第二十二話 騒乱を呼び寄せる者
東西の戦いが終息し、校舎裏の焼却炉前で圭介とレオが思わぬ邂逅を果たしている頃。
騎士団学校の校舎内ではモンタギューが暴走した二年生と接触していた。
「うおおおおおおおお!!」
「おいおいどうしちまったんだあんたら!」
彼が避難誘導を無視して校舎内に残っている理由は一つ。
オカルト研究部の部長であるフレデリカといつも行動をともにしているメイドのアラーナが行方不明になっていることを受けて、極力迅速に見つけ出し呼び戻すためだ。
どこ行きやがった、と悪態を吐きながらも放置はできない。
司法省法務大臣の家系に連なる名家のメイドだ。それがこの騒動の中で姿を消したとあっては学校側が責任を問われてしまう。
ただでさえ最近排斥派の大規模なテロに巻き込まれたのに今回の件で文化祭まで台無しにされた校長への同情。
あわよくばアラーナの保護という恩を着せてフレデリカのわがままな態度を改めさせることができればという打算。
自分が誰かに狙われているわけでもないのだから排斥派の動きにさえ気をつけていれば大した危険もなかろうという油断。
そういった要素が絡み合った結果「俺が探してきてやる」と豪語するに至ったのだが、どういうわけか二年生は自分達以外の存在を視界に入れるや否や攻撃する暴れ馬と化していた。
飛んでくる魔力弾を即座にしゃがんで回避しつつ、真横に体を滑らせて適当な空き教室に入る。
「クソが!」
グリモアーツを【解放】している暇などない。
足元の床を波打たせ、邪魔だからと他の教室からも運び込まれた机や椅子を出入り口付近に寄せ集めた。
教室の出入り口は二ヶ所。
机と椅子の数を思えばそこまで強固な守りは築けず、時間稼ぎとしてあまりにも心もとない。
「お前誰だ出てこいや!」
「ウチらの文化祭めちゃくちゃにしやがって!」
即興のバリケードを破壊せんと迫りくる声は完全にモンタギューを排斥派の一味として見ている。どう控えめに見ても冷静ではなさそうだった。
嘆息しながら組み上げた複雑な防壁の隙間にちらりと目を向けたところ、オカルト研究を通して鍛え上げられたモンタギューの観察眼が一つの違和感を掴む。
「あ?」
怒りの表情を浮かべる他の二年生に交じって、一人だけ。
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている男子生徒がいた。
(…………おいまさかそういう流れか。だとしたら区別つけてもらえない以上、俺一人だけなら巻き込まれないとも言えなくなってきたぞ)
というより現状ではアラーナの身の安全を保障できない。
窓から脱出でもしようかと思っていた彼はすぐにその選択肢を除外し、懐からカード形態のグリモアーツを取り出す。
「【解放“ア・バオ・ア・クゥ”】」
名を呼ばれたモンタギューのグリモアーツは焦げ茶色の燐光を伴って、エイにも似た姿を持つ奇妙な生物へと変化した。
この“ア・バオ・ア・クゥ”を使えばモンタギューはより広範囲に高い出力で魔術を行使できる。
「難しいもんだわな。仲間外れが仲間のフリするっつうのもよ!」
床の中へと滑り込ませた“ア・バオ・ア・クゥ”により集団の後方に向けて机と椅子を柔らかく波打つ床ごとスライドさせ、中に入ろうとしていた数名の二年生をそれらの質量で吹き飛ばす。
無論それでも流石は上級生といったところか、すぐさま体勢を立て直して壁や空中で一旦静止しモンタギューの方を睨みつけた。
だが構わない。しっかり見てもらえれば敵ではないと何人か気づくし、気づけばわずかながら動きが止まる。
その隙を突いてモンタギューは全力で空き教室から飛び出した。
「おらァァァ!」
「なっ、お前っ……」
他の二年生は多少伸縮してくれる“ア・バオ・ア・クゥ”で押しやり、本命である一人の男子生徒に組み付く。
その様子を見ていた周囲に向けて怒鳴りつける。
「よく見てくれ! 俺は排斥派じゃねえ、逃げ遅れた一年生だ!」
頭を冷やして見れば着ている制服が排斥派ではないとわかるだろう。
必死の形相で表明した自分の立場をようやく理解してもらえたのか、蔓延していた殺気が霧散するのを感じ取れた。
更にモンタギューは続けて言う。
「さっきあっちから来たけどそれっぽい奴はいなかったぞ!」
だから大人しくお前らも避難しろ、とは言わない。
予想が正しければそれで言った通りに動くはずもないとわかっていたから。
「……んだよ、ややこしいな」
「すまんな一年坊。変な勘違いして」
文句にせよ謝罪にせよ、各々がお望みの相手ではないと悟ってその場を離れていく。
そんな彼らの挙動には排斥派憎しで動いている危うさを差し引いても、違和感を覚えさせるものがあった。
というのも、モンタギューがのしかかり押さえ込んでいる男子生徒には目もくれないのだ。
そしてその男子生徒もまた、彼に構わず先に行く同級生らに声の一つもかけなかった。
二人残された状態でようやく押さえられていた男がモンタギューを振り払う。
「ッチ、邪魔なんだよ」
振り払われたことには何も言わず、二人は互いに顔を確認した。
向こうが記憶しているかどうかはともかく、モンタギューは彼の顔を半ば一方的に知っている。
悪い意味で一時期有名だった男だ。
「あんた、以前ウォルト先輩と一緒に排斥派やってたやつか」
小規模な排斥派勢力[羅針盤の集い]にて定期的に目障りな活動をしては悪目立ちしていた不良生徒の一人。それが彼の顔を憶えていた理由である。
圭介が異世界に来て間もない頃も無駄としか思えない彼らの活動を通してよく顔を見たものだ。
聞いた話だとウォルトが本格的に圭介に危害を加えようとしたのをきっかけに停学処分となり、つい最近ようやく復学してきたらしい。
「だったらどうした」
「二年生の連中を魔術で焚きつけて排斥派狩りに誘導したのあんただろう」
どう見ても正気とは思えない彼らは真実正気ではなかったのだろう。
いかなる魔術によるものかまでは断定できないものの、一度にあの人数を煽動するような術式となればまず間違いなく禁術指定に属する魔術を使っているに違いない。
そんな後ろめたさ以上に、モンタギューからしてみればどうにも解せない点が一つあった。
「元々排斥派だったあんたが今になって[デクレアラーズ]に鞍替えして、他の排斥派連中を餌にするたぁな。価値観変えるにしても極端過ぎるんじゃねえのか」
「ボケ。そもそも俺は排斥派だとか客人だとかどうでもいいんだよ。ウォルトの野郎とつるんでたのもアイツに任せりゃ楽にクエスト達成して小遣い稼ぎできるからだ」
「あん?」
その言い分が、そのまま今の立ち位置を示す。
金銭的な利益を得られるからと排斥派の集団に身を置いていた男が[デクレアラーズ]に協力している理由など、一つしかあるまい。
「……待て、嘘だろオイ。まさか[デクレアラーズ]って、あんたみたいなのに金払って雇ったりしてんのか」
「少なくとも俺の場合はな。他にも何人か似たような理由で手伝ってる奴がいるんじゃねえの? うちの担当はあくまでもうちのクラスだけだ」
もしそうだとすると、目の前にいる男一人をどうこうして解決する問題でもなくなってくる。
構成員一人一人にトランプのカードを対応させているとするならば、[デクレアラーズ]はジョーカーも合わせて都合五十三人という極めて小規模な組織と言えたはずなのだ。
それでも脅威足り得たのは“黄昏の歌”を始めとした規格外に強力な客人が属するという少数精鋭としての強み、及び大陸中で起きているあらゆる負の実績を目に見える形で示し続けたからである。
しかし外部の人間が協力しているとなると話は別だ。
組織としての規模が変われば影響力も変わってくるのは自明の理と言えよう。
もちろん各国の貴族や騎士団、王族といった権力者は当然のようにその可能性を考慮していただろうが、出自が平凡且つまだ未熟な面を持つモンタギューはこの事実を重く受け止めてしまっていた。
「はっ、何だよその程度の予測もできてなかったのかお前。オカルト関連の論文がどうとかでお高く留まってた割にバカだねぇ……ぇえげがごっ!」
正体を見破った相手がそれで狼狽する姿に思わず嘲笑しようとした男の顔に、突如赤く大きな拳が叩き落とされる。
結果、男の体が少しばかり痙攣を起こしてそのまま動かなくなった。浅い呼吸音が聴こえる以上死んではいないのだろうが、楽に眠れたわけでもないのは噴き出す鼻血を見ればわかる。
「随分待たせてくれたじゃないモンタギュー。しかも見たところまだアラーナを保護できていないみたいね」
聞き慣れた高飛車な風の声を辿って視線を倒れる男の背後に向けると、そこには赤い術式を表面に浮かべた白い棺が直立していた。
学校の廊下という場所にはあまりにも不釣り合いなそれこそ、オカルト研究部部長であり司法省法務大臣の家系に名を連ねる少女を内包するグリモアーツである。
名を“ノウヴルレクタンギュラー”。操血魔術の使い手たるフレデリカ・オグデン・ヘイデンにより血液の手足を生やした、歩く棺桶だ。
「待ちくたびれて校舎内に忍び込んでみれば、まあくだらない相手に何を吹き込まれたのか戸惑ってばかりで手も足も動かさずにいるんだもの。見ていて本当にストレスが溜まったわ」
「……おま、バカ。中等部が無茶してんじゃねえよ」
「避難するよう言われているのは高等部も同じでしょう。それに血流をある程度操作できる私にとって、排斥派の霊符ごときで再現される低温環境なんて大した脅威じゃないんだから」
棺の蓋の上部に描かれた血の瞳がじろりとモンタギューを見つめた。愛らしい声と不釣り合いな異形から思わずモンタギューは目を逸らす。
ヴァンパイアである彼女は直接日光を浴びるわけにいかない。だから日中は姿を表に出せないしそれもあって学校生活を通して彼女の素顔など見たこともない。
が、モンタギューは何となく中にいる少女も同じような目をしているのだろうと察していた。
「さて、言い合いなんて時間の無駄よ。さっさと私達でアラーナを見つけて帰りましょう」
「あのな、この広い校舎内のどこにいるかもわかんねえんだぞ。俺だってそれなり気合い入れて探したけど見つからなかったんだ」
「部室棟はもう見てきたわ。貴方、もうこの建物は見てきたのでしょう? なら残るは体育館と外周ね」
言いながらフレデリカは気を失った二年生の男をそっと壁際に寝かせて、体育館の方向に進み始める。
モンタギューも溜息を一つ吐き出してからそれに続いた。
「ところであの先輩、確か排斥派の人だったわよね? 中等部でも悪い意味で話題になってたけれど、今は[デクレアラーズ]のお手伝いをしてるだなんて節操のない男」
「まああまり言ってやるなや。さっき他の二年生が置いていったのを見た限り、どうにも友達はいなさそうだったからな。寂しかったんだろうよ」
文化祭でやれ協力だの団結だの言いたがるような連中なのは見てわかったが、そんな同級生らに一瞥もされず放置されたのは間違いなく彼の人徳のなさが原因と言えるだろう。
己の利益にばかりこだわった結果が集団での孤立とは、ありがちと言えばありがちな話だが少し憐憫の情も芽生える。
しかしフレデリカは罪を犯した者に対して情けなど一切かけない。
「ならコミュニケーション能力の欠如が原因よ。つまるところ努力と工夫と知能のどれか、何なら全てが不足していたからこうなったんだわ」
モンタギューとしてはそんな彼の無様さを笑う気になれなかった。
女子中学生にすら不足と責められる程度の人間だからこそ、こうして利用されてしまったのだから。
(理想社会、ねえ)
出来の悪い人間は優れた者の手足として使い潰される。
現行社会と同じ仕組みを取り入れている[デクレアラーズ]に果たして彼ら彼女らが言うほどの理想を成し遂げられるのか、という疑問は尽きない。
「なあ、これは興味本位で訊くんだが」
だから質問してみることにした。
「今回の件、どう思う?」
法律を重んじるヘイデン家のご令嬢ならば、答えは問うまでもないだろうに。
それでも問いかけずにいられなかったのはフレデリカをヘイデンの者としてではなく、オカルト好きで生意気な後輩として見た上で率直な意見を聞いてみたくなったからかもしれない。
貴族、法、あらゆる要素を身近に置きながら日々オカルト関係の文献ばかり読み漁っている彼女はモンタギューと異なる視点を持って今回の騒動を見ている可能性がある。
言葉の通り本当に興味本位でしかなかったし、きっとそれをフレデリカも察してくれたのだろう。
「腹立たしく思っているに決まっているでしょう。せっかく展示会場にトーゴー・ケースケが来てくれるはずだったのに、その予定が文化祭ごと台無しにされてしまったのだから」
「な。それは俺も思った」
返ってきたあまりにも素朴で丸裸な答えに思わず苦笑しながら歩を進める。
二人はまだ知らない。
アラーナが先の男子生徒と同じく[デクレアラーズ]に協力していることなど。
そして、その理由が金銭とはまた別の利益によるものであるとも。
♦の札が持つ真の脅威は、これより本格的に牙を剥く。




