第二十三話 綺麗な花には
最初にロバートが違和感を抱いたのは、数分前に破壊した建物があった方向に触手が伸びた時だった。
決して彼の意思ではない。とある条件を満たした場合、特定の対象に向けて自動的に動くよう一部の触手に術式を組み込んだために起きた事象だ。
「あぇええええ? どじでぇぇ?」
ズルリと不揃いにかき集められた瓦礫が上へと持ち上げられ、その空隙を鋭い先端が虚しく貫く。
瓦礫を持ち上げたのはエリカがばら撒いたと思しき魔術円の一つだ。恐らく鉱物同士を接着する第六魔術位階【ユニオン:ロック】で石材を引っ張り上げたのだろう。
問題はエリカが近くにいるわけでもないのに、無駄とも言える動きで瓦礫を持ち上げたという点。
「まさか、とは思うが」
発狂している状態から冷静な状態へと移行し、周囲を警戒する。
彼の肉体を締めつける茨は第四魔術位階【ペインフレンド】によって魔力で具現化されたものだ。
心臓に絡みつく茨として体と直接繋がっている内蔵型グリモアーツ“ライアーソーン”が彼の血液から術式を展開し、神経を通じて触覚刺激から相手の動きを察知する。それが“大陸洗浄”で彼が確立した戦闘スタイルだった。
【ペインフレンド】には二つの術式を部分部分に組み込んである。
第一、外部で生じた術式の起動に向けて突き刺さる自動追尾。
第二、ロバートに向かってくる外部刺激を薙ぎ払う自動防御。
その二種類の動きにロバートの意思に沿って振るわれる第三の触手が加わり、攻撃・防御・索敵・移動といった複数の動作を同時且つ多角的に処理できるのだ。
だからこそ、気にかかる。
先の怪しげな動きは何なのか。
「もう薄々察してんだろ爺さん」
「っ!?」
廃屋の中から響くエリカの声に、自動追尾用の触手が反応した。
太く強靭な茨に貫かれて倒壊する小さな建物の中からは血の一滴、どころかエリカの金髪一本すら出てこない。
恐らく録音機能を有する第六魔術位階が魔術円から起動したのだろう。結果、彼にとって索敵と攻撃を兼ねた触手が一本、大きな隙を生む。
「オートマチックに動く触手はこれまでの戦いでさぞかし便利だったんだろうが、今回ばかりは相手が悪いや」
建物の合間から飛び出した三つの魔術円が空中に浮かび上がると同時、崩れた瓦礫がそれぞれに吸い寄せられていく。当然、その術式の動きに応じて他の触手も石材や木材の破片とともに引っ張られてしまう。
不自然に宙に浮いた残骸の群れを残してそれぞれの魔術円が苔色の触手に貫かれた瞬間、今度は別の場所から赤銅色に輝く【チェーンバインド】が伸びてきた。
「んなぁっ」
もはや魔術が発動しても伸ばせる触手が残っていない。徐々に鎖が集合していくのを即座に妨害できず、遅れて反応した任意で動かせる触手は間に合わない。
ロバート自身の意思で伸ばした茨が到達するより早く円盤状にまとまった鎖は、自在に滑空する足場として崩れた塔の頂上に立つエリカを出迎えた。
「いつの間に、そんな場所に」
「少しの間なら飛べるってのは今までの戦い通して見てきただろ。さーて、これで制空権は取ったわけだが」
鎖の円盤に乗ったエリカは、自分とロバートを囲むように分散した魔術円を配置する。
それぞれが異なる第六魔術位階を内包しているであろう事は明確だがその内容が見えてこない。いかなる形で戦局を動かすつもりかが読めないというのは、自動的に動く触手に頼ってきたロバートから見て脅威だった。
一度は伸びきった触手を縮めて元の位置に戻しながら相手の動きを観察する。
かつて、彼はそのエリカの表情と似たものをどこかで見た気がした。
幼い日の娘が、父親を驚かせようと悪だくみをしていた、あの時と同じ――。
「何をするつもりで」
「【チェーンバインド】!」
問いかける途中で敵は動いた。
廃墟に開いた穴の先、先の見えない闇から魔術円の輝きを伴って魔力の鎖が撃たれたようにロバートへと伸びてくる。
自動防御用の触手がそれを弾き落とすも、一瞬たわんだ鎖の先端は構わず再び同じ方向へ向かう。
その動きにいかなる法則が働いているのかを悟ったロバートは茨に縛られ肥大化した体を大きく横へと傾けた。
鎖は避ける動きを見せたロバートを追わない。
ただその先にある別の魔術円へと接続されただけであった。
「ぃいいいだあああぁぁあああああ!」
のけ反る動きで痛覚を刺激され発狂に至るも、脳内で未だ冷静さを残す部分を総動員しながらエリカの居場所を探る。
途端、今度は自動追尾の触手が動いた。
「ああああああ!?」
赤銅色の燐光とともに展開された蜘蛛の巣を象る第六魔術位階【スパイダーネット】。それに向けて伸びた触手が魔力の糸に覆われてしまい、一時的に動きを制限される。
「ぁぁぁどうじでごんなごどずるんだあぁぁぁぁぁっ!」
「【もう一つ上へ】!」
飛来する魔力弾を自動防御で防ぐも、撃ってきた方向とは異なる位置からエリカの声が聞こえた。鎖を避ける際に一瞬目を離したことで、既にロバートの認識から彼女は離脱していたらしい。
「【塵よ 芥よ 此処に集え】!」
その詠唱は知っている。部屋を掃除する際に自分も使うことがあるから。
第六魔術位階【ダストボール】。部屋の埃をまとめるだけの清掃用魔術を、どうしてここで使うのか。
(いや待て。彼女は今、魔道具ルサージュを……!)
民間でも使われる人畜無害な魔術を突然詠唱されたせいで、警戒態勢に入るのが遅れた。
結果、術式の起動とロバートの顔面に飛来する瓦礫に反応して何本もの触手があらぬ方向へと伸びてしまう。
頭部を後ろに下げて瓦礫を避けながら視線を移した先にあるのは、これまた当然の如く赤銅色の魔術円。
砂と小石、いくつか細かい瓦礫も含めながら触手の先端を束ねて固める術式は先に発動した【スパイダーネット】と異なる位置でロバートの触手を拘束した。
「おの、れ……!」
それでも、まだ彼には彼の意思のみによって制御されている触手が何本か残っている。
今や自動追尾も自動防御もほとんど役に立たないが、純然たる防御力と攻撃力において彼がエリカより有利なのは疑う余地もない。
動きを止められた茨に供給していた魔力を遮断し、任意に動かせる触手へと集中的に注ぎ込む。
(激情に駆られている演技を続け、一部の触手のみをコントロールする。まだ相手の油断を誘えば充分に勝機はある!)
幾多の戦場を越えてきた彼は年齢と経験に恥じない老獪さを持っていた。
あたかもこれから負けそうな雰囲気を出しつつ、エリカの登場を待つ。
果たして少女は視界の外、真上から鎖で構成された足場とともに降下してきた。
「おう、そろそろ諦めたかよ」
「なんのまだまだ。私が直接操る触手が残されている」
「……そうか。まだ、やる気なのか」
呆れたような困ったような、大人びた笑顔。
こんな表情を浮かべられる将来有望な若者を手にかけなければならない。それを多少は心中で悲しく思いながらも、ロバートは冷静に相手との距離を観察する。
多少変則的な動きを要求されるが。
攻撃が届かないほど遠くは、ない。
「我らが道化は言っていた。この第二次“大陸洗浄”が事を成せば、ビーレフェルト大陸で理想社会を設立できれば、私達客人の世界へと帰還してあちらの世界を統治すると」
「気の遠くなる話してやがらぁ。夢は世界征服ですってか、ギャグとしては古典的過ぎて逆に新しいぜ三流お笑い集団が」
「そこまで気長に待つつもりなど無いさ。少なくとも私に残された時間は決して多くない」
こうしている間にも石材同士が接続されて出来た壁に両側面を隔てられ、物質強化の魔術が付与されたであろう無数のガラス片が茨の塊を貫いて地面に縫いつけている。
時間の経過に伴って不自由な要素が増えていく。自動的に動く触手が自由になるまでもう少し時間が必要だった。
それにもう一つ、急がなければならないことがある。
「死ぬ前に戻らねばならんのだ。戻って、見なければならんのだ」
「見るったって何をだよ。具体的に話せやコラ」
たった一本の触手に魔力を集中させ、エリカから見えない角度で地面に先端を突き立てる。これで準備は整った。
勝負は一瞬。老いによって落ちた反射速度を覚悟で補う。
「愛する娘の笑顔を。あの子の努力が実を結んだ証を」
「へー、娘想いでイイじゃん。立派にお父さんやれてるようにゃあ見えねえが」
鬼気迫る表情に何かを感じ取ったらしいエリカが魔術円を三つ、彼女の右目に吸い込ませる。
ロバートからしてみれば初めて見る魔術の運用方法だった。それでも覚悟を鈍らせている暇などない。
「青いバラが咲く瞬間を! 私は見届けなければならんのだああああぁぁぁぁあァアア!!」
「るっせぇだったらこんなトコでグダグダグダグダしてんじゃねええええェェェェェェ!!」
怒鳴りながらまた発狂すると同時、膨大な魔力を注ぎ込まれた触手が勢いよく伸びた。地面に刺さったその先端を支えとしてロバートは巨大な茨の集合ごとエリカ目掛けて直進する。
さながら弾丸の如き速さで実現されたそれは策も何もなくただひたすら重量と運動量で敵を吹き飛ばす、体当たりという原始的な攻撃手段。
だが単純であるが故に対処するのは困難だ。客人の魔力をこれでもかというほど凝縮した一本の触手で成した紙の御業だ。回避も防御もできるはずがない。
回避も防御もできるはずがない、などと。
そんな甘えた考えが最大の過ちであると気づけないまま、ロバートはエリカの挙動を見ていることしかできなかった。
(あれぇ?)
避けるどころか慌てた様子もない。エリカは両手に持った“レッドラム&ブルービアード”の銃口を落ち着いた表情でロバートに向けているだけだ。
胸中に生じる疑念と不安と違和感が、無自覚な慢心を打ち砕く。
(撃って、どうなるのぉぉ?)
まず“レッドラム”から射出された魔力弾が、魔力の茨で包まれたロバートの胸元に命中して炸裂する。衝撃は茨で吸収できたため負傷も痛みもない。
しかしその弾け飛んだ茨から一瞬、彼の胴体が露出した。
そこに立て続けに“ブルービアード”から放たれた弾丸が向かう。こちらは先の球体に近い炸裂弾と異なり、貫通性能と弾速に特化した細長い形をしている。
僅か生じた空隙をすり抜けたそれがロバートの下顎と喉を掠めながら茨の内部へと進み、胸の中心――内蔵型グリモアーツ“ライアーソーン”が組み込まれている心臓部分へと直進していくのが見えた。
(あれ、やだ、やめでえええぇぇえぇええええええ)
コンマ三秒もあったかどうかわからないほどの短い時間、それでもロバートの精神ははっきりと絶望の輪郭を描く。
どうして魔力の起点となる“ライアーソーン”の厳密な位置がわかったのかなどついぞ理解できないまま。
赤銅色に輝く小規模な爆風が、彼の胸元に抉るような衝撃を加えた。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ぁ”ぁ”あ”あ”ぁ”あ”ぁ”ぁ”ぁ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”……!」
グリモアーツが破壊されたことで全ての茨が魔力へと変換され、空中で苔色の爆発が起きる。
吹き飛ばされたロバートが四肢を放り出した状態で落下するのを見たエリカは、右目に展開した三重の【マッピング】を解除して足場としていた円盤から魔力の鎖を伸ばす。
空中で複数の魔術円と接続し、網目を象った【チェーンバインド】が老人の巨体を受け止めた。
「最後までよくわかんねージジイだったな。何だ青いバラって」
勝利の達成感などよりも遥かに強い疲労に耐えながら、エリカは降り注ぐ苔色の魔力を見つめる。
ふと、その中にいくつか大気中で分解しきれず残っている魔力の塊があった。
頭上に落ちてきたそれを掴んでみたところ、
「って!」
棘のついた茨が形を残しているものだと、握りしめてから気づく。
「あーあーちょっと血ぃ出ちゃったじゃんかよクソ腹立つ」
文句を言いながらそれでも崩壊していくそれを投げ捨てたりはせず、握ったまま気絶しているロバートへ視線を移した。
発狂しては冷静になり、冷静に話している途中でまた発狂していたとは思えないほど穏やかな顔で眠っている。
「要するに娘と会いたくて元の世界に戻ろうってんだろ? だったら理想社会だの何だの能書き垂れてあたしら相手に命がけで戦ったりしてないで、普通に元の世界に戻れる方法探してれば良かったんだ」
小さな手の中で茨の形をした魔力が霧散していき、後には血と傷だけが残った。
「バラがどうとか言ってたけどな。何色に染める予定だとしても、花ってのは茎が無けりゃ咲かねえんだよ」
聞こえていないのは百も承知の上で、それでも。
「生きて娘に会いに行きな。あんたならきっとできるさ」
愛する我が子のために命のやり取りを選択する。
そんなどこかで見たような親の姿に向けて、何も言わずにはいられなかった。




