第二十四話 まともになれなかったエルランドは、かわいそうなことに
戦いを通して敵戦力の分析を進めた結果、[デクレアラーズ]に同調する人材を集めただけの割にバランスは整っているのが理解できた。
まず前衛として身体強化魔術を主軸としたアラーナと、凍結魔術を繰り出す小槌の少年。
後衛には高度な放電術式の使い手と、気流操作術式を操る典型的な騎士志望。
支援はエルランドが主体となりながらも、じょうろ型グリモアーツを用いた植物制御術式とバイク型グリモアーツによる魔力操作が壁と鎖を作って戦局を有利に運ぶのだろう。
それでも勝てるという答えに至った圭介は、自身の魔力で構成された水を周囲に拡散する。
細かな水の粒は低温環境で瞬時に凍りつき、霧のように漂った。
視界が悪化するだけでなく念動力の精度も大きく下がるはずだが、圭介は自らその状況を作り出したのである。
『マスター、これでは』
「わかってんよ!」
「ぜぇえああああああ!」
「ハアアアアア!」
策を講じられるのを恐れてか前衛二人が揃って圭介に攻撃を繰り出す。
「圭、介っ!?」
「はぁい動いちゃダメよっと」
近距離戦闘に特化した白兵戦力が一気に襲いかかるのを見て急ぎ支援しようと動くレオを、魔力の檻が閉じ込めた。
頭上からはどこか見下したような声が聞こえる。【チェーンバインド】で圭介を縛り上げたバイクの少年だろう。
だが圭介は自身が撒いた水飛沫が凍結したことで念動力の精度が落ちた今も、負ける気など微塵もない。
まず【テレキネシス】で“アクチュアリティトレイター”を浮かせてアラーナの攻撃だけ防ぐ。弱体化した今の圭介では重い一撃も、重厚な鉄板の質量でどうにか凌げた。
この時点で小槌の少年だけが素通りする形となる。霊符の効果で周囲一帯の気温が下がっている中、彼の魔術は同系統であるからか相当な恩恵を受けて増強されているらしい。
複数の凍結術式と気流操作術式を組み合わせているのだろう。単なる殴打ながらも第四魔術位階に匹敵する威力があるのがわかった。
だからこそ最初に仕留めると決めていたのだ。
念動力魔術にとっての天敵となる凍結魔術の使い手には、早々にご退場願う。
「ごめん、痛いぞ!」
相手もそれなり手練れなのだろう。懐に潜り込まれた場合も想定して武器を持つ右腕は肘を曲げつつ攻撃することで射程を調整できるよう準備し、空いた左の拳で心臓を守る構えをしている。
なので圭介は防御に使われた彼の左手を狙った。
体を相手の左側に投げ捨てるように勢いよく移動させ、クロネッカーを持つ右手を大きく振るう。
「ぎゃああああああっ!?」
左肘の攻撃を鼻先に受けないよう大袈裟なほど腕を伸ばして斬ったのだが、どうやら上手くいったらしい。
切断された左手首が宙を舞い、痛みと恐怖と動揺から動きが一瞬止まる。そこを圭介は見逃さなかった。
「レオ、治療任せた!」
視界の隅で自分の足に巻きつこうと伸びる蔓ごと近くの地面を掘り起こし、浮遊する巨大な土くれへと変えてから彼の頭部に投げつける。
強い衝撃と出血、更に精神的ショックと寒さのためかそれで小槌の少年は動かなくなった。
「あ、えぇ?」
「次はあんただ!」
回復魔術を当てにしたとはいえ容赦ない斬撃に戸惑っているバイクの少年に吠えながら、【エアロキネシス】で自らを空中に吹き飛ばす。
怪我人を治療してもらうためにもまずレオを檻から出さなければならない。
「ひぃっ!」
思わずのけぞったところを後部座席に着地、かつてユーがジェリーにしたように運転手に密着する形で右手を相手の襟に滑り込ませた。
味方と近い位置にいることで後衛の魔術が飛んでこないのはある程度計算してのことだ。
恐らくこの戦い、最も修羅場に慣れているのは圭介だろう。
「じゃあな!」
「げっ」
触れたまま【エレクトロキネシス】で電気を流し、気絶させる。空中で霧散するバイクから地上に降りると、閉じ込められていたレオが小槌の少年に向けて走り出した。
「無茶せんでくださいよ!」
「ごめん!」
非難しながら切断された手を“フリーリィバンテージ”でくっつけるレオはそのままにしておくとして、次なる一手は後衛部隊の殲滅だ。
【テレキネシス】と【エアロキネシス】を併用しての高速移動で後ろから飛来したアラーナを避け、同時に“アクチュアリティトレイター”も柄に手を伸ばさず浮かせた状態のまま体の近くに寄せて回収。
慌てて地面に水を撒くじょうろの少女には悪いと思いながらも、彼女の周囲にある土を先ほどと同じく無遠慮に掘り起こした。
気合いを入れて幅は五メートル、深さは四メートルほどまで掘ったため飛行する手段がなければ彼女はここから動けまい。
「えっ、えっ」
自分を囲むように地面が抉れたのを見て動揺する彼女は無視し、持ち上げた巨大な質量はそのまま風と雷のコンビに向けて落とす。
「チクショウ、ふざけやがって!」
悪態を吐いて急ぎ回避したのは風を使う方。放電術式の使い手は瞬時に大規模な破壊を実現した圭介の念動力魔術に呆けている間に、降り注ぐ瓦礫で全身を打たれて倒れ伏した。
「調子に乗るなよ、俺は……ッ!」
グリモアーツなのだろうマルド・ギールと呼ばれる二又に分かれた刃の槍を持つ彼は、構えたものの目の前に圭介がいない事実へと至ったらしい。
「さいならっ」
「うがぁあ!」
らしい、というのは確認する前に彼の敗北が決定したためだ。
「頭から落ちると死ぬかもだから気合い入れてくれ!」
後方上部から振り下ろされた“アクチュアリティトレイター”による重い一撃を肩に受けて、激痛に悶絶したところをゴルフボールよろしく弾き飛ばす。
じょうろの少女を囲む深い穴の底へ落とされた彼は、誰かが引き上げるまで登って来られまい。
粗方片付けた、と達成感と油断を呼び寄せそうになった心をすぐ戒めて構える。
「っとぉ」
追撃しに来たアラーナの包丁を“アクチュアリティトレイター”で受け止めて、クロネッカーで手元を刈り取るべく右手を振るった。
防がれると予想はしていたのか、既に分厚い鉄板に両足を添えていた彼女は膝の屈伸運動を使って後方に跳躍。圭介と距離を取る。
とはいえここまでの流れが相当意外だったのだろう。
鉄面皮と思っていた彼女の相貌は今や絶望と疑惑に彩られていた。
「……エルランドさん。どうして支援してくれないのですか」
恨みがましく彼女は呟く。
事実、先ほどまで圭介とレオが追い込まれていたのはエルランドによる未知の攻撃が動きを阻害していたからだ。
それをまるで意にも介さない今の圭介は、騎士団学校に通っているというだけで実戦経験の浅い学生程度が対処できる存在ではない。
アラーナと同じ疑問をレオも抱いたようで、目を丸くしながら圭介の方を見ていた。
短く息を吐くエルランドが、味方に引き込んだ少女からの問いに応じる。
「支援しないのではなく、できないと表現するのが正しいな」
言いながらしゃがみ込んでカンテラを地面に置き、彼はその体勢のまま続けた。
「私の魔術の正体が見えてきた、という先の発言。どうやら虚言などではなさそうだ。もう察しているのだろう?」
「まぁ、うん。だからこそ寒い思いするの百も承知でこんだけ霧撒いたわけだし」
弱体化した念動力魔術でも経験と装備が整っていれば戦える。
そう知っていたからこそ実行できたのもあるが、何よりもエルランドを無力化できるという確信に近い憶測が勝利への道筋を整えてくれた。
「お前、虫を操るんだろ」
「ほぼ正解だ。おめでとう東郷圭介君」
敗北を悟った彼は苦い顔をしながら嫌味を飛ばす。
「より厳密に言うと基本は蚊や蝿といった小さな虫だが、少し応用してネズミやトカゲといったものまで対象にできる」
カンテラの周囲を飛び回る小さな粒は、よくよく見れば全てが虫だったのだ。
想定していたよりも遥かに弱々しい魔術にレオが首を傾げる。
「なんで、虫を操る魔術で離れた場所から精密に人を殺したりできるんすか」
「操ると一言で言っても内容は簡単な視覚の共有や術式の搭載まで様々だ。そして私が持つカンテラのグリモアーツ“ブルネラブルドミニオン”は、この王都メティスを包み込んでも余りあるほどに大規模な範囲で魔術を持続させられる」
「つまりその範囲内でなら、感覚の共有を始めとして遠隔操作で色々できるってことだろ。多分だけど西と東にいる仲間に通話したり、遠くから簡単な支援もできたんじゃないのか」
「ご名答。もっともその一方で攻撃手段は限られるがね。催眠魔術にしても燃焼魔術にしても、一ヶ所に何匹もの虫の意識を集中させなければならない」
それが動作も音もなく複数の騎士を戦闘不能に追いやった魔術の絡繰り。
小さな虫を一匹ずつ見つけて魔術の存在を探知するなど、アズマでも不可能に近いのだろう。弱い存在であることを逆手に取った見事な暗殺と言えた。
「僕もさっき【パイロキネシス】で索敵網の範囲と精度を強めてようやく答えが見えてきた。だからお前という客人の欠点もよくわかるよ」
右手に持ったクロネッカーの切っ先で、地面に置かれた“ブルネラブルドミニオン”を指す。
「ネタが割れればその時点で詰みなんだろ?」
「……悔しいがその通りだとも。この霧も対処法としては答えの一つだが、他にも弱点を多く持つのが私という客人だ」
魔術の発動を察知しにくいだけで、虫そのものは精度を向上させた【サイコキネシス】による索敵で探知できる。
そこまでならまだ勝敗の行方は決まらないものの、限られた攻撃手段が小さな攻撃を一ヶ所に集中させなければ成立しないと露見した場合は簡単だ。
感覚を共有した虫が力を合わせているのなら、半分以上の虫の視界を塞げば彼の攻撃手段は途絶える。
何ならここが校舎裏でなく草原などであれば、圭介は周辺への被害など考慮せず【パイロキネシス】と【フレイムタン】を組み合わせて虫を一掃できた。
エリカの魔力弾なら言わずもがな、虫相手なら攻撃力の低いユーの【漣】でも容易く対処できるだろう。
範囲攻撃ができないミアでさえ【コンセントレイト】で虫の羽音に気をつければどこから攻撃されるか察知して回避するに違いない。
唯一それも難しいのがレオだが、彼はそもそも戦闘員とは言えない。今も穴に落ちた風使いの男子生徒を引き上げて捻挫を癒している。
「まあ、ペテンでどうにかやってきたんだろうけどさ。この情報を僕らが騎士団に持ち帰ればもうあんたは実質無力化されるも同然だし、ここでそれを止める手段も残されてないでしょ」
「そうだな」
「待って……待ってください」
頭を抱えて苦しげな声を上げるのは、表情を歪めたアラーナだった。
「今回の作戦を通して排斥派を壊滅させ、トーゴー・ケースケを味方につけるなり脅威と断じて排除するなりするはずだったでしょう。エルランド、貴方の支援ありきで我々は戦えると踏んだのに、そんな」
「すまないアラーナ。だが説明した通り、恥ずかしながら私の魔術は秘匿されている間こそ強力な魔術に見せかけられるものの一方で弱点が多い。もうこの戦いに勝ち目は無いのだよ」
「しかしっ……!」
「アラーナ!」
名を呼ぶ声は彼女の背後、レオより更に後方から聞こえてきた。見れば疲れた顔のモンタギューと少し地面から浮きながら移動する白い棺桶――フレデリカ・オグデン・ヘイデンが駆け寄ってきている。
「何なのこの霧は! アラーナ大丈夫なの、吸ってない?」
「他の連中もマスクとかしてねーだろ。別に毒とかじゃないんじゃねえの?」
「お、お嬢様……モンタギューまで……」
オカルト研究部でアラーナとともに活動してきた二人だ。彼らを見つめる彼女の表情は、圭介のいる場所からだと見えない。
「モンタ君とあの、えっと棺桶の人!」
「モンタ君呼びやめろ。で、こりゃどういう……いや、そういう状況か」
疑念を抱いたのは一瞬だったらしく、モンタギューの声色に寂寥感が滲む。
誰が敵で誰が味方で、誰が裏切り者なのかを理解してしまったのだろう。
「そこにいるのは騎士団殺しで話題になってる[デクレアラーズ]の客人ね! どうしてこんなところにいるのか知らないけれど、ウチのメイドは何も悪いことしてないわよ!」
フレデリカの言葉を受けて、メイドの少女がぴくりと体を震わせた。
「アラーナは私の法律とか全然関係ないオカルト研究にも文句一つ言わず協力してくれたし、家でも庭の手入れや部屋の掃除まで何から何まで働いてくれてるし、紅茶淹れるの抜群に上手いし、ボードゲームでも私が主だからって忖度したりしないのよ! 貴方達に狙われるような犯罪者じゃないわ!」
「忖度してやれよ。こないだこっそり泣いてたぞコイツ」
「言いがかりつけて何かしようと言うのなら、私が相手してあげるわ!」
純白の棺から溢れ出す真っ赤な血の腕が何本もエルランドに向かう。
その中央に浮かび上がる瞳には見えているはずだ。
上下に分断された男の死骸と、血に濡れたアラーナのグリモアーツが。
「とても賢くて優しい子なんだから! 私にとって大切な人なんだから!」
しかし状況を無視して彼女は彼女の従者を庇った。
法を司る名家の令嬢が、咎を前に見て見ぬふりをしている。
それは誰が見ても明らかで、あまりにも哀しく、そして許されざる欺瞞だ。
「この子に傷一つつけてみなさい、絶対、絶対許さないからね!」
加えて彼女はエルランドの魔術を詳しく知らない。客人というだけで相当な強さを有していると認識しながら、勝てない未来から目を逸らして。
それでもフレデリカ・オグデン・ヘイデンは、気高く死地へと赴いた。
罪を犯した身内のために、自らが掲げるべき責務と矜持を投げ捨てて。
そこに理屈はない。ただ護ろうという純粋な想いがあるばかりである。
「……は、はははははは!」
向けられた的外れな言葉と血の手をどのように受け取ったのか。
それまで微塵も笑う気配など見せなかった[デクレアラーズ]の客人は、目尻に涙を浮かべて大笑した。
「あぁすまない。そう、そうだな。彼女がここに来た時には既にその男は死んでいたように思う。私はどうしようもない見当違いをしてしまった。まともな判断ができていなかったよ」
「何言ってんだ……?」
圭介から見ても流れ自体は理解できる。ただ、エルランドがそのように振る舞うのが意外だったから野暮な問いを投げかけずにいられない。
「勘違いを正した今、ここにいる意味もないな。私は大人しく退場しよう」
当然それは野暮な問いかけなので無視され、笑う客人は焼却炉の奥にある空間へと足を向ける。
そこはかつて圭介がヴィンスと戦った場所。逃げるにしても不向きな袋小路だ。
「東郷圭介。繰り返し言うが、今後も我々♦の札は[デクレアラーズ]の規模を拡大するべく動くだろう。決して油断はしないことだ」
「おい、待てよ!」
『マスター!』
「うわっ」
追いかけようとした圭介の頭上からリスが一匹落ちてきて視界を塞ぐ。索敵網は枝葉の狭間に身を潜める小動物を精密に探知できていなかったらしい。
加えて狭い通路の入り口でなら霧で視界の共有が機能しなくとも、出入りの妨害程度はできる。思わずリスを振り払う間にもエルランドは雑木林の奥へと進む。
「オグデン・ヘイデンの令嬢には最大の感謝を。最期に素晴らしい人間の姿を見ることができた」
「え……?」
「ではな」
木々の向こうにエルランドの姿が消えて、数秒の間が置かれた後。
爆発による強い風と轟音と熱が、圭介達の全身を撫でた。
「んあっ!? な、何だァ!?」
『自爆ですね』
「じば、え!?」
アズマの冷静な声に圭介の感情が追いつかない。
ただわかったのは、エルランドが自ら命を絶ったという事実だけである。
『彼の魔術は仕組みさえ露見してしまえば脅威でなくなる類のものです。それが見破られた今、組織に残る意味を失ったのかもしれません』
「そんな……」
圭介はあの仏頂面で淡々と語りかけてきた、しかしついさっきは少年のように笑っていた男がどのような人物であるかを詳しく知らない。
それでも死ぬのが正解と言えるような悪人だったとは到底思えなかったし、その引き金を自分が引いたかもしれない可能性に割り切れない思いが生じてしまう。
雑木林の奥に火の気配はない。あくまでも自らの体を破壊するためだけに何らかの装置か術式を用いたのだろう。
敵として対峙していた、あるいは味方として頼りにしていた男の自爆を目にしてその場に集まった少年少女全員の動きが止まる。
――ピーンポーンパーンポーン。
不意に。
やや間抜けで場違いな音が、聴こえた。
『ご来場の皆様。本日はアーヴィング国立騎士団学校の文化祭、一日目にお越し頂き、ありがとうございました。もう間もなく当文化祭は閉会の時間となります』
緊急事態での避難誘導を受けてタイマー機能をそのままにされたのだろう、放送室に残された録音データ。
事前にセットされた記録音声はどこか他人事のように、既に台無しにされてしまった祭りの終わりを告げる。
『ご予定が合うようでしたら、是非明日もお越しください。我々一同、皆様のご来場をお待ちしております』
まだ明日も続くのだと、確かで僅かな希望を仄めかして。




