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足跡まみれの異世界で  作者: 馬込巣立@Vtuber
第十二章 三ヶ国首脳会談編

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第八話 懐旧のピリオド

「お食事をお持ちしました」


 六十代半ばほどの老女が事前に注文通りの料理をデニスとフィオナ、圭介とレオの前に並べていく。

 慇懃な態度と細かな所作に無駄はなく、王族に直接サービスを提供していることからもこのホテルにおいて高い地位にいるのが語らずともわかった。


「それでは、失礼いたします」


 淡々と業務をこなす彼女に緊張の二文字はなかった。年齢がそうさせるのか、ともあれその胆力は圭介にとって羨ましく見える。

 隣りに座るレオなど好物が載せられた皿を前にしてもデニスの動きを注視してばかりで微動だにしない。


「では、いただこう」

「ええ」


 王族たる彼らもそんな庶民の惑いを理解しているらしく、何を咎めるでもなく先に料理に手をつける。何となくそれをきっかけに圭介とレオも追従した。


「んじゃ、俺らも」

「いただきまーす……」


 圭介がルームサービスに頼んだのはリュウズダイというこちらの世界にしか存在しない魚のポワレ。

 ビネガーソースがかけられたそれと同じ皿には何らかの貝柱とキノコのソテー、飴色に焼かれた小さな玉ねぎも付け合わせとして配置されている。


 口に含めばホロリと崩れる柔らかな肉の淡白な味わいをソースの香ばしさと酸味が彩り、料理としての完成度を否応なしに思い知らせてきた。

 魚につけられた酸味の強い味付けを補助するように玉ねぎは焦げ目をつけてやや苦く、貝柱は甘く、キノコはとろけるようにまろやかな味わいを主張してきてバランスも良い。


 国王がとんでもない提案を事前に聞かせてこなければ純粋に感動できたであろう美食。

 本当に、余計な話を投げ込んできてくれたものだと圭介はやや残念そうにバターの染み込んだパンを齧る。


 食事中に話を続けるような無作法はしない主義らしく、国王からの無言の圧力と圭介が抗うように発する怒気により張り詰めた空気の中で各々の食事が終わった。


 美味と感じる暇もない、空虚な時間だったように思う。


「さて、先ほどの話の返事だが」

「お断りします」

「まあこちらとしても急がんさ」


 迷わず即答したのだが目の前の国王は涼やかな顔だ。決して圭介とレオの存在を軽んじているわけではないのだろう。


 ただ、彼にはこれより決死の覚悟で成さねばならない()()()()()()()()仕事が控えているのだから。

 優先順位はどうしてもそちらが上になる。タイムリミットもフィオナに任せる形で引き延ばせるのなら、今は二ヶ国の元首とどのように言葉を交わすかだけ考えておくべきだ。


 そういった考えを察しながら、圭介はやはりそれを許せない。


「誰も死なせずに済む方法を考えるわけにはいかないんですか」

「そうできればそうしていたがな。不可能だ」


 間違いなくこの場でなければ口にできない応答が飛ぶ。


「これまで[デクレアラーズ]の動きを阻害できたケースは極めて少ない。かつて娘とケースケ君らがマティアスによる襲撃を防いだ城壁防衛戦は、はっきり言って稀有な事例だ」

『しかしながら防いだ前例がある以上は対策のしようもありそうに思いますが』

「あの頃と今では奴らの動きが大きく違う。少なくとも排斥派が活発に動いていた頃は、組織外にいる人間を駒として使ったりはしていなかった」


 エルランド・ハンソン。

[デクレアラーズ]の外から戦力を補充する♦の札として立ちはだかった彼は、直接的な強さとは別に脅威となり得る可能性を秘めていた。


 聞けば同じ♦の札であるバーチャルライバーのラケルなどは、こうしている間にも動画を通して己の信者となる一般人を増やしているらしい。

 恐らく大なり小なり他にも似たような役割をこなす者がいるのだろう。もはや国は自らが育む民草すら信用できない状況に追い込まれたのだ。


「強力無比な客人がいつどの位置に転移してくるかわからず、権力者は誰が狙われるかも判然とせず、わけもわからぬまま相手の作戦はこちらが気づいた時点で終了している。加えて信頼できる相手というものが実質的に存在しない」


 デニスにとって、いや全ての権力者にとって悪夢のような状況。

 これまで[デクレアラーズ]が見せつけてきたものはつまるところそういった類の絶望である。


「我々の命は既に奴らに掌握されていると考えてもいい。だからこそ(まつりごと)のおぞましい部分に直接触れさせずここまで育てた娘に、君達のような真っ直ぐな若者を並べて付け入る隙を排除する」

「そのために貴方が死ぬって言うんですか」

「言うとも。彼奴らとの戦いが今後どうなるかは別として、まずは王政の持続が急務だ」


 デニスの表情は依然として読めない。


 ただ、国の未来に身命を(なげう)つ王としての覚悟は疑いようもなく本物なのだろう。

 ここで圭介とレオが何を言っても、王城騎士への任命を拒絶するのが精々だ。それさえ将来的には断れなくなるよう根回ししていてもおかしくない。


「これで私から君達二人へ伝えるべきことは以上だ。先に述べたように結論を急ぐつもりはない。私の死後、すぐに決めなくともフィオナならセシリアとともに動けるだろうからな」


 既に[デクレアラーズ]による襲撃を、そして自身の死を避けられ得ぬものと見ている。

 そんな国王にかける言葉が見つからないまま、しかし死なせまいとする感情は膨れ上がった。


(むざむざ見殺しになんてしてやるもんか)


 隣りに座るレオは圭介より強くそう思っているだろう。目の前で親しい人に死なれた経験を持つ者として、デニスの提案を受け入れるつもりなど毛頭あるまい。


「……じゃ、今のところはお断りする方向でお願いします。僕らは部屋に戻りますので、これで」

「メシ、奢ってくれてあざっした。美味かったっす」

『お疲れ様でした』


 国王に対し精一杯の反発を表明しながら二人と一羽は部屋を後にする。

 振り返った先にある水槽の通路は、美しくもあり息苦しくもあった。


――何が王城騎士だ。


 目前にぶら下がった血まみれの称号へ心中唾を吐きながら歩く。

 そんな肩書きを餌にする浅ましさにも腹が立つし、それ以上にフィオナの前で死後の話をしたことが許せない。


 沈んだ娘の表情が、あの父親には見えなかったのか。


 まだ元の世界に置いてきた家族への未練が残る客人だからこそ、許せないことがある。

 やはりあの国王は必ず生きて帰らせると、強く己に誓った。



   *     *     *     *     *     *



 多くの宿泊客が眠りについた夜の二二時。

 昼寝で頭を休ませた圭介らも常人にとって耐え難い緊迫感が渦巻くアガルタ国王との対話は疲れたらしく、レオともども本日二度目の就寝と相成った。


 国防勲章受勲者の面々が次にホテルから出るのは明朝六時半頃となるだろう。

 三ヶ国首脳会談は十時から始まる。そして会談が始まる前に済ませるべき顔合わせや配置の確認、常駐騎士団との連携など考える事は多い。


(若いのに王様連中の汚い事情に巻き込まれて、まあかわいそうだわね)


 正面入り口前で同情交じりの白い溜息を吐き出すのは六十代半ばほどの老女。

 デニスらアガルタの王族をもてなすため食事の提供を担っていたホテルの最高責任者、言わば支配人と呼ばれるホテリエの長である。


 ただ立場が上にあるというだけでなく年齢相応にこの仕事を続けてきた彼女は、ほとんど自身の手足よろしくホテル内部の状況を把握していた。


 定時を迎えて帰宅する従業員の人数と敷地外に出る時間帯。

 宿泊している客の(王族すら含めての)大まかな現在位置。

 贅沢の限りを尽くした内装がどれほど経年劣化してきたか。


 巡回中の警備員が殺されている事実。

 警備員を殺害した侵入者の潜伏場所。

 その侵入者が具体的に誰であるかも。


 全てわかった上で何もせず、監視カメラの死角となる清掃用品の保管庫へ歩いていく。


 誰もいないはずの保管庫前。本来なら物質結合術式が錠前の代わりに組み込まれているはずの扉が小さく開いていた。

 閉め忘れという可能性はあり得ない。それは数時間前に術式の確認を終えた彼女自身が保障できるし、あれから清掃作業のスケジュールは入っていなかったから。


 誰かが中にいる。

 術式を破壊し、扉を開けてその奥に身を潜めている。


「ふふっ」


 それが彼女にとってはおかしくて、笑いを抑えきれなかった。


「私相手にかくれんぼでもしてるつもり? 暗くて狭い場所を見るとすぐ入っちゃうの、昔から変わってないのね」


 デニスや圭介に食事を提供していた時の慇懃さは消え失せ、いたずら好きな少女の面影を宿して挑発的な言葉を投げる。


「いやぁ、参ったな。どうしてもキーラの目は誤魔化せないや」


 彼女――キーラの声に応じるは若い男の声。

 彼はゆっくりと扉を開けて、保管庫から顔を出す。


 年齢は二十歳そこそこといったところか。彫りの深い顔立ちに子供のような綺麗な瞳を爛々と輝かせ、無垢な印象を相殺するかのように長く伸ばした黒髪からは香水の匂いを漂わせていた。

 裸の上に羽織った無地の白いシャツとダメージジーンズ、少し擦り切れたスニーカー。高級ホテルで寝泊まりしている客層としての装いではない。


 褐色の肌に覆われた肉体を衣服の隙間から晒す彼は、どこか品のない色気を身に纏う。生娘であれば狼狽すら見せただろう。


 とはいえここには老女が一人いるばかりだ。

 今の彼女(キーラ)にとってそんなものに深い意味はない。


「昔ならもっとこう、半泣きで駆け寄るくらいはしてくれただろうに。どこでそんなスレちゃったんだか」

「ババアで悪かったわね。こちとら酸いも甘いも知り尽くしてるのよ」


 苛立ちと可笑しみを同時に内包する表情で支配人の彼女は懐からタバコを取り出し、グリモアーツで着火した。

 彼女の普段の姿を知る部下や本社の人間が見れば卒倒するような所作だが、今この男の前では取り繕う意味などない。


「ババアとまでは言ってないだろ。さっきの笑顔とか昔のキーラのままだぜ」

「あんたは丸ごと全部が昔のままでしょうが。妬ましいったらありゃしない」

「はは、いや、実際もっと驚かれると思ってたんだけどな。全然変わってないなんて普通は気持ち悪いだろうし」


 男は弱った風に微笑んで、どこか悲しげに呟く。


「……[デクレアラーズ]に入ってから色々あってさ。普通の体のままじゃあ世直しなんてできないよ」

「そんなことだろうと思った。ルー君、自分で決めるの苦手だもんね」

「ルー君はやめてくれよ。言っとくけど見た目が若くても君と二歳しか違わないんだぜ」


 懐かしい呼び名を受けてか、男の表情と声色が少しだけ明るさを得た。

 保管庫から外へと歩を進めて彼は視線を西側――ラステンバーグ皇国が誇りし難攻不落の城塞、ビバイ迎賓館がある方向へと向ける。


「今日は報告しに来たんだ」

「わざわざこんなところに侵入までして?」

「うん。俺も君もお互い当事者だし、ケジメとしてね。他の仲間にももう伝えてきたから君で最後だよ」


 言って懐から出すは、一枚のカード。

 否、グリモアーツ。


 描かれているのは♠のJ(ジャック)


「俺は明日、アブラム・ラステンバーグ四世を殺す」


 唐突な現皇帝への殺害予告。


 多少立場のある存在とはいえ一般人でしかないキーラにわざわざ知らせる必要性など本来はない。

 どころか本来なら通報されて話が終わっても不思議ではない、愚挙とさえ呼べる犯行声明が夜の冷たい空気に滲む。


 だが、的外れにも思える宣言を彼女は笑わなかった。


「…………そう。それはルー君が自分で決めたことなの?」

「作戦自体は前々から[デクレアラーズ]の中で決まってた。けど俺がここにいるのは間違いなく俺の意志だ」

「そっか。なら、いいや」


 即答された時点で彼女から彼へ伝えるべき事柄のほとんどは消失したと言える。

 決断を不得手とする彼が強く心に誓ったのなら、そのまま突き進んでほしいと思えたから。


 だから称賛と或る日の想いもついでに込めて、送る言葉はこれと決めた。


「頑張ってね、ルー君。応援してるよ」

「……へへっ」


 酸いも甘いも知り尽くして他の男と家庭を築いた今、どれほど少女時代の純粋な感情を彼に伝えられたものか定かではない。


 それでも。

 それでもあの頃、絶望と死に彩られた日々を過ごしていた彼女にとって、目の前で照れ臭そうに笑うテロリストはある種の救済だった。


 ならばせめて自分にできる範囲で彼を労いたいと思っても、何もおかしくはないのだ。


「ルー君はよせってば。ってか本名忘れてない?」

「私ももうこの年齢だからねぇ……。人の名前がすっぽ抜けたりすることも増えてきちゃって」

「マジかよぉ」


 本当は憶えていた。

 客人として出逢った彼の名前は、聞き慣れない響きをしていたから。


「ま、キーラと話すのもこれが最後になるだろうからね。一応ちゃんとフルネーム名乗っておくか」


 その言葉に寂しいとさえ思わなくなった己の老いに苦笑したくなるのを堪えながら、言葉の続きを聞く。


「ルドラ・ヴァルマ。発音しにくいってよく言われてたし、普段からルー君ルー君言ってりゃ忘れてもおかしくないけどさ」


 ふわり、と。

 ルー君――ルドラの体が浮かび上がる。


 遠ざかる懐かしき姿と香水の匂いに、去来すると思っていなかった強い懐旧の念が呼び起こされた。


「キーラには、憶えておいてほしい」

「うん。今度はちゃんと憶えたから、安心しなさいな」


 接客の仕事に就く身だ。年齢がどうあれ、いくらか化粧はしている。

 それでも皺だらけの顔で見送るしかない自身の在り方をどこか俯瞰して見ると、せめて見た目だけでも彼と同じくらい若ければと思わずにいられない。


「……ねえ、ルー君!」


 最後に見せるのがこんなお婆さんの顔なんて、などと常なら絶対に抱かない後ろめたさを感じるのは瑞々しかったかつての自分が顔を覗かせているせいか。


「頑張って! 頑張ってね……!」

「ああ! 頑張るよ! 必ずあの悲劇を、明日こそ本当の意味で終わらせる!」


 ラステンバーグ皇国の歴史に埋もれたとある闇。

 その中に当事者として参加させられていたキーラは、平凡な日常を得た今になっても心のどこかに引っかかるものがあるのを自覚していた。


 積もり続ける皇国への憎悪。

 平和に生きる人々への隔意。


 それを、彼が終わらせてくれる。


 諦めて久しい復讐を完遂し、今度こそ平穏な日常を得られるのだと言ってくれている。

 恐らく他の仲間も同じ気持ちになったに違いない。地獄の日々を知っているからこそ、そこに疑念を抱く余地などなかった。


「お願い、ルー君」


 輪郭も夜の闇に溶けていくルドラの姿を視界に留めて、キーラは続ける。


 もう聴こえないであろう声を。

 でも聞こえるであろう言葉で。


「私達を、助けて」


――[デクレアラーズ]幹部[十三絵札]が一人、ルドラ・ヴァルマ。


 別の呼び名を♠のJ、“オジエの座”。


 騎士の札において最強の戦闘力を持った男が今、ラステンバーグ皇国の歴史に終焉を齎そうとしていた。

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