第二話 このどうしようもない世界で
「先に申し上げますと、このダンジョンが未だ調査されていないというのはあくまでも公的な開示情報に過ぎません」
マーシャは事もなげに問題発言を繰り出した。
「こちらの地図は公爵家から提出されたものであり、既に最奥部までの道のりも明確化されています。つまり彼らは既にこのダンジョン内部を隅々まで探索し終えているということです」
「へー、じゃあ僕らが爆撃してぶっ壊したどこぞの遊園地と同じじゃん。公爵と遊園地のオーナー、薄汚い権力者同士で気ぃ合うんじゃないすか。片方死んでるけど」
ヨーゼフが失笑混じりに皮肉を飛ばす。
彼が言っているのは[プロージットタイム]というかつて存在していた遊園地だ。
現在は遊園地としての機能を完全に停止した状態で、ロトルアの騎士団によるダンジョンの調査が進められているという。
他ならぬヨーゼフとピナルの二人が襲撃し、地下に存在するダンジョンとそこで行われている人身売買の真実を白日の下に曝け出した。
加えて関係者の大半は現在死亡しているか行方不明である。残った者は意外にも罪悪感からか率先して情報を提供しているらしい。
ダグラスもその件については“黄昏の歌”が関わっている案件として情報を集めていた時期があり、軽くだが知っている。
言われてみればあの事件を起こしたのは目の前にいる二人だったか、と奇妙な感覚に陥るも耳と目はマーシャの方へと向いていた。
「権力者同士の相性はともかく類似したケースである事実は否めません。公爵もこのダンジョンで入手した数々の資源を違法売買しており、時には話の通じる相手への交渉材料としても用いていたそうですね」
「随分と素直に何もかも話してくれたようですな」
淡々と詳細な情報を話す彼女の様子に違和感が芽生えたらしいガイが、声色に疑問符を滲ませながら言葉を挟む。
「もしやと思いますが、ウィルズ・ハウスマン家は」
「はい。爵位を返還した後、現状有している資源や不動産を献上して王国を去ると言っています」
「それはまた、急な……」
思わず声を漏らしたのはララだ。彼女はダグラス以上に数々の闇を見てきたからこそ、公爵ともあろう者が立場と家を国に置いて出ていくという事態を飲み込めないらしい。
一方、闇の世界においても武闘派として動いてきたダグラスにはその理由もわかる気がした。
「……多分それ以外にも色々やってきたんだろうよ。公爵家ってのは事と次第によって王位継承権にも手が届く立場だ。身綺麗なままで護れるほど爵位は安くねえ」
「悲しい話ですがダグラスさんのおっしゃる通りだと私も推測しています。そしてそれが故に、アダム氏は[デクレアラーズ]の襲撃を恐れて屈辱を味わいながらも生き延びる道を選択したのだと」
簡単な判断ではなかっただろう。恥辱だけでなく、そうした末に家族全員生きて明日を迎えられるかも定かではないのだ。
買った恨みの数と密度を思えば屋敷を出た瞬間に一族郎党皆殺しにされてもおかしくあるまい。文化と文明が進んだところで、人間の本質は変わらず野蛮なものである。
「この地図はアダム氏が全ての事情を話した上で王家に提出したものです。彼らはまだ公爵という立場から退いていません。そのため今回、彼が完全にその立場を失う前に出向いていただきたい」
「んで、そのダンジョンに[デクレアラーズ]の構成員が潜伏しているってわけですな。そいつらの情報は?」
「主犯格はアヴドゥル・コンテ。レモラ共和国出身の客人であると同時に[デクレアラーズ]が一員、♦の8を名乗っていたそうです」
「知らね。誰だソイツ」
「ピナルも知らない人だ」
虚言の可能性もあるが、本人達の言い分を信じるならヨーゼフもピナルも知らない相手であるらしかった。同じ[デクレアラーズ]の構成員と言えども交流があるわけではないのかもしれない。
「他にも現在四名、客人ではないこちらの世界の住人が彼の協力者としてダンジョン内部での談合や売買に襲撃を仕掛けてきたと情報が入っています」
「協力者、か……」
ダグラスが呟きうつむく。
幼稚な表現をしてしまえば悪党退治を活動内容とする[デクレアラーズ]に、率先して協力する者が多いという話は有名だ。
一度は“大陸洗浄”で大人しくなった反社会的勢力や悪徳貴族なども数年の時を経て復活し、彼らの被害に遭った人々は第二次“大陸洗浄”で奮起した。
♦の札と呼ばれる[デクレアラーズ]の構成員らはそういった協力者足り得る相手に声をかけ、戦力として加える役割を担うらしい。
恐らく今回ダンジョンに出現した♦の8ことアヴドゥル・コンテなる客人も、そうやって自らの協力者を増やしているのだろう。
「しかし公爵殿の考えも読めませんなあ。裏でそのような取引をしているのなら、連中の被害に遭っても自分から王族にこのような醜聞を報せるなど普通はしないでしょう。まさか痛い目を見て反省したなどと殊勝なことを言うでもなし」
「……彼は今年で十歳になるはずだった娘を、アヴドゥルに殺害されています」
「あ?」
「え?」
ガイの疑問に対するマーシャの返答を聞いて、アヴドゥルと同じ[デクレアラーズ]の二人が目を見開いて驚嘆の声を上げた。
「そちらのお二人の疑問にお応えしますと、彼の娘であるアグネス・ウィルズ・ハウスマンは家の力を笠に着て数々の問題行動を起こしてきました。同級生の中にはいじめを苦に自殺未遂に至った児童もいたとのことです」
つまり悪事を働くという[デクレアラーズ]に狙われる理由はあったわけだ。
それを踏まえて納得しかねる様子のヨーゼフが、未だ表情に動揺を残したままマーシャに問いかける。
「だとしても子供でしょう。更生の余地がある子供を殺すなんて、僕らの間じゃ普通はあり得ない」
「更正の余地など無い、と見なしたから殺したのでは? 自己正当化に勤しむ殺人鬼の考えなど私には理解しかねますが」
突き放すような言葉はしかし間違ったことを言っていないように聞こえる。
客人二人が沈黙したところで、至って冷静な様子のガイが話を本題に繋げた。
「つまるところ、自分の地位をかなぐり捨てて娘の仇を他人に任せ、ご自身は贖罪に徹したいというのが公爵殿のお気持ちなわけですか」
「ええ。それは奥方も同様であるらしく、夫婦揃ってアヴドゥル討伐後にいかなる厳罰も受けると言っていましたので」
「……反省、したんでしょうなあ。手遅れではありますが」
裏社会との繋がりが露見しかねない証拠の温床、それも娘の仇が潜むダンジョン。
もはや金儲けに利用できる場所ではない。せめて人生最大の汚点となってしまったそれを清算し、余生を静かに過ごそうと公爵は考えたようだ。
「なので皆さんにとっての最初の任務は、ウィルズ・ハウスマン公爵家の管理下にあるダンジョンに潜伏する客人アヴドゥル・コンテ及び彼が率いる四人の戦闘員の討伐です」
討伐。
その言葉はビーレフェルト大陸において殺害の許可を意味する。
既にアガルタ王国は[デクレアラーズ]そのものに限らず、協力関係にある一般人すら危険視しているようだった。
当然拒否権などあるまい。目の前にいるのは王族であり、ガイを除いたユニットの構成員は少年少女と言えども犯罪者に過ぎないのだから。
「日時や集合場所などの詳しいお話は後ほど追って連絡いたしますので、今回は簡単な確認作業と顔合わせだけ済ませておこうと思い足を運びました。それ、と」
言ってマーシャが背後に控えさせている騎士二人に視線を飛ばすと、彼女らは最初から室内に用意されていた黒い箱をそれぞれ前へ出した。
「ガイ・ワーズワースさん以外の四名はそれぞれ悪い意味でグリモアーツが知られてしまっています。なので皆さんが使用するために必要となる武装型グリモアーツ及び魔道具一式をご用意いたしました」
「……武装型?」
逐一【解放】をする必要もなく常時そのまま使用できるグリモアーツ。それが武装型グリモアーツである。
しかしグリモアーツである以上は本人の血液を採取してオリハルコンと調合し、特殊な製造過程を経て完成させなければならない。
そしてダグラスはそのために必要な血液など提出した記憶がなかった。
となると可能性は一つ。
「まさか、勝手に作ったのか?」
あり得るのは施設に入所する前に採血された彼らの血液。
受刑者は収監される直前に健康診断を受ける。これはアガルタ王国のみならず大陸全土で取り決められている制度だ。
そしてそのデータは公的機関が管理するため、王族の権限を使えば閲覧は可能だろう。
しかし、血液を勝手に利用して当人専用の武装型グリモアーツ製造へと繋げるのは明らかに違法と言えた。
「ええ、勝手に作りましたが。何か問題でも?」
もちろんそれを知らないわけがないだろうマーシャは、涼しい顔でダグラスの声を受け流す。
犯罪者相手に遵法精神など見せる価値もないのだと彼女の態度が告げていた。
「固有のグリモアーツと比べると諸々異なる要素も多いでしょう。具体的な仕様については先に説明書を配布しますので、任務当日までに確認しておいてください」
それでは、と第二王女はガイのみを一瞥してから身支度を整え歩き出す。護衛の騎士二人も地図を表示していたスクリーンの片付けをテキパキと済ませ、彼女に続いた。
出入り口に向かう際、ダグラスとすれ違う瞬間にぽつりと呟く。
「良かったですね。久しぶりに“お楽しみ”の時間ですよ」
まるで呪詛のように。
* * * * * *
少年刑務所と名はついていても少年少女ばかりがいるわけではない。
懲役期間をその施設の中で過ごすというだけであって、重い罪を背負わされた受刑者などは収容されている間に成人することも珍しくはないのである。
今、ダグラスの目の前にいる男なども典型的な例だ。
「ダグラスちゃんよぉ。さっきララと一緒に所長に呼ばれてたみたいだけどさ、どこ行ってたん?」
マーシャの話が終わるころには受刑者にボール遊びなどの遊戯が許されている自由時間になっていた。
先ほど所長に連れられて通った通路から運動場に出ると、下卑た笑顔を浮かべた魔族の男に絡まれる。
彼はダグラスと同じくこの少年刑務所に収監されたかつての少年犯罪者だ。今年で二八歳になるらしいが、顔についた多くの傷と大柄な体格のせいで実年齢以上に老けて見えた。
「別に……」
「ンだよつれねーな。もしかしてさっき外に来てた飛空艇と何か関係あんじゃねえの?」
「何もねぇよ」
施設内は男子用と女子用でスペースが区切られており、ララはもう反対側の運動場に移動した。
ヨーゼフとピナルがどこに行くのかは知らないが、何ら罪を犯したわけでもないガイに関してはこの場に留まる意味もあるまい。恐らく帰宅したのだろう。
よってこの場で雑談を強要されるのはダグラス一人となった。
「しっかしまあ、最近どうにも不穏だし俺じゃなくても浮足立っちまうわな。知ってるか? 外で悪党ブッ殺して回ってる[デクレアラーズ]とかいう連中の話」
アガルタ王国の少年刑務所は通常の刑務所と異なり、専用スペースで課金すれば短時間ながらパソコンを用いてネットニュースくらいは閲覧できる。
当然フィルターが幾重にも作用しており定められた範囲のサイトにしかアクセスできないが、それでも外の情報を手に入れる術が彼らにはあった。
だから[デクレアラーズ]の件のみならず、あらゆるニュースは広まるものだ。
結果的にダグラスはこの少年刑務所において、王都を巻き込んで暴れた大型新人という不名誉な称号を与えられてしまったわけだが。
「俺らが殺されてないんだから連中の判断基準も大概ガバってんだけどさ、それでもこえーじゃん。“黄昏の歌”なんかが乗り込んで来たらこの程度の刑務所、簡単にそこら中穴だらけにされちまうぜ」
「…………なあ」
「あ?」
「お前、俺に話しかけてなんか得するのか?」
男は一瞬、黒い眼球の中心にある金色の瞳を輝かせながら目を見開いた。
魔族が呆けた時の所作だ。予想外の質問だったらしい。
「お前が何してこんなトコにいんのか知らねえけどさ。俺は何人も殺して大騒ぎしたのに年齢だけで死刑免れて、半端にメンタルやられて不眠症になってるようなクズだぞ。まさかお友達になろうってんじゃねえだろうな」
「……だったら悪いか?」
「悪いってわけじゃねえけどよ」
相手の年齢が自分より十は上なのもあって、変に気を許しそうになってしまう。
一応はこの歳までこんな場所にいるような相手だ。罰に見合うだけの凶悪犯罪に手を染めた、自分と同じようなクズである。
関わり合いになどなりたくないし、自分に関わる価値があるとも思えない。
「なんにもならねえぞ。本当に」
「自己嫌悪も極まるとスゲーな。話しかけられただけでそこまでこじらせるのかよ」
男の言い分も世間一般では間違っていないのだろう。普通は他人との交流にここまで意味を見出して、その上で否定などしない。
だが世間一般と呼ぶには、ここはあまりにもどん底過ぎる。
彼らが今立っているのは、過ちを犯した子供が寄せ集められた学校のようで学校とは異なる場所。
大人達の「まだできないのか」という声が床、壁、天井、果ては窓の外から聞こえてくるような気さえする、学び損ねた諸々を取り戻すための施設だ。
「だって、俺なんか何もありゃしねえんだからよ」
そして取り戻すべきものに毎晩苛まれる人間にとって、そこは単なる空虚な地獄だった。




