エピローグ 勝ち残ったのならば
「吾輩の、負けか……」
「その状態で話せるのか……」
破壊の痕跡をそこかしこに残す山岳地帯の片隅で、もはや頭部と胸部が接続しているだけの状態となったフェルディナントがどこか満ち足りた声を上げた。
人工の光源が存在しない環境において、青い月に照らされた空間は神秘的ながらもどこか退廃的だ。
そう感じてしまうのは手ずから命を奪うつもりで倒した敵が、目の前で事切れようとしているからなのかもしれない。その割に元気に会話できているが。
「話せるのはそのための機構が残っているからに過ぎんよ。残り数分で吾輩は死ぬだろう。いやあお見事お見事、よもや[十三絵札]と真っ向からぶつかって勝利する輩が現れようとは! 我らが道化もこれにはさぞかし驚嘆している事だろう!」
「うん。そうだね」
わかっていた事ではある。
この戦いは死闘で、圭介がカレンから受けたのは討伐依頼だ。
どちらも生き延びるなどという甘えた決着は最初から許されていない。
「最期に何か言うことある? 基本聞くだけなら何でも聞くよ」
「ハッハハハハ……そうさな。残したい言葉など今更ありはしないが」
仰臥しながら月を見上げるフェルディナントは、痛覚すら存在しない体だからか身じろぎすら見せず穏やかに目の前の景色を堪能しているらしかった。
人間の領域を超えた長い生涯が幕を閉じようとしている。そこに何を想うのか、圭介は想像すらできない。
「急に気になってきた。母と妹はあの後どうなったのか」
芝居がかった声の張りが、解けた。
「怖くて聞くのを避けていたが、せっかく聞けるのなら我らが道化から聞いておけば良かった。ああ、未練がましいなあ……カッコ悪いなあ……」
それが最期に遺す言葉でいいのかと野暮な事を考えてしまうほど。
人を超えたはずの彼の言葉には、あまりにも人間らしさが滲み出ている。
ペストマスクの向こう側でどんな表情を浮かべているのかはわからない。
ただ何となく、優しく微笑んでいる気がした。
「終わりたくないなあ」
純朴な声は終わる直前、その終焉を拒む言葉だけ残して潰えた。
第〇魔術位階【オールマイティドミネーター】は、彼の魔力が大気中にマナへと変換されていくのを残酷なまでに感じ取る。
それが意味するところは一つ。
フェルディナント・グルントマンは、死んだ。
東郷圭介の手によって殺されたのだ。
「あー、こういうの後からじわじわ来ると思ってたけど。早くも心がしんどいや」
既に二桁の人間を【バニッシュメント】で薙ぎ払った後だ。その後に一人殺したからと気に病むのは未熟さ故と自覚しながら、それでも苦しいと思う。
甘いと謗られても構わない。
ただやはり、和解したかった。
それこそフェルディナントから未練がましくカッコ悪いと言われかねない迷いに思いを巡らせていると、近づいてくる小さな反応を【ベッドルーム】が感じ取る。
『マスター』
「アズマ、お疲れ。さっきはぶっ飛ばされて大変だったね」
『それほどでも。決着がついたようで何よりです』
「レオがいなければ死んでたよ。悔しいけど彼の言う通り、高速移動の経験が浅いところ突かれて負けるとこだった……お」
『む』
疲労困憊から立ち止まってアズマと会話していると、フェルディナントの亡骸を中心として空色の術式が燐光を振り撒いて展開された。
燐光は徐々に機械の体を包み込み、削り取るようにゆっくりと別の場所へ転移させているようだ。
『これは……死体を回収しているようですね』
最初から[十三絵札]全員に組み込まれている魔術なのかもしれない。
思えば倒された場合残った体を国家に回収されれば、[デクレアラーズ]にとって最重要機密とも言える[十三絵札]の仕組みが解明されてしまう。
そうでなくても疑似的な不老不死の肉体を得る手段だ。敵に渡すのは当然許容できないし、倫理的な観点から見ても広めるべき技術ではあるまい。
隠蔽のためアイリスによって編み出された緊急措置、と言えばそれまでだが。
圭介にはその輝きがどこか、世紀の大怪盗を名乗った男を弔っているようにも見えた。
「他人の秘密見放題で自分の手札は意地でも見せないってか。まあそういう性格してるもんな、あのちっこいラスボス」
青い月の佇む空へ吸い込まれていく魔力の残滓は、まるで天へと昇っていく彼の魂にも見える。
そんな光景を見たせいで感傷的になったのか、自然と圭介の口から思ったままの気持ちが言語化された。
「君の母親と妹がどうなったかなんて僕も知らないけど、その二人は人間やめてなかったんだろ?」
ありもしない幻想と知りながら、それでも。
「ならそんな長生きできてるわけないんだし、そっちにいるでしょ多分。気になるなら本人に直接確認すればいい」
仮に死んだその先に続きがあったとして、なかなかに無責任で考えなしな発言をしながら圭介は祈る。
「もう、盗みはやめなよ」
せめて、もう彼が苦しまないように。
世界の変革などという人間を人間でいさせない計画の部品として、利用される呪縛から脱却できているように。
空色の光が完全に途絶えて亡骸が消失したのを合図とし、溜息一つ。
「……んじゃ、僕らも帰りますか!」
『ええ』
疲れた体を引きずりながら【アロガントロビン】でダアトがある方面へと飛ぶ。
勝って生き残った人間の特権か。
今の圭介は、ひどく空腹だった。
「何となく甘いもの食べたい。とにかくエネルギーを補給しないとしんどい」
『実家で家事手伝いをしている社会人未経験の四十代女性。専業主婦希望。相手の条件を経営者で三十代の次男とかなり絞り込んで婚活に臨んでいるものの誰ともマッチングせず。両親の介護をするつもりもないと宣言してしまった結果、このままでは愛想を尽かされて長年住んできた実家も追い出される模様』
「誰が見通しの甘い話をしろっつったよ。てか誰だアズマにそんな吐瀉物みたいなネタ仕込んだの。エリカか? エリカだな」
『はい』
押し潰されそうな心は、今回守り抜いた宝物に癒してもらえた。
* * * * * *
今宵、カレン・アヴァロンからの正式な依頼を受けて、国防勲章受勲者たる東郷圭介が[十三絵札]の一人であるフェルディナント・グルントマンを討伐せしめた。
このニュースはアガルタ王国のみならずビーレフェルト大陸全土を震撼させる。
肯定否定を問わず誰もが「勝てない」と断じてきた[デクレアラーズ]の幹部格に、正面から挑んで勝利した前例が出たのだから無理もない。
彼らのテロ活動に頭を悩まされてきた各国の権力者と国防勲章受勲者。
我が身を惜しむ悪辣な貴族と商人。それらの下に蔓延る無数の小悪党。
客人の活躍を快く思わない排斥派。理想社会への変革を求める一般人。
残された他の[デクレアラーズ]構成員。
ありとあらゆる力、人、思想と価値観が大きく動く。
そしてそれらが形成する大きな渦の中心にいるのは、念動力魔術を操る一人の少年であった。




