第四話 動く理由と動かない理由と動かされる理由
「よく来てくれた。既に国王陛下と姫様がお待ちだ、中へ」
「了解っす」
「うーん、何度かやり取りあったけど未だに王族と会うのは慣れない……」
出発当日の朝になって空港に来た一行は、発着場でとある飛空艇に案内された。
案内役はセシリアであり、彼女もフィオナの側近として同行する。
今回操縦する飛空艇は、彼女が個人で所有しているものと比べて二回りほど大きく外装も厚そうに見えた。
やはり王族を乗せる以上は頑強である必要があるのだろう。少なくともセシリアの趣味ではあるまい。
地上より強く吹く風が朝焼けとコンクリートの匂いを運ぶ中、圭介らは前髪を手で押さえながら中へと入っていく。
「うっわ、すげぇ」
エリカの率直過ぎる言葉は、しかし内装を見た全員に共通する感想でもあった。
薄紅色のカーペットが敷かれた床に漆塗りの椅子が並び、窓の枠にはアガルタ王国の国花である百合の意匠が囲むような形で彫りこまれている。天井に組み込まれた淡い黄色の照明は柔らかな光を携え、直視しても目に負荷がかからない。
木製の調度品と照明の色が合わさった結果か、その場にいる者を組み伏せるかのように落ち着かせる造りが絶妙な配置と角度で君臨していた。
「国王陛下並びに姫様は別室でお待ちいただいている。しばらく待てば給仕係から朝食の提供があるからそれまでにベルトを締めて待っておけ」
「お、お気遣いどうも……」
「ユーが食べ物の話を聞いても上の空とかよっぽどだぞ。いや実際僕も驚いた、王様が乗る飛空艇って中までこんななんだ」
仮に無機質で無骨な内装だとしても飛空艇は飛空艇である。
ただそれだけで一般市民からしてみれば目玉が飛び出るほどの高級品なのだが、この機体はどうやらそれを数台揃えなければ勝負にもならない程度に上等な品であると誰もが理解できた。
何はともあれ席について安全ベルトを締める。座席の感触や漂ってくる独特の香りもあり、この場に王族がいないというのにまるで見られているかのような緊張感を覚えずにいられない。
三人用の座席で窓際にエリカが座ったのでその隣りに腰を下ろすと、反対側の席にはユーが座った。文化祭前に気まずくなった相手二人に挟まれて心がくすぐったくなる。
とはいえ、いつまでも未知の体験や二人の少女との距離に耽っているわけにもいかないのだ。
「これからラステンバーグ皇国に行くんだよね。アガルタ王国以外の国か……」
『心配ですか?』
「単なる旅行とかならまだしも、僕のポジションとか色々考えるとなあ」
「ケースケ君のポジション? どゆこと?」
アズマに向けての呟きを拾ったのはエリカの真後ろ、レオと二人並びながら窓際の席についたミアだった。
「ケースケ、そろそろ頃合いだ。私はこれから操縦席に移動するから、以前話したことをお前の口から他のみんなに伝えておいてくれ」
「あー、はい。確かに丁度いいか」
複雑そうな表情のまま歩き出すセシリアを見送り、口を開く。
「まず最初に言っておくと、三ヶ国のうちアガルタ以外の二ヶ国は[デクレアラーズ]対策に乗り気じゃないんだってさ。だから王様にとって本当の目的は他の国に協力を要請することらしい」
前提を崩す圭介の話に、数々の修羅場を体験してきたパーティメンバーも流石に唖然としてしまった。
「……え? でも今回の三ヶ国首脳会談って、そもそもみんなで連携するための話し合いをしようって内容じゃないの?」
「っすよね。でないとせっかく集まる意味がなくなるんじゃ……」
『無意味とは言い切れません。国家元首直々に協力要請の拒絶を表明する機会にはなるでしょう』
悲しいがアズマの言う通りだ。
恐らくラステンバーグ皇国とハイドラ王国は今回の首脳会談でそこまで直接的な表現は控えつつ、問題を先送りにしようとするのが目に見えている。
もちろん諸国にとっても外交的なリスクを多分に孕んだ決断であり、アガルタ王国との今後の交流を思えば簡単に答えは出せまい。ただ少なくとも今回の協力要請に快諾される可能性は絶無と言えた。
「まず今回行くラステンバーグ皇国だけど、皇帝の考えはともかく国民が[デクレアラーズ]のやり方に同調してるのが影響してる」
「あ、それはあたしも聞いたことあるな。確か“黄昏の歌”関係だっけか」
「そう、平峯無戒が“涜神聖典”を倒したってんで、特に被害の大きかったラステンバーグの人々はアイツを英雄として見てる節がある」
かつて大陸全土において宗教と呼べるおおよそ全てを破壊し尽くした信仰の破壊者、あるいは宗教家とその関係者を飽きもせず惨殺し続けた大量殺人犯として知られる“涜神聖典”トム・ペリング。
彼の蛮行によって最も大きな被害を受けたのがラステンバーグ皇国だとセシリアは言っていた。
またそれに加えて、無戒がトムと決着をつけた場が奇しくもこれから向かう皇国の首都ビバイである。そんな場所で無戒が所属する[デクレアラーズ]を打倒すべく結託しようなどと呼びかけても、過去の傷を知る者達はそう易々と応じない。
もちろんラステンバーグ皇国とて[デクレアラーズ]の所業を全面的に受け入れるなど到底できないだろう。
しかしそこには国家だからこそ動きを鈍らせてしまう理由があるのだ。
「厄介なのは無戒を支持してるのが昔からの信心深さを維持してる高齢層ってとこでね」
「あー、それはやりづらいね……」
思わずといった様子でユーが同調し、レオを除いた他のメンバーも納得したような顔になる。事情を知らないレオだけが「え?」と視線で圭介に説明を求めた。
「宗教自体が力を失ったラステンバーグ皇国は、はっきり言って若い世代があまり国の在り方を良く思ってないんだってさ。それで今じゃ国のトップを国民が選ぶために選挙制度を作ろうって運動も始まってる」
『同時に若者が国に愛想を尽かして他国へ渡るケースも増えているようですね。それが結果的に国内の高齢化を促進し、皇族の地位を維持する結果に繋がっている状態です』
「はへー、皮肉な話っすね。ってあれ、皇族の支持者が[デクレアラーズ]の味方になるってことはつまり」
「ジジババの機嫌損ねると今までの支持層が皇族アンチにひっくり返って、事と次第によっちゃあ選挙制度が現実味を帯びてくるってこった」
嫌そうな表情でエリカが話の芯を突く。
「ただでさえそのへんの年代はハイドラが帝国から王国に変わるとこ見てる上に、何なら“大陸洗浄”関連のニュースにも触れてきてるからな。革命が必要と思ったら多分すぐにでも行動に移すぞ」
エリカに補足説明された通りである。
ラステンバーグの皇帝は自らの地位を支えている高齢層をあまり蔑ろにできない状態にあり、迂闊に[デクレアラーズ]と敵対する態度など見せた日には背中を刺されかねない。
セシリア曰く国として一切対策しないわけにもいかないため、まずは選挙制度を皇帝自ら実現した上で皇族の在り方を持続させるための準備期間が必要という話だった。
ただその準備が終わらないうちはアガルタ王国に同調できない。例え腹の中がどうであれ、表立って国民感情を無視する動きを執るのは危険だからである。
「ラステンバーグに関してはそんなとこ。で、次にハイドラだけど、こっちは単純に[デクレアラーズ]からの被害が少ないから。ゼロってわけじゃないにしても重鎮が全然殺されてない」
「まあ、ハイドラ王国だもんねぇ」
眉を八の字にして曖昧な笑みを浮かべるユーの言う通り、ハイドラ王国という国の成り立ちを思えばそうなってもおかしくなかった。
今日のハイドラ王国を形成している権力者の多くは、三十年前の内紛で反乱軍に属していた者達が多い。
言い方を変えると彼らのほとんどは他者を蹂躙して私欲を満たす巨悪を許すまじと立ち上がった側であり、思想としては[デクレアラーズ]に近いものがあるのだ。
事実として善政を敷いているハイドラ王を筆頭に、彼の国では人格者として知られる政治家や貴族がほとんど[デクレアラーズ]の被害を受けていない。
数少ない被害と言える被害も[クリームカラーワークス]なる犯罪組織が壊滅した程度。国家運営の上で変化した要素は皆無と言って差し支えなかった。
「もちろんやり方が全然違うからテロリスト相手に味方するようなこともないだろうけど、それはそれとして中立的な意見に留まるかもしれない」
「悪いことして殺されるならそいつの自業自得、くらいは言われるかもなウチの王様。実際悪党をのさばらしといた方に問題がないたぁ言えないわけだし」
「こらっ」
後ろにいるミアから軽く怒られるも、エリカの言い分を完全に否定する者はこの場にいなかった。
アガルタやラステンバーグに清濁併せ呑むやり方を求められる場面があるとしても、ただひたすらに清らかなまま運営できているハイドラからしてみれば言い訳に過ぎないだろう。
実現された誰かにとっての理想が、他の誰かを害する好例とも言える。
「んで、どうすんだ我らがアガルタ国王陛下は。手伝ってくれって言っても嫌がるのが目に見えてる奴らに金でも渡すんかね」
「そこで僕の出番ってことらしいよ。これまでの話をまとめると、他の国が消極的なのって[デクレアラーズ]が敵に回らないからなわけじゃん?」
「うん? まあ、そういうことになるかな」
「んでほら、僕って[デクレアラーズ]に狙われ気味じゃん?」
「確かにケースケ君、何度も接触してるもんね」
「そんな僕が三ヶ国首脳会談の現地に行って迎賓館ごと[デクレアラーズ]に襲撃されれば、他の国にも戦う大義名分ができるわけじゃん」
「ああそういう、いやボケ何そういう!?」
察したであろうエリカが目を見開いて詰め寄る。反対側でユーも怒りからか無表情になっていた。
圭介を餌にしてあわよくば[デクレアラーズ]の構成員を迎賓館に誘い込み、ラステンバーグ皇国とハイドラ王国に彼らの危険性を知らしめた上で打倒に向けて納得できる言い訳も用意する。
確かにアガルタ王国から見れば効果的な策と言えた。
言ってしまえば[デクレアラーズ]が大多数の人間にとって明確な悪であると認識されることで、現在三ヶ国が結託する上での障害を取り除けるのは間違いない。
ただそれは圭介が餌として機能した場合の話だ。三ヶ国の元首が揃うというシチュエーションも手伝って何事か起きる可能性はあろうが、それでも空振りに終わらないとは言い切れなかった。
加えてこの計画は被害を被る他二ヶ国からしてみれば、アガルタ王国による他国への攻撃と受け止められてもおかしくない部分がある。
リスクが桁外れに高く、アガルタの国民からしてみれば迷惑千万と言えよう。
当然、そのアガルタの国民たる他メンバーは猛反発してみせた。
「後々どんだけ問題になると思ってんだ! おいユーちゃんミアちゃんレオにアズマ、全員であの王様ぶっ殺しに行こうぜ。不慮の事故ってことで」
「直接叩こうにも結界魔術使う相手に正面からぶつかるのは面倒だよ。とりあえずみんなは空飛べるケースケ君にしがみついといて、私が【静流】でこの飛空艇なます切りにするから」
「あんたら落ち着かんかい! いや無茶苦茶な話だとは思うけどさ、てかケースケ君も何淡々と言ってんの!」
「とりあえず皆、一旦冷静になって聞いて。そういう反応になるから最初に僕だけが聞かされたんだよ」
騒ぎ出した彼女らに対し圭介は努めて平坦な態度で話を続ける。アガルタに直接的な帰属意識を持たないレオだけは何となく圭介の様子を見て察したようで、国王の無茶な言い分を聞いても特に文句を飛ばさなかった。
「最初から[デクレアラーズ]が来ると決まってるわけでもない。来なければ協力を要請して他の国が言葉濁して終わるだけだろうと思う」
『来た場合は先に述べたような形で戦うための口実を得ると。そうなると今回の会談、他の国が何一つとして得をしませんね』
「でもきっと来られた時点で応じないわけにいかなくなるんすよ。大陸中で暴れてる犯罪組織なのは間違いないわけっすから」
もちろんアガルタ王国の国王たるデニスとて、ただ[デクレアラーズ]をおびき寄せるだけが策ではないだろう。他にもいくつか交渉材料を持った上で会談に臨むはずだ。
それでも話し合いが前に進むとは限らない。少しでも有利に事を進められるように可能性は増やしておくべきだ。
「だからって、ケースケ君を犠牲にするみたいで気分悪いよ」
「僕も最初そう思ったしセシリアさんにそう言った。何してくれとんじゃって。だから、ここからが本題。言っとくけどオフレコでね」
圭介が天井に備え付けられた照明を眺めながら言う。
「もし[デクレアラーズ]の襲撃があった場合、フィオナ第一王女の護衛と帰還を最優先としてほしいって。これが本当の国王命令」
王国内でもあまり評判のよろしくない国王は、自身より優秀と謳われる娘の安全こそが国にとって何より重要と判断した。
「国民から無能扱いされてる自分が勝手に突っ込んで死ぬから、父親より仕事できるお姫様を連れて全員逃げろってさ。これはフィオナ王女とセシリアさんも事前に聞かされて納得してる」
「おい、それって」
先ほどとは異なる類の動揺がエリカの声に滲む。
「王女だけ連れて帰っても僕らが糾弾されないように手回しは済ませておいたって言ってた。まあそれはそれでふざけんなって話だけど」
この飛空艇の別室に同乗している国王と王女は。
国を背負う立場に生まれ育った誇り高き父と娘は。
片方が死んで償うから、無作法を許せと言っているのだ。
「命令されたからってただ従ってるだけじゃ、国王とお姫様の“両方を護る”って選択肢が取れなくなる。だから今回、僕はみんなに協力してもらって」
申し訳なさが滲み出ないよう顔の筋肉に力を込める。
こういう時に遠慮せず頼れる程度には信頼関係を築いてきたつもりだから。
「王様の命令に、全力で反抗する。無責任に死のうとしてるバカ国王を、無理にでも生かして帰すんだ」
つまり圭介が今回の依頼を受けた理由は、実際のところ依頼の受諾とは逆。
国王命令を無視して依頼を蹴り飛ばし、王も王女も救うことにあった。




