第二十三話 怪物退治の常套手段
アラーナ・ボイエット。
オグデン・ヘイデン家に代々仕える従者の家系に生まれた彼女は、同い年だからという単純な理由に加えてその忠誠心の高さを見込まれてフレデリカ御付のメイドとなった。
オカルト研究に傾倒しながらも彼女は将来的な法務大臣、もしくはそれに関連する重要な役職になる可能性を持つ令嬢だ。
傍で世話を見ながら仕事に注力していく中で、彼女が法を学ぶ姿を見ながら同時にアラーナ自身も様々なものを見聞きする。
同情の余地など一切ない悪党の末路を幾度も見てきたし、それに対してある種の爽快感を覚えたことも一度や二度ではない。
ただそれと同時に思い知らされる。
法律は、善悪で動かないのだと。
明らかな冤罪を晴らせず泣き崩れた老人。
親権を取れず我が子を救えないと嘆く男。
おぞましい犯罪の再現を強要される少女。
それでも法律は必要であると常々言い聞かせられてきた。多くの人が平穏に暮らす上で一定の規律が無ければ、「守らない方が得をする」と気づいて欲望のままに動く輩が横溢するのだと。
だが、実感を得られなければそんなものは実体を伴わない綺麗事だ。
家族や主の口から語られる空虚な言葉に対して、人々が残酷な運命に屈する瞬間は生々しさが違う。
迷いがあった。憂いもあった。
それでも自分の役目はフレデリカ嬢の身の回りの世話なのだから、それに徹するべきだと鏡に向けて呟き続ける。
そんな日々を過ごす中で知らず摩耗でもしていたのか。
ある日、仏頂面ながらも穏やかな声で語りかけるエルランドから“副業”を持ちかけられた時に、アラーナはその申し出を断れなかった。
法律では救えない人々を、法律から逸脱したやり方で救済する犯罪者集団。
彼ら[デクレアラーズ]の独特な在り方は、これまで見て見ぬふりをしてきた涙の数々を受け止めるための最適な手段に思えた。
「――だから私は彼と組みました」
強い闘志を宿しながら、決意に満ちた言葉を口から放つ。
男の死体が転がる校舎裏には凍えるほどに冷たい空気が充満していた。
排斥派によって持ち込まれた霊符の効果である。既に発動してしまったそれにより、圭介が周囲に展開していた【サイコキネシス】が思うように動かない。
「[デクレアラーズ]の最終目標たる理想社会には法律など必要ありません。犯罪行為に及ぼうという卑劣な輩が一人も生存できないためです。そうなれば善良な人間だけが生き残り、社会は無法の安寧に至ります」
アラーナの背後にいるエルランドは青磁色に輝くカンテラ片手に圭介とレオの動きを観察している。少なくとも今すぐ二人を攻撃しようという意思はなさそうだ。
カンテラの周りには同じく青磁色の光を宿した小さな何かが飛び回っていて、見ているとどうにも落ち着かない。
「元より人間とは不完全な生き物です。社会構造こそ素晴らしい完成度を誇りますが、残念ながらそこに生きる人々の思考と能力が環境に追いついていない」
「だから出来損ないは殺すってか」
「そうです。事実これでもう、文化祭が排斥派の手によって破壊されることはなくなりました」
言いながら手に持った細長い長方形の刃で、胴を分かたれた骸を指し示す。
「トーゴー・ケースケ様とレオ・ボガート様は意外に思われるかもしれませんね。しかし我々異世界に住まう者の中には、こうして[デクレアラーズ]に力を貸す者が少なからず存在します」
「そういった協力者を用意し、働きに応じて報酬を支払う。それが我ら♦の札の存在意義でもあるのだよ」
言葉を繋げるエルランドがカンテラを上へ掲げると、校舎の窓や閉鎖された森の奥から数人の生徒がぞろぞろと姿を現した。
その数、アラーナと合わせて六人。全員が【解放】済みのグリモアーツを手に持っている。
「彼らは[デクレアラーズ]の思想に共感を示してくれたアーヴィング国立騎士団学校の生徒達だ。今回の騒動を我らが道化から事前に知らされていたため、迅速に行動してこのように集結できた」
「エルランド、一人足りませんが」
「アクシデントでもあったのだろう。何、元は排斥派にいながら情勢を見て鞍替えした俗物に過ぎんよ。必要な人材ではない」
なるほど、と圭介の中で何もかもが腑に落ちた。
戦闘力で他の構成員より劣るとされる♦の札がどうして姿を見せたのか不思議に思えたが、目の前に広がる光景を見れば簡単に理解できる。
つまるところ。
これだけの味方を揃えた今こそが、彼にとって最も安全な状況なのだ。
「お、おかしいっすよ。騎士になろうって奴らが、どうして」
「騎士になれば誰も彼も救えるってわけじゃないんだよ」
虚ろな目をした男子生徒が応じる。
「騎士団の入団試験に落ちた兄貴は会社でパワハラ受けて精神病んじまったよ。監査の目を賄賂でくぐり抜けてきた連中は法律じゃ裁けねえ」
「バレエで結果を残そうと躍起になってた友達は貴族令嬢の嫌がらせで夢を断たれて自殺したわ。あの女は証拠不十分でお咎めなし、大企業のご子息と結婚まで決まってた」
「僕をいじめた奴らは狡猾に痕跡を消して楽しく日々を過ごしていた。でも[デクレアラーズ]が皆殺しにしてくれたお蔭で、僕はあの地獄から抜け出せたんだ」
並ぶ裏切り者達が思い思いに理由を語った。「法律は助けてくれなかった」と言外に滲ませながら。
「クソ企業の上層部も株主も今では全員死ぬまで農奴の真似事してるってよ! 社員を食い潰す悪徳企業はもうねェんだ! 結果この世は平和になった!」
「あの子を追い詰めた連中は一人残らず怪物の餌として消費されたわ! ちゃんと見たのよ、泣き叫ぶあいつらの頭が噛み砕かれて、この世は平和になったの!」
「こないだも中等部の不良がまとめて拉致られて殺されてただろ! 着実にこの世は平和になってるんだよ、全て[デクレアラーズ]が働いてくれたからさ!」
悪と呼ばれる人間を人間として扱わず、脱落させるか排除させることに正当性と快楽を見出した少年少女。
その勢いにたじろぐ圭介に向けて、エルランドが一歩前へ踏み出す。
「まあ、彼らの主張や我々の目的に同調しろとは言わないとも。しかし君達二人は一つ自覚した方がいい」
「あん?」
「何をっすか」
胸元に運んだカンテラを左手の指でカチンと弾いて、男は優しげな声のまま言った。
「客人が二人。それも片方は希少な念動力魔術を使うとなればまともに衝突できる相手ではない。勝ちを得ようと言うのであれば幾分かアンフェアな条件で戦わなければ到底打倒できない」
『だから人数を揃えたというわけですね』
「その通りだアズマ君。つまり今後はこういった、今までとは逆の状況も成立し得る」
逆、というのは数の比率。
難敵を騎士団や現地で得た仲間とともに協力して倒すというやり方は、当然のことながら圭介の専売特許などではない。
敵が人数を揃え、協力して自分を倒すべく作戦を練る可能性。
それが今、圭介とレオの前に立ちはだかる脅威にして、♦の札が持つ最大の武器であった。
「私達は自身の戦闘能力が低い。故に他者と交渉し、仲間を増やし、協力を取り付ける」
そういった“人を動かす力”が牙を剥く。
「仮にここをやり過ごしたとしても、覚えておけ。今まで出会った中にいる誰かが、敵として君に向き合う日が来るかもしれないのだから」
『来ます』
「うりゃああ!」
アズマの言葉とほぼ同時、少女の持ったじょうろ型グリモアーツが地面に水を撒いた。
するとみるみるうちに集団の足元から植物の蔓が生え、圭介へと向かって伸びる。
「あぶねっ!」
すぐにレオの“フリーリィバンテージ”が蔓と絡み合い、互いの運動を阻害する形で動きを止める。
が、絡まった蔓に術式が浮かんだかと思うとそのまま破裂した。中にあった水分が飛沫となって包帯を濡らし、別の生徒が小槌のグリモアーツを振るうと同時に凍結していく。
「ええっ、ちょ、ウソでしょ!」
「レオ!」
「他人を気にしている場合かね」
レオの動きが一時的に止まったのを合図に、圭介が頭に巻いていた包帯がバチンと術式を炸裂させて破れた。
恐らく、いや間違いなくエルランドによる攻撃だろう。未だ仕組みは見えないものの、すぐに次の包帯を頭に巻きつけなければ今度は気絶に追いやられてしまう。
「こ、のやろ!」
だが今はレオが動けない状態である。となれば答えは必然、速やかにエルランドを倒すしかない。
青磁色の光を宿した何かが彼の魔術を支えているのは明白だ。となればそれらの動きを捉えて制御するか、【パイロキネシス】で全て焼き払うなどできればそれでいい。
「【焦熱を此処に】!」
あるいは彼の手にあるカンテラこそがグリモアーツならば、それを破壊するのが最も早い。
グリモアーツ“アクチュアリティトレイター”が炎を纏ってエルランドへと突撃した。
しかしながら当然その可能性は相手も想定していたし、何より人数が違う。
「【プラントフェンス】!」
じょうろを持った少女が叫ぶと地中から蔓を網目状に編み込んで作られた障壁が出現し、圭介の攻撃を柔らかく受け止めた。
たっぷりと水を含んだ植物の壁にぶつかって炎の勢いは大幅に減少し、巨大な岩石をも砕いたであろう運動量も半減する。
「んなっ」
「甘いよ勲章持ちの一年生クン」
挑発的な声は頭上から聞こえた。
炎で一時的に本来の精度を取り戻した索敵網は、敵の一人が高く跳躍していたことに今更ながら気づく。
見上げれば二つあるタイヤの代わりに、魔力の塊を携えながら浮遊するバイクに跨った少年がいた。
「【チェーンバインド】!」
本来であれば車輪があるはずの場所から魔力の鎖が何本も出現し、圭介の両腕を拘束する。
関節の動きを抑制されて空中で武器を振るうことさえできなくなった瞬間、目前に青磁色の蝶の絵が浮かび上がった。
それが話に聞いていたエルランドの催眠術式だとすぐにわかったため、急ぎ目を閉じて顔の前に【テレキネシス】で集めた土埃を集める。魔術の効果から脱却できたのか眠気は来ない。
「舐めるな!【焦熱を此処に】!」
一度は消されてしまった炎を念動力魔術の精度とともに取り戻す。
制服の内ポケットに仕込んでおいた金属製のナイフやフォークをバイクに向けて【テレキネシス】で投擲すると、相手はあっさりと鎖を解いて大きく後退。圭介の攻撃を避けた勢いのまま再び着地した。
その動きを見送っている間にレオは凍った“フリーリィバンテージ”の一部を千切って捨てながら、圭介の頭に新たな包帯を巻きつける。
これでまたエルランドの不意打ちに対抗できるだろう。
そう安堵した時点で、敵陣営の後方に詠唱を終えた者が二人いるのが見えた。
「【レイヴンエッジ】!」
「【ボルトミサイル】!」
一羽の鴉を模した風の刃と、杭のような形に固定された電撃の集合体。
飛来する二通りの第四魔術位階は、二人の客人に遠慮なく高い攻撃性を発揮する。
「ふざっけ!」
「おっま!」
ある程度予想していたとはいえ回避も防御も間に合うかどうか微妙なところに投げ込まれた必殺魔術。
場数を踏んだ二人だが、エルランドの魔術が齎す極度の緊張状態によって冷静な対処が大きく遅れてしまった。
着弾と同時、颶風と迅雷が周辺の壁や土を叩く。
爆発により砂煙が立ち込める中、それでも二人は呼吸を続けている。
「いってぇ……」
「アズマ、大丈夫?」
『私は無傷ですがお二人は違うようですね』
しかし被害は甚大だ。
レオの回復魔術で即座に全身の傷を癒す二人だったが、衣服はところどころ破れてしまい血もそれなりに流れた。
七対二という覆しようのない数的不利。低温環境による念動力の弱体化は【パイロキネシス】でどうにかなるも、今日一日で何人も排斥派を縛り何人も被害者を回復させてきたレオの魔力残量に不安が残る。
『撤退するべきではないですか』
アズマがポツリと呟いた。
『望ましい形ではないものの排斥派による犯行はこれ以上ありません。今回の戦いが彼らの霊符による破壊活動をきっかけとしたものならば、これ以上の戦闘に意味があるとは考えにくいのですが』
先の攻撃で結界を展開しなかったあたり、彼は寒さと緊張感に晒されている二人より冷静に判断している。
死ぬよりは生き延びる方が重要であると。圭介とレオが組んだ状態ならよほど実力差がない限り難なく逃げられるはずだと。
一瞬流されそうになった気持ちを、圭介は努力を要しつつも振り払った。
「……いや、やっぱダメだ。ここでエルランドを放置するのは危険過ぎる」
「まあ確かに。あいつ一人いるだけでめちゃ神経使いますもんね」
「つーか♦の札ほっとくと仲間増やされるってのが厄介過ぎる。それ、に!」
両手に刃を持ったアラーナと冷気を纏った小槌を振りかざす少年が、二人揃って飛びかかってきた。
これに圭介は“アクチュアリティトレイター”での横薙ぎで応じ、二人を前方へと押し返す。
「さっき【パイロキネシス】で索敵網が復活して、直接アイツの魔術で一度は眠らされかけて、ようやく正体が見えてきたんだ! だからここで確実に倒す!」
その動きの隙を突くかの如く、電撃を纏った魔力弾がレオに迫った。これは包帯を束ねた障壁を作って受け流す。
「マジっすか! で、その魔術ってのは!」
『左です』
「おぁっだ!」
二人から見て左の地面から伸びた蔓を包帯に絡ませて、同じ轍を踏むまいとすぐ絡んだ部位を分離させて相手に向き直る。レオもそろそろ敵の集団との戦いに慣れつつあった。
だからと油断はできないし、それだけの余裕もない。
エルランドを倒せるならすぐに対処しなければ、負けるのも時間の問題である。
「よし、とりあえずレオはサポート頼む!」
「了解っす! エルランドの魔術を妨害……」
「いや怪我人出るから、そっちをお願いします!」
「えっ? なして?」
レオの困惑はさておいて、腰に下げていたクロネッカーを鞘から抜く。
「つーわけで覚悟決めろよ被害者気取りのテロリストども! 今から本気で全員叩きのめすからな!」
身を地面に接するのではないかというほど低くして、走り出した。
「【水よ来たれ】!」
低温環境下ではすぐに凍ってしまいそうな水を、周囲に振り撒きながら。




