第四話 咎の子供達
夕方十七時、セーフティハウスの裏手にある庭にてヨーゼフが霊符を作成していた。
彼の血液が混入したオリハルコンを砂の如く細かく分解したものを、特殊な製法で作られた塗料と混ぜ合わせて筆につける。
手慣れた様子で黄緑色の付箋にさらりと術式の集合を描くと、仄かな丹色の光を帯びて紙全体が輝いた。
「ほぉ。見事なもんだ」
隣りで興味深げに様子を見ていたガイが顎に手を添えて声を漏らした。
霊符は僅かな線のズレ一つで術式が破綻してしまう。魔力の流動速度と流れる距離に差異が生じた場合、それは既に術式として成立しないからだ。
そのため緻密な作業を相当な集中力で継続してようやく一枚が完成するのだが、ヨーゼフは汗一つ垂らさず現時点で五枚目を作り終えている。
「生憎と適性魔術が変に偏ってたもので。霊符の力を借りないとまともな戦力にならなかったんですよ」
「ってぇと何だ。お前さん、結構変な魔術を使うのかい」
「薬物の生成術式が得意です。と言っても局所的に効果を再現するだけで医者の真似事ができるほどじゃありませんがね」
感心した様子のガイと異なり、元々[デクレアラーズ]で彼と付き合いのあるピナルは退屈そうにその作業を眺めていた。
「戦闘員としては魔力で主に火薬を生成してぶっ放してましたよ。他には固形燃料なんかも作って箱の中に敷き詰めたり。基本は段ボールを用いて爆弾と銃火器を再現して、って感じでした」
「なあるほどなァ。確かに霊符なしで使おうと思うと危なっかしいし実戦投入も難しいのか」
魔力の出力に問題はなかったため、彼は適性のある魔術を活かすのではなく霊符という媒体に対してどのようなアプローチをかけるべきか考えた。
結果として生み出されたのが段ボール製の戦闘機、対空機関砲、そして疑似的な竜である。
当然この環境、この簡素なキットだけで大それた兵器は作れない。それでも最低限大型モンスター程度なら倒せるだけの備えはできるだろう。
キットが封入されていた箱には一通の手紙も同封されており、そこには活躍次第で紙の素材や塗料も随時追加する旨が記載されていた。あまり長い付き合いにする気はないものの念には念を入れるべきだ。
「キットに入ってた霊符用の紙って確か……百枚きっかしか。この調子なら晩飯までに全部作れちまうんじゃねえの?」
「まあ軽いもんっすわ。そんでピナルさんはどうしたんです? 新しい武装型グリモアーツ、試さなくていいんですか?」
ヨーゼフから声をかけられたピナルは、まるで手持ち無沙汰にしているところに勉強の話題を持ち出された子供よろしくバツの悪そうな表情で目を逸らした。
「おいテメェ」
「だって、使いづらいんだもん」
「だもん、じゃないでしょ。確かに僕らこんなところさっさとおさらばしたいところですけど、今は個人用のグリモアーツ持ってないんですよ。少しは今ある武器について調べるとかしたらどうなんですか」
「だってぇ」
「ムカつくなこのバカ」
罵倒を受けながらもピナルは口を尖らせて動こうとしない。
彼女が配布されたのは武装型グリモアーツ“ティシュタル”。
普段は金属製の部品が多く付属する厚底のブーツだが、足を上げた状態で足首付近のスイッチを切り替えると車輪が飛び出してローラースケートとして使える逸品である。
ただし元々ローラースケートとして設計されたわけではないため、ピナルが普段使用している“レギオンローラー”とは滑り心地が大きく違った。
「なんか滑る時の高さも足元の感じも全然違うしさー。しかもゴーレムは一体しか作れないし……」
ゴーレムについてはヨーゼフもガイも様子を見ていたので知っている。
確かに二体目を作ろうとしても魔術円そのものが生じず、結局庭の土を【ミキシングゴーレム】一回分だけ掘り返すだけに終わったのだった。
「一応他にも何種類かゴーレム作れたでしょ。それで色々試してみたらどうなんです」
「どうせ魔力の無駄遣いだもん。だったらヨーゼフ君が霊符書いてるトコ見てる」
「るっせぇな試すだけ試せっつってんだろ。僕だってこんな見られてちょっと集中しづらいんですよ」
「そんな繊細じゃないくせに」
「繊細だが? 自分で自分の初恋を終わらせてそれなのに微妙に引きずってるくらいには繊細だが?」
「ごめんね……」
「昔の女のことなんざいい加減忘れちまえよ女々しい野郎だな」
ガイの不要な一言を受けて彼を睨みつけながら、ヨーゼフはまたも霊符を完成させていく。
簡易な着火術式と火薬生成術式を組み合わせた即興の爆発式霊符だ。流す魔力の量を調整すれば壁に貼り付けてから時限爆弾のようにも使えるだろう。
これを仲間に使う機会が訪れないことを祈りつつ、七枚目に取り掛かる。合計で二十枚は準備しておきたい。
残り八十枚の配分も考えていく。
万が一も考えて回復術式を二十枚。放電術式と凍結術式も二十枚ずつ。
罠として使う捕縛術式は十五枚もあれば安心か。となると残る五枚に逃亡用に囮となる簡易ゴーレム生成術式が欲しい。
「ま、最終的にはこの霊符もあんたらに使うんでしょうね」
「そりゃつまり、マーシャ第二王女様を裏切るってか?」
「裏切るも何も。僕らそもそも[デクレアラーズ]抜けたつもりありませんし」
それは本心からの言葉だった。ヨーゼフは当然として、ピナルも間違いなく[デクレアラーズ]の思想信条を正当なものとして信じている。
何せ嫌というほど大陸の汚点を、人の残虐性と過ちを無数に見せつけられてきた。それらの根絶が安易ながらも確実な平穏を生むと“大陸洗浄”を通して学んでもいた。
自分達の手で遊園地に偽装された奴隷市場を暴き立て、売り飛ばされゆく人々を救ったこともあった。
「あんたがお国の騎士団なんぞでチンタラしてる間にも、僕らはクソどもを殺して回ってました。結果として助けた人も多くいますが、何ですか、おたくらまさか彼ら彼女らを助かるべきじゃなかったなんて言わないでしょうね」
「言わねえよ。言わねえが、俺ぁ今回の仕事はお前らのためにも必要だとは思う」
「は? 具体的にどの部分がですか」
癇に障ったというよりは純粋な疑問としてヨーゼフの口から問いかけが出てきた。
「悪徳公爵がやらかして[デクレアラーズ]に身内殺されて、それで今になって反省したけど娘の仇は取りたいからって夜逃げ直前になってから荒らされた裏稼業の現場に雇った人員を向かわせる。こんな仕事に何の価値があると?」
「……ま、いくつか言いたいこともあるが」
言ってガイは懐から出した干し肉に齧りつき、無作法にも咀嚼しながら話を続ける。
子供に言い聞かせるような態度はヨーゼフにとって好ましいものではない。
「現地に到着したら最初の一日は情報収集という名目で休みって扱いになる。まずはそこで公爵領に住んでる連中や領内の状況を現地でしっかり見た方がいいな。できれば住民と話もしておくべきだ」
「はあ。社会勉強しろってか」
「社会だの勉強だのと堅苦しいもんでもねェよ」
噛み砕いた肉を飲み込んでスパイスの付着した手をハンカチで拭き取ると、ガイは立ち上がった。
どうやら個人の部屋に戻ろうとしているらしい。この中で彼だけは新しい何かを試す必要がないため、本来ここにいる意味もなかったのだ。
「例えばゲームなんて説明書読まなくても何となくチュートリアルやれば操作方法わかるだろ。俺は説明書ばっか読んでねーでそのチュートリアルをやれっつってんだ」
「それ何の意味があるの? 我らが道化がいれば全部わかるのに」
「今時の子だなァ。実況動画で満足してねーで自分で遊んでみないとわかんねえ事柄の一つや二つはあるだろうに」
二人と一緒にいる特別な理由が、ガイにはない。それでも[デクレアラーズ]の二人とともにいたのは何故か。
そんな疑問の確たる答えなど出るはずもない。
ただ、もしかすると。
「あと、お前らは純粋すぎる。もう少し疑うことを覚えた方がいいぜ。じゃあな」
年長者としてお節介を焼きたくなっただけなのかもしれない。
* * * * * *
セーフティハウスの屋上は広く、また殺風景だった。
見れば物干し竿と車輪付きの支柱が端の方に寄せられている。いつかは純白のシーツやら下着やらがここに並ぶ光景もあるのかもしれない。
少年刑務所では全ての衣類が屋内で乾燥機にかけられていた。そう思うと金をかけて建てた施設の割に不親切な設計になっているように思える。
そんなどうでもいいことを考えてしまうのは、明日ここを発ってから帰還できる保障がないためなのだろう。
「すみません」
「何を謝ってるのかわからねえ」
かつて排斥派としてともに戦っていたララとダグラスは、この何もない空間で拳一つ分の空白を挟んで並んでいた。
座り込む二人の視線は季節の移ろいを受けて早く訪れた夜空に向けられている。輝く星々は二人が敗北したあの日以前から何も変わらない。
「私だけこの建物に残る形となってしまったことについてです。死地に赴く貴方と違い、私は安全圏に留まるわけですから」
「後ろめたいってか? ンなこた考えなくてもいい。心底どうでもいい」
今のダグラスが抱えているのは自分が死ぬ可能性などという些事ではない。
また誰かを殺さなければならないという嫌悪、緊張、そして何より恐怖。
亡き母のグリモアーツ“カインドホロウ”によって緩和されていた殺人への罪悪感があの日一気に押し寄せて以来、矛を握る気にもなれていないのだからどうしようもなかった。
これまで何人もの客人を殺してきた時に聞いてきた断末魔、見てきた絶望の表情、手の感触などの記憶が未だ脳裏にこびりついて離れない。
マーシャから渡された武装型グリモアーツは今も箱に入れたままにしてある。きっと柄を握った瞬間に猛烈な吐き気が押し寄せるだろう。
「しっかしまあ。こんな使えねー役立たずを兵隊代わりに送り込むなんざ、王族ってのも何考えてやがるんだか」
ララは肉体的に使い物にならないと判断されたようだが、ダグラスは精神的に使い物にならない。
こんな状態のくたびれた男を鉄火場に送り込んで望んだ結末など得られないだろうに、と彼は王女の挙動を疑問視するばかり。
(つっても考えてわかるこっちゃねえよな)
王族の思惑がどうあれ、拒否権はないし拒否するだけの活気もない。
与えられた仕事をこなす。排斥派として動いていた時期と違うのは、そこに娯楽性が欠落してしまっている点だけだ。
そう思えばセーフティハウスという名の牢獄に閉じ込められることが確定しているララの方が、よほど過酷な状況にいるとも言えよう。
そんな同情する気持ちに気づいたわけでもなさそうなララが、くたびれた視線を向けてきた。
「ダグラス」
「んだよ」
「――殺せそうですか?」
ある意味で当然の疑問だった。彼女はダグラスが精神的に追い詰められているという事実を、隠しもせず語ったダグラス自身の口から聞いている。
少年刑務所にいた頃はまさか再びこのように物騒な仕事をさせられるとは思っていなかったが、現状はこれだ。彼女が不安に思うのも無理はない。
想定できていた問いかけだからこそ、返答は最初から決まっていた。
「わからねえ。ただ、無理そうな予感はある」
本当にプライドも何も残されていない彼の口から出たのは偽りなき言葉。
母の力が失われて一人になったあの日から、彼を護る者は彼自身を含めて誰もいない。
「やはり、そうですか」
「ああ。人を殺した罪は罪だし反省もしてる。二度と殺すどころか誰かを傷つけるのもゴメンだ。……けどな」
いや、だからこそと続ける。
「殺しとも戦いとも無縁の生活送って、笑って生きていくなんて許されねえんだよ。こんなクソみてぇな犯罪者が、散々殺してきたくせに今になって幸せになれるか」
「では、不快感に耐えて戦うと?」
「どうなるかなんて誰にわかるよ。案外そのやりたくない殺し合いの中で生き残れるかもしれないし、身動き取れずに殺されるかもしれない」
やってみなければわからない。
当たり前で、あまりにも無慈悲な真理であった。
「ただ逃げるのだけはナシだ。クソ野郎にはクソ野郎なりに、絶対に貫くべきもんがある」
「何を貫くと?」
「決まってんだろ」
血が滲むほど固く握りしめた拳から、赤い血が流れる。
真っ赤な一滴は吐き出される自罰の感情とともに地面へ落ちた。
「テメェがクソ野郎だって現実からだけは、目を逸らしちゃいけないんだ」




