第九話 開花 -エリカの場合-
強化合宿、二日目。
エリカは一日目と変わらずリリウオカラニに与えられた課題をこなすべく動き回っていた。
「【チェーンバインド】!」
拘束するよう言われた青い玉目掛けて、空中に展開した複数の魔術円から同じ色の鎖が伸びる。小さな玉を巻き込みながら鎖同士が互いに互いを拘束対象と定めて絡み合い、結果としてそれらは一つの円盤状の塊となった。
この時点で青い玉を三つほど内部に閉じ込めている。魔力による構成物で触れてはならない緑色の玉が混入していないのも事前に確認済みだ。
「あとは赤と青がそれぞれ二粒、か」
エリカはそれに乗ると同時に魔術円を一つ円盤の外周部分につけ、魔力を噴射させて滑空する。
両足に展開した魔術円で飛ぶよりも速く、そして安定した移動手段として編み出した小技だ。
魔力消費量はそこそこ多い。しかし本来魔力弾を専門に扱う者にとって空中での移動手段などそうあるものではないので、効率的に追跡できるならと諦めた。
目指すはふわりと浮かぶ白い立方体の狭間に飛び交う赤い玉。
それも緑色の玉を回避しながら移動しなければならない。
が、回避に関してエリカは既に対策を練っていた。
「左か」
円盤の後方につけていたブースターたる魔術円の角度を上向きにし、ガクンと急降下する。
直進したままでは円盤部分に命中していたであろう左側から飛来していた緑色の玉を、エリカは手掴みで止めていた。
実は現在、普段であれば二十六門展開されているはずの魔術円が二十三門しか表に出ていない。
残り三門の行方は、エリカの目にある。
「これで緑は三つ集め終えたな。んじゃ、気兼ねなく赤い玉ァ砕きに行こうかね」
そう呟きつつ手に持った緑の玉を服の内側に入れて肌とスポーツブラの間で止める。幼い胸の中には脱出を試みるも挟まれて動けずにいる玉が集まっていた。
集中力を阻害するものの、これで一番邪魔な存在を排除することができたのは成果として非常に大きい。
現在エリカの右目には、三重に重なった魔術円が展開されている。
縦軸、横軸、そして奥行きのそれぞれ三種類に区分して展開された第六魔術位階【マッピング】。
エリカはそれを自身の網膜に展開することで広域の索敵を実現していたのだ。
その索敵範囲と精度は圭介の【サイコキネシス】やユーの【漣】を遥かに凌駕するばかりでなく、画図という形で可視化されるため対象物の識別すら可能とする。
空間内を自由闊達に飛び回る小さな玉の色を見抜いて対処できるのも、基盤となる【マッピング】が魔術として優秀だからと言えよう。
加えて通常の魔術円と比べてコンパクトな大きさで、尚且つ効果範囲を局所的に狭めたため消費魔力は微々たるものとなった。コストパフォーマンスという点で言えば索敵用の魔術の中でも歴代五指に入る運用効率と言えるだろう。
ただし、ここまでの代物を何の代償もなく使えるはずもない。
「……時間制限もある。急がねえとな」
一つの眼球に三つの術式を重ねがけして広い範囲を詳細な情報まで探る。かかる負荷は相応に重く、あまり長時間この状態を持続させると眼球が魔力で圧迫されてしまうのだ。
無理に使い倒して一度は片目を失った。
仮想現実であればこそ即座に完璧な形で修復できたものの、回復魔術で弾け飛んだ眼球を治すことはできない。最新鋭の医療技術でも難しいだろう。
眼球破裂までにかかる時間は発動してからおよそ五分。破裂しないまでも過負荷により術式そのものが機能不全に陥るまでに四分と二十秒ほどだったと薄っすら記憶している。
となると実質的なタイムリミットは発動してからの四分と見るべきである。この短時間でエリカは緑の玉にくすぐられながら残された赤い玉を二粒破壊し、青い玉を二粒捕まえなくてはならない。
「つーわけで」
思考する間にも頭上から迫りくる巨大な立方体の集合を“レッドラム&ブルービアード”から放つ魔力弾の連射で砕く。
白い四角がバラバラに飛び散るその向こう、満天の星空にリリウオカラニが無表情のまま浮かんでいた。
「オメーと遊んでる暇ねンだわあたし!」
『どうぞお構いなく。早く指定された通りに課題をこなしてください』
訓練中にリリウオカラニからの妨害が入るようになったのはいつ頃からだっただろうか。
周囲に浮かぶ立方体を自由自在に動かして、赤い玉をエリカの魔力弾から守ったり青や緑の玉を魔力弾の軌道上に押し出したりしてくる。
そんな彼女の挙動を見て、エリカは再度集結しつつある立方体の位置に注意しながらある程度までこの訓練の方針を察した。
(こりゃ的当てじゃねえ。本質的には超大型モンスターを想定したリリウオカラニとの疑似戦闘だ)
あまりにも邪魔だからと一度リリウオカラニに向けて魔力弾を放ったこともあったが、その弾道は念動力により捻じ曲げられた。つまり訓練に用いられている三種類の玉だけが攻撃を許された部分ということなのだろう。
敵を倒すためにも確実に撃ち抜くべき弱点は赤。
迂闊に攻撃せず動きを止めるに留めるべき箇所は青。
緑は捕らえられた人質か、破損させてはならない物品を想定しての要素か。
相手が巨体を誇る場合、闇雲に攻め続ければ勝てるというわけではない。むしろ条件によっては下手に刺激したがために被害が拡大するケースも考えられる。であれば今こうして置かれている過酷な状況にも納得はできた。
しかしそんな限定的なシチュエーションを前提としてカリキュラムを組むとも考えにくい。
(スキャットマン・エッグを使った訓練も残り時間は二時間程度。この追いかけっこを終えたくらいで、その先に何かあるな)
考えながら障害物が合間に入らないよう至近距離まで近づいてから赤い玉を二粒撃ち、青い玉を一粒手で掴み取り足場となる鎖の隙間に押し込む。
残り一つの青い玉さえ取れば、と一瞬だけ弛緩しそうになる緊張感を根性で維持しながら左右から迫る立方体を回避した。
眼前で平面同士が衝突する。もしも生じた油断をそのままにしていれば、索敵で位置を認識していても反応が遅れて潰されていたのは明白だ。
この空間では死んでもやり直しができる。潰れた眼球も元に戻してもらえる。
しかし同時にそれは、これまでの訓練をリセットされることをも意味していると昨日から続く訓練を通して理解していた。
(一つの事柄に意識を集中させるな、全部だ、全部に万遍なく均等に集中しろ!)
矛盾にも似た思考で自身を奮い立たせ、エリカは視界ではなく【マッピング】から得られる情報を頼りに空中で複雑な軌道を描き滑空する。
移動を阻む全ての物体がどこにあるのか、どのように動く可能性があるか。膨大な数の可能性を青い玉とともに追い続けて刹那に最適解を導いていく。
衣服をすり抜けようとする緑の玉を押さえつけ、後方より迫る立方体は【チェーンバインド】を絡めて前方に立ち塞がる立方体にぶつけながら、動きを変え続ける青い玉に接近する。
追跡の中、エリカは射程圏内に入った青い玉へ“レッドラム”を向けた。
『何を』
砕くのではなく拘束しなければならない対象に銃口を向けるという、これまで見せなかった動作。そこに疑問を呈したリリウオカラニを無視し、引き金を引く。
放たれた魔力弾は方向転換のために空中で一瞬止まった青い玉に命中した。
が、玉が砕けるという事態にはならない。
赤銅色に薄く輝く透明な糸の集合体に包まれた青い玉は、その状態のまま空中に静止している。
【スパイダーネット】と【ダストボール】。
振り払うだけなら子供の腕力でもできる蜘蛛の糸を一時的に再現する魔術と、部屋に積もった埃程度の軽い物質を球状にまとめ上げるだけの魔術。
これら二つの第六魔術位階を一つの魔力弾に複合術式として込めて、エリカは青い玉の動きを空中で止めてみせた。
「これで課題クリアだ、バーロー」
かつてヴィンス・アスクウィスに指摘された通り、エリカの魔力弾は二つの第六魔術位階を複合術式によってまとめあげる形で衝撃が加わると同時に炸裂するよう細工されている。
普段は温度上昇の術式【ヒート】と温度低下の術式【クール】を一つの弾丸に込めているのだが、これを別の第六魔術位階に置換することも一応は可能だった。
今までそれをしてこなかったのは、魔力弾ではなく魔術円の方に一種類の魔術を仕込めばいかなる事態でも事足りたことが理由として挙げられる。
そして仮に魔力弾に込めた術式の相性が悪かった場合、射出するエリカの側がどうなるか未知数だったという懸念もあった。
「都合のいいように練習させてもらえたのはあたしとしても幸運だった。礼を言うぜリリウオカラニ」
『…………まさか、あなたは』
だから、これまで何発か通常の炸裂式魔力弾に交えて撃つことで試してきた。
当てても壊れずルールに抵触しない的として白い立方体を。
魔力弾が暴発しても取り返しのつく環境として仮想現実を。
それぞれ提供してくれたのは他ならぬリリウオカラニだ。
『私の妨害行為を利用して、新しい魔力弾を開発するための練習としていたのですか。それもその事実をここまで隠蔽し続けたと』
「そのくらいはするさ」
赤銅色の鎖が集合してできた円盤の上に腰を下ろし、右目に展開した三重の魔術円を解除してエリカは微笑む。
「でなけりゃ[デクレアラーズ]なんて化け物集団と戦えねえだろ」
『……………………そう、ですか』
呆けたような反応を見せてから、リリウオカラニがどこかエリカとは違う何かを確認するように星空の彼方へ視線を向けた。
それを見てエリカも察する。次こそがこの仮想現実での訓練の、集大成だと。
『午前中のカリキュラムに残された時間は一時間四九分五二秒。これより私からエリカ・バロウズ様に与える訓練の最終段階に入ります』
「いよいよか。次はどの色が何個だい?」
『赤、青、緑の玉がそれぞれ一つずつとなります』
「そうか」
玉の個数が一気に減った。だからと油断も動揺もしない。
友人へのいたずらや敵への嫌がらせを幾度も思いついてきたエリカには、意地の悪い目の前の人工知能が何をしようとしているのかわかっていたから。
『それでは、下準備に入るとしましょうか』
言って、リリウオカラニの両腕が翼を開くように左右へ伸ばされる。
同時に風景の様子が大きく変化していった。
地平の彼方まで無機質な純白の大地を形成してきた無数の立方体。
それらが全てバラバラに持ち上がり、これまで地面があった場所に頭上と同じ星空を広げる。
地面が消えて、代わりに無尽蔵の障害物となった光景。
円盤から落ちれば眼下の星空に落下するのみ。玉の位置を把握するには【マッピング】が必須であり、飛行手段を用いない移動は大きく制限された。
「途中から何となくこうなる気はしてたんだよ、いやホント」
『冷静ですね』
「まあな。ついこないだ、ビバイ迎賓館で似たような状態になったばかりだ」
自らの魔力で構成された足場の上で屈伸運動を軽くしてから、右のこめかみを軽く指でトントンと叩く。
まだ数分は先ほどの形での【マッピング】が使えそうにない。
時間稼ぎついでに、聞かなければならない事項があった。
「三つ、確認しておきたい」
『どうぞ』
「ここから落下したらあたしの体はどうなるのか。これが最後で赤い玉も一つだけって話だが、じゃあ間違って緑の玉に触っちまったり、青い玉を壊した場合どうなるのか。時間内に赤い玉の破壊と青い玉の拘束を実現できなかったらどうなるのか。このへんハッキリさせとこうぜ」
単純な疑問から順番に提示したが、特にエリカが気にしているのは二つ目の質問である。
これまでの訓練では青い玉を壊すか緑の玉に魔力を触れさせた場合、せっかく壊した赤い玉と拘束した青い玉が全てリリウオカラニから近い位置で再出現し、最初からやり直しという形だった。
しかし今回は赤い玉の数が一つのみ。仮にルール違反を犯しても今まで壊した分まで復活するという事象に繋がらないなら、状況がリセットされたとしてもペナルティとしては軽い。
問われるとわかっていて訓練開始まで少し待ったのだろう。大人しく立方体の群れを浮かせたまま、リリウオカラニはエリカの質問に応じた。
『いずれにしても、そして達成条件を満たした場合でも答えは同じです。今回の訓練はこれにて終了とさせていただきます』
「そりゃつまり、スキャットマン・エッグを強制終了させるってことか? 随分なお客様対応だなオイ。マニュアル作ったのどこのどいつだ」
『我らがオーナー、カレン・アヴァロン様です』
「後で変なことしちゃおうかなあの合法ロリがよ」
苦笑しつつ魔術での索敵ができないなりに周囲へ注意を張り巡らせる。足場としている鎖の円盤に緑の玉が衝突した瞬間、この仮想現実から弾き出されてしまうのだから。
複数の質問を一つの回答で処理された以上、ここからは自力で【マッピング】が使用可能となるまで時間を稼ぐしかない。
『質問は以上でしょうか』
「……おう。来な」
『これよりエリカ・バロウズ様専用、仮想現実空間における超大型モンスター対策訓練の最終段階に移行します。ご武運を』
四方八方が夜空と白い四角形で構成されている空間の中、魔術円から魔力を噴射しながらエリカはビー玉程度の小さな玉を探し始めた。
(客人の言う宇宙ってなぁ、こういうのを指すのかね)
瞬き一回分の時間だけ、余計なことを考えながら。




