第十二話 死闘
「重力とは重量を持った万物の相互間に働く力だ」
巨大な塊が叩き落とされようとしている迎賓館から離れるべく、人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。
その様子を古民家の屋根から見下ろす[デクレアラーズ]総帥“道化の札”アイリス・アリシアが、普段と変わらず穏やかな笑みを浮かべて呟いた。
「数も距離も大きさも関係ない。いつの間にか服についている塵一つから遥か光年先に輝く星に至るまで、僅かにでも重さを有する以上その力は遍く物質の間で作用している」
独白の途中でとある車が魔術機構により滑空し、アイリスのいる方向へと飛来する。
周囲に気を配る余裕すら失ったらしいデモ隊の生き残りによるものだ。
他者を轢いてでも自分達だけは死から逃れるため、標識の誘導も法定速度も無視した暴走である。
本来ならアイリスのような子供など車の勢いに耐え切れず、当たると同時に吹き飛ばされ無惨な姿で地面に落下していただろう。
車両の軌道上にいるのがただの子供であればそうなっていたはずなのだが。
しかし悲しいかな、彼らの前にいるのはアイリス・アリシアであった。
「引力ないし斥力として働くそれからは、誰も逃れることができない」
くしゃり、と。
丸めたちり紙が両手で挟まれたかのように、彼女へと迫っていた車が前後から発生した力に潰されて平たい板のように形状を変えた。
当然その中に乗っていた何人かも同じ末路を辿り、内部で溢れた血液や脳漿が衝撃によって裂けた車体から勢いよく噴射される。
それを見た誰かが恐慌状態に陥ってまた大きな叫び声を轟かすも、アイリスは意に介さない。
「[十三絵札]が一人、“オジエの座”ルドラ・ヴァルマ。強力無比なる重力魔術の使い手にして“騎士の札”最強の男」
そう言いつつアイリスは前衛芸術のような姿と化した車両を眼下の路上に転がして、ルドラの魔術でかき集められた即興の星を見上げた。
「彼と君が正面からぶつかり合った時、いかなる事態が起こり得るのか――楽しみにしているよ。東郷圭介君」
見たものの詳細な情報を瞬時に獲得できる第一魔術位階【ラストジーニアス】でも完全には見通せない、とある客人の少年の未来。
それがここで潰えるなら彼はそこまでの人間だったというだけの話。亡骸を回収して有効利用するだけだ。
死なず生き残るならそれもまた良し。異世界から地球へと帰還する上で必要となるパズルのピースを、今しばらくこの世界に残しておける。
全ては理想社会を成すためのシナリオ通り。
大陸を、この世界を洗浄する仕掛けは止まらない。
微笑む道化の視線の先で、ビバイ迎賓館がルドラの第三魔術位階【ハッチポッチスター】によって見事なまでに破壊されていた。
* * * * * *
圭介が規格外の衝撃に吹き飛ばされつつもどうにか軽い打撲程度にダメージを抑え、一瞬薄れた意識をどうにか働かせて着地する。
手足を地面について得た感触から察するに、土や石畳で平らになっていたはずの地面には何らかの破片が散らばっていた。元はビバイ迎賓館を構成していただろう建材の成れの果てだ。
そこかしこに【ハッチポッチスター】に巻き込まれたゴーレムの残骸や騎士の死体が無造作に転がされている様は、さながら黙示録めいていて見るに堪えない。
「っづー、ちょっと待った今どうなってる?」
『膨大な質量の塊を真上から叩きつけられたビバイ迎賓館が崩壊。上に集まっていた国防勲章受勲者らは散り散りになりました』
頭上から聞こえたアズマの言葉に強い危機感を覚える。
相手は[十三絵札]。グリモアーツを【解放】もしていないのにあの規模の魔術を行使できるような怪物だ。分散した戦力で対処できるわけがない。
「ていうかっ、みんなは!」
『エリカ・バロウズの【チェーンバインド】に掴まる形で集合していた彼らは恐らく無事でしょう。他の受勲者によるパーティも各々咄嗟に行動していましたのでそこまで心配はいらないかと』
「…………ああ、ホントだ。確かにあっちで集まってるね」
ユーの【漣】によるざらついた感触を伴い、何人かが集まって動いているのが感じ取れた。索敵範囲内にいる他の動きを見るに、自分達以外にも無事に動けている人員が残っているようだ。
となれば次に考えるべきは国王の保護。
本来なら最優先事項のはずだが、想定外の相手が来たことで正常な判断を下せていない。
すぐに【サイコキネシス】で跡地と化した迎賓館の方を探ってみたものの、各国の王族はおろかルドラすらその場にいない。
どこに行ったかと圭介が訝しんでいると頭に載っているアズマより遥か上から声が聞こえてきた。
「うおおおおおお!!」
見上げると誰かが雄叫びを上げながらルドラと空中で戦っているのが見える。
両足に翼のような術式を組み込んで浮かぶ、カソックを着た黄色い短髪の青年。
ラステンバーグ皇国が誇る国防勲章の受勲者であるという程度には圭介も記憶していたが、やはりそれでも単身でルドラと戦える実力は無いのだろう。
ロングボウのグリモアーツから放たれる魔力の矢は変幻自在に屈折し、ある矢は結界となって相手の動きを阻害しつつある矢は鎖となってルドラに絡みつく。
それらに次いで彗星のように膨れ上がって射出された六本の矢は一発一発が第四魔術位階相当の威力を誇るのだと、遠目に見てもわかった。
「アルネ、駄目だ! 一度地上に戻れぇぇぇ!」
地上の少し離れた位置で圭介と同じく彼の戦いを見つけたイスモが、彼の名を呼びながら叫ぶももう間に合わない。
結界、鎖、第四魔術位階。
それら全てがルドラの前には無意味に終わる。
彼は紫黒色の燐光を全身から拡散し、アルネの魔力で構成された全てを瞬時に消滅させた。
魔術を打ち消すような特殊な効果がある術式ではない。ルドラが持つ魔力の色を帯びているだけで、生じた事象だけを見るならただ体から発した斥力で弾き飛ばしただけである。
全力を込めた攻撃を無傷のままかき消したルドラとの実力差を受けて、アルネと呼ばれた青年が一瞬硬直してしまった。
残酷な話だが、そんなものが敗因ではなかったのだろう。
一対一で向き合うべき相手を間違えた以上、彼の末路は隙を見せようが見せまいが変わらなかったに違いない。
「ァァァ……!」
遠い空からほんの少し聞こえただけの、絶望と恐怖に彩られた叫びは短かった。
一瞬で接近してきたルドラの右拳が、彼の顔を真正面から貫いたから。
ずるりと腕を振るった勢いで顔に大穴を開けた死体が弾き飛ばされ、それが落下していくより速くルドラが地表に向かって飛ぶ。
着地と同時に発生した衝撃波がまたも圭介らを遠ざけ、落ちてくる顔無き亡骸を一瞬だけ浮かせた。
彼が着いた場所は今や平屋建てのような姿となってしまった本館のすぐ近く。
周囲の敵に目も向けず歩き出すルドラの足元から、今度は灰白色の光を内部に宿した透明な結晶の棘が茨の如く生えて絡みついた。
「この期に及んでまだ絡んでくる度胸と根性は認めるけどさァ」
「ご生憎だけどね!」
刺突に特化した短剣、スティレットの形状を有するグリモアーツ片手に地中から現れたのは相貌にヴィジュアル系のメイクを施した青年。
黒い衣服の表面には灰白色に輝くケイ素の結晶が血脈とばかり張り巡らされ、手に持つスティレットにもそれらがまとわりつき刀身の延長となっていく。
「少なくともウチのメンバーは、誰も諦めちゃいないわよ!」
ハイドラ王国において一時期指名手配すらされていた兄妹のパーティ“酷双”が片割れ、ウーゴ・スビサレタが操る物質具現化魔術だ。
加えて同じく“酷双”であり同時に彼の妹であるエメリナの地形操作魔術【カントリーロード】により、彼は地中や建造物の内部に潜り込み敵に効果的な奇襲を仕掛けられる。
障害物の内部で移動するため索敵の手段も限られ、ウーゴ自身が誇る身体能力も高い。これを回避する手段はそう多くなかろう。
加えて下から上へ積み重なるようにして敵を拘束する結晶の魔術、【ミネラルバインド】は万有引力にある程度抗える。いかにルドラと言えどもこの一手を事前に潰すことはできなかった。
「あっそう」
問題は目の前の相手がそんなことで止まってくれるほど弱くなかったこと。
両足に発生させた斥力で結晶の拘束を力任せに割り砕き、眼前に迫る刺突を右手人差し指の腹でピタリと止める。
「ぐっ……!」
上から下へ働く万有引力ばかりが重力魔術の粋ではない。物体同士が接触して互いに運動を働かせた時、片方が重ければ重いほど構成素子の揺れ幅は小さくなる。
言い換えれば破壊や破損の懸念がなくなるということ。
ルドラ・ヴァルマという客人の絶対的な防御力は、触れた物体の運動量に応じて自身の重量を局所的に増す第五魔術位階【ネイキッドアーマー】によるところが大きい。
「邪魔すんなら死んでくれないかな」
そして第五魔術位階ながら、彼の魔力総量と出力があればそれは攻撃手段にもなり得る。
先ほどラステンバーグ皇国の教会警備隊、アルネ・コソラを空中で仕留めたのもこの魔術により重量を増した右手だった。
まだアルネの血液と唾液が付着する死の拳は、第二の犠牲者を出さんと神速の一撃を放つ。
が、
「兄さん!」
その一撃はウーゴが下へと垂直に移動したことで回避された。
彼の妹、エメリナが一瞬硬直した体を地面へと埋没させたからだ。
確実に殺すと決めて振るった腕が空を裂いて今度はルドラが驚きによって硬直したところへ、ここぞとばかりに圭介が駆ける。
ただ走るのではなく【テレキネシス】と【サイコキネシス】、更には【エアロキネシス】までも組み合わせて自身を弾丸の如く押し出しての高速移動。
(あいつ放置するとまた誰か殺されかねない!)
一歩一歩をもはや歩みではなく跳躍として、三歩ほどで褐色の青年に接近した。
単なる打撃ではルドラに通用しない。ではどうすべきか。
攻撃を無効化する力学系魔術なら、以前も戦ったことがある。
物理抵抗力を操る排斥派の少年、ダグラス・ホーキー。
そして彼に攻撃を届かせるべく編み出した攻撃手段“スパイラルピック”。
分厚く大きな金属板である“アクチュアリティトレイター”に細長い形状の【サイコキネシス】を巻きつかせ、接触と同時に叩きつけるための準備とする。
「アズマ!」
『第三魔術――』
言葉を紡ぐまでもなく、圭介の意志にアズマが応じた。
結界を展開する上での口上すら途切れる速度での戦闘である。タイミングを見逃せば先の悲劇を繰り返しかねない今だからこそ、死への恐怖を四肢に伝えるわけにはいかない。
(落ち着け、冷静になれ、動揺してたらマジで終わるから)
小さいながらも第三魔術位階に相当する結界だ。攻撃に転用すれば動揺を誘う程度はできるはずと踏んで、頭上にいるであろうアズマをルドラの振り切った腕へと向ける。
「おっと」
それに気づき咄嗟ながら腕を引こうとするのは彼の経験が深いからか。しかし圭介とともに移動してきたアズマの速度は完全な回避を許さず、彼の指先に命中した。
指の先と、金属製の猛禽一羽。
通常であれば前者が後者に弾き飛ばされるはずだが、現実は真逆の結果を導く。
ルドラの指は一寸ほども動いたかどうか。対して結界を展開したアズマは圭介の頬を掠め、後方の地面へと落ちる。
驚愕に一瞬体が止まりそうになるも気合いで動揺を抑え込み、“アクチュアリティトレイター”の先端をルドラの胴へと突きつけた。
伝わるのは硬さというより、重さ。
まるで楼閣の外壁を手で押しているかのような無力感が手に伝わってくる。
脳裏に後悔が過ぎらなかったと言えば嘘になるだろう。戦う相手を間違えた、今すぐにでも逃げるべきか、後ろに向けて巡らせてしまう思いの何と多いことか。
だが、それでも。
「オラァ!」
「んー、なるほど」
常人なら景色の果てまで吹き飛び、実力者でも防いだ上で大きく後退する一撃を受けても目の前の男は少し離れた位置に意識と視線を向けながら余裕の表情で立っていた。
身じろぎする様子などなく、どころか圭介に意識を向けているかも怪しい。
それでも手を止める理由は今のところ、無い。
「【焦熱を此処に】!」
巻き上がる炎を“アクチュアリティトレイター”に纏わせて次なる一撃を適切な距離から叩き込むべく、一旦後ろに飛び退る。
続けて、圭介とは別々の方向に二人、三角形を描くようにしてルドラを囲む形で他の国の実力者達が駆けつけた。
「お疲れウーゴ、エメリナ。しばらくヘラルドと一緒に防御に集中してて」
「ありがと。そっちも無理はしちゃダメよ」
未だルドラの視線を受け続けている青年と彼を地中に潜らせて救助した少女を労わりながら、ハイドラ王国のテレサ・ウルバノが。
「サロモン、アルネ抜きでの作戦を早急に考えてくれ。時間稼ぎは俺が務める」
「……了解。死ぬなよ、リーダー」
殺された仲間へ向ける弔意と殺した仇敵に対する憤懣を頭から両腕へと伝達させながら、ラステンバーグ皇国のイスモ・シカヴィルタが。
それぞれ向ける敵意と殺意を実感していないはずもない、しかし呑気に何か考え事をしている共通の敵へと各々の武器を構える。
「考えてみれば真っ先に思いつくべきだったな。あいつら地下に逃げてるかもしれないんだ」
何気ない日常会話の延長にある、実に緊張感に欠けた声とともに。
「んじゃ地盤ごと掘り起こすか」
三方向からの威圧を受けるルドラは真上へと飛び上がった。
恐らくは次なる第三魔術位階で、大地の奥深くまで穿つべく。
「「「やらせるか!」」」
圭介は巻き上がる炎を連なって弾丸よろしく自分を射出し、テレサは歪んだ足元の地面を一度陥没させてから反動をつけて隆起させ飛び上がり、イスモは両腕の手甲から噴射される砂の勢いに任せて宙を舞う。
三者三様に敵を追うも、三人全員が空気を通してとある考えを共有していた。
目の前の男には、生半可な攻撃など通用しない。
やるならば全員で同時に、最も強力な攻撃を繰り出す必要があると。
やがて壊滅的被害を受けた迎賓館と周囲の街をまとめて俯瞰できる高さで停止したルドラは、誰もが心のどこかでいつか来るだろうと予想し危惧していた行動に出る。
「【水底に在りし 金銀宝石 瑠璃珊瑚 この牙に この鰭に この鱗に集え】」
先ほど放った第三魔術位階【ハッチポッチスター】でさえ口にしなかった呪文の詠唱が、絶望そのもののような無表情から唱えられた。
(まずいっ……)
もしも先ほど以上の破壊力と規模を有する魔術が発動された場合、阻止する有効な手段が思い浮かばない。
炎を伴わないとはいえアズマの結界や“スパイラルピック”を無動作のまま受けて平然としているような相手に、果たして自分の渾身の攻撃が通用するかどうか。
わからないが、それでもやるしかなかった。
少なくともグリモアーツを【解放】されていない今が最大の勝機である事実は変わらないのだから。
「【剣よ 牙に掴まれし者よ】!」
第五魔術位階【フレイムタン】。
念動力魔術【パイロキネシス】と組み合わせれば第三魔術位階にも匹敵する威力で敵を焼き払える、現状で圭介が振るえる最大火力の攻撃手段である。
「【我が身は 欲望を肉と纏い 願望を血と巡らせる 飢餓の象徴 貪食の魚】」
「【炎の魔物の糧となれ】!」
見れば別々の方向でテレサはスクトゥムのグリモアーツに乗りながら自身が持つ剣の刀身に何か術式を描いており、イスモは手甲に覆われた両腕を交差させながら砂を用いて空中に複数の魔術円を展開していた。
単体では絶対に勝てないであろう強大な相手。例えつい最近顔を合わせた程度の関係だとしても、この局面では互いに互いの存在がありがたく、心強い。
「第五魔術位階【フレイムタン】!」
炎の大剣が“アクチュアリティトレイター”を軸として具現化され振り下ろされると同時、他の二人も攻撃の準備を終えたようだった。
「第五魔術位階【クイックロード】!」
テレサの剣が凄まじい速度で刀身を伸ばし、目視不可能な速度での刺突を放つ。
剣を伸ばす際に発生させている何らかの魔術の発動速度を断続的に加速させ、音の壁すらその形状で切り裂きながら直進していく。
その様は白兵武器による突きを越えてもはや光線の域に達していた。
「第四魔術位階【グラトニーボール】!」
イスモが並べた複数の魔術円から飛び出したのは、砂で構成された巨大な球体の群れだ。それぞれがただ塊として存在するわけでもなく、じゃりじゃりと砂を循環させているのが見てわかる。
触れた物体を削り取り内部に巻き込みながら飲み込む破壊と暴食の化身。民家一つ程度なら単発で更地にできようそれがいくつも生成され、ルドラへ向かって飛来した。
「【欲する限り 願う限り 望む限り 流れとともに連れ去ろう】」
膨れ上がる炎の刃。
空を裂く眩き一閃。
万物を削る砂の玉。
異なる向きから異なる傾向の異なる脅威が同時に迫り来る中、ルドラは全く意に介さずただふわりと浮かんでいるばかり。
詠唱が完成したと同時に灼熱の炎が、音速の剣が、暴食の砂がそれぞれ無防備な体にぶつかった。
一番最初に接触したテレサの刃によって空間全体に衝撃が飛び散り、それに圭介の【フレイムタン】とイスモの【グラトニーボール】が巻き込まれる。
普通に考えれば胴体が上下に分割されるほどの大きな穴を体に開けられた上に、体を覆う炎と砂で全身をズタズタに焼き削られ人としての原型すら残らないであろう魔術の複合。
(初めてだ)
そんな中で圭介の胸に去来したのは。
(こんな風に思うのは、初めてだ)
ダグラスとの戦いで一度、殺す覚悟を決めた経験のある彼でさえ味わった経験のない感触。
(初めて、他人の死を本気で望んだ)
舞い散る鶸色に輝く炎と潤色の燐光を伴う砂がルドラの輪郭を隠す中、
「第三魔術位階【ブリングフィッシュ】」
「あっ――?」
それら全てが真下に落ち、圭介達三人も地面に向けて強く引っ張られた。




