第二十四話 刹那の急襲
ステラ池から街道へ出た辺りをユーと他の学生一同が歩く。背後では投降した[デクレアラーズ]の協力者が列を揃えて歩を進めていた。
彼らは全員が両手首を魔力の鎖で縛られており、既にグリモアーツも没収されている。
元が一般人とは言えどもこれからダアトに犯罪者として連行される立場だ。投獄の未来は避けられまい。
「すみません。私まだ【チェーンバインド】覚えてなくて……」
「あんだけ暴れて“弔歌”倒すとこまで行ったんだから、それくらいで誰も文句言わねえべ」
「でもホント、誰も使えなかった場合この人達の両手の腱を切るしかなかったので助かりましたよ」
「お前らもっと感謝しろよ俺らに! またやらかした時に来るのがこの変なエルフ一人だけって可能性もあるんだからな!」
男子生徒が脂汗を流しつつ後ろに向けて話しかけた。
ダアトに着くまであと一時間は歩くだろう。緊張感に満ちた行きの道と異なり、帰還するだけの今は“弔歌”オスカー・パウンドの死から意識を逸らす意味もあって学生らの雑談が花開く。
時刻は午後十五時。そろそろ陽が傾きかけてきた頃合いだ。
ステラ池周辺に凶暴なモンスターは出ないし、ダアトまで続く道に隠れる場所は多くないため夜盗の類も襲ってこない。仮に来たとして騎士団学校の生徒がこれだけ密集している以上、どうとでも対処できる。
脅威はない。
そう、誰もが思っていた。
「誰かチョコとかスナック持ってねえ? 隣りに腹減ってるユーフェミアいんの怖いんだけど」
「なんで? そんなお腹空いてるからって変な行動とか普段してませんよね」
「だってお前去年の年末に鳥を――」
瞬間。
学生全員の体に一度、二度、あるいは三度の衝撃が走る。
「――え?」
『保護用の術式使用回数が尽きました。これ以上の戦闘は危険です。急いでダアトへ帰還してください』
それに続けてそこかしこから響き渡るのは先ほどオスカーの手によって何度か聞かされた自動音声。
敵襲だ。それも既に全員が何らかの魔術で攻撃されている。
引き連れている[デクレアラーズ]の協力者らは両手を拘束されグリモアーツも没収されており、危害を加えられる状態ではない。
ユー自身、ここまでブレスレットの効果を使ってこなかったため一瞬にして三度の衝撃を体に受けたと理解し、同時に知覚範囲の外から連続で攻撃されたという事実を認識した。
戦慄と戸惑いで硬直しているところに今度は懐に入れたスマートフォンが鳴り響く。
見ればミアからの着信だった。何が起きたのか事態を把握するためすぐに出る。
「もしもし、ミアちゃん?」
『ユーちゃん無事!?』
開口一番に飛んできたのは安否の確認。
つまりあちらでも何かが起きたのだろう。
「私も他のみんなも無事、だけど……急にカレンさんの防御用術式が剥がされた。もしかしてそっちでも同じようなことあった?」
『う、うん。急に体のあちこちにビシッと来たかと思ったら、ダアトに戻れってアナウンスが鳴って……。しかも私一人じゃなくてここにいる全員がそうなったの』
こちらと全く同じ状況。
仮に一定時間が経過した時点で術式が自動的に解除される仕様だとするなら、先にカレンから説明があるはずだ。それに体に走った衝撃は明確に他者からの攻撃によるものである。
そしてユーとともに行動しているわけでもないミアも同じ被害を受けたという。
これが何を意味しているのか。
察した瞬間、ユーは無自覚に空を見上げていた。
「エリカちゃんも通話グループ入れよう。多分、私達と同じような事になってると思うから」
『そう、だね……』
ミアも薄々勘づいているらしい。
同時に離れた位置にいる集団へ、定められた回数の攻撃を的確に命中させながら姿も見せずに立ち去る存在。
何よりも速いそれがどのような敵なのかを、彼女達は知っていたから。
* * * * * *
「学生連中は一人残らず帰ってきてるみたいね」
「そのようです」
巨大なモニターを壁一面に映し出し、周囲に複雑な機械を多く配置したここはダアトの操縦室である。
そこかしこに設置されたマリンランプからオレンジ色の光が注がれ、まるで常に夕焼けに包まれているかのような室内は現在穏やかな雰囲気に包み込まれていた。
ブレスレットに組み込んだ座標観測術式を大画面に投影することで学生らの挙動を地図上に映し、全員の無事を確かめる。
しかも三つに分けた陣営が全てダアトに向けて戻り始めているため、戦闘に勝利したのは疑うまでもない。
三ヶ所全てで起きた戦闘は無事に全勝した。
素晴らしい結果ではあるものの、弛緩した空気は手を加えずにいると油断へと繋がる。
まだ最大の懸念事項が残されているのだ。ここで脇を突かれる事態は避けたい。
「んで、あの自称大怪盗は?」
「フェルディナントは現状、カメラに映る範囲では姿を見せていません。ダアト内での不審な動きも皆無です。……まあ、彼の速さを思えば何も安心できませんけどね」
「となればまだ様子見が続くわね。とっとと行動に出てくれればこっちとしても楽なんだけど」
カレンの念動力魔術による広域索敵は確かに精密且つ広大だが、ダアトという場所に致命的な弱点がある。
仮に一人の客として正当な手順を踏んで来訪された場合、一人の人間として逸脱した行動に出られない限り内部に潜む敵の存在に気づけないのだ。
もちろんダアト内部で高速移動を始めるなりグリモアーツを【解放】すれば、即座に動きを捉えて拘束できる。だが行動に出てくれないのならしばらく監視カメラなどの映像記録を確かめるしかない。
加えてこれは決して口にしない事実だが。
今回、カレンは自らの手でフェルディナントを捕まえる気など毛頭なかった。
「東郷圭介の方はどう?」
「ロード相手にかなり苦戦していますが、何か新しい複合術式を編み出したようです。これなら……っと、緊急事態発生!」
配信映像を確認していたオペレーターが質問に答えるのとほぼ同時、大きく映し出された画面が赤く染まる。
どうやらアーヴィング国立騎士団学校の生徒らにつけさせたブレスレットが一斉に防護用術式を解除されたらしい。
つまり、フェルディナントはダアトの外にいる。
ダアトの中を探る手間はこれで消えたが、代わりに厄介な問題が発生してしまった。
カメラの映像を見れば一番星を背後に置いて空中に、纏う砥粉色の魔力でぼんやりと輝きながらとぐろを巻く装甲列車が浮かんでいる。
映像をズームさせると案の定その中心には怪人がいた。
黒いマントとシルクハット、タキシードスーツにペストマスク。
腰に携えたサーベルを鞘から抜いて掲げながら仮面の先端を揺らして何か口走っている。
間違いない。[デクレアラーズ]最高幹部[十三絵札]に属する“ヘクトルの座”、フェルディナント・グルントマンだ。
どうやら全く別々の方向、それも相当離れた場所で行動している集団をまとめて攻撃してきたらしい。
ブレスレットの効果と学生らの現在位置はアイリスの【ラストジーニアス】を通じて知ったのだろうと推測できる。あの道化ならそれくらいはしてみせてもおかしくない。
だが彼は距離にして都合一〇〇〇キロ近い長大な道のりを一瞬にして移動し、密集して動いている学生らに知覚不可能な速度で必要な回数の攻撃を加え、これまた一瞬で圭介がいるであろうダンジョン付近の空中に移動した。
どう考えても人間の成せる業ではない。通常の演算処理能力しか持たない場合、細かな身体の動きを制御して数多の情報を処理するには自身の速度に合わせられないためだ。
(ま、そのくらいお手の物か)
[十三絵札]の構成員は例外なくその体を機械へと取り換えている、言わば改造人間である。
人間には成し得ない高度な計算の実現と常識から外れた膨大な魔力量、条件さえ満たせば半永久的に活動し続けられる無限の寿命が彼らの強みだ。ともすればグリモアーツの【解放】すら要せずこの程度の芸当は成し得よう。
フェルディナントが空中で何か言っているように見えるのはいつもの長ったらしい口上だろうと気にも留めず、圭介とレオを向かわせたダンジョンがある方角へと目を向ける。
するとこのタイミングでようやく求めていた報告が入った。
「だ、ダンジョン内で強い魔力反応を検知! 配信用魔道具の映像はホワイトアウトして確認できませんが、東郷圭介の魔術によるものと思われます!」
「ならこっちの勝ちね」
「え?」
カレンの声に呼応するかの如く、圭介とレオを向かわせたダンジョンのある方角から断続的な轟音と振動が伝わってくる。
動きを止めているフェルディナント以上に気になる情報だからか映像が音の鳴る方向へと切り替わった。
瞬間、純白と鶸色の入り交じった爆風で大地を割り砕いて何かが真上へと打ち上がる。
最も上に位置するのは全身を爆風と同じ色の罅割れで彩られた異形の怪物にしてダンジョンの主、ロード。
その下に小さく映るのはグリモアーツ“アクチュアリティトレイター”の先端をロードの腹部に押し当てながら飛び出してきた東郷圭介。全身に巻きつけた包帯はレオの“フリーリィバンテージ”に違いあるまい。
最奥の部屋から入り口までは転移による移動手段がある、などというこちらの世界の常識など知らぬとばかり乱暴な手段で外へと脱出した彼は難なくロードの体を爆砕した。
その勢いで体の中間部分と右腕の肘から先を失ったロードは胸から上と腰から下の部位を別々の方向に吹き飛ばされ、飛ばされた先でそれぞれがまたも弾け飛ぶ。
カレンは知っていた。あのロードが圭介にとってどれほど厄介な相手か。
複数の念動力魔術を併用し、その上で回復魔術の支援を受け続けなければ勝てる相手ではない。
それでも一日かけて訓練を積ませた圭介とレオのコンビなら勝てる相手だと踏んで挑ませたのは間違いなかった、が。
まさかダンジョンの天井を崩壊させながら花火の真似事をするとまでは想像だにしていなかった。
「一旦切ってた通信、改めて繋げて。圭介に言うことあるから」
「……え、あ、はい!」
思わず呆けてしまっていたオペレーターが急ぎ通信を繋げる。いつもなら小言の一つも飛ばすカレンだが、今回は何も言う気になれなかった。
無理もない、と納得できるだけの成果が出たのだ。
「圭介、聞こえる?」
『……あ、師匠』
「見てたわよ。よくロードを倒したわね」
『すげー普通に褒められた! 嬉しい以上にオモロ』
「さてそこであんたに本合宿における最後の訓練をこなしてもらおうと思ってるんだけど」
調子に乗り始めた圭介だったが、フェルディナントの存在を索敵で感じ取っていないはずがない。悪ふざけの声に滲んだ緊張を感じ取りつつカレンは必要な情報を伝える。
「ダアト代表、カレン・アヴァロンから東郷圭介個人への討伐依頼よ。討伐対象は[デクレアラーズ]最高幹部[十三絵札]が一人“ヘクトルの座”フェルディナント・グルントマン」
『…………討伐依頼、ですか』
圭介個人への依頼ということは彼一人でフェルディナントを倒せという事なのだが、彼はその難易度の高さよりも討伐という言葉に反応を示した。
「そ。依頼のやり取りは今この場で口頭で行うわ。諸々の手続きと書類すっ飛ばした責任は私が取るから、あんたはハイかイエスで答えればいい」
酷な話と知りながらそれでもカレンは今こそ圭介に求める。
敵を殺す戦いに挑めと。
ここで他者の命を奪う経験を踏まなければ、どれほど力をつけたところで圭介はこれから先の戦いを生き残れない。
「タイムリミットはフェルディナントに完全に逃げられるまで。この意味、わかってんでしょうね」
『はい』
「よろしい。依頼こなしたら明日は一日ずっと休んで良いから、頑張んなさい」
『はい!』
言うべきを言い、伝えるべきを伝えた。
ここから先は圭介の戦いだ。通信を切って大画面に映る弟子の様子を見守る。
地平線に沈みゆく橙色の陽光と反対方向に、一足早く青い月が夜空の気配を伴って浮かんでいた。
幻想的な空で太陽を背に輝く砥粉色と夜空を背に燃え上がる鶸色が向かい合う。
カレンの見込み違いでなければ。
この戦いで第二次“大陸洗浄”の流れが、大きく変わる目算だった。




