第二十話 破れず、敗れて
ナディアによって操作される浮遊島が今、三度目の砲撃を受けた。
轟音と衝撃に揺れる島には既に三ヶ所の破壊痕がつけられており、表面に展開されている強化術式も当初と比べて輝きを弱らせている。
二発目以降はドロシーが描いた盾をクリスが具現化して防ぐことで直撃は免れているものの、砲弾と逆の方向に浮遊島が押し出されてしまう状態が続いていた。
このままでは自分達の攻撃手段である魔力弾の有効射程範囲から外れてしまう。
前提として早期決着が望ましい場面で、主要な攻撃手段を潰される事態だけは何としても避けなければならない。
「で、どーすんべ。ヨーゼフ君てばめちゃ厄介だけど」
草生い茂る島の上部で、少女四人が砲撃と竜の挙動に意識を向けながら話し合いを始める。
はっきり言って負けが見えてきていた。高い威力の砲撃とこちらの防衛機構を削り取る竜の息吹、加えてヨーゼフ自身にいくら攻撃しても決定打にならない。
単純な戦術が通用しないなら変化を生じさせる必要がある。ここは四人で新たな手立てを、それも極力急いで思いつくべき場面だ。
クリスが「うーん……」と頭を抱え、ナディアが無言で薄れた強化術式を重ねがけしているところにエリカが声を上げる。
「そもそもなんで対空機関砲なんだ?」
「へ?」
「聞いた話だとあのヨーゼフって奴、飛んで戦えるだろ。騎士団の足止めするために戦ってるっつっても、あたしらに制空権握らせたまま地上に残るのは効率悪くねえか」
「まあ……言われてみれば……?」
ちらりとエリカの視線がクリスによって表示された画面、紙で組まれた偽りの竜に向けられた。
「あの擬竜術式もおかしい。騎士団相手にしようとした奴が用意した割に近距離用の攻撃を今のところしてねえ」
「騎士団相手だと近距離で戦えた方がいいものなの?」
「基本装備が“シルバーソード”だからな。間合いを維持して戦えてる内はいいけど懐に飛び込まれたらキツいだろ。つまりあの竜、近距離戦に関しては使い手側がフォローすることを前提にしてる」
紙で構成された装甲が脆いわけではなかろうが、今でこそ未知の攻撃手段で追い込まれているアガルタ騎士団とて手練れの集まりだ。
連携を取って集団で囲まれれば擬竜術式だからと安心できる相手ではない。そしてそれを想定していないようなヨーゼフの動きは、エリカから見て奇妙な不充分さを感じさせた。
まるで彼が近距離戦闘を担当すると、最初から織り込み済みであるかのような。
「そして恐らくあたしの勘が当たってりゃあこの二つの疑問点には同じ答えが用意されてる」
「それって……」
「あいつは竜から離れられねえ」
尾の先端からばら撒かれる魔力弾に口から吐き出す菓子箱の爆弾。
それに別個の菓子箱を要するとはいえ他者の術式を大きく損傷させる息吹。
多様な魔術を搭載している一方、炉となる術式が組み込まれていない可能性は大いにあった。
あまりに多くのデータを搭載したコンピューターが容量を圧迫されて機能不全に陥るのと同じ理屈だ。
擬竜術式は確かに強力だが、だからといって何でもできる無敵の魔術ではないのだから。
「霊符だって魔力を供給されなきゃオリハルコン入りの塗料が塗ったくられた紙きれだからな。多分だが術を使う本人から直接魔力を送る必要があるんだ」
そう思えばヨーゼフが竜から離れない理由も説明できた。加えてもう一つ、エリカは彼が地上に留まる理由を推察する。
「おかしい点はまだある。あたしらはここに来てから一度も、誰一人として気絶してねえ」
「それは、確かに……私も、気になってました」
「うん。ナディアたんが気絶したらヤバいからエリカたんにはずっと【レッドフルーツ】の準備してもらってたけど、途中でやめちゃったもんね」
圭介から聞いたエルランドによる原理不明の攻撃。
それが今のところ彼女ら四人には及んでいない。
「これはあたしも確証持って言えねえけど、多分地上じゃないと発動できない類の魔術なんだろうな。少なくともこの高さでは使えないと見た。……っと、ドロシー頼む」
「おっとっと、クリスたん!」
「はい!」
言う間にも四度目の砲撃が島に命中する。ドロシーが“ラフドリーマー”で盾の絵を空中に描き、クリスが“グリゴリ”で浮遊島の表面に展開した。
先と同じく砲弾を受けた盾は砕け散り、島にも衝撃とともにダメージが入る。完全に防ぎきれていない以上は常に危機感を拭えない。
「んで、だ。三人に頼みたいことがある」
「何? 勝てる方法があるの?」
追い詰められやや口調が荒くなったナディアに、エリカが微笑みかけた。
どこか余裕がなく、それでいていたずらに胸躍らせる悪童のように。
「ぶっちゃけ作戦とも言えない博打みたいな提案だ。ただし負けても最悪あんたらは死なずに済むから安心しな」
「は? それって……」
「あたしだって死ぬつもりはねぇよ。けど一番危険なのはあたしだから覚悟は決める。人気アイドルに体張らせるわけにもいかねえべ」
言ってエリカは“ブルービアード”の銃口を自分のこめかみに当てて、
「今からあたしが言うこと、半分くらい遺言だと思って全部やってくれ」
引き金にかけた指に少し力を入れた。
* * * * * *
「そろそろジリ貧に追いやられてるって気づいた頃かな」
紙細工の竜と対空機関砲に挟まれながら、ヨーゼフは眼前に浮かぶ蒲公英色の術式を纏った島を見つめた。
接近する騎士団は内側に爆発術式を宿し、敵を追尾するよう術式を組み込まれた折り鶴で対処できる。
空中からの魔力弾は想定以上の威力に多少驚かされたものの、防げないほどでもない。浮遊島に展開された強化術式も竜の息吹でいくらか削り取れた。
時間稼ぎが最大の目的と弁えてはいたが、中途半端な形で決着をつける気など毛頭ない。
「バカがよぉ。[デクレアラーズ]敵に回して無傷で済むわけないじゃんね」
理想社会を実現するためなら手段を選ばない構成員だっている。
過去に忠告したはずだがそれはどうやら無視されたようだ。
今回ともに行動しているエルランドなどその最たる例と言えた。
あの男は一度クズと見なせば爪を切るのと同じ感覚で人を殺せる。何せ殺すと決めた時点で相手を対等な人間として見ていないのだから。
はっきり言ってヨーゼフ個人の感情を吐露するなら軽蔑の対象でさえあったが、交渉、支援、そして暗殺と幅広く動ける彼は貴重な人材と言えた。
とはいえ相手をペテンにかけない限り戦闘力は低い方だ。彼一人なら城壁常駐騎士団やアーヴィング国立騎士団学校を相手取って、ここまで派手に喧嘩を売るなどできなかっただろう。
だからその穴埋めとしてヨーゼフはここにいた。作戦を実現するための歯車として、彼はエルランドと同じく幼馴染相手だからと手を抜いたりしない。
「つってもまだまだ元気あるなありゃ。どれ、もいっちょブレス浴びせて削ってやるとするか……あん?」
懐から竜に食わせるための菓子箱を取り出したところ、浮遊島から何かが降下してきていることに気づいた。
見れば小学生、大きく見積もって中学生程度にしか見えない低身長の少女。
両足に展開した赤銅色の魔術円から魔力を噴射しながら地上へと降り立つ。
エリカ・バロウズ。
長い金髪を翼のように靡かせ、頭頂部に魔術円を設置している様はさながら天使のようにも見えた。
「え、何? 怖」
先ほどから空中という有利な場所で戦っていたはずの彼女が何故わざわざ危険な地上に降りてきたのかわからず、困惑が口から漏れ出る。
天使もどきが自身に向けて走り始めたところで頭上にある魔術円が、カシャンと小気味いい音を立てて揺れた。
カシャン、カシャンと断続的に音を鳴らせつつ歩を進め、互いにしっかり顔を視認できるところで立ち止まる。
「やっぱりな。地上では騎士団を気絶させたり殺したりしてた魔術が作動するらしい。【レッドフルーツ】がさっきから何度も発動してやがらぁ」
彼女の発言と外見から推察するに、恐らく頭頂部の魔術円は魔力弾を射出するためではなく気絶から即時覚醒するための措置なのだろう。
流石に詳細不明なエルランドの魔術を警戒していないわけでもないようだ。
だとしても迂闊な判断と言えた。擬竜術式はドラゴンを模倣する魔術である。
銃使いが会話できるほど近づくなど、通常なら自殺行為に等しい。
「……それ確認するためにわざわざ降りてきたんですか?」
「ついでにテメーも倒しに来た。この【レッドフルーツ】仕込んだ魔術円も三分が限界だから、それ以内にな」
「いや無理でしょ。状況見えてんのかお前」
言うと同時に紙の竜が尾を振り上げ、その先端から無数の魔力弾が射出された。
「たりめーだ見えてなきゃ最初から喧嘩しに来てねえべや」
エリカは足先の魔術円から魔力を噴射させて真横に跳躍、両手に持ったグリモアーツ“レッドラム&ブルービアード”からやり返すように魔力弾を連射する。
それは“クレイジーボックス”から伸びた帯状の厚紙を幾重にも展開して出来た障壁で防いだ。
防がれてからも彼女は止まらない。
尾を振り上げた竜の背後に回ろうとしているのだろう。それはヨーゼフにとっても都合が悪いため、帯に続いて紙飛行機を三つばかり飛ばしてエリカへと向ける。
鋭利な先端から光線が伸びた。
「おわっと」
少し驚いた様子ながらもエリカは三本の光線を全て避け、隙間から滑り込ませた魔力弾で三つの紙飛行機全てを撃ち落としてみせた。おまけとばかりヨーゼフにも飛来した二発は先の帯状霊符で振り払う。
その間にも浮遊島に向けて対空機関砲から砲弾を放つが、相変わらずドロシーとクリスによって具現化されたと見える巨大な盾で防がれる。
互いに隙が見えない。
(まさか単独で島から出てくるとは思わなかった。てかあの術式に動き、もしかしてエルランドさんの弱点見抜かれてねえか)
想定外の事態なればこそ、頭をフル回転させてどう動くべきか判断する。
現状ヨーゼフが相手すべき敵は極端に分ければ騎士団、浮遊島、目の前にいるエリカの三種類だ。
頭頂部の魔術円でエルランドの支援攻撃が防がれているため、エリカの存在は常に意識しなければならないのが地味に辛いところと言えた。
恐らく彼女が狙っているのは竜の動きを統制している術式の核か、あるいは術式を分解する息吹に必要な菓子箱を持つ右手だろう。
この厄介な相手を近距離ないし中距離で対処しつつ、騎士団の動向にも気を配る必要があった。こちらはまだエルランドが対処してくれるから幾分マシな相手と言える。
浮遊島の方は引き続き砲撃を加えるしかなかった。やるかどうかわからないが、流石にあの質量で潰された場合は竜も対空機関砲もただでは済まない。
幸いにも砲撃さえ当ててしまえば防がれても少し後退させることが可能なようだった。少なくとも直接島をぶつけるという方法は取れないだろう。
「オラオラオラオラオラオラァ!」
「くそったれ、馬鹿の一つ覚えがよ!」
思案の合間にも赤銅色の魔力弾が飛んでくる。仕方なくドラゴンの尾から再度魔力弾を撃って応戦したが、高速移動で弾幕の範囲外まで容易く逃げられた。
迫りくる魔力弾は帯状の霊符で防いだところ、数発他のものと異なる感触が違和感とともに伝わってくる。
「何しやがった……ってこんガキャ!」
実銃では再現が難しいであろう、魔力弾だからこそできる技術。炸裂弾の中に貫通弾を混ぜ込んだ攻撃。
これにより、帯が細かな穴だらけになってしまっていた。術式の構成が数ヶ所崩れて霊符がただの紙に成り下がり、防御性能を著しく落としている。
「そろそろいいぜ、お三方!」
敵の防衛手段を削ろうとした矢先に自身の盾が破られつつある事実は重い。
そんな状況で生じた焦燥感をくすぐるように、エリカは何か意図があるらしいただの魔力弾を真上、空に向けて撃った。
(んだオイ、次は何を企んでやがる)
本来は竜の損傷を修復するために保管していた霊符までも自己防衛用に引きずりだしながら、浮遊島へと視線を向ける。
不意打ちの可能性も考えてちらりと一瞬見るだけのつもりだった。
しかし見た瞬間、呆気に取られて動きがぴたりと止まってしまう。
「…………?」
まるでそれこそ砲弾よろしく。
とんでもない速度で蒲公英色の術式を巻き付けた島が、目前へと飛来してきた。
「……――!」
そこからは計算も何もない。
とにかく“クレイジーボックス”から伸ばしていた帯状の霊符を自身にもくるくると巻き付けて竜に密着し、最終手段として備えていた第三魔術位階相当の結界を後先考えず最大出力で展開する。
対空機関砲は諦めた。あれだけの質量があれだけの速度で突っ込んできたというのに、無事でいられるはずもないから。
片方に供給していた魔力を切断し、もう片方、竜へと注ぐ魔力にのみ意識を向ける。
円蓋状の結界に閉じこもったヨーゼフと竜に蒲公英色の光を纏った島が急接近して、その後。
ばちゃり、と。
巨大な土くれが溶けて、周囲にセルリアンブルーの液体をぶちまけた。
「……あ?」
今の今まで何よりも恐れていた巨大な質量が、“ラフドリーマー”によって描かれ“グリゴリ”の遠隔操作で吹き飛ばされたまやかしだと気づくより先に。
竜に搭載していた結界が術式の持続可能時間を越えて解除される。
「お疲れ。絵の具相手に結界張るなんて大した危機管理能力だ」
それと同時、右手首に巻きつく鎖の感触。見ればエリカが【チェーンバインド】でヌンチャクのように繋げた“レッドラム”を、ヨーゼフの腕に絡めていた。
「テメッ……」
「割と危ない賭けだったんだぜ。普通に考えてあんなデカい島が勢いよく飛ぶわけねえからな。バレるかバレないか、可能性は五分五分だった」
言いつつ周囲に赤銅色の魔術円を複数展開する。エリカ自身も魔力がそう多く残されていないせいか、その数は四つほどだ。
だが四つも砲門があれば充分だろう。先ほどは二つの銃口だけでヨーゼフと渡り合ったのだから。
「舐めた真似してくれたなあ、オイ。だけど僕にはまだ擬竜術式が残ってんだよ」
「そこの機関砲はいいのか?」
「この距離でお前相手に使えるわけねえだろ。それにお前がここにいる以上、本物の島から魔力弾が飛んでくることもないんだから使う必要もねえよ」
「ふーん」
にやり、とエリカが笑った。
「この距離でも使いようはあると思うがなあ」
「あるわけないでしょ。何言ってるんですか」
「例えばそうさな」
瞬間、ガツンと。
ヨーゼフの頭に、強い衝撃が走った。
「……ぁ?」
「砲塔倒してぶん殴る、とかできるだろ」
霊符で守り切れていない頭頂部から伝わった衝撃に混濁する意識の中、自分で用意した対空機関砲の方へ目をやる。
「にしてもそっちへの魔力供給切ってくれて心底ホッとしたぜ。最後の賭けはあたしらの勝ちだったようだ」
少し離れた位置から伸びるはセルリアンブルーに輝く紐状の何か。
どことなく見慣れたそれはきっと、コントローラーの配線なのだろう。
それが、ヨーゼフからの魔力供給を断たれ操縦者を失った対空機関砲に繋げられていた。
「便利だよな、お前の幼馴染のグリモアーツ。コードをある程度伸ばせるんだってよ。知ってた?」
クリスの“グリゴリ”で離れた位置から発動した“サイバネティックマリオネッター”のコードを更に伸ばし、対空機関砲へと届かせた。
倒れ込み土の感触を頬に感じながら、ヨーゼフは彼女らの連携が生んだ作戦の概要を悟る。
エリカの魔術円に意識を向けて、自分の攻撃手段を竜に絞り込まれ。
支配権を放棄した対空機関砲が奪われる可能性を考慮し損ねた。
それが、彼の敗因なのだと。
「ひでぇや。僕のだぞ、それ」
短い自己主張を残して瞼を閉じるその刹那。
「ちょっとくらい貸してやれよ。幼馴染なんだからさ」
優しいんだかそうじゃないんだかわからないエリカの声が聞こえて。
そういうの一番嫌いなんだよ、と脳内で叫んでからいよいよ意識を手放した。




