第七話 束の間の休息
夕方十七時。
カレンとの訓練を終えた圭介はレオと二人で他のクラスメイトらと合流し、結果として
「ちょっ、ミアあんた、いやこのアマ!」
「ケースケ君と一緒のパーティだからっていい思いしやがって!」
「彼氏めちゃカッケェじゃん!」
「粋がるなよ……勲章の飾りつけ風情が……!」
「痛い痛い痛い! あと最後のやつ怖い!」
レオと交際していることが判明したミアは、他の女子からデコピンの嵐とともに詰められていた。
「テメェがミアの……いやでもイケメンだな」
「考えてみればコイツも勲章持ってんだっけ。俺らが勝てるわけねーよ」
「何なら女子更衣室に転移してきたケースケ君のが許せねえわ」
「あ、あの……」
「おい僕が転移してきた時の話はやめろ。殴るぞ」
一方で何故かミアに仄かな好意を寄せていたらしい男子一同はレオを認める段階に入っていた。
ドーム付近で合流した一同はそのままバーバラに誘導される形で宿泊施設へ移動し、夕食までの時間を各々の部屋で過ごす運びとなる。
人数の多さが関係して二人一組という形式になり、圭介の部屋はモンタギューが同室と相成った。
「来た時から思ってたが、この街は全体的にこう……独自の雰囲気を醸し出してるな」
言いながら人参のスティックを齧るモンタギューは、部屋の内装を見渡してしみじみと語る。
カーペットやソファといった品には特に変わった点がない。しかし一方で照明器具や時計といった端々に金属を使用した小物に関しては、職人のこだわりとも言える複雑な意匠がそこかしこに散りばめられていた。
木彫りの帽子掛けは先端に手の甲に鱗を有する握り拳が存在しており、試しに上着をかけてみるとまるで大柄なドラゴノイドに預けているかのような気分となる。
窓ガラスもただはめただけの代物ではなく、技術によって意図的に表面を唐草模様のような渦巻の集合という形で歪ませられたものを使用している。
外から部屋の中を確認できなくするための措置だろうが、結果として部屋の中からも外を確認できない。
壁紙の柄は圭介ら客人の世界で言うところの北欧系といったところか。アガルタ王国ではあまり見ない類の模様を持つ壁が、オレンジ色の照明によって有機的な温もりを宿していた。
「ダアトの見た目が見た目だからな。部屋もどんなもんかと思ってたら想定以上のもんが出てきて驚いたぜ。随分と洒落た見た目してんじゃねえかよ」
「僕も遠方訪問の時は清掃員用の部屋で寝泊まりしてたから、お客さんが泊まる部屋を見るのはこれが初めてなんだよね」
『ダアトの宿泊施設はいずれも別々の職人が部屋の内装を手掛けているので、他の建物もこれとは異なる造りをしています』
「へー、機会があったら見て回りたいもんだ」
言いながら二つあるベッドの片方に荷物を置く。食事を抜いてでも寝転がりたい気分に駆られながら、圭介はある事実を思い出した。
「モンタ君そういや重要なことを一つ言い忘れてた」
「うん?」
「もしかしたら事前に調べて知ってるかもしれないけど、ダアトって携帯の基地局がないらしくてさ」
「あー、それなぁ。結構有名な話ではあるぜ」
「一応無線ルーター使ってネット繋げたりはできるんだけどね」
どういうわけか移動城塞都市ダアトは城塞としての機能を有する一方で、現代の通信手段でもあるインターネットと携帯電話の回線を一切採用していない。
そのため外部とのやり取りは基本的に物理的な文書か、あるいは今回の合宿をレイチェルに持ちかけた時のように言葉を弄する機械で済ませることが多いらしい。
「なーんでこんな不便なまちづくりしちゃってんだろウチの師匠は」
『意図は不明ですが、基地局の設置については以前住人の多くから要望があったにもかかわらずそれをオーナー一人の判断で一蹴していました』
「何か考えがあってのことではあるんだろうがそれでも不便は不便だな」
住人からの反発を承知の上で貫いたなら事情があるのは間違いなかろう。
しかしそれが何を示しているのかまではわからない。ダアトで過ごす中、巻き込まれる側はただ不便を覚えるだけである。
それでも嫌われるどころか慕う者が多くいるのだから住人には最低限の説明をしているのか、はたまたそこにカレンのリーダーとしての資質が表れているのか。
「ところでモンタ君もバーチャルで特訓してたんだよね。どんなことしてたの?」
「生徒の適性によって内容が違うらしいから他の奴らは知らねえが、俺の場合はひたすら赤い地面を避けながら青い地面を【クレイアート】で柔らかくするのを繰り返してた」
「地味だけど平和だなぁ。僕もそういうのが良かった」
『楽な内容ではないはずですが』
「アズマの言う通り、地味に大変だった。色の違う地面っつっても四角いパネルで区切られてるとかそういうわかりやすいやつじゃねえからな。おかげで【クレイアート】の一芸でできることも増えたが」
思い出すだけでうんざりしてしまったのか、吐き出された溜息とともにモンタギューの長い耳がへにゃりと折れ曲がった。どうやら相当に疲れているようだ。
「何にせよ明日の朝までは自由時間だ。とっとと飯食いに行こうぜ」
「そだね。でも大丈夫かな。またユーが夕飯の料理食い尽くしてないか心配だな」
『ダアト側も前回の反省を活かして今回は適度に準備しているものと思われますが』
「遠方訪問で何やらかしたんだあのドカ食いエルフは。安心しろ、あんたより長くユーフェミアとクラスメイトやってる奴らがふんじばってでも止めるから」
「やだちょっと、何か嫉妬しちゃう言い方するじゃん。こちとらダアトで鍛えてもらってた頃ユーに何度も木刀で殴られて三桁は骨折られてるんだぞ。勝った気になるなよ」
「よくわからんが俺の負けでいい」
雑談を交わしながら襲い来る眠気に抗う。バスで移動する途中、最後のパーキングエリアで昼食を摂ってからここまでほとんど休まる瞬間がない。
特別強化合宿は二泊三日。明日は一日通してのスケジュールとなる。
夕食を食べてシャワーと歯磨きを済ませたら英気を養うためにも早々に寝てしまおうと、二人とも言葉にしないまま誓い合うのだった。
* * * * * *
騎士団学校から来た少年少女が食堂でバイキング形式の食事に食らいついている時刻。
ダアトの奥に建造されている[ベヒモス・ビル]の螺旋階段を登った先、長となる者のために誂えられた執務室でカレンは複数人の部下達と向き合っていた。
彼らはカレンの下で顔馴染みとなった面々であり、過半数がダアトの住人として登録されているが中にはフリーの冒険者として外部で活躍する者もいる。
種族もバラつきがあり外見的な統一感こそないものの、装備品や佇まいから漂う強者特有の空気が各々の積み上げてきた経験とそれに伴う実力を全員分しっかりと示していた。
それでも知り合いばかりが集まる場所故に幾分か弛緩した空気の中、耳にも鼻にも舌先にも真珠のピアスをつけたクラウンの青年が呑気そうに口を開く。
「明日の昼にはスキャットマン・エッグでの仮想訓練も終わり。ってぇなると、まあ妥当に進めるなら次は実技訓練が始まるわけだ」
言外に自分達が呼ばれたのはその都合であろうと告げている彼の視線を受けて、作業机に座るカレンが「まあね」と応じた。
同時進行で【テレキネシス】を用いペンを動かしながら何らかの書類にサインしているようだったが、ここに呼ばれた面々は今更その程度の些末事に驚かない。
「仮想現実での訓練はあくまでも個々人の適性に応じて好き勝手に組んだカリキュラムを実行できるってだけ。実物揃える手間と費用を節約できるし必要な感覚を養うことも可能だけど、それだけじゃ本当の意味で強くはなれない」
「シューティングゲームが上手いからって実戦で銃持たせて戦わせても、ねえ」
「だからこそ実際に撃たせる必要があるのでしょうな。我々が的となる形で」
苦笑交じりに例え話を放った客人と思しき短髪の女には、老齢のドワーフの男が酒瓶片手に神妙な面持ちで反応する。
当然、ここまでは逐一語るまでもない話だ。元よりアーヴィング国立騎士団学校に今回の話を持ちかけた際、彼らには事前に訓練の指導役として働くよう依頼してある。
そのメンバーを一度ここに集めた理由はスケジュールの確認だった。
ただ、この会合は明日の流れを追うだけでは終わらない。
「明日やる予定だった東郷圭介とレオ・ボガートの訓練についてだけど。実は予定を大きく変更することにしたの」
「何故?」
即座に短く疑問をぶつけたのは、外見だけなら少女で通じるエルフの女。
普段は寡黙な彼女がやや前のめりな態度でいるのは、彼女こそが明日その二人の訓練にカレンと二人で臨む予定の人員だったからである。
不服を由来としているわけではない、ただ事実確認のために投げかけられた問いかけにカレンは机に積まれた書類の中から一枚を【テレキネシス】で取り出した。
「[デクレアラーズ]の工作によって大きく形を変えた地形を修復作業と同時進行で調査してたら面白いものが発掘されてね」
「面白いもの?」
ニヤリと笑い、カレンが宙に浮く書類の表面を一同に向ける。
「未発見のダンジョン。それも崩壊した部分からモンスターが定期的に湧いて出てることから察するに、ロードがいる」
「――ッ!」
ロード。その言葉を聞いて室内に緊張感が満ちた。
ダンジョンにおいてロードと呼ばれる存在は、言うなればモンスターを生み出して侵入者に危害を加える迷宮の主である。
いかなる手段でモンスターを生み出しているのか、またどのようにダンジョン内で生命活動を継続しているのかは謎に包まれている。その仕組みはビーレフェルト大陸で言うところのオカルトに分類される話で未解明な点が多い。
ただこの場で確定している事実は、本来学生に触れさせるべき相手ではないという一点。
「いやカレンさん、そりゃあちょっと無茶じゃあ……。ていうか国に報告とか入れなきゃですよね? 手順踏まず勝手に入ったりしたらまずいと思うんですけども」
「発見したのは昨晩の午前一時。もちろんこちとら健全な一般市民ですもの、当然見つけてすぐに王城に手紙と資料を送ったわよ」
――ちょっとした“要望”を添えてね。
カレンの唇が不穏な言葉を紡ぐと同時、先とは異なる書類が机の上から引っ張り出された。
内容は第一王女フィオナ・リリィ・マクシミリアン・アガルタからの返答。
カレンの部下として一定期間従事してきた彼ら彼女らは、それを見て今度こそ戦慄に短い悲鳴を上げた。
「結果、お姫様から直々に調査の許可をいただけたってわけ」
あり得ない事態だ。ダンジョンの発見を報告すべき相手と言えば、通常は国防省に属するダンジョン評議会と相場が決まっている。
それをどういう手順を踏んでか、第一王女から直接の返答という形で書状を受け取っているのが目の前にいるダアトの支配者の姿であった。これをすぐに飲み込めるほど歴戦の猛者どもも怖いもの知らずではない。
「んな、何、何をどうしてそうなったんですか?」
「えぇ……だってあの、えええ……」
「あんた王族の弱みでも握ってんのかよ」
「随分な言い草ね。きちんと国防省に送って、その六時間後に来た返事よ。中には私の出した要望を全面的に受け入れる旨の一文が添えられているわ」
部下の反応など最初から予想していたのかひどく退屈した様子の表情をより深めて、カレンは机の引き出しからとある機械を取り出す。
インナーイヤー型のイヤホンと小型マイクのセット。
無骨なデザインのそれが二組、プラスチックケースに入れられたまま浮遊していた。
「というわけで、圭介とレオの二人にはダンジョンに潜って貴重な素材を集めるついでにロードを倒してきてもらおうと思うの」
ダンジョン奥深くへの探索、及び湧き出るモンスターの起点となる存在の駆除。
騎士団の領分であるべきそれら大仕事を、カレンは床掃除でも任せるかのように軽く言ってのけた。
「ついでにその様子を広場の大画面に繋げて配信させるわ。他の生徒にも、これからあんたらと実戦訓練を積む立場として色々学んでもらいましょう」
「いやあのカレンさん? ロードがいるようなダンジョンにたった二人で調査させるのも無理だし、それを比較対象として持ち出すのも他のガキんちょ連中にとって無茶でしょうよ」
「私ら別にそんな、よそのお子さんでもある学生さんを殺す勢いで指導するつもりない……」
「それならそれでいいの。必要なのは修羅場くぐり抜けてきた奴がどう危機的状況に陥って、そこからどう生き延びるかを見せることだから。それに」
退屈そうな顔が、少しばかり異なる感情を宿らせる。
それだけで微細な変化を観測した者は例外なく、肌の表面を強く叩かれたような緊迫感と圧力を覚えてしまう。
「生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い込む役目は、あんたらとは別の連中が担う」
言って、まるで何事もなかったかのように当日のカリキュラムを箇条書きした書類を配り始める。
客人の長が纏う空気は、それ以上の一切の質問や抗議を拒絶していた。




