第四話 師との再会
ダアトに到着したのは午後十四時を回った頃だった。
以前と同様に昇降用階段を登って受付で来客用のブレスレットを各々受け取り、大小様々な歯車が回転する空間を鉄橋伝いに進む。
入り口から先へ出ると見覚えのある大きな通りに出た。しばらく先へ目をやると二又に道が分かれており、それらをなぞるようにして電球を用いた照明器具がぽつぽつと並ぶ。
元の世界に戻ることばかり考えていた圭介はこれらの景色に対して「また来られるかどうかわからない」と認識していたが、結局こうして二度目の来訪に至ってしまった。
「おお……数ヶ月前に来たのに、何だか懐かしい気分だ」
「そりゃここ数ヶ月ずっと濃かったからじゃねえの? にしてもすげぇ景色だな」
圭介とユーは遠方訪問で来ていたが、他の学生は多くがダアトを知らずにいたためか感嘆の声を上げながら周囲を見渡している。
集団で出入り口付近に留まっているのを好ましくないと感じたのか、担任教諭のバーバラがおっとりとした様子で手を振り声をかけてきた。
「皆さん、整列してくださ~い。まずはこっちで待機となります~」
先に聞いた話によると、圭介とユーが遠方訪問で来た時と同様に案内役が来る手筈となっているらしい。レオが来るのではないかとミアがそわそわしているのが見える。
が、圭介は何となくこの後誰が来るのかを察していた。恐らくかつてこの場所に来たユーも同様だろう。
しばらく集められた学生一同が雑談に興じていたところに、それは来た。
『お疲れ様です。アーヴィング国立騎士団学校より来られた皆様でお間違えないでしょうか?』
「えっ、あっ、はい」
バーバラに話しかけたのは抱き枕ほどの大きさを有する金属製の円柱と、その上に止まっている機械仕掛けの隼。
アズマと似た造形だが目の上についた眉のような突起が異なる個体であると示している。
『私はカレン・アヴァロン様より皆様を触れ合いドームへ案内するよう命じられたものです。個体ナンバー〇一一〇九号、ネーミング未登録ですので呼び方はお好きにどうぞ』
いつぞや聞いた経験があるような挨拶がバーバラに、そしてクラスメイト全体に向けられた。
メティスではアズマ以外に存在しない人工知能を有するそれに驚いてか、先ほどまでがやがやと盛り上がっていた学生全員が沈黙してしまう。
「は、はい。よろしくお願いします……」
『カレン・アヴァロン様からのご挨拶は集合場所にて行われますため、どうぞこちらへ』
そう言って〇一一〇九号を名乗る猛禽は足場としている金属の円柱ごと向きを変えて進み始める。円柱そのものに移動する機能は備わっていない。あくまでもカレンの【テレキネシス】による遠隔操作だ。
つまり今、ここに学生が集結しているのを彼女は既に認識している。
相変わらず自身とは比較にならない索敵範囲と魔力操作の技巧を見せつけられて圭介は誇らしいやら悔しいやらと複雑な感情になってしまった。
急ぎバーバラが「では皆さん、移動しますよ~」と誘導しながら彼ないし彼女を追いかけ始める。
何だかんだ教師としての立場はあれどダアトの風景が目新しいのか、好奇心旺盛な子供よろしく四方八方へ移る視線は常に落ち着きがない。
普段から感じる幼さがここに来て二割増しほどになった担任教師に頼ってばかりもいられず、クラス全員が整列した状態を崩さないよう努めながら移動する中で圭介は後ろにいるユーへ視線を送った。
(触れ合いドームって何だよ。あったっけかそんな施設)
心中の呟きはきっと、彼女にも届いているのだろう。
困ったような笑顔とともに、ユーは小首を傾げた。
それからしばらく大通りを歩く。エリカとミアにモンタギュー、それにダアトの景色を初めて見ると思しき他のクラスメイトらは周囲をキョロキョロと見回していてどこか微笑ましい。
圭介も最初に来た時は特殊な形の屋根に塞がれた空や、当たり前に地上と空中を移動する機械を見て驚かされたものだ。
やがてカレンが本拠地として普段使っている時計塔の近くまで来て、ようやくアズマならざる金属製の隼が言うところの触れ合いドームが見えてきた。
「ってここかい!」
建物が見えてきたところで思わず圭介がツッコミを入れてしまい、後ろにいたエリカに「何だオメェいきなり」と背中を小突かれる。
そこはカレンと圭介が初めて会ったあの日、圭介の実力を試すためにカレンが用意した闘技場のような場所であった。
正面玄関付近にそれらしき看板は見当たらず、ひたすら大きな鉛色の円蓋が眼前に佇んでいる。
ガラス窓がそこかしこにあるものの不規則に設置したせいか左右非対称な外観は見る者に威圧感と虚脱感を同時に与えていた。
加えて壁面に散りばめられた金色の蝉型機械が監視カメラ代わりの赤い目玉をギョロギョロと動かしていて気味が悪い。
「なんか触れ合いドームって名前に反して触れたくないドームだな」
そのエリカの声を聞いた全ての生徒が言葉で応じずとも表情で同意していた。
カレンの部屋に“赤子の頭部を有する蛸”という謎の工芸品が放り出されていたのを思い出す。
彼女は美的感覚が常人からかけ離れているのかもしれない。少なくとも「猛禽類は翼を閉じた状態こそ最も美しい」と発言したことがあったので欠如はしていないはずだが。
記憶が確かならこのドームの用途は「ダアトで揉め事を起こした者同士を殺し合わせる」という物騒極まりないものだったはずだ。
何故そんな場所に触れ合いドームなどという朗らかな名称がつけられたのか、実際にこの場所でカレンに叩き飛ばされた圭介にはとんとわからない。
ただ、大勢の客を集めてまとめて話しかけるならここか中央広場でなければ面積が間に合わないのは理屈としてわかる。そして中央広場は日中の人通りが多く、あまりそういった場所として適さないのも納得できる。
となればここに集合するというのは判断として正しい。が、ネーミングセンスに対して覚える気持ち悪さはどうしてもあった。
『こちらでカレン・アヴァロン様がお待ちです。案内役として私が同行するのはここまでとなっておりますので、中へお入りください』
機械の円柱ごと猛禽の動きが止まり、バーバラが会釈してから背後の生徒らを誘導して中に入る。
全員でドームに入ったところ、内装は以前の闘技場めいた造りから大きく変化していた。
客席として設置されていた小豆色の椅子が全て撤去され、代わりに点々と青緑色の機械が設置されている。
中に入れそうな大きさを持つ卵形のそれらが何であるか、圭介も異世界での経験を通して知っていた。
例えば、ダアトの次に赴いた遠方訪問で余暇時間に立ち寄ったゲームセンター。
「スキャットマン・エッグ……?」
ファンタジーな異世界にできればあってほしくなかった仮想現実へと繋がるゲームの筐体。
かつてロトルアで少し遊んだものの即死して以降触っていなかったそれが、どういうわけか夥しい数を揃えてドーム内に設置されていた。
『ダアトが外部から仕入れていたというのはこれの事だったのでしょうか』
「……だとすると、これって」
「お、お疲れ様です!」
答えに辿り着こうとした瞬間、少し離れた位置からバーバラの緊張した声が響いてきた。
そして、
「お疲れ様です。遠路はるばる、ようこそおいでくださいました」
それに対して慇懃な態度で応じる少女の声が聞こえる。
今ここにいる学生の中で圭介とユーだけが、前を歩くクラスメイトの人垣より先に立つ、その声の主が誰であるか理解した。
「あっ……」
「そこの二人は久しぶりね。新聞読んだわよ。随分と派手に活躍してたらしいじゃないの」
褒めてくれているのであろう言葉に反してどこか退屈そうな無表情の少女。
矮躯に朱色のチュニックと薄黄色のズボンを纏わせ、涼しくなってきたためか白いマフラーを首元に巻きつけている。その垂れ下がる先端と合わせるように白く長い髪はさらりと遊ばせたままだ。
左眼窩を包帯で隠しながらも右目の赤い瞳が放つ眼光から、外見そのままの幼い少女ではないのだとわかる。
事実、その場にいるクラスメイトのほぼ全員が瞠目しつつも無意識に臨戦態勢へ移るべく構えてしまっていた。それほどまでに隙がなく、また隙がないとわかる程度には他の生徒らも成長しているのだろう。
ダアトの最高責任者にして第一次“大陸洗浄”を終結させた女傑。
そして、圭介にとっては念動力魔術の扱いを教えてくれた師匠。
カレン・アヴァロンがそこにいた。
「おいケースケもしかしてアレがカレン・アヴァロンとやらなんけ? 思ってたよりちっちぇえな。つってもあたしが言えたもんじゃねえがよギャハハハハ!」
唯一彼女の佇まいに構えもせず気の抜けた発言をかます例外が、圭介の後ろから袖を引っ張りながら身を乗り出し笑っている。
思わず制止しようとした圭介だったがそれより先にカレンが反応を示した。
「――……は?」
彼女の視線はエリカに注がれている。しかし呆けた表情を見るに、先の発言に対する不快感というわけではないのだろう。
ただ、エリカを見ただけで一瞬だけ思考停止しただけらしい。
「あ、すみません師匠このバカいつも誰に対してもこうなんですよ。エリカちょっとやめなって、どっちもチビなんだから片方が片方にそれ言っても悲しいだけで生産性ないでしょ」
「フォローになってないよケースケ君!?」
「間違ったえっと、エリカには年齢的に将来性あるけど見た目よりおばはんな師匠には無いんだから配慮しなよ」
「あたしが言うのも何だが余計にひどくなってねぇか」
圭介が怒りの矛先を変えようと振る舞うもカレンの視線はエリカに注がれたままだ。様子からして呆然とした表情が憤激に移行する兆しは見えない。
その場にいる全員が違和感を覚え始めたところでカレンは一度目を閉じ、しばらく口の中で何度かよくわからない言葉を反芻してから短く息を吐いて仕切り直す。
「そこの品性下劣なガキはともかくとして」
「しっかり反撃してきやがった」
「改めて自己紹介させてもらいましょうか。私が今回この移動城塞都市ダアトでの特別強化合宿を主導するカレン・アヴァロンよ。ダアトでは最高責任者として色々やってるからわからないことがあれば遠慮なく聞きなさい。んで」
自己紹介を早々に終えてカレンは周囲をぐるりと見渡す。それに付き合う形で多くの生徒もまた、周囲に置かれた無数の機械へと視線を向けた。
「今回の特別強化合宿、まず一日目と二日目の午前はスキャットマン・エッグを用いた仮想現実空間での訓練を主軸とするわ。個々の適性に応じてそれぞれ別の訓練内容をプログラムしてあるから自分の名前が書かれた機体を使うように」
ドームに入った時点で予感はあったが、やはりバーチャルリアリティでの訓練を実施するらしい。
もちろんそれだけではなく肉体を動かしての鍛錬も積まなければならないようだが、中心にあるのがゲームセンターで見慣れた存在であるためか学生達からは戸惑いと期待の声が一緒くたに上がる。
この時点で訓練に対するモチベーションはやや高いところまで持ち上げられたように見えるが、続く言葉に圭介は硬直した。
「ただし東郷圭介だけは現実の世界で私から直接訓練させるからそのつもりで」
「えっ、なんで僕だけ」
「私と魔術の適性が同じだから指導しやすいってのも理由の一つだけど、あんたの場合は行動選択肢が多過ぎて仮想現実でのデータじゃ対応が難しいからね」
言われるまでもないことに、言われてから気づく。
確かに圭介の戦い方はその時その状況に合わせて変化する。森林では木を引っこ抜いて投げつけ、粉があれば粉塵爆発を起こし、果ては水やら火やら電気やらを操るのが彼の魔術だ。
となれば指導する側にも相応の柔軟性が求められる。そしてそれは機械が為し得ることではないのだと、カレンは言っているのだった。
『環境や周囲にいる人員の適性、敵が使う魔術の系統などによっても動きが変わってくる以上どうしても最適な訓練のプランは組みにくいところがあるのでしょうね』
「そういうこと。じゃ、他の連中がスキャットマン・エッグに入ったら一緒に一旦ダアトの外まで移動するわよ」
「外でやるんですか」
「外でしかできない」
他の生徒から離れた位置に移動させられるのは少し寂しいが、カレンとアズマの言い分も納得できるだけの理由がある。
何よりカレンから直接指導を受けることができるのは幸運だった。ビバイ迎賓館での戦いで自分の実力に行き詰まりを感じ始めていた今、壁を破るきっかけとしてこれ以上はなかろう。
「……ども、よろしくお願いします」
「んじゃ納得してもらえたところで、早速だけど各自名札を確認してスキャットマン・エッグに入るように。バーバラ先生はこの後こちらで用意した人員に教師用と生徒用にご用意しました宿泊施設を案内させますので、そちらの待合室にてお待ちください」
「は、はい!」
こうして実に迅速に、そして滞りなく。
移動城塞都市ダアトでの特別強化合宿が始まったのだった。




