第十八話 つないでいく
敵から離れて戦ってはならない。
この状況で離れて戦う手段がないから。
少しでも手を抜いてはならない。
奥の手を実行するより先に殺されるから。
決して判断を急いではならない。
間違いなく気持ちの揺らぎを読まれるから。
時間をかけて戦ってはならない。
フィオナの第三魔術位階が切れてしまうから。
体力を温存しなければならない。
ここぞという時に奥の手を使う上で必要だから。
あまり大きく動いてはならない。
耐え難い負荷の中で動くと体が傷ついていくから。
奥の手を隠さなければならない。
一度見せれば二度目からは通じなくなる相手だから。
奥の手を使わなければならない。
他に有用な攻撃手段が現状手元に残されていないから。
(難易度たっかいなぁ、もう!)
レオのグリモアーツ“フリーリィバンテージ”に刻まれた回復術式が過剰回復を防ぐため強制的に解除されるまで、残り一分もあるまい。
加えてテレサの魔力切れが近づいてきたのか、今の位置関係的に背後から伸びる剣の勢いが明らかに衰えてきている。現時点でルドラは右手ではなく“チャンドラ”で彼女の攻撃をいなしていた。
「魔術位階は下がるけどこっちのがいいかな」
表皮が剥がれずそのままの姿を維持している右腕に紫黒色の術式が浮かぶ。
禍々しい光をうねらせ放出しながら、またも重力操作術式が作動する。
「第五魔術位階【ハーベスト】」
そのままルドラの魔力で作られた丸太ほどの太さはあろう触手が腕の術式から三本現れ、静かに高速回転しながら鏃と見える鋭い先端を圭介に向けた。
何としてでも回避したいが、ここで迷いが生じる。
ルドラはただ目の前にいるから圭介に魔術を撃とうとしているわけではない。その背後にいるユーとテレサにも攻撃の意識を向けていた。
圭介が一人だけ避けたところでテレサも攻撃を防ぐ手段はあるだろう。だが魔力の残量を思えば防御に使う魔力は攻撃に回したいはずだ。
少なくとも現状それ以外の攻撃手段を見出せていないことになっている圭介の振る舞いとしては、例え対応されてきていると言えどもこの攻撃を許すわけにはいかなかった。
「やら、せるっ、かぁ!」
非常に難しい判断をどうにか一瞬で下しつつ、比較的かかる負荷の少ない地中の瓦礫を【テレキネシス】で引き上げて簡素な防壁とする。
構わずルドラは狙いを定めて、放った。
改めて矢として飛来するそれらは回転に巻き込むように周囲に存在する瓦礫と倒木とゴーレムの残骸と騎士の死骸を螺旋状に引っ張り上げていく。
圭介が作った防壁など関係ない。軌道上にあるものは例外なく矢の威力を増幅し、攻撃範囲を拡幅するための餌として吸い込まれる。
少女二人に接触とする時点で、それらは膨大な数の礫を孕んだ怒濤と化していた。
「くっ!」
テレサが再度剣を捻じ曲げて防御態勢に入る。ユーもそれに便乗して彼女の剣に這わせるように【鉄纏】を展開し、それらの強度を増した。
確かに充分な防御力はあるのだろう。事実として三本の矢と無数の付属物を彼女らはどうにか受け止めていく。
しかしその結果、二人とも大きく後退してしまった。
再度ユーが【砂利道渡り】で滑走し始めるも、流石に一瞬で距離を詰められるわけではない。
「これで君に集中できるね」
九個全ての“チャンドラ”を圭介に向けつつ、ルドラがにこやかに殺意を向ける。
(五分五分の、いやもっと不利な賭けに出るしか……!)
まだ圭介の奥の手を通すには不安要素が大きく残っている。このまま唯一の有効打を見せてもいいものか、不安に思うも刹那。
「あ?」
「ん?……えっ、何だこりゃ」
敵の背後にある空間で広がる光景に、思わず圭介から声が出た。
それに応じて振り向いたルドラが驚愕のあまり、見上げる。
数メートル先に聳え立ち、灰白色に輝く結晶の塔。
その先端から生えているのはエリカの上半身。
一見して戦場でふざけ出したのかと錯覚するそれは実のところ大真面目な意味合いを持つのだと状況が示す。
それはウーゴの結晶を一ヶ所に収束し、巨塔の形を成した上でエメリナの【カントリーロード】を使って結晶内部に通路を形成したものだ。
地形操作魔術たる【カントリーロード】が他者の魔術の生成物に通用したのは偏に実現している二人が血の繋がった兄妹だからだろう。
そうして強引ながらもルドラの上を取るという偉業を成し遂げたエリカは、重力で下に降りてしまう手をどうにか腕力で支えながら双銃を構えた。
赤銅色の魔術円が二八門、まっすぐに並ぶ。
「うおっ!?」
砲撃と呼んでもまだ生ぬるい威力を誇るであろう魔力弾が装填されるとほぼ同時、今度は足元の異変を受けてまたルドラから声が上がった。
見れば地中、瓦礫の僅かな隙間から青鈍色の粘土らしき何かが這い上がりルドラの足にまとわりついている。
動きを見るに先んじてウルマスが仕込んだ操血術式を追尾する形で移動しているらしい。下から上へ動いているため増幅した重力でスピードを落としているが、それでも結構な速度で両足を包まんとしているのがわかった。
「ちっ、そのためでもあったか。防ぐ手間が増えたな」
そんなウルマスとサロモンの魔術も彼にとっては足止めにしかならないらしい。
やろうと思えば振り払えるだろうそれよりも眼前の脅威となるエリカの魔力弾を警戒し、表皮を剥がされていない右手の方で結界魔術を展開する。
表面で生じた衝撃に応じて重さを増し、あらゆる運動量を相殺する障壁。凡人が実現しようと思えば相当な下準備なり呪文の詠唱なりが必要となるだろうそれをルドラは難なく右腕一本で成立させてしまうのだ。
逆を言えば。
結界を成立させる上で右腕一本は必要となる。
それを証明するが如く、二の腕と肘で小規模な爆発が起こった途端に結界はパリンと小気味よい音を立てて割れた。
「っ、ぁぁあああ!?」
起きた事象の意味がわからずここで初めて激しく戸惑うルドラに対し、少し離れた位置で見ていた圭介は冷静に状況を見極める。
爆ぜる直前に見えたのは鉛丹色の燐光。
その魔力の色を圭介はさっき見ていた。
(あの、弓を使ってた――!)
アルネと呼ばれていた弓使いの青年。
彼が死を悟ってか、最後に遺した置き土産。
サロモンと呼ばれたあの大男は生きているウルマスの魔力だけを追尾していたわけではなかった。
ルドラの体に術式の残滓をほんの少しでも刻み込んでいった、今は亡き仲間の魔力をも追っていたのである。
死して仲間に勝機を繋ぐ在り方自体も凄まじければ、それをサロモンが見逃さないと踏まえて仕掛ける結束力も瞠目に値する。
彼らが実現したルドラへの奇襲は一朝一夕で成し得るものでは決してない。そしてその成果が今、実を結ぼうとしていた。
「くたばりやがれえええぇぇぇぇぇぇ!!」
防御が崩れて無防備に晒されながらも右手の構えだけは解かないルドラへ、エリカの魔力弾が放たれた。
弾道がやや下に落ちるもほとんど関係ない。
大きな隙を見せた強敵に赤銅色の閃光が触れる。
着弾と同時、爆発が起きた。
エリカの魔力弾は敵を貫通するよう調整されている。本来なら着弾と爆発は同時に起こらず、先にルドラの腕が貫かれていたはずだ。
それを知っている圭介は目の前の爆発が決して勝利を意味するものではないのだとわかっていた。
「……危なかった。いや、今のは本当に危なかった」
濛々と立ち込める粉塵を“チャンドラ”から生じる斥力で振り払いながら現れたルドラは、左手以上に広く骨組みを露出させた右腕を庇いつつエリカを睨む。
これで両腕の表皮が剥がせたものの、それでも倒せていない。
その事実以上に絶望的な情報が続けて彼の口から紡がれる。
「アガルタの姫が魔力切れを起こさなければ万が一の事態もあり得たと思うと、遠い昔に失ったはずの内臓が震えるような気分だよ」
フィオナの魔力が切れた。
第三魔術位階【サンクチュアリフォース】が、解除された。
つまり今のルドラは弱体化しておらず、且つグリモアーツを【解放】している状態ということだ。
「マッジかよテメェ……」
それだけ言い残してエリカが上半身からぱたりと倒れる。彼女も彼女で今の一撃に注ぎ込めるだけの魔力を費やしたのだろう。
「第五魔術位階【クイックロード】!」
極限まで威力を増した魔力弾が実質的に不発に終わったと悟ったらしいテレサが、少し離れた位置から一気に刀身を伸ばしてルドラを貫こうとした。
圭介とイスモも協力して三人で攻撃した時と同じ魔術。あの時ルドラは彼女の攻撃だけを直接受けまいとしていたはずである。
だというのに、今回は一切動かない。
「無駄だ」
猛烈な速度で突き進む切っ先はルドラに接触するより先に、花が開くような形で裂けた。
見ればいくつにも分断された先端部分の中心には一つの水晶玉、彼のグリモアーツたる“チャンドラ”の一つが存在している。
「もう思うようにはさせないよ」
呟く瞬間、テレサとユーが真上からの衝撃によって地面へ叩きつけられた。
そちらもよく見ると彼女らの頭上に同じく“チャンドラ”が一つ浮いている。
(あの水晶玉、動きが尋常じゃない速さになってやがる)
戦慄すべき点は他にもある。
対処するのに時間を要したはずの空間歪曲魔術を瞬時に無力化したばかりでなく、同時進行で二人をまとめて攻撃したのだ。
動きがあるのを見るにユーもテレサも生きているのは間違いないが、この戦闘ではもはや立てまい。
空間歪曲と言っても所詮は魔術であり、魔術である以上どう足掻いても人力の域を脱せない。テレサは至近距離にある“チャンドラ”から発せられた重力魔術に力負けした形となる。
明確な力量の差を実感した上で、力量以外での勝負が許されない。
ここからは常に一撃で沈められる覚悟を持たなければ勝負にすらならない世界だ。
圭介にとって何かが劇的に変わったわけでもなく、ただ相変わらずほんの少しの隙が敗因となるだけだ。それでも味方の減少と敵の回復という事態から更に開いた戦力差はこの上なく重い。
だが、
(勝てる)
ここまであらゆる形で何人もの猛者が重ねてきた攻撃、それにより蓄積したルドラのダメージ。
それらが圭介に勝機を見せる。
決して「勝機を見出した」と相手に悟られてはならないため、ゆっくりと圭介の方に向き直るルドラへ声をかけた。
「今のうちに一応、聞いておきたいことがあんだけどさ」
「うん? 何だい?」
まるで日常の延長線上にある雑談を交わすが如く、“オジエの座”ルドラ・ヴァルマは気楽そうな笑顔で応じる。
ミアとレオが倒れた者達の介抱に励み王族も引き下がり始めた今、もはや主要な戦力となるのは圭介一人のみ。
本来なら話している場合ではないのかもしれないが、それでもこれだけは戦略やら何やらと無関係に確認しておきたかった。
「[十三絵札]って全員、あんたみたいに機械の体になってんの?」
一瞬ルドラの表情が純粋な疑問に彩られる。恐らくこの期に及んでそんなことを気にしているのかと意外に感じたのかもしれない。
だが、すぐ腑に落ちたのか「ああ」と呟いて答えた。
「うん、全員が自分の人格データを機械の体に送信して生まれ変わってる。元の肉体は肥料なり食料なりで有効活用してね」
世にもおぞましい異世界転生の形だ、と圭介は変な気分になってしまった。思わず口元が感情とは無関係に笑みを形作る。
「だから実は全員が全員、見た目通りの年齢ってわけじゃないんだ。中にはとんでもない時代にこっちに来て我らが道化と出会った人もいる」
「そういうのはいい。それより気になってるのは……」
「ああ、わかってるともさ」
爽やかな青年の笑顔から飛び出すのは、察してこそいたものの確定まではさせずにおきたかった真相。
「もちろん君の恋人――“ユディトの座”財津藤野も例外じゃない」
わかっていた。
普通じゃない彼女のことだ。どこかで何かを決定的に間違えてしまう日が来るのだろうと、元の世界で遭遇したあの日から薄々覚悟は決めていた。
交際してから人間としての生き方に順応してくれていたものと思い込みたかったのだが、どうやら心のどこかで疑っていた通りの現実がよりにもよってこの非現実的異世界で実現されていたらしい。
「ははっ」
いつか人でも殺すんじゃないかと疑った。
殺した。それが全てだった。
いつ人をやめてもおかしくないと思った。
やめた。それが全てだった。
元の肉体は捨てたらしい。ならば元の世界に戻ったところで元の生活などどう送れるというのか。
そもそも人格データと言ったか、目の前の男は。
では破棄されたであろう元の肉体は、脳は、神経系は臓物は筋肉は皮膚は骨は。
元の財津藤野は。
捨てられたのか。無造作に、まるでゴミのように。
捨てたのか。彼女自身が、いらないと判断して。
もう二度と。
二度とあの日常に、圭介が欲したあの世界での暮らしに戻れない場所に、彼女は行ってしまったのだ。
いとも簡単に。圭介など気にもかけず。
親に会いたいだの友達に会いたいだの思うのと同じく、彼女のことも帰るべき日常に在ると信じていたのに。
「あの、バカ」
「真相がわかって良かったじゃないか。これでもう思い残すところもないだろう」
浮遊する“チャンドラ”が九個、まとめて棒のような形で一列に並びその先端を圭介へ向けた。
「君の存在は我らが道化の計算を時折乱す。生かしておくと今後の計画に支障があるかもしれない」
「だから死ねってか。これでも割と善良なタイプだと自覚してんだけど、理想社会とやらはそんな僕を殺すのか」
「殺すさ。というか別に俺達は悪人を殺すために存在する組織じゃない」
紫黒色の輝きが並ぶ水晶玉に収束していくのがわかる。膨大な量のそれが第三魔術位階の中でも特に強力とされる部類の攻撃を繰り出そうとしていた。
関係ない。
圭介は“アクチュアリティトレイター”を構える。今回、クロネッカーでは有効打を与えられないとわかっているから。
「理想社会は犯罪者を消して成り立つものじゃあないんだよ。人々の生活を脅かす存在は全て排除する。計画の邪魔となる人員ももちろん例外じゃない」
「含みのある言い方するね。でも大体わかってきたよ」
皮肉を込めて精一杯に、邪悪そうな笑みを演出しながらルドラを嘲る。
「足腰の弱いお年寄りとか生まれつき何かと不自由な人とか。そのへんも殺す対象に入れてるんでしょ、何となく察したわ」
「殺すかどうかは理想社会への貢献度によるさ。優先的に犯罪者や悪徳な権力者を始末しているのもそういった事情が絡む」
「あっそう。反吐が出るくらい効率的な話だ」
もういいだろう、と限界を迎えつつある理性が叫ぶ。
それに合わせてかルドラの右手も連なる球体に添えられた。
「わかってもらえなくて残念だった、東郷圭介」
「色々と残念なのはこっちだっつーの。ったく、最悪の気分だ」
紫黒色の燐光が渦巻いて迫るのを見ながら前へと跳躍する。
か細い勝利への道をどうにか見つけ出した圭介が、あまりにも頼りない可能性に未来を委ねて突き進んだ。




