第十六話 似て非なるモノ
それは魔術が存在する異世界で過ごしてきた騎士団学校の生徒から見ても、あまりに現実離れした状況だった。
「僕らは無敵の血風旅団!」
「お前らなんかに負けないぞ!」
グリモアーツを【解放】し多様な魔術を使う騎士団学校側に対して、敵は純粋な身体能力のみを武器に立ち向かってくる。
それでいて圧倒されているのは武器と魔術を用いている方なのだからわけがわからない。
「う、おおおっ!」
槍を持った男子生徒が相手の腕に穂先を突き立てるも、刃が食い込む様子も見えずただ突進を止められただけに終わる。先ほどから似たような光景ばかりだ。
個々の戦闘能力がかつて校舎裏で本性を現したヴィンス・アスクウィスに近く、これに微細な戦闘技術と状況判断が加われば彼を凌駕すらするだろう。
恐らく何らかの支援魔術を付与しているものとミアは最初に予想した。
常識に当てはめて考えるなら埒外の精度だが、相手が“大陸洗浄”で名を残すほどの客人と考えれば納得もいく。
だがそれだけではいくつかの疑問を解決できない。
わからない点は大きく分けて三つ。
(そんなに効果的な魔力付与ができるなら、絶対にグリモアーツを【解放】させた方が強いのに)
確かに素手でも恐ろしい強さであることは間違いない。だがここにグリモアーツが加われば、戦局は一気に相手側の有利へと傾くはずだ。
しかし相手は武器どころか防具すらまともに使わず、武装した敵を素手のまま殴りつけるばかり。どう見ても不自然であり、そこに敵の秘密が仕組まれているように思えた。
(それともう一つ……意味わかんないだけでなく普通にキモいけど)
二つ目の疑問は男達の様子。
「がんばれーっ! 勝って我らが道化に褒めてもらうんだ!」
「僕らが力を合わせれば、どんな相手だって怖くない!」
無表情のまま涙を流し続け、口から声色と内容ばかりが明るい言葉を紡ぎ続ける不気味な所作。
洗脳されているのか何なのか、間違いなく元々の人格ではあり得ないであろう発言を漏らし続ける。どう見てもまともな状態ではなかった。
以上二点が、現状ただ違和感としてのみ認識できる範囲での疑問点。
残る一点の疑問点は、それらの突破口になり得るものである。
(どうして胴体を……いや、胸を守り続けてる?)
ミアの【ホーリーフレイム】を受け止めた時はその疑問も特になかった。第四魔術位階に該当する攻撃なのだから、急所への命中は死に直結する。
しかし先ほどから見ていると強化された体で容易に受け止められるであろう攻撃すら、狙いが胸部となると必ず四肢のいずれかで防ぐ。
腹部を殴りつけたクラスメイトが腹筋で拳を受け止められ、そのまま殴り返されるのは見た。つまり彼らにとって胴体全体が弱点というわけではない。
胸部――場合によっては心臓。
そこにこの異様な光景を現実とする何かがあるのではないか。
「みんな、あいつらの中の一人でもいい! 両腕をどうにか抑えて!」
「あいよ!」
声に応じたのはミアと同じく陣形の中央にいるモンタギュー。
彼のグリモアーツ“ア・バオ・ア・クゥ”が地面に潜り込んで、まず最前列にいる一人の男の足を地面に沈めた。
第五魔術位階【ラビットイーター】。
一部の地面に即興の沼を作り出す魔術で移動を妨げられた男は「あれれ?」と間の抜けた声を発しながらつんのめる。
バランスを保とうと左右に伸ばされた両腕を、今度は地面から伸びた焦げ茶色の鎖が締めつけた。
こちらも第五魔術位階、モンタギューの適性である地形操作ではなく魔力変質によって具現化されし魔力の鎖【チェーンバインド】だ。
「うわ! 助けてーっ!」
「誰かそいつの服破いて、上半身裸にして!」
ともすれば場違いな冗談にも受け取られかねないミアの指示を真剣に受け取った女子生徒の一人が、自身の魔力で強化された剣を振るって男の衣服を破った。
「うぷ」
間近でそれを見た彼女が吐き気を催し、急いで後退する。
遠目に見たミアもその気持ちに共感しつつ、ついに敵の正体を看破した。
「あっ、ゴロングのやつバレてやんの!」
「うわあ、やられちゃったあ」
男の胸元に溶け込むようにして縫いつけられている、それ。
キリンのぬいぐるみ。
複数の血管を全身に接続した状態で脈打ちながら、肉と皮を引っ張って伸ばした両腕で恥ずかしそうに顔を隠す。動作と外見だけなら愛嬌もあろうがそれ以上にグロテスクだった。
ミア達学生は奇怪にしておぞましい光景に、敵の勢力は隠していた事実の露見にそれぞれ冷静さを失い一瞬だけ動きを止める。
「おやおや大変。みんなの鎧の秘密が敵の作戦でバレてしまいました。でもきっと大丈夫。仲間と協力して頑張れば、どんな困難でも乗り越えられるはずです」
露わになったぬいぐるみと男の背後でいつの間にか立っていたシャーロットが、手に持ったバタフライナイフを味方であるはずの男の背中に突き立てる。
瞬間、フラミンゴ色の光が男の全身を駆け巡り、ゴロングの周囲に複数の小さな魔術円を浮かべた。刺さった部位から血が流れる様子はない。
「それならこれでどうだ! 僕だって本気を出せば強いんだぞ!」
無表情のまま無邪気そうな言葉を口走り、男の両腕がずるりと伸びた。
関節部分を千切ったかと思えば断面の間を血で染まった綿が繋げている。連なる柔らかな筋肉の代用品には、先ほどの光と同じ色で輝く帯状の術式が浮かぶ。
それだけではない。口の両端が裂けたかと思うと喉から明らかに生態器官ではない金属製の筒が突き出し、左右の手のひらと脇腹からは無数の刃まで生えてきた。
「鎧の表面が削られて作戦がバレてしまったゴロングは、ついに本気を出すことにしました。彼の勇敢さに応えて大砲が、剣が、雄々しい腕が力を与えてくれます」
朗々と読み上げるかの如く穏やかな少女の声は、この無惨極まる状況下において場違い甚だしい。
(……ああ、そっか)
そして正体が暴かれると同時に異形の怪物へ変貌した男の姿を見て、ミアは思い出す。
今回相手にするシャーロット・グレイと同じ♥の札が、以前騎士団学校の生徒に何をしたのかを。
拉致監禁と拷問を経て、それでも更生が認められず肉体の一部を何らかの調度品に加工され、それを家族に送られた中等部の悪童の末路を。
(もうとっくにこの人達は殺されてて、死体をオモチャにされてるんだ)
十中八九、シャーロットの握っているバタフライナイフが彼女のグリモアーツだろう。
男の肉体に流し込まれた魔力は体内で綿となり、ぬいぐるみと接続して疑似的な筋肉となっている。魔術が成立しているということは術者たるシャーロットの血が綿に染み込んでいるに違いない。
死体に縫いつけたぬいぐるみも既存製品ではなく魔力から生成されたものと思われた。
厄介なのは血液を染み込ませた綿が筋肉として解釈されている点と、それで魔術が成立している点。
ここまで戦ってきて敵の体が異様なまでに頑丈なのは、ミアと同じく支援を目的とした術式によるものだと認識していた。
だがシャーロットは支援魔術にある程度必要とされる呪文の詠唱を、この戦いの中で一度もしていない。
となると支援魔術に強い適性があるということも考えられたが、前情報によれば彼女の適性はぬいぐるみを対象とする人形魔術と物質強化。唐突に異なる魔術の適性が無から生じるとは考えにくい。
では死体を物質として扱うことで強化の対象にしているのかとも思えたものの、重い男の死体など操るのなら元々使ってきたぬいぐるみの方が効率的だろう。
どういった意図と意味があって死体にぬいぐるみを癒着させているのかと短い時間で考えたところ、理性が嫌な予感を導き出した。
(ていうか待てよ。もしその前提……元々の適性が物質強化にあるっていう話からして間違ってるとしたら)
先のコリンの言葉が脳裏に浮かび上がる。
――『身体強化系の魔術を使った、と見れば不可解じゃないけど』
最悪の可能性がまだ残されていることに気づき、ミアは相手が自分と類似した戦法を選んだなどという間違った判断を即座に捨てた。
「全員狙いをぬいぐるみとシャーロット本人に絞って! 最悪そこの怪物は無視してもいい、とにかくアイツを……!」
「悪者が作戦に気づいたようですが、もう手遅れでした」
叫ぶと同時、視界にいたはずのシャーロットが消えた。
消えたと言っても実際に姿を消したわけではない。周囲にいる生徒の視線や声を頼りに、ミアは彼女がどこにいるのか割り出す。
「上、か!」
空中で錐揉み回転しながら急降下してきたシャーロットの振るう刃を、寸でのところで“イントレランスグローリー”により受け止める。
やはりシャーロット自身も身体強化魔術の恩恵を受けていた。しかもグリモアーツの形状まで知ることができたため、多少の危険こそあったものの得られた情報の質は良い。
そしてこの防御を論拠としてミアは確信を得た。
人形魔術と身体強化魔術の併用。
それがシャーロット・グレイという客人の真の魔術適性だ。
(あのぬいぐるみとそれを縫いつけた死体を、自分の体の延長にしてるんだ)
血を混ぜた綿と色とりどりの布を使って自らの分身を量産し、それらを術者当人と同様に身体強化魔術で増強しているのだろう。
膂力や脚力の底上げに皮膚や筋肉の硬度上昇、中には反射速度に影響を及ぼすものまで。
そうして一体一体のぬいぐるみを強化して操る従来のやり方に加え、今回は人間の死体を土台として新たな装備品まで追加している。
わざわざナイフで刺す必要性があるように見えるのはブラフか消費魔力との兼ね合いか不明だが、いずれにしても油断はできない。
何にしてもこの戦い、シャーロットを倒さなければ勝利もないのは明白である。
ミアがバベッジの効果で無詠唱のまま【ホーリーフレイム】を放とうとするも盾の表面を蹴った彼女はすぐに離脱、高く跳躍して別の男の近くに着地した。
「止め……ッ!」
「じゃあ僕も本気で戦うぞ! 全員でこいつらをやっつけるんだ!」
操られているのであろう男の口がそう言うとほぼ同時、バタフライナイフ型のグリモアーツがその男の脇腹に突き刺さる。当然またも魔力が流し込まれて第二の異形が本性を現した。
「食らえー!」
先に異形と化したキリンのぬいぐるみの男が、口とは異なる器官から確かに言葉を紡いで砲身をミアに向ける。
そこから射出された鉄球を“イントレランスグローリー”で難なく受け流すも、事態は明らかに悪化していた。
元より戦いは素手の軍勢と互角の関係で進んできたのだ。このまま敵勢力が次々と異形に変わっていっては戦力差が逆転してしまう。囲まれて袋叩きにされればカレンの配ったブレスレットとて手数の多さに抗えない。
「コリン、いる!?」
状況によっては姿を消しているであろう友人に声をかけ、所在を確かめる。
「すぐ近くにいるの!」
「じゃあそのまま離れないで! 悪いけど作戦伝える暇ないから、その場で私に合わせて!」
言いながら前線でグリモアーツを振るう仲間に手を向け、詠唱を始めた。
「【あからしま風の気配が 産毛を撫でる】!」
第六魔術位階【パーセプション】。肌の感覚を強化して知覚能力を向上させる支援魔術の一つである。
今はとにかく無駄な魔力を消費させず、加えて負傷も避けねばならない。
なので仲間には人形を避けつつ本体たるシャーロットを追い詰める方向で連携してもらわなければならない。
「まだ変形してないやつの胸元を攻撃して! 可能ならシャーロットの動きも抑えながら!」
多くの敵を避けながら一人の敵を追い詰めるように連携する。
言うだけなら簡単だが実行する際の難易度は尋常の沙汰ではない。それでも未だ残る【コンセントレイト】の効果と【パーセプション】が組み合わさり、仲間達は襲い来る長大な腕と無数の刃を回避しながら一人の少女に目を向けた。
(ここからが正念場だ!)
集団の司令塔たるミアと群体の核たるシャーロット。
両者未だに無傷であり、戦力も現段階では拮抗している。
それでもミアは、不思議と負ける気がしなかった。
少し前まで話していた世話好きな人工知能の笑顔が、勝利を約束してくれているような気がして。




