第九話 ビバイ迎賓館
亜麻色のカーペットが被せられた床。
さらさらとした触感の塗料が塗布された木材のテーブル。
ビバイ迎賓館の一号館と呼ばれる建造物には広い会議室があり、そこに圭介ら国防勲章の受勲者が集められていた。
これからの配置や役割分担を確認するためだ。既に話は通っているものの、当日のコンディション等を考慮して直前での配置換えにも対応できるようにしなければならない。
特に今回は三大国家からそれぞれの王が出席する首脳会談である。普段以上に警戒態勢を整えて、万全の防備で構える必要があった。
会議室の最前、オリハルコン製のボード付近に立つ細身の男がまず声を上げる。
「ビバイ迎賓館常駐騎士団が騎士団長アドルフ・ホンニストだ。国防勲章受勲者の諸君、今日はよろしく頼む」
アドルフと名乗ったその騎士団長がボードの表面に術式を描くと、第六魔術位階【マッピング】による精巧な地図が空中に浮かんだ。
「通常の迎賓館は外周に四重の防衛ラインを設置している。まず第一陣が粘着性の魔力弾を射出するトラップ。こちらは監視カメラと併用し、不審な熱源や魔力反応に対して管制室にいる者が手動で術式を発動する」
防備を日頃から四重も用意している辺り、流石は一国の重要施設と言ったところか。
粘着性の魔力弾は侵入者の動きを抑制するだけでなく、不審物を包み込むことで爆発やガスの散布などを不発に終わらせる意図があるらしい。
もっとも場所が場所なら来訪者にも相応の気遣いをしなければならない。その都合でか人間が自身の手で機械を操作し、誤作動に権力者を巻き込まないよう配慮が為されているようだった。
「第二陣は第三魔術位階相当の結界。詳しい仕組みは機密事項となるため教えられないが、相当頑強に術式を編まれているため基本的にここで大半の攻撃は防げる。かつてジェリー・ジンデルが襲撃を諦めたのもこの結界があればこそだ」
恩師であり決別した相手でもある人物の名前が出て、ユーの表情に僅かながら影が差す。
だが彼女なら大丈夫と知っている他のパーティメンバーは何も言わず、アドルフの説明を聞き続けた。
ただ感傷を除外した上でわかるのは、ラステンバーグ騎士団が誇るのも当然と言える結界の強さ。
ジェリーも第三魔術位階の攻撃手段を有してはいた。が、そんな彼女が諦めるほどとなると少し想像しづらい。
そんな代物が第二陣に設置されているという事実を受けて、集められた受勲者の中から誰かの安堵の吐息が漏れた。
「第三陣、各種ゴーレムの生成術式。結界を破るほどの強者が来た場合、その攻撃手段や事前情報などから相手の適性を判断し、相性のいいゴーレムを作り出せるよう調整してけしかける」
けしかけるという表現はやや乱暴だが実際その通りの動きをするのだろう。
あらゆる魔術には不利な相手が存在する、という事実なら圭介も以前トラロックで嫌というほど思い知らされた。
強固な結界を破って消耗しているところに相性の悪い相手が群れて襲いかかってくると考えれば、なるほど内部への侵入を防ぐ機構として最適な動きに違いない。
「そして本来の最終防衛ラインが我々、ラステンバーグ騎士団となる。君達には今回特別に設けた第五の防衛ラインとして機能してもらう形になるが、ここまでで何か質問はあるかな?」
「はーい質問ありやーす」
真っ先に手を上げたのはエリカだった。
圭介が【サイコキネシス】で周囲の動きを探ると、どうやら他にも数名が挙手しようとしていたらしいことが感触でわかる。
「君は……アガルタ王国から来た学生さんだったかな? では質問をどうぞ」
「ども、アガルタの騎士団学校に通ってるエリカ・バロウズっす。今の話を聞いてて思ったんですが」
アドルフのやや侮りが滲む言葉選びに反応を示さず、エリカは淡々と疑問点を突く。
「上空から迎賓館の中心部に垂直に落ちてきて、本館を直接狙いに来る相手にはどういった具合で対処する感じになります?」
「真上からの攻撃にももちろん対策している。空中に張り巡らせている結界は地上付近で運用されているものより複雑にして強固だ」
説明と同時に地上と空中とで異なる結界が展開されている図が【マッピング】で具現化された。
ヘルメットを二段重ねにしたようなそれは簡略化されながらも、難攻不落を形にしたような頼もしさを伴って鎮座している。確かにこれは第三魔術位階相当の攻撃を何度か撃てる程度では突破できまい。
「加えて結界の内部にはゴーレム生成術式も組み込まれているため、第二陣から第三陣への流れは地上と変わらず機能する。またこの関係で常駐騎士団は全員が飛行手段を有しているため、第四陣としての役割は変わらず果たせる」
「……なるほど、なるほど。了解でーす」
納得こそしても安堵まではしていないのがそこそこ長く付き合ってきた圭介にはわかった。
万全の備えも破られる時は破られる。
そして騎士団と言えども死ぬ時は死ぬ。
今まで実戦を通して見てきたものがあればこそ、油断はできない。
国防勲章受勲者ともなれば全員同じ意見なのか、集合した中の誰もが「それはそれとしていざとなれば」という姿勢を崩さずにいた。
その後も幾度かの質問と回答を経て、最終的に各々の配置へと移動する時間となった。カソックを着た集団の中からイスモの視線を感じたりもしたが、圭介は今それどころではない。
(王様見殺しにして王城騎士として担ぎ上げられる気なんてないぞこちとら)
勝手に未来を決められつつある事実にも腹立たしいものを覚える。
しかしそれ以外にも理由があった。恐らくレオにも共通するであろう、客人だからこそ思わずにいられない不平不満。
(つーかせっかく家族一緒にいるってのに娘の前で死ぬ死ぬ気軽に言いやがって何だあのおっさん)
家族と離れ離れになった今、親子が顔を揃えている姿を見て羨ましく思わなかったと言えば嘘になる。
そんな時に親の方が子の心情に配慮せず自らの命を投げ捨てようとしている様を見せつけられれば、当然穏やかでいられない。
(絶対に死なせてやらねーからな)
静かな憤りを胸中に燃やして進んだ先は、花々が咲き誇る公園のような空間。
木材で組まれた休憩所に加えてキャンプ用らしき石組みのかまどが置かれたスペースまである。本館から離れた位置には川が流れており、どうやら魚も多く生息しているようだった。
中庭の一区画に過ぎないはずだというのに充分過ぎる面積を誇るそこは、享楽を目的として作られた場所だ。
ラステンバーグ皇国の皇族と呼ばれた来客のみならず、少し割高ながら料金を支払えば一般人でもバーベキューや川釣りを楽しめる。
今日に限っては三ヶ国首脳会談がある関係で使用禁止になっていると騎士団から説明があった。確かに各国のトップが集まる今日、一般人まで本館に近づける状況は望ましくない。
「ラステンバーグの皇族もこういう遊び場みたいなの用意するものなんだねぇ」
「つっても[デクレアラーズ]が暴れてる今は屋外で遊ぶのも危険だろうから、これからしばらくはここ使えないんじゃないの?」
ユーの言葉に対するミアの意見は決して根拠のない予想というわけではなく、寧ろ昨今話題に挙げられる社会問題が下地となっている。
王族や貴族に加えて一定以上の成功を収めた芸能人やインフルエンサー、企業の役員などといった権力者が次々に殺されていく。
一応[デクレアラーズ]が狙う以上は何らかの後ろめたい事情があるのだろうが、特にそういった背景を持たない成功者からすれば下手に問題ある人物と関わって巻き込まれるような事態は避けたい。
結果として上流階級に属する人々は、善悪を問わず社交の場から離れた。
「まあ今時は貴族も商人もSNSでやり取りしてるし、そういう時代になってきてんじゃねえの?」
「うわー、久しぶりだわこの感覚。ゲーム的な地位にいる人が現代的な動きしてるのを見てズレを感じるやつだわ」
相応に高い地位を持つ彼ら彼女らが現在交流の場としているのは、インターネット上のコミュニティが主体となっている。
当然これらの場はサーバーを経由して企業の目が入るため、後ろ暗いやり取りは書簡で行われる。そうなると物理的証拠が残るので送り届けるにしてもルートを独自に構築し、証拠隠滅の備えもしておかなければならない。
そうして強引にでも繋げた裏の結束は、結局[デクレアラーズ]によって物理的に消滅してしまう。
悪事に手を染めた者が消え、空いた椅子に最初から決まっていたかのように清廉潔白な人物が腰を下ろす。
ビーレフェルト大陸は今、順調に洗浄されているのだ。
「んじゃそろそろ配置につこうか。私とユーちゃんはそれぞれ西側と東側に別個に立って……」
「……ん? なんか聞こえね?」
ミアが一旦ベンチに置いた地図を手に取るのとほぼ同時、エリカが何かに気づいたらしくキョロキョロと周囲の様子を探る。
この中で誰よりも優れた聴力を持つミアは「ああ」と納得した様子を見せてそれに応えた。
「ほら、昨日外で演説してた人達だよ。反皇帝派というか革命派というか」
「マジかよ元気だなオイ。でもそっか、別に三ヶ国首脳会談があるって話は普通に報道もされてるもんな。伯母ちゃんも知ってたくらいだし」
「皇帝が確実にここにいるってわかってるから、ここぞとばかりに噛みついてるんすかね」
実際レオの言う通りだろう。彼らは皇帝にプレッシャーをかけるのと同時、他の国から来た来客に向けて皇国の在り方の是非を問おうとすらしている節がある。
「若い世代に重税を強いる皇族を許すな!」
「未来なき世代に屈する国なんていらない!」
「弱者を見捨てる政策しかできないなら辞めろ!」
数々の不平不満が最初から取り決められていたように順序正しく飛来してくる様子を受けて、一同げんなりとした表情になってしまった。
恐らく朝からこれらの声を認識していたであろうミアは既に慣れたのか、涼しげな表情で苦笑するのみ。
「あはは、まあ他所の国のあれこれに変に首突っ込むつもりはないけどね。ちょっとうるさくはあるよねやっぱ」
「今は二度目の“大陸洗浄”が始まってるのもあって自分が正しいと思ってる層は強気なんだろうなぁ。あのラケルとかいうマスコットキャラみたいなのも随分人気あるみたいだし」
そしてきっとこの状況は序の口なのだと誰もが容易に想像できた。
今に被害者が加害者へと変貌してこれまでの加害者に私刑を加えてもおかしくない時代が来る。
あるいは既に大陸のどこかで、そのような事態が発生していても何ら不思議ではない。
「ああいう連中がトチ狂って突っ込んでくることもあり得ると思うと、確かに迎賓館の守りの厚さは中にいる身としちゃありがたいわな。聞いた限りマジでがっちり固めてるっぽいしあたしら今回出番ねーんじゃねえのか?」
「どうだろうね。僕としても今日一日ただ突っ立ってるだけで終わるならその方がいいけど」
それはない、と心の中で生み出されたアガルタ国王の幻影が断言してきた。




