プロローグ 遠方より来たる羽根
とある平日の早朝。
アーヴィング国立騎士団学校の校長室にて、校長たるレイチェル・オルグレンは飼育しているケサランパサランに餌となる白粉を与えながらスマートフォンを操作していた。
閲覧しているのはニュースサイト。
つい先日、ラステンバーグ皇国の首都ビバイを襲撃した[デクレアラーズ]幹部格[十三絵札]が一人、ルドラ・ヴァルマが齎した大規模な被害に関する情報である。
「…………本当に、よく生きて帰ってきてくれた」
一部を除いて生き延びたものの皇帝を殺害され“オジエの座”たるルドラにも逃げられた。一方で迎賓館を破壊し尽くすほどの脅威を前に逃げず戦って生き延びた。
勲章受勲者らに対する賛辞と批判が入り交じる記事やコメント欄は意図的に意識から外す。彼女にとっては姪を始めとした可愛い生徒らが無事に戻ってきてくれればそれでいい。
現地では三ヶ国から来た受勲者全員に加えてアガルタ王族とハイドラ国王の協力もあったと聞く。死者を出さずには済ませられなかったものの、下々の者に対する最大限の配慮に感謝するばかりである。
大きな功績や今後の心配よりも安堵が勝つ。“オジエの座”が圭介らを本気で殺しにかかる場面もあったらしい。本当に危ないところだったのだろう。
「でも、このままでいいわけがない。そうよね」
ケサランパサランは問いかけに何も答えない。ただふよふよと宙を漂いながら与えられる白粉を嬉しそうに吸い取るばかりだ。
今後の情勢がどうなるにしても、生徒一人一人の早急な強化が必要となる。
これに関しては相当な数の保護者からも要請が来ている。
何かしら[デクレアラーズ]に家族が狙われかねない心当たりを持つ者……のみならず、ビバイ迎賓館周辺の惨状を見て第二次“大陸洗浄”が存外無差別に人を殺す戦いなのだと知った一般的な家庭からも。
だが国立の騎士団学校と言えども所詮は教育機関。与えられるカリキュラムについては論ずるまでもなく、そもそも生徒を死の間際まで追いつめるような訓練など用意できない。
極論を言えば圭介達のパーティがこれまで経験したような実戦を他の生徒ら全員が乗り越えるだけでかなり違ってくるだろう。しかしその“だけ”が難しいのだ。
一応、リスクを避けながら相応の危機感も持たせて訓練させる方法が理論上は存在する。
理論上は、存在する。
「……予算がねぇ」
レイチェルの溜息に対しては敏感に反応し、ケサランパサランが肩や腹部に体を寄せてきた。ふわりとした感触が心地良い。
このまま立ちながら寝てしまおうか、などと日々の疲れから明らかに間違った判断が脳裏を過ぎったところでドアがノックされた。
「どうぞ」
「失礼します」
入室してきたのは生徒会副会長の男子生徒。普段通りどこかやる気を感じさせない態度だが、一方で生徒会の仕事を怠けたことは一度もない。
それにしたって意外な相手ではあった。
少なくとも特別な行事がない限り、生徒が学校に来る時間帯ではないはずだ。
「……お疲れ様です。随分とお早いですね、どうされましたか」
「ベースボール部にいる後輩とちょっと約束してたんですが、その途中で担任から仕事を押しつけられまして。ビバイの件で忙しいらしいですよ」
「あー、そういう……すみません本当に」
彼の言葉も教師の言い分も嘘ではあるまい。
何せ大陸全土を揺るがす大事件の渦中にいた国防勲章受勲者が五人中四人も在籍している学校だ。寧ろ教師側が今どれだけ大変な思いをしているかはレイチェルが一番理解していた。
それでも生徒に雑用を押しつけるのはいただけないので後に注意するとして、彼が持ち込んできたものが気になる。
片腕で軽く抱えられる程度の小さな箱だ。蓋が外れないよう第六魔術位階が三つほど組み込まれていて、どうやら側面に刻まれた術式を解除することで一気に開封できる仕組みらしい。
「送り主はカレン・アヴァロンです。確か例の客人とその仲間が遠方訪問でダアトに行ったんでしたっけ?」
「ええ、夏休み前に」
カレン・アヴァロン。
起動城塞都市ダアトの主にして、第一次“大陸洗浄”を終結に導いた客人として広く知られる女性。東郷圭介と同じく念動力魔術を扱い、彼とは遠方訪問を通じて師弟関係を築いたとも聞く。
そんな相手が圭介ではなく学校の方に贈り物をしてくるという事実が何を意味するのか、こればかりは中身を見なければわかるまい。
ただどうにも穏やかではない何かを感じてしまうのは身内が事あるごとに厄介事に巻き込まれているせいか。
「しかしケースケさんについて詳しいですね。交流があったりだとか?」
「いや俺ぼっちなんで。休み時間とか教室で寝たフリしてるとクラスの連中の噂話が耳に入ってくるんですよ」
「悲しいので聞かなかったことにします。わざわざありがとうございました」
「いえいえ。では、俺はこれで」
軽く一礼して校長室から副会長が出る。相応の立場があったところで個人の性格と立場は変わらないのだろうか、などとぼんやり思いつつ箱を閉じている術式に指を這わせて解除した。
『術式解除を確認。起動します』
「えっ」
女性によるハスキーボイスが室内に響き渡る。
箱の内側から蓋を押し出して現れたそれは、ここ最近すっかり見慣れたとある魔道具に似ていた。
東郷圭介の頭頂部によく留まっている機械仕掛けの猛禽、アズマと外観はほとんど同じものがレイチェルと真正面から向き合う。
「……ど、どうも」
『お疲れ様です。レイチェル・オルグレン様ですね?』
「ええ。…………その、あなたは」
『ダアトより伝令役として送られました、個体ナンバー〇〇九九六号です。本日はカレン・アヴァロン様よりアーヴィング国立騎士団学校へとある通達がありましたため、こうして馳せ参じました』
馳せ参じた、と言うには少々変わった趣向の登場に思えたがそれは今重要ではない。騎士団学校にいかなる用件を持ち込むつもりでいるのかを聞くのが先だ。
「その、通達とはどのような?」
『カレン・アヴァロン様は来たる[デクレアラーズ]との衝突を前に、若い世代の早急な強化が必要であると考えています』
「……!」
レイチェルと全く同じ考えに向こうも至ったようだった。
そしてこのような形でやり取りを申し出てきたということは、恐らく。
「私も同じ考えです。となるともしや」
『はい』
無機質な猛禽の瞳が騎士団学校校長を見据える。
『生徒の皆様に、カレン・アヴァロン様から直々に訓練をつけたいとのことです』




