第二十七話 大怪盗フェルディナントの終劇
「速くて何してんのか全然見えねえ」
「とりあえずなんか光ってる時にどっちかが攻撃してるってのはわかった」
「そんな気軽にボコボコにしていいもんじゃねえだろ山って」
ダアトの広場で大画面を前にしたアーヴィング国立騎士団学校の生徒らが、圭介とフェルディナントの戦いを中継用の魔道具経由で見守っていた。
と言っても目にも留まらぬ速さで動く二人の攻防をただ呆気に取られながら見つめるしかできない。加えて“ヨルムンガンド”による破壊は、彼らが先ほど体験してきた戦闘と規模が違い過ぎて現実味も薄い。
流石に圭介と同じパーティに属する三人もただ速いだけと思っていた大怪盗の思わぬ戦闘力に、つい唖然としてしまっている。
「……まあ、装甲列車のグリモアーツなんて持ってる時点で弱いわけないのは知ってたけど。にしたって規格外な暴れ方してんな」
「てっきりとんでもねえ速さで轢き殺しに来るもんだとばかり思ってたが、まさかベクトルに干渉してるたぁこっちも想定外だ」
「ケースケ君もよく戦いながら見抜けたね。ていうかいつの間にか“アクチュアリティトレイター”に乗らなくても飛べるようになったんだ」
それぞれ仲間を率いて“大陸洗浄”で名を馳せた客人相手に死闘を繰り広げてきた彼女らだが、配信されている映像の中で起きている戦いは未知の領域だ。
加えてそれと対峙する圭介に一切臆した様子がないのも予想外だった。
グリモアーツ“アクチュアリティトレイター”が纏う白と鶸色が交わる光は煌々と輝き、いつでも迎撃してみせると言わんばかりに膨れ上がる。
「カレンさーん。レオ・ボガート、ただいま戻りましたー」
「うわびっくりした、レオ君じゃん」
緊迫する空気の中、気の抜けた声が響いた。
「あれ、カレンさんいない。ていうかもうこれ全員帰ってきてたんすね。さっきあっちの休憩所で怪我してる人の回復終わったんすけど、誰も欠けてないっぽくて良かったっす」
「お疲れ。無事は無事だけど相当メンタル削られてるよこっちは」
「ミアさんとこって死体めっちゃ運ばされたんすよね。心中お察しするっす」
ダンジョンから出てきて間もないためか全身のあちらこちらに汚れが付着しているも、目立った外傷は見当たらない。
後方支援に徹していたとは言え、全くの無傷でダンジョンを踏破したわけでもあるまい。恐らく自身の怪我は自力で回復したのだろう。
「オメーんとこの親玉ならどっか行ったぜ。なんか知らねえけど王国のお偉いさんと通話するんだと」
「そっすか。んじゃ、戻ってくるまで俺もここで見てよっと」
言って自然とミアの隣りに座る。まるで退屈しのぎのような言い方だったが、眼差しは真剣そのものだ。
決して戦いから視線を逸らすまいとするレオの表情に抱く想いもあったのか、ミアが微笑みながら尋ねる。
「ねえレオ君」
「はいミアさん。何すか?」
「レオ君はこの戦い、どう見る?」
直接的な戦闘力を有していないにしても、回復魔術で圭介を支えながらダンジョンを攻略したという実績がある。
そんな彼が圭介の成長度合いをどのように受け止めているのか。
好奇心を起点とした問いかけに、レオは笑いながら応じた。
「そりゃあ当然、圭介君が勝つっすよ」
「具体的にはどんな風に?」
「それ俺に訊いちゃいます?」
「どんな受け答えだよ。レオ君がどう思ってるか知りたいから質問してんの。ダンジョンでロード倒すところ、近くで見てたんでしょ?」
「んー、そっすねぇ」
笑みはそのまま、しかし独特な緊張感を発しながら。
画面の中でこれから決着を迎えるであろう戦いを眺め、彼は言葉を紡ぐ。
「もちろん圭介君は強いっすよ。でもそれだけじゃない」
手に未だ残してある伸縮自在にして分割可能な包帯のグリモアーツ“フリーリィバンテージ”を握る彼は、ある種の決意を瞳に宿していた。
「心強い仲間がすぐそばにいるんすから。だから、負けねっす」
* * * * * *
「ありゃアズマには防げないっしょ」
『当然です。受け止めようとしたら壊れる自信があります』
自身に先端を向ける尖塔を前に、それでも圭介は冷静に計算し続けることをやめなかった。
まず【ハイドロキネシス】で大気中の水分を一定範囲内から排出し、空気を急激に乾燥させる。
次いで【パイロキネシス】で乾燥した空気の温度を急上昇させる事により、周辺の電気伝導率を跳ね上げる。
『それで、勝てますか』
「うん。でもキツいのは勝ち負けじゃない」
それから【エレクトロキネシス】で空気に電気を含ませ、生じた火花に【エアロキネシス】で取り込んだ酸素を与えて膨れ上がらせる。
結果生じた熱と光を【テレキネシス】で器の形に整形した【サイコキネシス】で包み込み、一ヶ所に凝縮する。
「あのでっかい矢の中には“ヨルムンガンド”がある。そんでその中にはフェルディナントの味方してる人が何人も乗ってる」
そうして出来上がったのが、この眩く輝く光の剣。触れる全てを焼き払うプラズマの塊。
圭介が“アクチュアリティトレイター”から伸ばすそれは、現時点で最強の攻撃手段である。
レオを巻き込むまいと出力を抑えて尚、ダンジョンの天井を破壊しロードを抹殺するほどに。
「僕は今から、大勢、殺す。それが何よりも怖いし辛い」
景色に漂う瓦礫も木々も動物も、全てが“ヨルムンガンド”を中心に集合した。
完成したのは一個人に向けられたとは思えないほどに巨大に過ぎる、岩と土くれで形成されし棘だ。
矢と呼ぼうが槍と呼ぼうが何も変わらぬほどに大きなそれが今、後方から砥粉色の魔力を噴射し始める。
「我らが道化よ見ておられますか! 吾輩は貴女に謝らねばならない!」
少し離れた場所でフェルディナントが叫ぶ。
「アズマは恐らく盗めますまい! これほどの暴威、振るえば受ける相手は跡形も残らず砕け散るが故に!」
信じ難いことに、彼は第六魔術位階のみでこの規模の攻撃を実現している。
一点特化型。その強さを圭介は今、まざまざと見せつけられていた。
見事なものだと感心すると同時、負ける気は微塵もしない。
「ではさらばだ東郷圭介! 故郷の土を踏むこと叶わず、異邦の地にて青き月光に散れ!」
そうして、ついに巨大な棘が動く。
体積と質量など関係ない。呑気な真似はせず、刺突とも射出とも呼べる速度で鋭利な先端が圭介とアズマに飛来した。
通常であれば不可避の死を前に泣き叫ぶか諦めるかを選ぶところだろう。
だがしかし、圭介は“アクチュアリティトレイター”を上段に構えて迎撃を選ぶ。
「第二魔術位階――」
地形を変えるほどの攻撃手段なら彼も有している。
威力を抑えた上でダンジョンの天井を打ち破り、ロードを倒すに至ったのだ。そこには無謬なる確信があった。
即ち。
[十三絵札]が一人“ヘクトルの座”にして世紀の大怪盗、フェルディナント・グルントマンに勝利すると。
「――【バニッシュメント】!!」
大きく振るわれた“アクチュアリティトレイター”から、魔力を帯びた光の奔流が伸びる。
圭介からほんの数メートル先の地点で、互いの攻撃の先端が触れた。
凝集されたエネルギーはフェルディナントが作り出した巨大な棘に触れると、それを構成している鉱物や植物を吹き飛ばしながら直進し続ける。
相殺ではない。
ただひたすら力で薙ぎ払い、熱で焼き払う。一方的な破壊、次いで殺戮。
プラズマを直線状に射出する第二魔術位階【バニッシュメント】は圭介に向けて直進する全ての脅威を焼却した。
当然、その中心にあった“ヨルムンガンド”も。
搭乗していたであろうペストマスクの集団も、例外なく。
「まだだ」
視界の中心に強い光が、端々に焦げついた土と木片が飛び散る中。
圭介の【ベッドルーム】による索敵は高速で接近する一人の人物を知覚した。
『第三魔術……』
「邪魔だ」
急ぎ圭介の前に出た――本来なら彼にとって回収を優先すべきはずの――アズマを一瞬にして接近してきたフェルディナントが蹴り飛ばす。
すぐさま“アクチュアリティトレイター”を構え直そうとするも、一度は振り抜いた体勢である。即座に反応するには体の細かな動きが追いつかない。
高速移動はまだしも、それと同等の速度で手足を動かすには速度に対する経験が足りていなかった。
そして今、圭介にサーベルで斬りかかっているのはそれこそ速さに慣れ親しんだ怪盗だ。指の関節一つ取っても精密に駆動させながら確実に刃を相手へ届かせる。
柄の部分で圭介の腕を殴り打ち上げ、強引に守りをこじ開けられたところへ二つの剣閃が走った。
「ぐっ……」
「貴様の敗因は経験の差だ」
斜めに交差する傷が右肩から左脇、左肩から右脇へとそれぞれ伸びて出血する。
傷は決して浅くない。特に傷が重なる心臓の部分が最も深く、今すぐにでも治療を受けなければ死は免れないだろう。
「咄嗟の回避に応用するには速さへの慣れが足りていない。至近距離での白兵戦では吾輩に勝てまいよ」
装甲列車からの狙撃も尖塔をそのままぶつける一撃も、全てはカモフラージュ。
本命はそれらへ対処せざるを得なくなった圭介の隙を突き、瞬時に繰り出される斬撃にこそあった。
ただ、解せない。
本来ならグリモアーツ“ヨルムンガンド”が破壊された時点でフェルディナントは魔術を行使できないはずである。
しかし現実はこうして変わらず神速で移動し、今も空中にその身を留めている。何か仕組みがあるのは間違いなかった。
圭介はその理由が彼の手に握られているサーベルにあると確信するに至る。
「武装、型、か……!」
「ご名答。マティアス・カルリエ殿より賜りし宝刀、銘を“アンドロマケ”という」
アガルタ騎士団が採用している“シルバーソード”と同じ、【解放】を必要としないグリモアーツ。それが武装型である。
いかなる形で技術が流出したのか定かでないが、そんなことはどうでもいい。
問題は“ヨルムンガンド”を破壊したからと油断できる相手ではなかったということだ。
「吾輩は“ヨルムンガンド”を【解放】している時もそうでない時も、常人の目に留まらぬ速度で動き続けてきた。加えて機械仕掛けの目は高速で視界に流れる景色を正確に捉え、細かな動作を実現できる」
ゆっくりと圭介の体が傾き、地面に向けて徐々に降下していく。
即死していないだけ拾い物だ。短くも最期の時間を用意したのはフェルディナントなりの慈悲か。
「対して貴様は生身。周辺を観測しながら吾輩に追いつこうと思えば索敵魔術に頼らざるを得ず、その感覚にまだ神経が慣れていない。そうして動きに生じた僅かな迷いが動きを鈍らせる。勝てんよ、それでは」
言って“アンドロマケ”に付着した血を振り払い、落ちゆく圭介に弔意の籠った視線を送る。
その態度はどこか葬列に加わる遺族のそれに似ていた。
「精々噛み締めながら短き生涯を閉じるが良い。これが人の身では成し得ぬ所業を成そうとする者の力である」
胸に宿る激痛は酷いもので、斬られた圭介にはそれが大量殺戮に見合った罰のようにも思えてしまう。
まだ急速に動く事態を受けて心が罪悪感を捨てきれていない。その上で殺した彼ら彼女らを率いるフェルディナントからの反撃は妥当なものだと納得できた。
「……長生きしてる割に、見抜けないもんだね」
「何?」
諸々受け入れて、それでも勝つのは自分だと腹を決める。
ゆっくりと地面に近づく圭介は、ダメージによって浮遊する力を失っていたのではない。
浮かび続ける余裕すらないほど集中して情報を処理し続けたのだ。
次の一手を行使するには、相応の計算が必要だから。
「あるいはその何とかいう剣じゃなくて、ちゃんと“ヨルムンガンド”を使ってれば多少は違和感を感じられたかもしれない。けどもうそれも関係ない」
やがて胸の痛みが引いていく。
体に巻きつけた包帯に輝く、葡萄色の術式によって。
「貴様っ、まさか!」
遠距離からの魔力供給で成立する回復魔術。
分割して使用できるグリモアーツ“フリーリィバンテージ”だからこそ実現できた、あまりにも強引な参戦。
そう、この場にいないというだけだ。
今の状況で圭介にはアズマだけでなく、レオも味方についている。
「君の言う通りだよフェルディナント。どんだけ強い魔術を使えたとしても、僕は生身の人間だ。けど生身の人間じゃなかったら、こうして傷を癒せなかった」
レオが持つ回復魔術の適性は極めて高い。それこそ怪我の種類を考慮するまでもなく、全て均等に同じ時間で治癒させてしまえるほどに。
となれば次に鍛えるのは何か。
分割して使えるグリモアーツ。この特性を活かそうと考えた時、真っ先に思い浮かんだのが“超長距離での魔術の行使”だった。
「離れた場所にあるグリモアーツを起点として、術式を発動したのか……!? ダアトから相当離れたこの場所に向けて!」
「やれるかどうか、僕は不安だったけどね。本人が自信満々にできるっつってんだから信じた」
それは圭介も同じ。
第二魔術位階【バニッシュメント】の威力をロード討伐時よりも強めることができると断言できた論拠は、結局どこまでも自分の感覚でしかない。
なればこそ、レオの感覚を自分と同じものとして信じられた。
「それともう一つ。同じ速度で動けるはずの相手がさっきの攻撃を受けた。なのに避けられなかった理由を経験の差の一言で片付けるのは、ちょっと油断が過ぎるんじゃないの?」
瞬間、何かを察したフェルディナントが急ぎ圭介から離れようとした。
当然それを逃がす圭介ではない。
かつて誰かにやってみせたように、【テレキネシス】で体の動きを奪う。
「なっ……!」
動きを止められるのはほんの一瞬だが、この場にいる二人の間において一瞬が持つ意味は通常の一分より重い。
空中で念動力に縛られたフェルディナントに次いで襲いかかったのは、無数の黒い塊だった。
「ぐ、ぅう!?」
「使うの久しぶりな上にあの頃とは規模が違う。それに人に向けるのはこれが二度目だから余計に意識を持ってかれた。浮いてなんかいられないくらいに」
塊を構成する要素の多くはフェルディナントが砕いてかき集めた山の残骸。
先の衝突によって圭介に焼かれた土、岩、木、野生動物やモンスターの骨などである。
数と体積は“ヨルムンガンド”が纏っていたものより少なく小さいが、それでも敵一人を中心として形成される歪な球体は一軒家を包み込めるほどの大きさへと至った。
複雑な形状のそれらを【サイコキネシス】で強引に圧縮すると伝達する運動量のベクトルが断続的にかき乱され、フェルディナントの魔術による干渉を妨げる。
「人に向けて使うなって言われたけど、君にはこうでもしなきゃ勝てないんだ。悪いけど容赦はしない」
言って“アクチュアリティトレイター”を振り上げると、その動作に合わせて内部にフェルディナントを含んだ黒い球体も上昇した。
「第四魔術位階」
この戦いは殺し合いだ。慈悲など必要ない。
ここまでどこか心が引きずっていたように思う迷いを打ち消すように、
「【デンジャラスフリーフォール】!」
振り下ろす。
勢いづいた球体はまるで“アクチュアリティトレイター”の先端と繋がっているかの如く凄まじい加速を見せ、地面に叩きつけられると同時に構成していた全てを辺り一帯へ散らばらせる。
四肢を歪に捻じ曲げた状態のフェルディナントが衝撃でバウンドした。
武装型グリモアーツ“アンドロマケ”の刀身がへし折れ、役割を失っているのが見える。
もはや勝負は決したと理解した上で【アロガントロビン】を発動。
動きを止めている相手の前に降り立ち、それとほぼ同時に“アクチュアリティトレイター”に螺旋状の【サイコキネシス】を形成した。
最後の一撃を繰り出すために。
「第四魔術位階」
その打突を、フェルディナントは避けようともしない。
肉体的負荷によって避けられなかったのかそれとも全てを受け入れたのか、その真相はわからない。
ただ、確実に言えるのは。
「【スパイラルピック】!」
鳴り響く破砕音が、[十三絵札]最初の欠落を示しているという点のみであった。




