第七話 国王の誘い
二時間ほどの仮眠を終えた圭介とレオの二人は、幾分かすっきりとした気分に高揚感を覚えながら部屋を出た。
時刻は十九時。女性陣や他国の受勲者達もホテルの食堂に集まっているだろうと予測し、彼らも食事を済ませるためそこに向かう。
「ラステンバーグではパンと同じ感覚でケーキ食うってマジすか」
「マジだよ。メティスでラステンバーグ料理の店に行って食べてきたから間違いない」
「俺あんま食べ物で冒険したくないんだけどなぁ~」
『レオはイギリス出身でしたね。その影響でしょうか』
「俺の故郷の味をバカにするな!」
「落ち着いてレオ。まだ誰もイギリス料理の話してないよ。実質してるようなもんだったけど」
和気藹々と語らいながら廊下を進む途中で、何人か客と思しきドワーフやサキュバスとすれ違った。
衣服などに特別豪奢な飾りは見受けられないものの、やはりこういった場所に来るだけあって彼ら彼女らの佇まいは一般人のそれと大きく異なる。何を着るかよりどう振る舞うかに重きを置く層なのだろう。
しかし安物の服に見合った振る舞いで談笑する二人は一切の気後れを見せず廊下を進み、また周囲の上流階級と思しき者達も特にその様子を気にしない。
古き冒険者の言葉で“金貨慣れ”と呼ばれる事象がある。
貴族や大企業などから持ちかけられる大口の依頼を何度かこなすうちに権力への畏怖が薄れていく、中堅どころの冒険者にありがちな病だ。
望ましくない方向に進むと上下関係を軽んじるようになってしまうなど危険なデメリットもあるものの、彼ら二人は早い段階でフィオナやカレンと出会ったためにその手の勘違いを無意識に防いでいた。
ただ、そういった経験を積んでいようがいまいが、一切関係ない相手というものが存在する。
多少の“金貨慣れ”など本物の前では機能しない。
「やあ。ケースケ君にレオ君、それからアズマ君」
食堂に向かう途中で急に声をかけてきた相手。
撫子色の髪を短く切り揃えた壮年の男はグレーのスーツに身を包み、左右に非武装の状態とはいえ高い実力を持つであろう騎士の男を従えていた。
「えっ、ああど、どうも」
「おおおお疲れ様っす」
デニス・リリィ・マクシミリアン・アガルタ。
アガルタ王国の現国王が親しげに、それでいて積み重ねられた一切合切を隠さず声をかけてきた。油断していたところに思わぬ緊張感を流し込まれた二人の少年は当然戸惑いながらどうにか応答する。
『お疲れ様です、国王陛下』
「こんばんは。ただ国王陛下はやめてくれたまえ。一般客もいる空間だ」
『失礼いたしました』
ただアズマだけが冷静に応じた。今回ばかりは圭介としても頭上に居座る機械仕掛けの猛禽が羨ましい。
「急に声をかけて驚かせてしまったな。重ねて申し訳ないのだが今から少し時間をもらえないだろうか? 場所は私の部屋、両隣りに立つ二人は物々しいので外で待機させる」
「えぇっ、とぉ」
「食事はこちらまで運ばせるから、好きなものを遠慮せず皿に取って食べてくれればいい。私の話を聞くにしても食べながらで結構だ」
無表情ながら饒舌に話すデニスを前に圭介はすっかり閉口してしまっていた。
受勲式を終えた後で初めて接触した時から思っていた事だが、彼はまるで相手に判断を委ねているかのような調子で様々な事項を確定しながら話す。人を従えるのが当然の立場なのだからそれが自然なのだろう。
加えて圭介もレオもそれに反発できる立場ではないし、また反発する理由もこれといって特になかった。話の内容はわからないが今は部屋へと赴くしかない。
「りょ、了解っす。ケースケ君もそれで、ね?」
「そうですね。僕らとしては全然、はい」
「ありがとう。では移動しようか」
そう言ってデニスはくるりと体を半回転させて、自身が来た道を戻る形で歩き始めた。
完全に二人を、というより恐らく圭介を待ち伏せていた動きだ。加えて恐らくそれを悟られることさえも承知している。
「せ、セシリアさんはどちらに?」
「彼女にはホテル周辺を巡回させている。我々の話し合いが終わったらまた戻らせる予定だ」
「はぁ……」
手綱を握られているような感覚にあまりかいた経験のない汗をかきつつ、二人は国王の背を追った。
向かう先は王族が寝泊まりするために用意された区画。指紋認証術式が組み込まれた特殊なカードキーでのみ出入りが可能となるその場所は、本来なら国防勲章の受勲者如きが立ち入ってはならないはずの領域である。
デニスがカードキーをスライドさせて開いた重厚なドアの先には、一面水色の廊下が存在していた。
「…………んあぁ?」
否、水色に染められているわけではない。
透明な通路の外側が水槽となっていて水族館よろしく多種多様な魚が泳いでいるのだ。
上下左右に魚が漂う中、光の反射で薄く輝く面だけがその場所を廊下として定義していた。
「うわーすっげえ……僕こんなんやってるホテル初めて見たわ」
「ここだけの話」
「あ、はい」
先行するデニスが口を開く。
「この廊下に関して言えば個人的な趣味から大きく外れる。どうにも足場が不安定なように思えて落ち着かない」
「っすよねぇ~……俺もちょっと度肝抜かれたっていうか……」
『しかし単なる装飾ではなさそうですね。通れる人数を制限する意図があるのでしょうか』
「賊なり暴徒なりが攻め込んできても直線状に放てる魔術を使うか、最悪水槽を割って押し流す算段もあるのだろう。飼育しているのも外見こそ美しいが全て凶暴な肉食魚だ。……まあ[デクレアラーズ]には通用せんだろうがね」
聞いた話によるとラステンバーグの皇族は回復魔術に特化した一族であり、直接的な戦闘能力を持たないらしい。だからこうして誰でも集団を相手取れる措置を組み込んだのだろう。
三ヶ国首脳会談がアガルタでなくラステンバーグで開かれると決まった際、デニスは[デクレアラーズ]と多く接触している圭介を交渉用の手札として伴うことにしたという。
では開催地を決めたのは誰なのか?
もしかすると戦う手段を持ち得ないラステンバーグの皇帝が、皇国から出て危険な状況に置かれるのを嫌ったかもしれない。
あるいは圭介というカードを有効利用するべくデニスがその話を持ち出したのかもしれない。
いずれにせよ理解できたのは、この国そのものが皇帝にとって武器であり防具なのだということ。
「入ろうか」
透き通った通路の果てには何らかの術式が組み込まれた石造りの壁と木製の扉があった。恐らくこの先が王族用に設けられた部屋で間違いあるまい。
圭介が無自覚に背筋を伸ばし、レオが自身の胸をトントンと手で軽く叩きながら呼吸を整える。
デニスによる二回のノック。それから三秒ほど待って、今度は四回。
「私だ」の一言と同時に今度は素早く三回。都合九回のノックを経て、向こう側から二回ノックが返ってきた。
先んじて決めておいた入室の際の合図だろう。となれば向こう側、部屋の中にいるのは誰か。
圭介が察した時には、デニスが先ほど使ったカードキーをタッチパネルに当てて開錠していた。
「お待ちしておりました。トーゴー・ケースケさん、レオ・ボガートさん、アズマさん。……お父様、こちらへ」
「ああ」
案の定、もはや見慣れつつある第一王女フィオナの笑顔が出迎える。
扉を開いた先には広く、意外とシンプルな内装の部屋だった。少なくとも圭介とレオが宿泊している部屋のように絵画や花瓶の類はなく、あくまでもティーポットやベッドが適した位置に置かれているだけだ。
なぜ王族専用の部屋に装飾が少ないのか。その答えは自然と理解できる。
こうして招き入れた相手の意識を余計な情報に向けさせず、権力者の姿と言葉に集中させるために相違ない。
「遠慮はいらない。座りなさい」
「は、はい」
「失礼するっす……」
言葉も口調も何一つ強くないその声には、拒否を選択肢から除外させる力が宿っていた。
王族親子が並んで座るソファの向かい側には同じく別のソファがある。二人の客人はおずおずと腰を下ろして、アガルタ王国最高権力者に向き合う。
「緊張させてしまったか。正直言うと私自身も国民とこうして顔を合わせて話す機会が簡単に得られない立場でね。親しげに接するなどという娘のような器用さには恵まれなかった」
「あ、ぇえいやいやそんな」
レオの否定する態度こそがまさしくデニスの発言を肯定しているようなものだったが、彼は特に気にした風でもなく話を続けた。
「雑談はここまでとして早速本題に入ろう。今回の三ヶ国首脳会談についてだが」
デニスは表情を一切変えず、淡々と告げる。
「ほぼ間違いなく[デクレアラーズ]の襲撃を受ける。そして私は他二ヶ国の元首を護る形で死ぬだろう」
あまりにも当然と言わんばかりの態度だったものだから、圭介もレオも、アズマでさえ反応できない。
一国の王がこうもあっさりと己の命を軽く扱うなど、増してやそれを国防勲章を持っているだけの民間人、加えて年端もいかない少年に聞かせるなど尋常の沙汰ではなかった。
「……あ、の。襲撃を防ぐために、僕らがいるのでは…………?」
「空間転移魔術を自在に操るような怪物が首魁を務めている以上、防備をどれほど固めたところで侵入の妨げにはならんさ」
身も蓋もないが確かにそれはそうだ。
アイリスは観測した対象の情報を読み取り、好きな場所に好きな相手を送り込める。となればビバイ迎賓館の外側に配置された騎士団や仕掛けの数々も容易に通過するだろう。
「そも[デクレアラーズ]が“黄昏の歌”と繋がっているのならジェリー・ジンデルを退ける程度の防衛能力で対抗できるはずもない。あの程度の施設ならヒラミネ・ムカイは“大陸洗浄”でいくつも更地にしてきたのだから」
公の場で言えば各方面に問題が飛び火するだろう発言は、恐らく盗聴の可能性を一切排除した上でのものだとわかる。
わかるが、それにしたって明け透け過ぎないかと圭介は内心冷や冷やしていた。
「加えて国家元首とは闘争の果てに玉座へと到達し、その椅子を護る上で手段を選ばない生き物だ。一切の悪事に手を染めていないなどという事はハイドラ王国の国王も含めてあり得ない」
飾らず問題発言が続く。
それが国王なりの圭介とレオに対する誠意なのかもしれないが、そろそろ肝が凍りつきそうな予感さえしてきた。誰から何を聞かされているんだ、と理不尽にさえ思う。
しかし、奇妙だった。
目の前にいる国王は一切腹の内を隠さず話しているようでいて、まだ何か秘めているように感じてしまうのだ。
その心を紐で締めるような疑念があるせいで相手の話を頭から信用しきれない。
「だから[デクレアラーズ]の襲撃は必然となり、それを防ぐ手立てもない。その上で私は他の国を結界魔術で護って死ぬ。そうでもしなければ前途ある若き民草を釣り餌として運用した責任は取れまい」
『国王陛下がテロリストに殺害される形でご逝去されるとあれば国の混乱は避けられないはずですが、その対策はできているのですか?』
「やめろアズマ、やーめーろ」
頭上から無遠慮に投げ飛ばされた発言に思わず小声で抗議するが、デニスもフィオナもどこ吹く風だ。
質問の内容自体は妥当なものでしかない。となればそれに対する回答も用意しているか、あるいは王族ともなれば即興でも適した答えで応じられるのだろう。
「今回こうしてケースケ君と、同じく客人でありカレン・アヴァロン氏とも繋がりのあるレオ君を呼んだ理由がそこにある」
『と、言いますと』
「お前どっちでもないだろ何ださっきから! えー、それで理由とは」
何故か体を前方に傾けるアズマを手で押さえつつ、圭介が問う。
「今後、王国への助力を願いたい。こうした依頼での繋がりではなく、今より直接的な関係の上でだ」
「はん?」
「え?」
圭介とレオの呆けた反応も先に予測していたのだろう。
敢えて遠回しな言い方から入ったデニスは、次にわかりやすい表現で話をまとめにかかった。
「延いては数々の実績を誇るケースケ君、ダアトと密接な関係を持つレオ君の二人に助力願いたく思っているのだよ」
「それってつまり……」
「ああ」
レオの嫌そうな顔にデニスは当たり前のように臆さず続ける。
「今回の戦いを経て、客人である君達二人を次期アガルタ女王となるフィオナ直属の特殊部隊――つまり王城騎士として、城に招き入れようと考えている」
即ち。
父親を見殺しにして、その娘に仕えろと目の前の国王は言っていた。
「ふざけんなボケ~~~~~~~~~~っっっっっっっ!!」
「寝言は寝て言え~~~~~~~~~~っっっっっっっ!!」
いくら目の前にいるのが最高権力者と言えども限度がある。
あまりに恐ろしい提案をするものだから、幾多の戦場を経験してきた少年二人もたまらず精神的に限界を迎えてしまった。




