第二十一話 晃浪ノ彲
(追ってこない。急いでるはずだから騎士団との合流目的ってわけでもなさそうだし、遠距離戦に持ち込むつもりかな)
城壁から離れた位置で無数の石柱とゴーレムに囲まれながら、ピナルは敵対戦力を今一度思い出す。
対応できないほど離れた位置にいる騎士団を除外するなら相手は四人。
あらゆる距離をカバーしながら支援も行える獣人。
近距離から中距離まで対応できる戦闘特化のエルフ。
範囲内での回復とジャミングを兼ね備えたヒューマン。
催眠術式を妨害しつつ爆発魔術も操れるレプティリアン。
この中で遠距離戦闘を担える人材はミア一人のみ。加えてユーは他者への支援などできないため事実上の戦力外と言えた。
ピナルにとっては後者、ユーを無力化できたのが戦略的意味合いとして大きい。
少し至近距離で彼女と接した感覚から、ジャミング対策の一つとして編み出した磁力制御と蹴り技を駆使しての格闘戦はもはや使い物にならないと判断したためである。
(あの剣の子がいなければある程度は跳び回りながらキックする戦い方で対応できたはずなのになぁ。まあこれでもう怖くないっちゃないけど)
とはいえ、単身突撃してくる可能性も否めない。
この局面で人員を無駄に遊ばせるだけの余裕はあちらにないはずなのだから。
(エルランドさんの魔術にだって弱点はある。ここはピナルが頑張らなきゃ)
思考が一つの結論を導き出すと同時、複数の【ロックピラー】と周辺の地面が伽羅色の術式を表面に浮かべて輝きだした。
「【その足には広がりましたか 私の子を踏み潰す感触が その耳には伝わりましたか 私の親から奏でられる慟哭が】」
相応に手間となる手順通りに術式を展開した上で詠唱を要する魔術。
仮に使うなら戦いが始まる前に準備を済ませておくべきこの第三魔術位階は、発動するまでの難易度に見合った破壊力を有する。
「【けれどあなたは盲だから 私の伴侶の涙が輝く その一瞬さえわかりはしないのでしょう】」
詠唱が進めば進むほど、大地が隆起して石柱に魔力が滾るのを感じた。
言ってしまえばこの大袈裟な手順の先にこそ、ピナル・ギュルセルという客人の本質と呼べる魔術があるのだ。
【ミキシングゴーレム】はそこから派生した安価な代用品、【ロックピラー】は術式が作動する上での補助媒体でしかない。
「【忌まわしき私の兄弟よ 大地より生まれ出し 異なる母の寵愛を受けし同胞よ】」
地響きが伝わったらしく、城壁からケンドリック砲による魔力砲撃が飛来する。
距離的に当たるはずもないそれを無視しながら詠唱を続け、ピナルの魔術は完成の時を迎えた。
「【私の故郷の 咎なき人々の 何がそんなにも憎いというのですか】」
詠唱終了に応じて術式を浮かび上がらせた【ロックピラー】が隆起した大地の内部に沈み込む。
それに快楽を覚えたかのように残された地面の術式が輝きを増した。ドクン、と一度震えていよいよ発動する。
「第三魔術位階」
城壁どころか王都の内側にまで轟かんばかりの音を伴って。
城壁など容易く跨げるほどに巨大な岩の巨人が、伽羅色の光をぼんやりと纏って立ち上がった。
「【マーシレスゴーレム】」
* * * * * *
「あぇー……何あれ…………」
離れた場所で起き上がるようにして出現した土くれの巨人を見上げて、ケイトが思わず感嘆の声を漏らす。
ビーレフェルト大陸でゴーレムは国を問わず身近な存在だ。だからこそこれまで送ってきた人生において前例のない大きさを持つそれは未知の領域にあった。
以前ピナルとの交戦経験を持つ二人はまだ余裕を保っている方だが、アガサなどは高層ビルに匹敵する【マーシレスゴーレム】に絶句するばかりである。
「今からあいつを倒さなきゃいけないなんて大仕事だなぁ。私らが何したって言うんだろうね」
「ねえミアちゃん。そんな呑気に話してる場合なのかなこれ。いや目の前のゴーレムもすごそうだけどさ、私の体。見てよこれおかしくない?」
比べてユーは異様とさえ言える巨躯を前にしながら微塵も取り乱していない。
巨大な敵を見るのが初めてではないというのもあるが、それ以上の理由が彼女の全身に張り巡らされていた。
アガサの“シンフォニア”を体のありとあらゆる箇所に貼り付けた様はまるでどこぞの民族が嗜む化粧を想起させ、その隙間を抜けるようにして“セイクリッドツリー”の根が柔肌に食い込んでいる。
痛みはないようだが痛々しい外観となったユーは今、非常に困った顔で剣を構えていた。
「私が何をしたって言うの!」
「絵面すごいことになってるけど害はないはずだよ。効率的にユーちゃんを支援するための緊急手段と思って受け入れてもらえればそれでいい」
「それ以前にその、大丈夫? ユーさんいきなり遠距離攻撃できるようにならなきゃいけなくなったわけだけど、支援でどうこうなるものなのそれ?」
二人が言うように、彼女の異様はアガサとケイト二人による支援を最大限活用するための特別な措置と言える。
筋力増強から血流促進、敏捷性の向上といったものがふんだんに盛り込まれた体は普段の彼女を大きく上回るポテンシャルを内包していた。
握る“レギンレイヴ”の刀身に群青色の魔力が漲り、透き通った刃の内側で暴れ回る。
「この距離であのサイズの敵に攻撃するなんて今までにもそうなかったから、今回ばかりはどうだろ……ダメかも……」
「ダメだったらダメじゃん!」
「大丈夫だってユーちゃん。私も手伝うからさ」
言いながらミアが“イントレランスグローリー”を前方に構える。
それとほぼ同時、目の前で足元の土を粗方吸収しきった【マーシレスゴーレム】が一歩目を踏み出した。片足を地面に着地させただけで彼女らの足が一瞬浮かび上がるほどの地響きが届く。
「手伝うって言っても、アレ相手となると生半可な攻撃じゃ通用しないよ。大丈夫かなあ」
「遠距離戦ってなった途端そんな弱気にならんでも。んじゃあイメージしてみればいいんじゃないかな」
にやり、と笑うミアは表情にいたずら心を隠しきれていない。
「でっかい敵を真正面から真っ二つにした前例なら、近いところにいたでしょ?」
その言葉を受けてユーの脳裏に浮かぶのは、決して自身がゴーレムを断ち切る姿などではなく。
山のように大きなモンスターを断ち切った、まさしく彼女の中で理想となり得る斬撃。
そしてそれを成し遂げた一人の少年の背中。
彼に追いつくため編み出した第三魔術位階【静流】は切れ味こそ再現どころか凌駕したとさえ自負していたものの、射程があまりにも短い。それでは巨大な敵を斬るなどできない。
ならばどうすべきか。
「……意地悪」
「アッハハハハ!【薫衣香宿した綺羅あれば 君を飾るにこれより優れた華はなし】!」
呵々と笑うミアが始めた詠唱は攻撃魔術ではない。
自らと仲間に支援魔術を付与しつつ近接格闘で牽制しながら第四魔術位階を叩き込む、という彼女の従来のスタイルと異なるもの。
つい最近習得した、第四魔術位階相当の支援魔術。
防御をより強固なものとする【フォートメイソン】とは逆に、味方の攻撃に莫大な運動エネルギーを加算する攻めの一手。
即ち今、ユーの遠距離攻撃をより強く確実なものとして完成させるべく彼女は自分の攻撃を後回しにしているのだ。
「【屍の臭い纏った暮露など どうか脱ぎ捨ててしまってくれ】!」
「もう、仕方ないな」
溜息交じりにイメージする。充分な射程を持つ、それでいて【静流】に匹敵する斬撃を。
今回重視すべきは射程だ。威力は現在付与される支援魔術で補えるが、アポミナリアは体の動きに連動して発動する術式を軸としている。
遠くへ届けるための動きは、相応に繊細な身体制御能力を求めてくるだろう。
「できそうですか?」
「はい。引き続き支援お願いします」
アガサの心配する声に応じ、両手を振り上げ“レギンレイヴ”を上段に構えた。
いざ動く時に大きく前へと踏み出さなければならない右足を少し下げ、左足は足首に力を込めて体全体を前方に押し出す際の機構として備える。
肩甲骨が背中でギリギリと中心に寄せられる感覚があり、手から剣に伝わる魔力は渦を巻いて細かな刃を吹雪よろしく高速回転させていた。
「【昼も夜もなく ただ其処に在る輝きを ただ美しいと愛でさせてくれ】!」
目前には自分達を踏み潰さんと迫る土と岩石の集合体が、都度命中するケンドリック砲の砲撃を受けながらも一切怯まず前進している。
やはり客人の魔術は凄まじい。
元より異世界で生まれ育った自分達に何ができるというのか。
(だとしても、だからって!)
負けるわけにはいかない。
つい最近、自覚した恋心が砕け散ったと錯覚した彼女は、それでも想い人の背中を想起しながら眼前の脅威を打破すべきと全身に力を込めた。
「第四魔術位階――」
「第三魔術位階――」
元より戦いに身を置く者なれば、愛もまた戦って勝ち取るだけのこと。
圭介と恋人関係にあるあの少女に勝とうと思ったなら。
この程度の壁に立ち止まっていては、話にすらならないのだから。
「――【ムーンレスモーメント】!」
「――【晃浪ノ彲】!」
瞬間、爆発的に増大したミアの魔力がユーを包み込んだかと思うと、その光はそのまま振り下ろされた“レギンレイヴ”に宿り刀身から放たれた。
現れたのは山吹色の光を化粧とばかり纏う、群青色の竜。
眼前に迫る巨人と並ぶほど長大なそれが素早くピナルの【マーシレスゴーレム】に巻きつき、血も通っていない喉元に牙を突き立てる。
魔力量の多いエルフを更に幾重にも強化した上で発動した第三魔術位階【晃浪ノ彲】は、燦然と輝く第四魔術位階【ムーンレスモーメント】によってその威力をより強めていた。
「うおおおお頑張れ負けるないけるいける!」
歩みを止めその場で踏ん張る【マーシレスゴーレム】に、ぎりぎりと締めつけ続ける【晃浪ノ彲】。
二つの大魔術が拮抗している場面を受けて、補助に徹したがゆえにまだ余裕を残すケイトが鼻息荒く声を上げる。
その場にいる全員の予想通り均衡が維持されたまま時間が経過することもなく、終焉はすぐ訪れた。
山吹色の燐光を伴って盛大に破裂する群青の竜。
その衝撃を受けて無数の破片と砕け散るゴーレム。
引き分け。
それが両者の間についた決着である。
降り注ぐ瓦礫が“セイクリッドツリー”の枝によって防がれる中、ミアの両耳がピクリと動いた。
「まずい!」
言って彼女は即座に盾を構えた状態のままケイトの前に躍り出て、土くれや岩塊とともに落ちてきた何かを防ぐ。
防がれたその何かは“イントレランスグローリー”の表面をガリガリとしばらく削った後、少し離れた位置に着地した。
ローラースケートの車輪部分でケイトの喉を掻き切ろうとしたそれの正体は、ピナル・ギュルセル。
ゴーレムが砕かれたところで彼女の戦意は失われていないらしい。
「なんで! なんで邪魔するの!」
後退するついでとばかり地面に展開した魔術円を中心に新たなゴーレムを作り出して突撃させる。
だがその動きはこれまで見せてきたものと比べてあまりにも無策だ。事実、地面から生えた“セイクリッドツリー”の根によってせっかく作ったゴーレムは容易く拘束されてしまった。
「悪い人がいなくなれば平和になるのに! ピナルの方が正しいのに!」
今度は真っ直ぐ向かってきたかと思うとそのゴーレムを踏み台として跳躍、再度高い位置からの蹴りを放つ。
が、これも先ほどと同様にミアに防がれた。おまけに一瞬硬直した隙を見計らってアガサがトカゲのような形で具現化された“シンフォニア”を数枚、彼女の体に貼りつける。
「誰もいじめられなくなるのに! 誰も奪われなくなるのに!」
「【慟哭せよ】!」
盾に弾かれ空中に投げ出されると同時、少し離れたところで“シンフォニア”がアガサの言葉に応じて爆発を起こす。木賊色の爆風が球状に広がる中、ピナルが全身に傷を負った状態で着地した。
「ピナルの邪魔をするなら、あんた達だって全員犯罪者だ!」
叫びながら地面を蹴り上げると小さな石や砂が一瞬で磁力を帯び、ピナルの足に装着された“レギオンローラー”に反発する形で散弾として放たれる。
「あぶなっ!」
しかし地面から生えた“セイクリッドツリー”の根が絡み合って防壁となり、苦し紛れに放たれた小粒の石も砂も全てが防がれた。
「間違ってる、そんなの、間違って……!」
「言わんとするところはわかるよ」
前方に集合した山吹色の花弁が周囲に散らばる中、ユーは魔力を使い果たしてただの刀剣と化した“レギンレイヴ”を片手に前へと出る。
「私も自分と仲間を死なせないために自分の師匠を斬った経験あるからね。綺麗事で誤魔化すつもりなんてない」
近接戦闘における実力の差を知ってか、ピナルはユーに向けて再度ゴーレムを作り出し飛びかからせた。
が、即興ゆえに造りが甘い。魔術を用いない純粋な斬撃によって人型の土は胴体と両腕を断ち切られ、また土へと還っていく。
ユーの首元に貼ってある小さな花を模した“シンフォニア”が一つ、煙を上げて弾け飛ぶ。その感触はほんのりと痒い。
「悪事を働く人がいなくなれば平和になるなんて、それこそ“大陸洗浄”を知ってたら誰でもわかってる常識なんだと思う」
「来ないで!」
またもピナルが片足を後ろに下げる。石と砂の散弾が来ると見たユーは“レギンレイヴ”を投擲して相手の足元に突き立てた。
ガッ、とつま先が透き通った刀身に当たって止まり、動揺して動きが止まった隙に歩を進める。
「でもね。私は[デクレアラーズ]のやり方を黙って見ているわけにいかないんだ」
いっそ武器を奪おうとしたのか、ピナルの右手が柄へと伸びるもユーは意にも介さない。
果たして彼女の予想通り、指が触れる直前に【解放】状態からカードへと戻ったグリモアーツは角を地面に埋めた形で収縮する。
手が空を掴んだその時点で、ピナルは致命的なまでに時間を無駄遣いしてしまっていた。
「人殺しの師匠を切り捨ててでも幼馴染との溝を深めてでも、誰かのために、誰かと一緒に戦える騎士になるって決めた以上」
一度剣の柄へ下ろした視線をユーに戻したピナルの顎に、ユーのアッパーカットが叩き込まれる。
魔力が尽きつつある体なれど鍛え上げた肉体は重い打撃を打ち放ち、少女の矮躯を殴り飛ばした。
「学校のみんなを、文化祭に来てた一般人を巻き込むようなやり方を、肯定するわけにいかないから」
少し離れた位置にべちゃりと落下したピナルは誰が見ても意識を失っている。そのためか城壁付近で僅かに残っていたゴーレムの群れも一瞬にして崩壊した。
「……ま、後半は聞こえてないか」
知ったことではない。
いかに社会のためと謳おうが、大前提として無関係な赤の他人に自分の都合を押しつけながらわがままを押し通そうとしているのが[デクレアラーズ]だ。
そんな組織に属していながら「なんで邪魔するの」などと片腹痛い、というのがユーの答えである。
そしてそれすらわざわざ誠実に伝える義理はないのだと、言葉に変えず溜息として吐き出しながら地面に落としたグリモアーツを拾うべく上半身を傾けた。
「あ、ヤバい」
顔を少し低く下ろしただけで、意識が朦朧とする。
魔力切れの予兆。既に敵は倒したものの、少々情けないところを味方に見せてしまうだろうか。
そんな風に考えていたら、山吹色の花弁がユーの体を包んで支えた。
「お疲れユーちゃん。バンブラの二人も、ホント助かったよ」
「いえいえ。お二人がいなければ勝てませんでした」
「ね、すごかったよねさっきのゴーレム!」
薄れゆく意識の向こうに緊張感の解きほぐれた声がいくつか聞こえて、ユーは安堵とともに一旦の眠りにつく。
(こっちは人数揃えてたからどうにかなったけど……ケースケ君とレオ君は大丈夫かな)
騎士団学校に残された自身の想い人と友人の想い人が、今頃どうしているか心配しながら。




