第二十一話 這いずる戦鬼
ステラ平原南方。
街道から大きく外れたその場所には、かつて夜盗の集団がアジトとして使っていたらしき廃墟群がある。
百年近く前は集落があったのだろう。石材を組んで作られた建物の残骸がそこかしこに崩れかけた姿を晒し、営みの墓標として鎮座していた。
元々ここに潜伏していた犯罪者集団は既にいない。全員騎士団に捕らえられ、今は野生動物や虫が巣を形成するだけの場所となっている。
そんな主を失った名もなき家屋や店舗が建ち並ぶ景色の中、アーヴィング国立騎士団学校の生徒一同と[デクレアラーズ]により結成された部隊とが交戦していた。
「後でどうなろうと知ったこっちゃねえから壁や天井ごとぶっ壊せ! 何なら瓦礫に敵巻き込んで下敷きにしちまえ! 気後れすんじゃねえぞお前らァ!」
信じ難いがテロリストとして国家に疎まれている[デクレアラーズ]ではなく学生側から、より厳密にはエリカ・バロウズから上がった声である。
最初から廃墟に遠慮などするつもりのない[デクレアラーズ]側はもちろん学生側も破壊に躊躇しなくなった結果、かろうじてそこにあった居住の名残は全体の三割ほどが粉々にされて積み上げられていった。
その瓦礫の山を双方の陣営がゴーレムや隔壁の素材として再利用され、また敵から受けた攻撃に砕かれる。それを繰り返す中で瓦礫は増えていく一方だ。
「覚悟ォ!」
両陣営の拮抗に業を煮やした[デクレアラーズ]側の男が、両腕から生えた血の刃を構えて集団の中心にいるエリカに襲いかかる。
「るせェ!」
「ほわあああああああげほっ、げっほ!」
赤銅色に輝く魔力弾が魔術円の一つから射出され、男の眼前で炸裂した。それを顔に浴びた男は何やら凄絶な悲鳴と咳を上げて体勢を崩したまま落下し、両目を押さえながらゴロゴロと転がって自陣へ戻っていく。
その様を見て遠慮せず追撃の魔力弾をいくらか撃ち、這う這うの体で逃げようとしていた彼を吹き飛ばした。
「まだジジイのツラぁ見えねえか!?」
「今のところ目撃情報は無さそうだけど……エリカさ、さっきの魔力弾、アレ何」
「吸入した空気を保管しておく第六魔術位階【バルーンカプセル】だよ。こんなこともあろうかと部屋に置いてある殺虫剤ぶち込んで保存しておいたんだ」
「最悪失明する! いくら敵でもかわいそうだよ!」
味方の女生徒に非難されるもエリカは悪びれる様子などなく、周辺の様子を【マッピング】で探索する。
依然として“這いずる戦鬼”ロバート・フィリップス・コーエンの姿は見えないままだ。
第一次“大陸洗浄”で広まった彼に関する事前情報は決して多くない。
“這いずる戦鬼”という二つ名も、交戦して生き残った騎士の多くが「巨大な何かが這いずっていた」と証言しただけに過ぎないためだ。
そこから一歩踏み込んでより詳細な情報を得たであろう騎士は、揃って戦場で姿を消した。恐らく接近戦を挑むべき相手ではないということだろう。
判断材料の少なさはあれど、わかる範囲で情報をまとめるなら相手は何らかの巨大なグリモアーツを使う。あるいは魔術によって何か巨大な物質を操る。
つまり遮蔽物が多く配置されているこの環境では味方を攻撃に巻き込む可能性もあるため、迂闊に動けないはずだ。
なので今回エリカが指揮を任されたこの戦場で重要なのは敵の位置。
双方の勢力が数を減らしていく度に敵の動きやすさが変わる。となれば動く前に位置を掴んで先手を打たなければならないのだが。
(ここで【マッピング】使うわけにも、なあ)
周辺の状況を図形の集合という形で簡易的な地図とする【マッピング】は確かに強力だが、発動時に術式が発光するという致命的な弱点がある。
ロバートがどこに潜伏しているかもわからない状況下で自分の位置を教えるような愚は犯せない。仮にエリカが彼の立場なら、その場所から味方戦力を退かせて自ら攻勢に出るだろうと予測できた。
しばらく他の敵を魔力弾で片付けながら進む。少なくとも槍や矛が届く範囲にロバートがいる様子はなく、たまに急接近してくるのは彼の協力者と思しきこちらの世界の住人ばかり。
その数も徐々に減ってきた。
「最悪の事態に備えとくか。散らばってた味方全員、ダアト方面に集合だ」
「了解」
言って女生徒は他のクラスメイトへの合図となる魔力弾を真上へ撃ち、空中に一時撤退を意味する簡素な羊の絵を表示した。
想定より激しくない戦いに成長した彼らは肩透かしを食らったような気分になるかもしれないが、戦局の進み方と未だ姿を見せない“這いずる戦鬼”が勝敗の判断材料となるだろう。
もしも[デクレアラーズ]側がこちらに合わせて後退したら、要注意だ。
「うっし、お前ももう下がりな。あたしはちょい残って様子見る」
「マジ?……勲章持ってたってエリカも私らと同じ学生なんだから、無理しないでよね」
「無理なんざしなくても倒せるっつーの。まあ見てな、クソジジイが全身に魔力弾ブチ込みまくって穴という穴から血ぃ噴き出した状態にして引きずって戻ってくるからよ」
「グロいって」
エリカは魔力弾で周囲に指示を飛ばした女生徒も引き下がらせ、廃墟に囲まれたまま一人残った。
遠く聴こえる戦闘の音が断続的に響くも、彼女の周囲は静かなものである。
(敵側の陣営もそこそこ削ってきた。出るなら今だと思うんだがはてさて)
まだ三段重ねの【マッピング】は使わない。使ったところで遮蔽物が多いこの環境だと正確な索敵は難しいだろう。
使うとすればロバートが一度姿を見せ、その後また身を隠してからだ。
そして仲間を退かせた理由はまだある。
(どうしても気になるのが“這いずる戦鬼”の目撃例だ)
直接見た者から彼の正体を聞き出せたという事例がない、という点。
捻くれた一般人ならまだしも騎士団に属する者が、貴重な犯罪者に関する情報を出し惜しみする意味などあるはずがない。
となれば可能性として考えられるのは三つ。
ロバートの戦い方には騎士団にとって不都合な真実が関わっている。
あるいは情報を得るまで接近した者達が例外なく殺されてしまった。
もしくは情報を得た者が何らかの要因で他者にそれを共有できない。
(前者は無いな。“大陸洗浄”で暴れ散らした客人の情報を隠すなんて、国からしてみれば自殺行為以外の何物でもねえんだ)
つまるところ、必然的に残る二つ可能性が答えとなるが。
(あるいは、どっちもって可能性もあるか)
とにかく接近戦は避けたい。可能なら姿も直接見たくはない。
遮蔽物越しに遠距離攻撃で勝負をつけられれば、それが何よりなのだが。
軽く情報を整理してみれば実に不利な条件が並んでしまう。どうしたものかと悩んでいると、両足に微量の振動が伝わってきた。
「おっ……」
振動はやがて地響きとなり、それも大きくなると次第に周囲から地面が割れつつある音まで鳴り始める。
明らかな異常事態だが何か来るとある程度予見していたエリカは落ち着いた様子で両手に握りしめた双銃を顔の両側まで持ち上げ、足元への警戒を高めていく。
「おいでなすったか。出てきやがれナメクジ野郎、お顔見る前に一発でズドンだ」
言って、魔術円を七つほど重ねて“ブルービアード”の銃口に添えた。
魔力弾を射出する砲門としての役割を果たす二十六の魔術円は、重ねて起動することにより砲撃と呼んで差し支えないほど高い威力の弾丸を撃てる。
大地を揺らす何かが地表に向けて進んでいるのは感触でわかったため、先手を打つ形で地盤ごと相手を撃ち抜く。
エリカにとって最適解となる早期決着の形がそれであった。
外れてしまえば自身の位置を知らせるだけ。ハイリスクにしてハイリターン。
加えてこの作戦は周囲に味方がいればいるほど敵の攻撃に巻き込まれる人員が、言ってしまえばリスクの方が膨れ上がる。それは彼女にとっても望ましくはない。
(残念だが【マッピング】は壁の向こうまで索敵できねえ。それでもあたしにゃコイツがある)
赤銅色に輝く魔術円の一つがエリカの側頭部、左耳に重なった。
揺れを感知して震源を辿る魔術【アースリサーチ】。
いたずらに習得し続けてきた第六魔術位階の中でもあまりに使い勝手が悪く、特に扱いに困っていた代物だ。
初等部時代に廊下から響く教師の足音を聴き取って教室に到着するまでの時間を逆算するのに使って以来、一度も発動しなかったのが何よりの証拠である。
しかしこの状況下においては極めて頼りになる魔術だ。事実、エリカはこれによりほぼ確実に敵を撃てるのだから。
(この下だな? おっしゃ来いや這いずり爺さん、しわくちゃなその眉間ブチ抜いてやるぜ)
実際に殺すまでは予定していないが、友二人が既に手を汚しているのだ。エリカもそろそろ覚悟を決めるべきと割り切って引き金に指をかける。
対象が地上に出るまで残り十秒を切った。
残り八秒。
六秒。
四秒――。
「だらぁぁぁああ!!」
重なった魔術円が轟音とともに太い光線を真下へと放ち、地面には見事に穴が開いた。
間違いなく着弾したのだろう。地中で魔力弾が勢いよく破裂したらしく、砕けた地面の向こう側から衝撃と音の嵐が吹きすさぶ。
「ぬううっ……!」
反動に合わせて後方へ跳躍したエリカは、壁を失って久しいであろう朽ちた建物の二階部分へと身を躍らせた。
小さく砂埃を上げながら靴と地面を両方削るように剥き出しとなったコンクリートの上を短く滑走し、靡く金髪を簡単に整えて様子を見る。
当たった。
間違いなくエリカの魔力弾は地中から這い上がろうとしてきた何者かに命中し、強烈な一撃をお見舞いした。少なくとも外れたなどということはあり得ない。
願わくばこのまま決着としたいところだが、
(まだ元気に動いてんな。気絶くらいはしててくれても良さそうなもんだ)
現実は常に非情なものだ。
少なくとも相手は“大陸洗浄”でいくつもの戦果を挙げて二つ名すら得るに至った客人、ロバート・フィリップス・コーエンである。
そこいらの不良冒険者や中型モンスターを仕留められる程度の魔術ではかすり傷すら望めまい。
「【案内人に告ぐ 導を示せ】」
警戒を解かず臨戦態勢を維持しながら今こそ【マッピング】を発動した。
図形を集合させて作った地図に表示されるのは、地面に開いた大穴と周辺の建造物。その穴の中で何かが蠢いている。
(つっても無傷じゃあねえだろう)
ともあれ地図は作った。ここからいかに“這いずる戦鬼”に接近することなく戦うかが問題となるが、果たして相手がどれほど動ける状態にあるか。
崩れた壁と壁の間を飛び跳ねながら移動してその場を離れたところで、ついに何かが地表に出る破砕音が鳴り響いた。
「いたぁああいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「……あ?」
想像以上に情けない声は明らかにしわがれた老人のものだが、叫ぶ声の大きさは子供の喚き声に近い。
何やら不気味で不穏な気配を感じたエリカが両足に魔術円を展開して早々にその場から離脱する。
魔力の噴出により空中で加速した、直後。
それまでエリカがいた空間目掛けて細長い何かが伸びてきて、先にあった建造物の壁を破砕した。
「うげぇっ、何だあこりゃ!?」
苔色に薄っすら光るそれには無数の突起が付属している。見たところ大穴とエリカの間にある建物すら砕いてここまでの破壊に至ったらしい。
腕ほどもあろう太さを誇るそれは、茨だ。
植物の茨らしき触手が今、身を隠しているはずのエリカを狙って伸びてきた。
「なんでええええぇぇぇぇぇええ私だけがこんな目にいいいいいい!!」
「うお、ちょおま、待てって、テメッくらァ!」
泣き叫ぶ声から受ける印象と異なり、それからも茨は鋭利な先端を壁の向こうから幾度も伸びては引っ込んでを繰り返す。
恐ろしいのは威力と速さに加えて想定より近い位置を掠めたその正確さ。隔てた壁を無視して敵のいる場所を把握しているとしか思えない攻撃は、滑空する少女の軌道を追跡し続けていた。
「だあーっ、もう!」
付近にあった三階建ての建物へ飛び込み、がらんどうとなったベランダから中に侵入して階段を登る。
屋上へと辿り着いたところで、ようやく向こう側から家屋を砕いて前へと乗り出す敵の全容が判明した。
「ああああああああ痛い痛いどうしていっぱいいたいいたいいたいぃぃいいいいいいいい!!」
その姿のおぞましさに、一瞬エリカは戦場において致命的な隙さえ見せながら呆気に取られてしまった。
芋虫よろしく絡み合い、そこかしこから何本もの触手を伸ばす茨の塊。
その先端には棘が生えた触手に首から下を覆われたまま、顔中のあらゆる箇所から血を流して泣き喚く老人の頭部がある。
長い髪と髭を振り乱し、涙と血が混在した液体を目元から流す様は見ていて痛々しいと同時にひどく醜い。
赤く染まった老人――ロバートと、目が、合った。
「あああァァァぁぁあああおや、そこにいるのは国防勲章受勲者のエリカ・バロウズさんじゃあないか!」
「普通に喋れんのかよテメェ!」
少し位置が離れているのを考慮してか、張り上げる声は確かにエリカが立っている位置まで聴こえる程度の声量だったがそれまでの泣き叫んでいた声と異なる。
赤子のように感情的だった声から、理知的で老成した声へと変化していた。
「ああ失礼こんなところから、今からそっちにいいぃぃぃいだいいだいいだあだあああだだだだ!!」
「うわまた叫び始めた! 何だこんにゃろう情緒どうなってんだ!」
巨大な芋虫にも似た茨の塊がずるずると動き出し、建物を倒壊させながらエリカが立つ場所へと近づいてくる。
やがて別の建物に飛び移ろうかと考えるほど接近したところで、怪物と化した老人の動きが止まった。
まるで体の延長のように、棘まみれの異形から生えた老人の顔がエリカと会話できる程度の距離に持ち上げられる。
「初めまして。私はロバート・フィリップス・コーエン、ご存知の通り[デクレアラーズ]所属の客人です。よろしくね」
「……え、エリカ・バロウズです…………」
目やら鼻やら口やら耳から流血する凄絶な状態の老人から日常会話のような挨拶を受け、思わず素直に名乗り返してしまう。
恐怖というよりどう対処すべきかわからない。少なくとも敵であるはずなのだから普通に応戦して構わないはずだが、雰囲気に飲まれたエリカはこれまで出くわした経験のない相手に面食らって飲まれていた。
その反応を受け、赤く染まった顔の老爺がニコニコと微笑む。
「緊張しているようだねぇ。大丈夫、今はお互い敵同士なんだから気兼ねなく攻撃してくれても構わないんだよォォォォォおおおおおおぎゃあああああああああああああああああああ!!」
「またかよ! もう最後まで叫んでろよ怖いわお前!」
またも突如発狂したロバートが伸ばした無数の茨により、それまで立っていた屋上ごと建物がバラバラに砕かれた。
反応が少し遅れたものの瓦礫を蹴って隣りの建物に付属した外付けの螺旋階段に着地し、同時に複数の魔術円で相手を囲む。
足元に展開している二つを除いた二十四門のそれらに加え、“レッドラム&ブルービアード”の銃口も同時に向けた。
「つってもトチ狂ってようと正気に戻ろうと関係ねえ! そのドタマぶち抜きゃいいだけのこった!」
引き金を引くと同時、
「くたばりやがれぇぇぇえええええ!!」
赤銅色の魔力弾がロバートを二十六方向から同時に襲った。
対してロバート、これに慌てず。
「あぁぁァ無駄なことを……」
またも冷静さを取り戻し、体を覆う茨の束から何本もの触手を伸ばして薙ぐ。
振るわれた苔色の鞭による衝撃を受けてエリカの魔力弾は全て芯の部分に届かないまま空中で弾き飛ばされた。
「んだとォ!?」
射出のタイミングをわざと少しずらしたり、魔術円の距離感も相手が混乱するよう一瞬ながらもそれなり計算して配置したはずだ。
しかし結果として全ての魔力弾がロバート本体に着弾するより速く、振るわれた触手によって空中で爆散させられてしまった。
のみならず。
魔力弾を払いのけたものとは別の茨が、再度エリカに向けて伸びる。
「うわっ!」
たまらずその場から飛び退くと、それまで立っていた地面が抉られ砕かれかき混ぜられた。これが人体にぶつかればどうなるか想像もしたくない。
この短い戦いでいくつもの厄介な点を提示されて迂闊な判断を封じられたエリカは、敵を囲む形に展開していた魔術円を一旦自分の近くへと引き戻す。
「思考回路ごちゃつかせるために工夫したつもりだったんだけどな。随分と的確に対処してくれるじゃねーかよ。脳味噌いくつ持ってんだテメェ」
「女の子がそのような乱暴な言葉遣いをするものではないよ。それに私の脳は一つだけさ」
「るっせバーカ」
手数で攻めても全て防がれ、攻撃の際に生じた隙を同時進行で突かれる。
一撃に重きを置いたとて先ほどそれが通じず、隠れても隔壁越しに刺される。
戦う上での最適解が現状見つからない。ここまでやりづらい相手だとは思わなかった。
加えてまだ見せていないであろう近距離戦での脅威。これが判然としない限りは近づくのも危険だ。
適切な距離を維持しつつロバートの動きを観察し、対策を練りながら自身を追跡し続ける攻撃を避け続けなければならない。
(上ッ等だクソジジイが。アーヴィング国立騎士団学校高等部一年、テストで毎回学年二位取ってるエリカちゃんの学習能力を舐めんじゃねえぞゴラ)
またも鞭のように振るわれる茨を宙返りで回避しながら、またも足にまとわりつかせた魔術円から魔力を噴射し大きく後退する。
地面も建物も崩壊していく中、エリカとロバートの戦いが本格的に始まった。




