう」
「うん、頼むよ」
しかしハリエットも王城騎士としてこの手のやり取りには慣れているらしい。さらりと流して本題に入るべく切り込んでいく。
(やっぱ俺こういう腹の探り合いは無理だわ。騎士団抜けて正解だったのかもな)
ガイが胸中で自己の適性を確かめる中、話はダンジョンの内情へと移り変わった。
「では早速。[デクレアラーズ]の構成員が潜伏していると思われるダンジョンですが、人数は主犯格であるアヴドゥル・コンテ含め四人とのことでしたね」
「ダンジョン内部で取引をしていた際に姿を見せたのはその人数だ。しかし確定はしかねる」
「寧ろ最低でもそれだけの戦力が揃っているとわかるだけでこちらとしては大いに助かります。相手が使用する魔術の系統などに心当たりはありますでしょうか?」
言われてアダムは紅茶を一口、舐めるように飲んでから応じる。
「何分必要な機材などがあったわけではないので目視で得た情報となるが、実際に魔術を行使していたのはドワーフの男とヒューマンの女の二名だった。それからアヴドゥルなる客人の魔術も大体把握している」
言葉とともに立てられた三本の指。つまり残る一人に関しては未だはっきりとわかっていない。
多少は残念だが、最大の警戒対象たるアヴドゥルに加えて二人分の魔術についてわかっている。であればそれだけで今後の対策も違ってくるだろう。
「まず男の方。こちらはツルハシともハンマーとも言い難いグリモアーツを手にしていた。犠牲者の商人は自己防衛用に第四魔術位階相当の結界を常に身に纏っていたはずだが、まるでそんなもの始めから存在しないかのように頭部を粉砕していたよ」
となると身体強化か物質強化か、あるいはその両方か。
「もう一人の女性は鞭を振るって周辺の床を叩き、それによって設置された魔術円から猪を出していた」
「イノシシ、ですか?」
意外な言葉が出てきて思わず会話に割り込む形で声を出してしまったガイにハリエットが目を向けるが、アダムは特に不快感を抱かなかったようだ。
「全身が均一に同じ色をしていたから、遠方で飼育しているものを召喚したわけではない。魔力で生成した疑似生命の一種だろう」
「それを使役していたと」
「分厚い鼻と鋭い牙を携えて何匹も突進してきた。私も最初の数匹を避けたものの、すぐに逃げ場を失って吹き飛ばされてしまってね。いやはや汗顔の至りだ」
前線で奇妙な形状の武器を振るう怪力の持ち主に、鞭で設置した魔術円から溢れ出る猪の群れ。
ダンジョン内で密売や交渉の場に選ばれるような狭い空間においては脅威となる存在だ。
裏稼業で生計を立てている商人ともなれば相応に強力な魔道具を有しているものだが、その自己防衛用の手段を容易く突破できてしまっている。
しかも聞いた限り、それは客人たるアヴドゥルではなくこの世界の住人による所業である。
ともすれば[デクレアラーズ]正規の構成員でなかったとしても強く警戒しなければならない相手かもしれない。
「それとこれは娘が殺害された後、痕跡から発覚した事実となるが」
表情にも声にも痛ましいものを滲ませず、淡々とアダムは語った。
「どうやらアヴドゥルは着火術式と炸裂術式……まあ、いわゆる爆発術式と呼ばれる類の魔術を使うようだった」
その件に関してはガイも驚かない。先ほど見たあまりにも粗末な形に修復された壁を思い返せば、何となく察しはつく。
気になる点は三つ。
まず一つ目に欲しい情報としてはダンジョン内部で爆発という現象がどのように機能するか。
次いで二つ目にアヴドゥルがどのような形で爆発術式を扱うかだ。
地形と魔術の相性によっては使う側までもがダンジョンの崩壊に巻き込まれかねない。しかも複数人の味方も行動している中では魔術の性質のせいで満足に連携もできまい。
普通に考えれば簡単には使えない攻撃手段だが、大陸各地で起きている様々な事件を踏まえるとあまり迂闊に“普通”なる言葉を[デクレアラーズ]に当てはめる気にもなれない。
それに三つ目。
そんな派手な魔術を使う上に顔と名前がはっきりわかるところまで個人を特定しながら、未だ騎士団が彼を捕縛できていない。
この点が現役と退役済み双方の騎士にとって気がかりだった。
「痕跡から使用する魔術が発覚したとおっしゃられますものの爆発音や火も当然あったと存じます。そうなると差し出がましいようですが、その……」
「言いたいことはわかる。どうしてさっきあのような言い方をしたかだろう」
もちろん当事者の体験や記録がどうあれ騎士団による調査は入る。
捜査を確実なものとするためにも、公爵が相手と言えど現場を調べて出てくる情報が残されていないかは確認しなければならない。
それはそれとした上で、アダムは当事者だ。
騎士団がどうこう言う以前に自分で何が起きたか最低限把握できているはずなのに、まるで他人事のように「騎士団がそう報告してきた」と被害状況を告げるのは不自然だった。
ダンジョンの内部まで彼がついてくるわけじゃない。ほんの少しの違和感でも今この場で解消すべくハリエットは彼の言葉を突き、アダムも突いてほしい部分を突かせてみせた。
「一応言っておくが音も炎も私自身が見聞きしたし、カメラとゴーレムの映像記録にはアヴドゥルの姿もあった」
「その上で何か現場に不自然な点があったと?」
「ああ」
娘を喪った当時を思い出したらしく、平然と振る舞う仮面がより仮面らしい不自然な堅さを得る。
「侵入するところまでは記録できていたが、アヴドゥルが娘を殺害してから移動した形跡がなかったんだ」
自然と、ガイとハリエットは互いに互いへと視線を飛ばす。
二人の目が合った瞬間、顔にこそ出さないもののお互い内心で思ったままの言葉を共有した。
ああ、これは本当に厄介な相手だ。
「聞くところによれば[デクレアラーズ]総帥は空間転移術式を個人で使用できるらしい。しかしその痕跡も見受けられない。そもそも現場に二人分の魔力が検出されていない時点で、全てアヴドゥル一人が実行したのだと私も騎士団も判断している」
考えられるのは自爆。
それでいて、アヴドゥルは未だダンジョンに仲間を連れて潜伏している。つまり無傷で活動を継続しているということである。
この状況が意味するところをこの場にいる全員が察しながら、それでも口には出さずにいた。
「何をどうすればそのような状況になってしまうのか私にはわかりかねるが、君達にはあらゆる可能性を考慮した上で臨機応変に対応してもらいたい」
私にはわかりかねる。
あらゆる可能性を考慮。
臨機応変に対応。
言葉の裏に込められた意味を王城騎士たるハリエットも察したらしい。
「必ずアヴドゥル・コンテ及びその仲間となる者達を一人残らず拘束・連行いたします。この度は情報のご提供、誠にありがとうございました」
前もって準備していた文章を読み上げるように、何の思いも込められていない言葉が彼女の口から吐き出される。
内心では頭を抱えたくなっているだろうし、ガイもそこは同じ気持ちだった。
アヴドゥルが使用した魔術について二人ともおおよそ想像がついていたから。
第四魔術位階【デコイボム】。
使用者と同じ姿をした、爆発する分身を作り出す魔術。
あまりにも悪用の幅が大きすぎるため使用した時点で懲役刑は免れない、極めて対応困難な禁術である。




