第一話 得られず
黒と緑の区別もつかない夕暮れの森。
沈みゆく日の光を浴びて橙色に染まった木々の狭間には奥知れぬ闇が広がり、それらを裂く形で街灯に照らされる道を常より頼もしく浮かび上がらせていた。
第一カコクセン通り。付近にある森はムオーデルの森と呼ばれる。
学生らにとって効率のいい修練の場であり、程よい難易度のクエストをこなす場として知られているこの場所に私服姿の圭介とコリンが二人で歩いていた。
「んで、今はパーティメンバーがそれぞれバラバラになってキツめのクエスト受けてるの?」
「うん。こないだ[十三絵札]の一人と戦ってどれだけ足りてないものが多いか思い知らされたからね。まさかここにコリンが来てるとは思わなかったけど」
話しながら歩く圭介は頭頂部にアズマを載せ、自身のグリモアーツ“アクチュアリティトレイター”を【解放】した状態で歩を進める。
隣りを歩くコリンは圭介を完全に信頼しているのか、両手を空けたまま楽しげに肩から下げたポーチを指先で叩いていた。どうにも緊張感がない。
本来ならば大して強力なモンスターが出るわけでもないこの場所に彼らしかいないのは二つの理由によるものだ。
一つは時間帯。第一カコクセン通りは郊外に位置するため、そもそもクエストでも無ければ一般的な社会人や学生が立ち寄る理由がない。
仮に付近の村や森林管理局の事務所に用があるとしても他にいくつか道があるため、ここだけを好んで使う必要性も皆無だった。
それでも全く誰もいない、というのは異常事態と言える。
ムオーデルの森は去年からとある製菓会社が一部の土地を買い取って工場を建設しているという。
つまり必然的に工事関係者による出入りがあるはずで、特に王都と直接アクセスできるこの街道を車両どころか歩行者一人すら通っていないのは不自然に過ぎた。
そしてそれこそ二つ目の理由が関係している。
「いないね、山賊」
『やはり森の奥まで進むべきではないでしょうか』
「ある程度歩いたらそうしよう」
今回圭介がギルドから請け負った依頼は既に数件の強盗殺人が記録されている無名の組織の討伐。
本来なら学生が受けられる内容ではない。国防勲章を受勲しているからこそ多少の無理が通った形だ。
[デクレアラーズ]によって壊滅の憂き目に遭った裏社会の組織は数多くあり、その中で生き残った者達が結託して郊外での追い剥ぎ行為に走るケースが増加した。
今回この街道に出没するようになったという連中もその類である。捕縛したところで既に極刑が決定している相手なので、ギルドからも「生死は問わない」とされている相手だ。
「で、殺すの?」
「生かして終わらせられないようなら、覚悟はする」
そんな依頼を受けたのは圭介なりの鍛錬でもある。
今後の戦い、人を殺さないまま貫き通せるほど甘くはない。そして殺す覚悟自体はダグラス相手に一度決めたこともあれど、圭介の手は未だ汚れていなかった。
せめて自分を殺しにかかる相手との対人戦闘を重ねていざという時にスイッチを入れられるよう準備するべきと判断してこの依頼を受けたのだ。
だが、どこかに甘えがあるのも自覚している。
はっきり言って今の圭介にそこいらの犯罪者が勝てるとも思えない。少なくとも今回相手するのは今まで倒してきた[デクレアラーズ]に手も足も出なかった落伍者の寄せ集めだ。
加えて騎士団の人手不足という司法の不都合に助けられる形でどうにか活動する機会を得られた程度の実力しかないのなら、きっと勝負は一瞬でつくだろう。
言ってしまえば殺すまでもなく捕らえられる弱者。
必ず殺すように言われているわけでもないが、果たして殺す覚悟など自分の中にあるのかどうか。
というより、殺す覚悟など決める必要がどうしてあるのか。
「まー悩むのもわかるけど、私としては中途半端な態度が一番良くないと思うの」
「容赦ないね」
「騎士団学校の生徒だって高等部一年生の秋ともなれば、そろそろそういう経験をしている学生だって珍しくもないの。ユーちゃんミアちゃんもこないだあった排斥派との戦いで敵を殺す経験は済ませてるはずなの」
ユーは自らの師匠でもあるジェリー・ジンデルを。
ミアは第六騎士団副団長のバイロン・モーティマーを。
殺さず勝てる相手ではなかったし、殺さなければ止まらない相手だったのは間違いない。
圭介がこれからぶつかるであろう[デクレアラーズ]もそういった相手だ。コリンの言う通り、半端な態度で向かい合うべきではないのだと理解はできている。
それでも。
それでも、ここで“それでも”と思ってしまうのは何故か。
『微弱な魔力反応あり。恐らく索敵か姿を隠すための結界かと思われます』
「……わかった」
アズマの言葉に根拠を与えるかのように、何かがこっそりと圭介に向かってくるのが【サイコキネシス】の索敵によって感じ取れる。
どうやら相手は圭介が索敵するための手段を持っていると知らないらしい。具体的な魔術に関する情報が流布されていないのか、あるいは情報を受け取れる環境から追い出されて久しいのか。
圭介には関係のない話だった。
戦いが始まったのなら、それに集中するべきと意識を切り替える。
「ところでコリンは何しにこんなとこまで来たの?」
相手の位置を把握したと悟られないよう、あえて雑談を振る。それを察してかコリンも表情を変えずに応じてくれた。
「文化祭が終わってあの日の出来事も記事にまとめて、新聞部の活動も落ち着いてきたの。だから時間あるうちに情報収集のための行動範囲を広げていこうと思っただけなの」
「ふーん。成果はあったのかな」
「それなりには。ケースケ君が興味持ちそうな話題だと、ダアトが最近何かを大量に輸入したって話が出てきたの」
『ほう』
「へぇ」
馴染み深くも懐かしい名前を聞いてか頭上のアズマが反応を示す。圭介としても少し興味を引かれる内容ではあったものの、今は本格的に雑談しようという気持ちになれない状況なので生返事となった。
近づいてくる人数は反応から察するに三人。斥候なのだろう、仕掛けてくる様子は見受けられない。
彼らが圭介に位置を知られているとわかっていない以上、このまま馬鹿正直に拠点まで戻るのは目に見えていた。そうなれば後ろから追跡するだけで今回のターゲットとなる山賊を一網打尽にできる。
「あとラステンバーグ皇国の件はメディアで触れてこそいるけど報道機関としては積極的に取り扱いたいニュースじゃなさそうなの。三ヶ国共通の醜聞みたいなもんだろうし、下手に突っつくと後が怖いみたいなの」
「まあそらねえ。盤上遊戯とやらの話が表に出ちゃった以上誤魔化すのは難しいだろうし、王様は誤魔化そうって気持ちないみたいだけど」
ある程度気配のある場所から距離を置くと、彼らは引き下がっていった。圭介の想定通り「気づかれていない」と誤解してくれたらしい。
ようやくか、となるべくそれでも自然な動作で振り返る。背伸びをしながら立ち止まってあくび混じりに腰を捻る動作をしてみたものの相手に警戒するような動きはない。
ハンドサインでコリンについてこないよう伝えて了承の頷きを確認したら、索敵範囲の外に出られるより先に追いかける。
ここからは無言の時間だ。
ほんの十分ほど追跡したところ、彼らの拠点と思しき洞窟に到着した。見ただけではただの岩壁にしか見えないよう偽装されているが【サイコキネシス】を通じて伝わってくる感触は騙せない。
地形操作の魔術を使う人員もいるらしく、出入り口から少し進んだ先には地下に続くらしい整備された階段がある。
コリンと一緒にいたからかはたまた経験を積んだからか、マティアスの“インディゴトゥレイト”に侵入した時のことを思い出した。
念のため“アクチュアリティトレイター”を踏み台として浮かび上がり、振動で侵入が悟られないようゆっくりと中へ入る。
地下は光源となる帯状の術式が煌々と辺りを照らしていて、あまり地下にいるという感覚がない。
内部構造は例えるなら漢字の“天”という字を少し歪めたような形をしており、出入り口以外のいくつか分岐している先にそれぞれ何人かが集まっているようだった。
「……そのまま王都の方に向かいました。こっちには気づいてなかったようです」
「そうか。ったく肝が冷えるぜ」
少し下りたところで話し声が聞こえてくる。
「ただそろそろ場所を変える必要があるかもしれねえな。同じ場所で暴れすぎた節はある」
「はい。森から山を伝って移動するなら……」
聞く限りどうやら拠点を捨てて逃げようとしているらしい。最初から今日この場で片付けるつもりだったが、これで完全に逃がすわけにはいかなくなった。
地下はそこまで広くないので索敵自体は苦でもないものの、隠し通路などに通じる開閉式の機構があった場合少し厄介なことになる。
だが表の出入り口付近にそんな逃げ道を設置するとは考えにくい。あるとするなら奥だ。
それならば一度最奥まで進んでから一人ずつ倒していくべきだろう。
そう判断した圭介は話し声が聞こえる部屋を通り過ぎ、少し移動した先で【テレキネシス】を使ってクロネッカーを操り、小さな魔術円を描く。
エリカが普段使っている術式を真似て出来たそこから、破壊力はないにしてもそれなりの音がするであろう魔力弾を射出した。
派手な破裂音が洞窟内に響き渡る。
「何だァ!?」
「敵襲か!」
魔力弾を着弾させた場所は出入り口から少しずれた位置。想像を裏切らず中にいた構成員が続々と音のした方へ移動し始める。
陽動の可能性を考慮して何人か残すという発想はできなかったようだ。
どころかリーダー格の人物が奥に逃げようとする気配すら感じない。残酷な話だが、ここまで考えが浅いとなると確かに表の世界で真っ当に働いて生きていくのは大変だろう。
(まずはこっちから来る二人を片付けよう)
想定外の事態が起きているというのに呑気に歩くだけの反応が多い。危機感のなさから察するに、弱者を獲物とした略奪こそしてきたものの戦闘経験は浅いと見える。
(いや犯罪やってる時点でそれ以前の問題なんだけども)
進んだ先にいたのは安物であろうシャツとジーンズで上下をラフにまとめた男二人組。圭介の顔を見て無言で硬直したところを突き、両手でそれぞれの顔を掴んで【エレクトロキネシス】で電気を流し込み気絶させた。
構成員が倒れた時点で振動による探知に引っかかっただろうとその時点で“アクチュアリティトレイター”から降り、ついでに二人が出てきた方を見る。
(あ、当たりだ)
武器庫だ。
戦闘に向かない形状のグリモアーツを持つ者が直接的な攻撃手段として武器を持つ、という話はこの異世界でよくある話だし見ていれば察する常識である。
つまり少なくとも何人かは非武装の状態で、ただ大勢いるという事実だけを安心感の論拠としながら音の鳴った方へ移動していることになるのだが。
(そんなことあんの?)
先ほど会話していた男も、今倒した二人も。
どんなに若く見積もったとして圭介より年上だ。だというのにここまで判断力が欠如しているというのが信じ難い話に思えた。
一人くらいはこちらに向かってきてもおかしくないのに、それがない。
何なら振動を通じてこちらの位置を探知される可能性すら杞憂に過ぎないのではないか、と気が緩みそうになってしまう。
(……とにかく、残りもまとめて倒さなきゃな)
金属の武器をまとめて“アクチュアリティトレイター”に密着させ、束の形状とした上で【エレクトロキネシス】により電流を流し込む。
素手かあるいは同じ金属の武器では防いでも感電するであろう状態にしたそれらを片手に、先ほど音を立てた場所へ移動する。
「結局何だったんですかね、さっきの」
「誰かの屁じゃね?」
「ギャハハハ!」
通路上の少し開けた空間に残った山賊の構成員が集まり、談笑している。
(えっ、マジで何してんのコイツら)
これには圭介も度肝を抜かれる思いだった。
恐らく仲間が二人まだ来ていないことにすら気づいていまい。いや、ここまで愚かだと気づいていたとしても気にしない可能性まである。
とりあえず帯電した武具を【テレキネシス】で適当にばら撒くようにして投擲したところ、全員に命中して全員が圭介の方を見ながら悲鳴も上げられないまま倒れていった。
「いや今気づいたとて!」
『なるほど』
あまりにも無様な形で敗北した彼らの姿を見て、これまで一応沈黙してきたアズマが嘴を開く。
『警戒心も判断力も想像力も欠如しており、他者への意識が希薄であるがゆえに集団の動きに違和感を抱けない。そんな表社会でも裏社会でもうまくいかない人間がこういった状態に陥るのですね』
「勘弁してやんなよ。なんかもうここまで揃ってバカしかいないとかわいそうに思えてきた」
人の命を奪わなければならないかもしれない、などと緊張感を持って挑んだクエストだったがその実態は酷いものだった。
確かに彼らがやったことは連続強盗殺人という凶悪犯罪である。だが見方を変えればそれは「殺してでも誰かから奪う以外に生き残る術を持たない」とも言えるのだ。
結果こうして迷惑をかけた相手に派遣された誰かの手によって捕まり、そして断罪されるのだろう。
ギルドで確認した通り、彼らは極刑を免れない。こうなる前にこうせずとも生きる道があれば違ったのだろうか。
(覚悟決めるどころか、余計にモヤモヤしてきちゃったな)
深い溜息を吐き出した圭介は、とりあえず全員まとめて【サイコキネシス】で外に運び出すこととした。
外に出て山賊一行を適当な地面に寝かせたところにコリンが駆け寄ってくる。表情を見るに何となくこの結果を予想できていたらしい。
「お疲れーなの」
「大して疲れちゃいないよ。なんかすげー楽に倒せちゃったんだけど」
「まあ、しゃーないの。どうせ山賊堕ちするようなのは何やらせてもダメなの」
「アズマもコリンも辛辣すぎる……」
ひとまず騎士団と依頼人、それから仲介役を引き受けてくれたギルドにも報告を入れたところで今回の仕事が終わった。
後日、圭介の口座に相応の報酬が振り込まれる。しかしマスメディアは今更この程度のニュースに興味などないのか、圭介の活躍に関する報道は最低限の規模に収まった。
誰もが圭介の勝利を疑っていなかったとも言えるし、誰もが山賊の勝利を微塵も予想していなかったとも言える。
落伍者に向けられる視線はどこまでも冷たい。
心の中にある形容し難い問題を何も解決できないまま。
それでも世界は圭介の事情と全く関係なく、先へ先へと動いていった。




