第二話 校長室はストレスの要因でいっぱい
木々を飾る花が緑の枝葉に役目を譲り始める六月初頭の朝。
圭介は最早お馴染みとなった三人娘と共にレイチェルから呼び出しを受け、校長室に向かっていた。
期末テストまで残り一ヶ月を切ろうというこの時期、一時限目を欠席して来るように言われて心なしかエリカ以外の三人は落ち着かない。
「なんだってオメェらは勉強如きでそこまで苦しむことができるのかね。どの教科も覚えりゃ終わりだろうに」
「うわムッカつく。マジで今の言い方ムカつく」
「やってても追いつかないんだよ……誰もがエリカちゃんみたいに漫画感覚で教科書読んで中身を暗記できるわけじゃないんだよ……」
「つかそのキャラで頭いいとか逆に馬鹿じゃないの。大人しく赤点取っとけよそれが君の役割だろ」
「このアウェー感たまらなく気持ちいいわー。負け犬の遠吠えが耳に心地いいわー」
エリカがケタケタと笑っている内に、校長室の前に到着する。
「まぁいっか。せっかく校長室に来たんだし、せめてケサランパサランに癒されよう」
圭介が扉をノックすると中から「どうぞ」と応じるレイチェルの声がする。
気のせいか普段以上に覇気がない。
「失礼しま……」
扉を開けて最初に視界に飛び込んできたのは、ケサランパサランの大群に体を包まれたレイチェルの姿だった。
「わあ、着ぐるみみたい」
驚愕すら凌駕して夢心地の域に達した圭介の第一声がそれだった。
「どうも、皆さん……よく来てくれたわね」
「ぎゃははははははは!! なんだよ伯母ちゃん学校の校長からケサランパサランのイメージガールにでもジョブチェンかぁ!? ガールっつう年齢でもねーわなだひゃひゃひゃひゃ!!」
エリカの下品な笑い声と暴言に普段なら反論の一つでも飛ばすはずの彼女だが、今日は目の下の隈を二割増しにしながら胡乱な表情で沈黙している。不機嫌そうな表情を浮かべるだけの余裕もなさそうだった。
もふもふとした毛玉饅頭に覆われて見づらかったが机に突っ伏している状態だったのだろう、前のめりになった上半身は右の二の腕、落っことしそうな頭部は左掌でそれぞれ支えている。
「ちょっとエリカ、校長先生疲れてるみたいだしあんま大きな声出さないでよ」
「いやいやミアちゃん、だってあのザマぁ見ろよ今日日ケサランパサランに包まれるとかアイドルでもあざと過ぎてやんねーっつの。それをぷっふひゅれ、素でやってんだぜ四十近いおばちゃんが! うひひ面白ぇ!」
「こんな姪っ子持ったらそうなるのも仕方ないのかなあ」
嘆息するミアと呆れた表情を浮かべるユー、爆笑するエリカをレイチェルは変わらずただただ黙って眺めているだけだ。その相貌には疲れや呆れといった人間らしい感情すら見出せない。
(あ、こりゃ規格外に面倒な何かに巻き込まれつつあるな)
そんな彼女の姿に圭介は何か猛烈に嫌な予感を察知した。
「あの、校長先生。あまり体調が優れないようなら無理せずに休んだ方がいいですよ、僕らも全然待ちますし。ていうか休みましょう、休んどきましょうよ、お願い休んで」
「そういうわけにもいきません……今回貴方達四人を呼び出したのは最優先で伝えなければならない案件があるからです……」
最優先。この場面においては非常に嬉しくない言葉である。
「そこで爆笑してる馬鹿も含めた四人とも、これを見なさい」
「あぁ? 誰が馬鹿だ――」
レイチェルはゆっくりと上半身を起こすと、心配そうに彼女を見守るケサランパサランを雑に払いのけて机の上に置かれていた封筒を四人に見せる。
そこに書かれている封筒の送り主の名前は、未知の人名という事もあり圭介には読めなかった。とりあえずエリカ達と比べるとミドルネームらしきものが含まれる分だけ長い名前になっているという認識だけを得る。
しかし、他の三人はそうはいかない。
その名前を見た途端、あの馬鹿笑いしていたエリカですら息を呑む。
「……………………フィオナ・リリィ・マクシミリアン・アガルタ……」
「は? アガルタ?」
隣りに立つミアの口から絞り出すようにして紡がれた個人名らしき言葉。
そこには彼らが今いる王国の名が含まれていた。
即ち、それは。
「初代王妃と国王の名を自身と国の名で挟み込む形式。このような名を持つ人物はこの王国に数人しかいません」
その名前が意味する所は。
「アガルタ王国王族が一人、第一王女フィオナ姫から我が校へ送られてきた公的な書状です。『先日転移した客人及びそのパーティメンバーに面会させて欲しい』と」
その瞬間、ケサランパサランがその場にいる全員に均等に配分されるようくっついた。
「え、やだ」
「やだじゃありません。この封筒が来た以上、我々全員が逃げられない状況下にあるとご理解下さい。では手紙に書かれていた内容を説明しましょう」
遠慮容赦を排除した声が、こうなるまでの経緯を語り始める。
「まず大前提となる話からしておきましょう。客人が我々の世界に転移してきた場合、転移場所の地主や市長に町長、あるいは当該施設の責任者――この学校においては私ですね――が身柄を預かる事になります」
実際に諸々の手続きを代行してくれたレイチェルは、現在この世界における圭介の身元保証人となってくれているという。
「その後は自立まで支援を続けるわけですが、実はこの『自立までの支援』の定義は法的に厳密な規定があるわけでもなく曖昧です」
「え、そうなんですか? 変なトコいい加減だな」
「もちろん人権無視や管理者の怠慢を防ぐための禁則事項はありますが、客人と管理者の双方が『まだ自立は不可能』と見なしていれば無制限に身柄を置き続けられます」
因みに貴方には卒業と同時に自立して頂きます、と付け加えてから。
「そしてこの場合、転移した先の国の王族が客人に接触する義務は特に発生しません。もちろん政府機関への報告は必ずしなければなりませんし、客人の影響力を鑑みて調査する必要性も場合によってはあるでしょうが」
しかし、と彼女は目を細める。
憂いの込められた眼差しは王女の名を示す文字列へと向けられていた。
「だからといって王族が直々に客人のいる場所に足を運ぶというのも普通であれば考えられません。仮に直接顔を見るという形式で接触するにしても、本来であれば王城に呼び出すのが常でしょうから」
「で、ですよね」
「そこでこの書状の文章を一部抜粋しましょうか。えー、コホン」
朝礼などで話を始める時と同じように軽く咳払いをしてから、レイチェルは朗々と書状を読み始める。
「『近日中に貴校では王都内部に発生したと思われるゴブリンの集落捜索及び完全なる討伐を目的とした大規模な合同クエストを開催するとの事なので、今回の来訪はその視察も兼ねるものとする』と。つまり王族としての務めを果たすという大義名分も成り立つわけです」
「いやいやいやいや!! そんなわざわざ僕如きの為に王族の人にご足労いただくとか恐縮というか、申し訳ないっす!!」
圭介が全力で両手を振り回しながら狼狽を露わにする。
そもそもその合同クエストの視察自体、アガルタ王国の内情にさほど詳しくもない圭介から見ても王族の仕事とは思えなかった。
やるのであれば城壁の管理不行き届きとして騎士団の、それも王城に勤務するようなエリートではなく城壁管理を任された者達の仕事となるのが自然な流れだ。
だというのに、さも当然の如く第一王女とやらはそんな雑用にも近い業務を請け負うという。
しかも先ほどレイチェルが読み上げた『今回の来訪はその視察も兼ねるものとする』なる文章から、主要な用事は圭介との面会であるという事実が仄めかされた。
一般的な日本人の高校生でしかない圭介としては、王族としての本来の業務に差し支えが出ないかだとか、貴族階級が存在するのにそれらを無視していきなり王族が一人の客人の為に動いていいのかだとか色々と考えてしまう。
「え、どうして王女様が? そんな暇なんですかアガルタ王国の王族って」
「そんなはずないでしょう。……これは私の推測になりますが」
書状の文面に注がれていたようでその実空中を漂っていたレイチェルの視線が圭介に向く。
「転移して一ヶ月もしない間に【解放】を会得し、セルウィン腐敗戦線の生き残りであると同時に排斥派に雇われた殺し屋でもあったヴィンス・アスクウィスを倒した貴方を、一国の戦力として取り込もうとしているのかもしれません」
そんな馬鹿な、と言いかけて圭介は口ごもる。
考えてみればそのセルウィン腐敗戦線において、ヴィンスは何と言っていたか。
――あの日あの戦場に現れ、グリモアーツを【解放】もせずに我々の部隊を駆逐せしめたとある一人の客人によって――
つまり客人という存在は、一個人でありながら【解放】を用いずしてグリモアーツで武装した複数名の命を刈り取る力を持っている可能性が高いということ。
それ即ち一人を味方につければ、それだけで一部隊を獲得する結果に繋がる。
なるほどなあ、と改めて納得すると共に自分がその対象とされている事実にげんなりした。
そこに無遠慮なエリカの声が混じる。
「いや、っつーかぶっちゃけそれってあたしら関係なくね? ケースケ一人でお姫様に会えばいいじゃん、何が悲しくてそんなストレスで胃液が逆流しそうなシチュエーションに巻き込まれないといかんの?」
「おい第一村人お前逃げようったってそうはいかないかんな」
「誰が第一村人だ第一異世界人」
エリカの言い方はともかくとして何故自分達まで王族と会う会わないの話に組み込まれているのかという言い分は共感する部分もあったのか、ミアとユーも怪訝そうな顔を向ける。
その疑問にレイチェルは億劫そうに応える。
「これもあくまで推測だけれど。学校側が若年者であると同時に希少性の高い魔術を使う客人を懐柔したのか脅迫しているのか、その辺りを見極めるというのもあるでしょうね」
念動力魔術はあらゆる場面で活躍する余地のある、極めて有用な魔術だ。それでいて適性を持った上で習得できる者は大陸全土を見ても多くない。
転移して間もない時点で裏の人間にすら通用する戦闘力を有する客人など、国からしてみれば強力な駒になり得ると同時に畏怖の対象ですらある。
「前者ならより大きなメリットを提示して勧誘し始めるでしょうし、後者と判断したなら三人を排除する方針で動くかもしれないわ。客人を怒らせると後が怖いと誰もが知っているでしょうし」
「えぇ……」
異世界転移した先の国家にそこまで求められても、あまり滞在期間を引き延ばさずに帰還したい圭介としては迷惑な話である。
そうして仮に軍事力として雇用されたとして、契約完了したその瞬間に自宅の玄関が見えればすぐにでも帰る自信があった。
当然、拒否権などないのだが。
「姫様が当校に来訪するのは三日後、ケースケさんの転移から一ヶ月足らずで不祥事を起こしてしまった手前私にはそれを断るだけの力もないのでこれは決定事項となります。申し訳ありません」
「ああいやそんな、校長先生が謝るようなことじゃないですよ」
己の無力さを詫びる姿勢を慌てて止める。圭介とて彼女に脅されて学校に在籍しているわけではないのだ。
とりあえず誤解を受けているのなら解消しておかねばなるまい。そして誘われれば断る姿勢も示したいところである。
「四人には明日の昼頃に改めて当日の予定を詳細にまとめて連絡しますので、『近日中に王族と話す機会が設けられる』という認識だけしっかりと持っていただきます。では、今日はこれにて解散」
言うだけ言ってレイチェルは再び頭を抱え込みつつ溜息を吐く。
残り一同はしばらくどうしたものかと顔を見合わせて、とりあえず校長室から出る事にしたのだった。
* * * * * *
「では皆さん、今日も一日お疲れ様でした! 宿題は忘れずに提出するんですよー」
ヴィンスの仕事を引き継いで新しく圭介らの担任となったのは、バーバラ・ネルソンという若い女性の教師だった。
可愛らしい容姿とほのぼのとした雰囲気で人気の高い教師の彼女は朗らかな笑顔を浮かべながら黒板の文字を消していく。
あの後特筆すべきこともないまま放課後を迎えた。
二時間後にアルバイトを控えた圭介が暇つぶしにまた図書館で客人の帰還に関する資料を探そうかと考えていると、ユーから声をかけられる。
「ケースケ君、今ちょっといいかな?」
「どうしたの? 言っとくけど金なら逆に僕の方が欲しいくらいだからね、貸せとか言われても無利子じゃ二〇〇シリカくらいまでしか貸せないからね」
「えっ、そんなつもりじゃ……いや二〇〇シリカって結構な額だよね!?」
日本円に換算して大体三〇〇〇〇円である。
「新しい資金源として最近は河原まで出向いて近所の小学生に売りつけるためのエロ本を探したりしてるんだけどね。たまに野生のエリカとかち合うんだよ。こないだなんて超レア物のエレベーターガール特集を全力で奪い合って……」
「あ、あのね? ちょっと会って欲しい子がいるんだけど」
「何それもしかしてその誰かから僕への告白? 告白の仲介人を任された的な感じなのスッゲー青春してんじゃん。相手の子どんな子? 美人? 巨乳?」
「うわぁ一対一で話すと結構鬱陶しい……じゃなくて、普通にケースケ君に用があるんだってさ。新聞部の子なんだけど、こっちに来てそこそこ経ったからインタビューさせて欲しいって言ってたよ。私は声をかけるように頼まれただけ」
新聞部という言葉を聞いた圭介の脳裏にまず取材の為なら親の魂も悪魔に差し出すようなパパラッチの姿が思い描かれ、次いで眼鏡をかけた地味な少年が学校の掲示板に学級新聞を貼り付けている様が想起される。
どちらのパターンか判然としないが、短時間ならどちらにしても大した話の展開もなかろうと判断した。
「一時間くらいならいいよ。あまり長いようだと僕も予定あるから困るけど」
「そっか、よかった。じゃあついてきて」
トコトコと歩き出すユーの後ろを、圭介も歩幅を合わせながらついて行った。




