第六話 既存の力と新たな力
ダアトの外、平原に連れ出された圭介はそこで想定と異なるタイミングでの再会を果たす。
「レオ?」
「あ、圭介君も来たんすか」
既にグリモアーツ“フリーリィバンテージ”を【解放】して両腕に巻きつけた状態のレオが、準備運動をしながら待っていた。
状況が飲み込めていない少年二人にダアトの長たるカレンが告げる。
「レオにはこれから圭介が負うであろう傷を回復してもらうために来てもらってるわ。仮想現実より現実での怪我の方が練習にもなるしね」
「さらっと怖い事言われたな今」
『負傷を前提とした訓練となると模擬戦闘でしょうか?』
「そう考えるのもわかるけどそこまで対等に接するつもりもないわ。今回圭介に叩き込むのは、魔術ではなく技術になる」
説明しながらカレンは圭介を睨みながら自身の胸に指を突きつける。胸ポケットに入っているグリモアーツ“アクチュアリティトレイター”をとっとと【解放】しろと言いたいらしい。
「……【解放“アクチュアリティトレイター”】」
言われるがままに【解放】したのを見届けて、再度カレンが口を開いた。
「圭介。あんたには複合術式と呼ばれる高等テクニックを修得してもらう」
複合術式。その響きで何を教えようとしているのか何となく察しつつ、無言で先を促す。
「例えばあんた多分だけど、【エレクトロキネシス】で電撃出して自在に操れないでしょ」
「そう、ですね……」
個人的に痛いところを突かれた。
あれから時折練習はしているものの、未だに電撃を出すというそれだけのことができないままでいる。
万物を操作できるはずの念動力魔術を扱う圭介にとって、操作する対象を発現できないのは停滞と同義だ。今すぐにでも力をつけたいというのに身につかない、歯がゆくも越えられない壁と言えた。
苦々しく思う圭介の表情を確かめた上で、カレンが右手をかざす。
途端、雷光が迸った。
「うわっ!」
「おぉう!」
思わず一瞬目を閉じて、それから恐る恐る開いていく。
そこには手のひらの上に球状の電撃をまとめ上げたカレンがいた。
球の大きさはバスケットボールほどだろうか。断続的に紙を破るような音を小さく響かせながら、棘のような波のような光をそこかしこからこぼしている。
当たり前のように電撃を操ってみせたカレンに呆気に取られていると、小さな手が細い指を閉じて握り潰すように雷球を消滅させた。電撃の塊に触れたはずの手には焦げ目一つない。
「これが複合術式……の、一例。既存の魔術を二つ以上組み合わせて新たな魔術の形にするというもの」
異なる魔術同士を掛け合わせる。おおよそ圭介が想定した通りの内容ではあった。
しかし長らくコントロールできずにいた【エレクトロキネシス】がこうも呆気なく使われると、ただでさえ越えられそうになかった壁がより高さと厚みを増したようにすら感じられる。
「今のは【エレクトロキネシス】に【エアロキネシス】を組み合わせることで電位差を任意に調整して、疑似的に発生させた雷をボール型に留めたの。まあこれは理屈で話すだけじゃ再現できないだろうから一旦忘れなさい」
落雷などの放電現象を目視した際、その形状が枝分かれしている理由の一つが電位差である。
大気中で生じている磁力・電力の強さは均一ではなく、電気はその強弱の差で直進と停止を繰り返しては新たに方向転換していく。これにより屈折を繰り返した結果が一般的にイメージされる雷の形状に繋がるのだ。
そしてカレンはそういった電気の性質を利用し、かつて圭介が水の剣を形成した時と同じ手法で一ヶ所に循環させて球の形を成した。
放電術式に適性を持つ者であれば第四魔術位階【サンダーボール】で同様の事象を起こせると以前授業で聞いたが、これを適性のない念動力魔術使いが再現しようとすると複雑な演算処理を要するらしい。
「今のあんたにいきなり同じことをやれと言っても難しい。だから【エレクトロキネシス】の完全な制御は後回しにして、まずは複合術式の基礎よ」
「基礎って言っても……」
「というか二つの念動力魔術を同時に使うだけなら今までにも何度かしてきてるんじゃない? 実戦を何度も乗り越えてきたんでしょ」
言われて思い出す。
確かに【テレキネシス】と【サイコキネシス】を併用して移動速度を上昇させたことならあった。
【テレキネシス】で浮かせた“アクチュアリティトレイター”に乗りながら【ハイドロキネシス】で作った水の刃を振るった経験も幾度となくある。
あれらの延長線上にある技術が複合術式なのだとしたら、そこまで難易度は高くないのかもしれない。
「あんたが今こなすべきは、【サイコキネシス】を【テレキネシス】で変形させること。まずはここからよ」
「【サイコキネシス】の、形を……?」
粘土のような力の塊を作り出して物体に干渉する【サイコキネシス】。
その形状を触れることなく物体を動かす【テレキネシス】で変化させるというのは、理屈として通る話ではある。
「まずは感触で教えるから腹に力入れなさい」
「えっ、それどういうグボホァッ」
唐突に腹部、右側頭部、左わき腹の順に強い衝撃が走った。
それぞれ感触としては棒による打突、平手打ち、傷こそ小さいものの斬撃。
「うわー! 何してるんすかカレンさん!」
「だからあんたも呼んだっつってんでしょうが」
「圭介君、大丈夫っすか!?」
「ぐへぇ」
「ぐへぇって言ってるっす!」
『そうですね』
「早く回復してあげなさいよ」
混乱して動きが鈍っているレオを見ながら流石に回復を促したカレンは、ここまでで指一本も動かした様子がない。
レオに傷を癒してもらいながらも圭介は改めて己が師匠との力量差を実感させられた。
同時に「なるほど」と納得する。
今の攻撃、恐らく【サイコキネシス】により生成された運動エネルギーを【テレキネシス】によって棒、平面、刃へと変形させたのだろう。
三種類の形状を動作もなくほぼ同時に繰り出せるのはカレンの技巧によるところも多かろうが、圭介にも同等の動きができるという理論上の事実もまた存在する。
「今のを僕にもやれと」
「そう。ついでに色んな傷をあんたにつけてくから、それを短時間でレオに治させるっていうレオ側に対する訓練も兼ねてる」
「待ってもしかして僕そんなめっちゃ多彩な傷つき方すんの?」
「待ってもしかして俺そんなめっちゃ多彩な怪我治すんすか?」
ったり前でしょうが、と言ってからカレンが今度は猛火と電撃を左右の手から発生させた。
圭介にはできない【エレクトロキネシス】と【パイロキネシス】の個別での同時発動という離れ業。しかも電撃に関しては先の理屈と合わせるなら【エアロキネシス】まで組み合わせている。
思わず目を見開いてしまい、
「見てないで動け」
「ごがあああああああ!」
結果として感電した上で胸に火傷を負わされた。衣服が焦げついて不快な臭いを発しているが一緒に焼かれた本人としてはそれどころではない。
「ひーっ、容赦ないっす!」
急ぎレオがその傷を【ヒール】で癒しながら【レッドフルーツ】で失われつつある圭介の意識を繋ぎ止めるも、カレンは容赦などしない。回復する合間も【ハイドロキネシス】で右手に大気中の水分を集合させつつあった。
「そろそろレオにも指導入れましょっか。あんたは切り傷、打撲、それから火傷と全部【ヒール】でまとめて治してるけどそれがどれほどすごいことかわかってないでしょ」
「えっ……」
突然褒められているのか責められているのかわかりづらい話が始まってレオが思わず困惑する。
「本来なら【ヒール】は外傷の治癒が専門分野であって内出血や火傷に関しては別の魔術を必要とするの。これらを全部【ヒール】で対応しようとすると普通は、まあ治らないこともないでしょうけど極めて効率が悪い」
回復魔術とは言わば魔術で医療を成す行為だ。となれば当然、傷の種類に応じて処置も変わってくるのが道理である。
しかしレオは【ヒール】という魔術をあらゆる損傷に通用するものと誤認してここまで来た。それを成立させてきたのは仲間の防衛能力の高さとは別に、もう一つの要因が絡む。
「効率が悪いはずなのにそれを感じさせないのは何故か。答えを言っちゃうとね、あんたの回復魔術は術式の浸透速度が異様に早いのよ」
他者の体に自身の魔力を浸透させるとなれば、相応に時間がかかる。相手の魔力が異なる性質の魔力に対して抵抗してしまうためだ。
それをレオの場合ほぼ無視して貫通する。それで内出血であろうと構わず即座に癒し、火傷で死んだ細胞の再生もスムーズに進められるのである。
思い当たる点として、メティスの空港でバイロンと戦った時の経験があった。
虫型ホムンクルスに【ドランク】を叩き込んで正常な判断ができないようにしたあの時。
思えば騎士団で副団長にまで上り詰めたバイロンが、ホムンクルスの統制機構に敵の魔術が干渉する可能性を考えないとも思えない。対策を練った上で、レオの魔術がそれを凌駕したからこそあの結果に繋がったと言える。
「だったら適した回復魔術を学べばそれだけ効率が上がる、つまりより早く回復させることができるってわけ」
話を進める中でダアトがある方向から何か小さなものが飛んできているのが見えた。
近づくにつれてそれが厚く複雑な装丁を為された一冊の書籍であると認識できるようになり、やがてその本はレオの手元まで飛来してから静止する。
「こないだ購入した回復魔術に関する基礎的な情報をわかりやすくまとめた本よ。かかった費用の分だけ自分の力に変えなさい」
ダアトには医療チームこそいるもののそれらは専用の設備や魔道具を用いて動くプロフェッショナルの集団に過ぎない。戦場を駆け抜けながら仲間の傷を癒す衛生兵としての役割は、回復魔術の適性を持つレオ一人だった。
だからこそカレンは今回、そのために必要な書籍を購入したのだと言う。
「あ、あざっす。高かったでしょコレ……」
『私も以前これと同様の書籍をマスターとともに図書館で見かけました。価格はちょうど六〇〇〇シリカです』
「ろくせっ、え? 何?」
六〇〇〇シリカ。日本円に換算すると九〇万円相当の金額である。
レオは知らないがアズマが圭介とともに見たというそれは希少本として保管されていたものであり、普段は専用のコーナーでガラスケースに入れられているほどの歴史的価値が認められたものだ。
普通に考えれば個人が個人へと受け渡すべきものではない。
一冊の本が持つあらゆる意味での重みにレオの手が震え始めたところで、圭介が意識を取り戻し始めた。
「うぎ、っぎ」
「んじゃこっちに戻りましょうか」
「うごおっ!」
戦慄するレオの視線などどこ吹く風で、カレンは倒れた圭介に一瞬で接近してから脇腹を軽く蹴り上げる。
「理屈の上で言うなら大半の攻撃は【テレキネシス】と【サイコキネシス】の併用で防げる。例えばさっきの電撃と炎は放射状の攻撃だから円錐状の念動力で受け流すのが模範解答。欲を言えば回転も加えてもらいたいところね」
先に集められていた水は次第に【パイロキネシス】の応用によって熱を奪われ、氷の槍へと変化していく。
回復役のレオがいるとは言っても流石に急所は外すだろうが、弟子の体を貫通させることへの躊躇など彼女にはあるまい。
「んじゃ次、これをどう防ぐか」
「ぬおおお!」
覚醒してもまだ散り散りになりかけている意識を根性でかき集め、【サイコキネシス】の形状を【テレキネシス】で変形させていく。
刺突という攻撃手段が持つ最大のリスクは何か。
その答えは以前、ユーとの戦闘訓練を通して聞いていた。
(それは“刺さって抜けなくなること”だ!)
圭介が作り出したのは薄い膜を幾重にも重ねた障壁。ただ真正面から受け止めるだけでなく、衝撃を受けると同時に包み込むように収縮するための質量的な余裕も持たせている。
斯くしてカレンの【テレキネシス】で射出された氷の槍は、不可視の盾に受け止められて圭介に届く直前で動きを止めた。
冷気で少々念動力の働きが抑制されてしまったが結果は結果である。
「っし!」
「及第点。ただしこういうパターンも想定しておくように」
師の冷徹な言葉と同時、槍の中間部分がパリンと砕けて念動力に束縛されていない先端部分から先が再度飛来した。
結果、鋭く冷たい矢が圭介の右頬を掠める。
「えーっ、そんなのアリ?」
間の抜けた一言はレオが発したものだ。圭介は導き出した最適解を即座に否定されて何も言えない。
「つっても掠り傷一つくらいならまだ動けるでしょ。次」
今度は地面が隆起したかと思うと土くれの巨人が三体ほど作られた。真っ当な術式でゴーレムを生成したわけではなく、念動力で強引に再現したものだろう。
そしてそれらは【パイロキネシス】で全身を赤熱させ、己の重さなど知らぬ存ぜぬとばかりに高く跳躍する。
「言っとくけど私は私で攻撃するからね」
圭介は“アクチュアリティトレイター”を構えながら【サイコキネシス】の索敵に集中した。
上から襲い来る三体のゴーレムもどきによる灼熱の殴打。
加えて、眼前のカレンが【サイコキネシス】を【テレキネシス】で変形させて作り出す見えざる破城槌。
容易に人を殺せるであろう威力の攻撃が上と前から同時に繰り出される。
圭介は限りなく死に近い危機的状況を自覚しながら、またも己の【サイコキネシス】を変形させ始めた。




