第十八話 少女戦線
ヨーゼフによる対空機関砲の砲撃を受けた浮遊島が空中で大きく揺れる。
元より巨大且つ頑丈なそれに強化術式まで重ねがけしている状態で響き渡る振動は、乗り手たるナディアにとって想定外の衝撃だった。
「何、何された!?」
「地上でヨーゼフ君が大砲出して撃ってきた!」
「とりあえずデカけりゃ勝てると踏んでたんだが、そう甘くもなさそうだな」
クリスの魔力で展開される地上の映像を確認しながら、エリカが短い詠唱とともに【マッピング】を発動する。
現状新しく出現した相手の武器は対空機関砲のみ。地上の騎士団にはあくまでも擬竜術式でのみ対処するつもりらしい。
「……けったいな動きしてやがる。何かあるな、ありゃ」
「え?」
訝しげなエリカの一言にクリスが反応するとほぼ同時、次なる砲撃が命中して再度島が揺れた。
「【届かないと知っていながら 私は指を伸ばしてしまう】!」
ドロシーが“ラフドリーマー”の先端に魔力で構成された塗料を溢れさせ、詠唱しながら振るう。
空中に浮かび上がったイラストは人間の手。人差し指と親指を立ててそれ以外の指を折り畳んだ、拳銃の象形であった。
「クリスたん!」
「う、うん!」
説明などせずとも名前さえ呼べば通じる。
クリスは急ぎ“グリゴリ”にドロシーの魔力を受け止めさせ、至近距離で発動するはずだった魔術を浮遊島の表面で再現した。
現れたのはセルリアンブルーの魔術円。
そこから突き出される、イラスト通りに人間の手を象った術式。
相手へと向けられた指は模した武器と同じく、砲塔としての役割を担う。
第五魔術位階【アライブグレイス】と呼ばれるそれは魔力弾の威力と速度をより強め、射程距離を延ばすための補助的魔術である。
本来なら詠唱の内容を汲み取ったかのような手の形である必要性はないが、ドロシーの美的感覚が“ラフドリーマー”を通じて反映された結果このような形となったのだろう。
「エリカたん、少し離れて撃った方がいい! 何かあの大砲怖い!」
「ダメだ! あたしらが引き下がるとあの紙細工を抑えられねえ! そうなったらまた地上の騎士団がやられる!」
常日頃はモンスターとの小規模な戦闘しか経験していないドロシーの意見を、場数を踏んで大局的な判断ができるようになったエリカが却下する。
元よりこれは騎士団がより早く学校に向かえるよう支援するための戦いだ。ここでヨーゼフ一人に勝利したとしても、時間をかけたせいで騎士の数が大幅に減らされていては意味がない。
彼女らが到着した時点で何人か殺されている上に、気絶した騎士を復帰させるために後方支援部隊が消耗している状態。
ここから先の被害は何としても絶対に避けたかった。
「最優先は偽ドラゴンの処理だ! わりぃけど結界なり何なり出して防備を固めてくれ、こっから砲撃は受けられるだけ受けるぞ!」
「ひぇえ!」
「じゃあもっと突っ込むよ! 揺れたのは意外だったけど壊れるほどじゃない!」
言って操縦士たるナディアがヨーゼフの方へと島を進ませた。強化術式をより強固に更新したためか、表面に浮かぶ蒲公英色の術式が輝きを増す。
エリカの魔力を受けた“グリゴリ”が島の横から不自然に突き出した指へと流れ込み、先に放ったものより一回り大きい魔力弾が何発も連射された。
狙うは紙細工の竜。
着弾と同時に生じたのは爆発と呼んでも差し支えない暴威だ。付近に立っていたヨーゼフが鬱陶しげに紙の障壁を展開させて余波を防ぐも、今まで微動だにしなかった竜の方は少しだけ四肢を後ろに下げる。
初めて相手にダメージらしいダメージを与えられたと安堵したのか、その様子を見たドロシーから「やった!」と声が漏れた。
「ちょっと下がったっつーことはコレ効いたんじゃね!? この調子でドンドンぶっぱしてくべ!」
「うっし上等だ! クリス、次はあのデケェ大砲狙ってくれ!」
「は、はい!」
魔力の残滓と土煙が舞い上がる中、直撃を避けたのか未だ負傷した様子を見せないヨーゼフが竜の口に何かを入れる。
菓子箱のようにも見えたが詳しくは確認できなかった。
ただ、仮に何をしようとしていたとしても優先順位は変わらない。
浮遊島を直接攻撃する手段でもある対空機関砲に照準を合わせ、エリカの魔力がクリスへと流れ込む。
と、その瞬間。
「やべっ、避けろ!」
「わわ!」
頃合いを見計らったかのように砲撃が島の側面から生えた【アライブグレイス】に放たれる。
エリカの声に含まれた危機感をナディアが察知し、即座に回避へと移ったため術式を破壊される事態は避けられた。しかし砲塔を狙った射撃は大きく狙いを逸らされ、何もない地面を無為に砕く。
攻撃をいなされると同時、傾いた島に砲撃が命中した。
「づぉおっ、相変わらず結構揺れやがる! あんたら大丈夫か!?」
「こっちは平気! ナディアたんは操作の方、集中して!」
「言われなくても!」
三人が話している間にもクリスが少し“グリゴリ”に残ったエリカの魔力を使って魔力弾を装填、今度は紙のドラゴンを狙って撃つ。先の奇妙な動きを警戒しての判断であった。
「……ッ!」
彼女の読みは結果的に半分当たっていたと言えよう。
ヨーゼフよりも対空機関砲よりも、紙のドラゴンこそ優先して攻撃すべき脅威だった。
だが半分は見当違いとも言える。
たかが強化された魔力弾程度で、対処できる相手ではなかったのだから。
「な、何……?」
セルリアンブルーの魔力弾が丹色の光に飲まれ、刹那。
「おいなんか光って――」
大きく開かれた竜の口から、溢れんばかりの魔力の怒濤が吐き出された。
「うわぁああ! なんか気持ち悪っ!」
「ちょっと最悪、強化術式めっちゃ削られたわ!」
伝わる振動こそそこまで大きくはなかったものの、それもナディアが浮遊島を強化していたからこそだ。攻撃力だけを見れば対空機関砲よりは軽い一撃だったのだろう。
空中に映し出された映像を見ると、表面に浮かんでいた蒲公英色の術式が半分以上削り落とされている。
にょきりと生えていたはずの【アライブグレイス】も、燐光を散らしながら消失していった。
一連の現象を観測した結果、エリカが一つの結論を導き出す。
「あんにゃろ、術式を分解してやがる!」
言葉の末尾は、すかさず撃ち込まれた砲撃の着弾音でかき消されてしまった。
それでも他の三人が理解できたのは、魔力を帯びた竜の吐息が他人の魔術に干渉するという一点。
ヨーゼフがいかなる術式を霊符に組み込んだのか定かではないが、規模と威力を見るに第三魔術位階相当の攻撃手段だ。
この調子で強化術式が完全に削り落とされれば浮遊島はほんの二、三発程度の砲撃で砕け散るに違いない。
「やっぱさっき何か食べさせてたやつかな」
「だ、だと思う……」
守りが薄れ強力な一撃をもらった島の一部がボロボロと崩れ始めている。何度も受けきれる威力ではない。
目に映る魔術の規模がそれなり派手なせいか、地上で戦う騎士団の士気に与える影響も無視できるものではなさそうだった。
「[デクレアラーズ]で♠の札って言やあ戦闘に特化した物騒な連中らしいが、なるほど確かにこりゃ納得だ」
表情に浮かび上がろうとする戦慄を強がりの笑みへと変えて、銃を握るエリカの手に力が加わる。
「一手読み違えたら負けるな、こりゃ」
緊張感と恐怖が込められたエリカの言葉に応じるように。
眼下では対空機関砲の砲口が、次なる一撃を叩き込まんと先端に丹色の光を宿していた。
* * * * * *
「アガサさん、危ない!」
「っ、すみませんユーさん!」
アガサの頭部に向けて飛来したピナルの蹴りを“レギンレイヴ”の刀身で受け流し、ユーが次なる攻撃に備え流した相手へと切っ先を向ける。
「あらら、強いね」
だというのに、直後には視界から攻撃してきたピナルの姿が消えていた。
先ほどからこの繰り返しだ。目で追うのがやっとという速度で滑空し、突貫してきては空中で不自然に軌道を変えて予測と異なる位置へ移動する。
最初にその動きを見せられた時は即座に反応できず、ケイトが重い一撃を受けて倒れてしまった。今はミアが回復魔術で治癒していて戦線復帰はしばらく見込めない。
「ふっ!」
背後から首を刈り取ろうとする蹴りをしゃがんで回避し、頭上を通り過ぎようとする敵に向けて剣を突き出すも直角に動いて避けられた。
細かな魔力の刃を粉塵よろしく散布して相手の位置を感知する【漣】があればこそ、ユーも変則的な動きに対処できてはいる。
聴覚に優れたネコ科の獣人であるミアとて同じだろう。
だが、索敵手段も種族的な有利もないケイトとアガサは事情が異なる。
彼女らの場合は前方に見えたと思った敵が次の瞬間には側頭部を狙って飛んでくるような状況だ。
加えていくらか冒険者としての経験はあれど対人戦、とりわけ強く場数を踏んでいる上に殺意も備えた客人との戦闘は未知の領域に違いない。
かといってエルランドによる不可視の攻撃を防ぐには“シンフォニア”を使うアガサがいなくてはならず、回復魔術だけでなくゴーレムのジャミングもできるケイトは何としてもこの戦いで失うわけにいかなかった。
同時に何度も攻撃を受けていく中で、経験を積んできた側の二人もピナルの奇妙な動きがいかなる絡繰りによるものか大体の見当がつき始める。
「ユーちゃん!」
ケイトを抱えながらミアが声を張り上げた。
「柱は、任せた!」
「【螺旋】!」
応じるより優先してユーが足元に魔力のバネを生成して大きく横に跳躍。地面から生えた岩の柱を一つ、勢いのまま蹴り飛ばす。
【鉄地蔵】で硬く強化された脚が矢のように突き立って下部を砕いた結果、破片に混じってピリピリとした微弱な電気が周囲に散った。
空中を変幻自在に曲がりくねる高速移動。
仕組みとしてはそう複雑なものでもない。
磁力を付与された複数本の柱に自らを引き寄せ、あるいは反発させて常識外の方向転換と加速を実現しているのだろう。
アガサも二人に続いて敵の狙いに気づいたのか、蝶の形に変化させた手のひら大の“シンフォニア”をいくつか飛ばす。
それらが柱の一つにぺたぺたと貼りついたところで術式を作動させた。
「【慟哭せよ】!」
アガサの声を受けた木賊色の蝶が、自らと同じ色彩の光を伴って爆発する。
当然の結果として巻き込まれた柱は根本と先端部分を残す形で砕け散った。
「わわわ」
二本の柱が破壊されたせいか、空中でピナルが意外そうな様子でまだ残っている柱の方へと滑空していく。
戦略の要となる【ロックピラー】が破壊されている割に、反応自体はそこまで切羽詰まったものでもない。
そのまま林立する柱の向こうへと姿を消し、しばらくしても戻ってこなかった。
「【赤い実を食べて動き出せ まだまだ仕事は始まったばかりなのだから】」
形としては離脱したと見えるピナルを追うより先に、ミアがケイトの意識を復活させる。
その様子を見てアガサとユーも二人のいる場所へと駆け寄ってきた。
「う、ぅ」
「目が覚めましたか。動かないで、首に貼っておいた“シンフォニア”が全部消失していますから」
「アガサさん、私にもお願いします。さっき柱を砕いた時に一気に三つも弾け飛んじゃったので」
目覚めたケイトとユーの首に新たなシールが貼られていく。これでエルランドの謎めいた不意打ちもしばらくは怖くない。
「……ケイト、すみません。逃げられてしまいました」
「でも完全にいなくなったわけじゃない。離れた場所で新しくゴーレムと柱作ってる」
落ち着いた四人から離れた場所で、新たに【ロックピラー】と【ミキシングゴーレム】が幾度も発動されていく音が聴こえた。戦線から離れたピナルが自分に有利な戦場を作り上げているのだろう。
ではこのまま相手の領域に近づかなければいいのか、というとそこの判断も難しいところだった。
まず彼女らの目的は騎士団を学校へと向かわせることである。
そのためにはここでの戦いを完全に終わらせる必要があるのだ。現役の騎士であれば苦戦どころか戦いにもならないだろうゴーレムと言えど、群れ成して城壁へと向かう現状では放置できない。
そしてゴーレムの司令塔が後方にいる場合、城壁付近で足止めされている騎士団は相手の魔力切れ以外に奥へと進む手段がないのだ。
仮にできたとしても兵力はエルランドによるものと思しき魔術で大幅に削られている。何より城壁常駐騎士団とその支援に来た騎士が持ち場を離れて深追いするとも考えにくい。
つまりピナルが後退した現状は騎士団にとっても四人にとっても、全く喜ばしくない状況と言えた。
「アホの子みたいな性格してるくせに、動きはしっかり厄介なんだからたまったもんじゃないよ」
「ミアちゃん。距離、どうする?」
「んー」
聞いただけでは何について言及しているのかわかりづらいユーの発言を、ミアは長い付き合いから瞬時に理解する。
この場合の距離というのは戦闘における間合いだ。
ミアならやろうと思えば【ホーリーフレイム】を使っての遠距離戦も可能ではあった。
その場合どうしても中距離までが対処できる限界となるユーとアガサは支援に徹するしかなくなるが、比較的安全に戦える。ケイトのジャミングがあればゴーレムの進軍も止められるため、作戦としてはそちらの方が上等だ。
一方で中距離から接近戦に持ち込む場合、磁力を帯びた柱とゴーレムの軍勢がいる分どうしても危険な戦いとなることは間違いない。
が、その場合は四人分の戦力をフル活用できるため短期決着が望める。ここに来た目的を思えばそれこそが騎士団を動かす上で最適な戦略と言えた。
各々適した距離に応じて戦力を分散する、といった案も一瞬考えたものの果たして上手くいくかどうか。
ここに来るまでに幾度も【レッドフルーツ】を発動してきたアガサは既に魔力が残り少なくなってきている。ケイトは魔力に余裕があるものの直接的な戦闘力を持っていない。
背後にいる騎士団は城壁の守護に集中している。仮にそれを放棄してこちらへの支援に回ったとしても、ピナルが散々歪めた地形のせいで辿り着くまで時間がかかるのは目に見えていた。
ではどうすべきか。
「ユーちゃん」
「うん」
「今から無茶言うけど、やってくれる?」
「内容によるかなあ」
戦場に似つかわしくない諧謔は信頼の証なのだろう。視線だけピナルがいるであろう方向に向けながら、彼女はミアの言葉を待っている。
「私は遠距離戦を選ぶ。このまま焦って突っ込んでも時間稼ぎ目当てで戦ってるようなの相手に短期決着つけられる保証はないし、何より犠牲が出る可能性は無視できない」
「そうだね。私もあの子はまだ奥の手を隠してると思う。無闇に近づくべきじゃない」
「けどそれだとどうしても攻撃手段が限られる。だから」
今まで剣の道を歩んできた友人に、宣言通り無茶を言い渡す。
「どうにかして今から、遠距離攻撃できるようになって」
「いやホントにすごい無茶言ったね!? てっきり一人だけ突っ込めって言われると思ってたのに!」
長い付き合いと言えども流石に新しい攻撃手段の即時習得を求められるとは思っていなかったらしい。
覚悟を決めた顔つきが一気に恐慌状態へと陥り、敵に向けていた視線がミアの方に集中してしまう。
「アガサには謎の不意打ち対策のために魔力残しておかなきゃいけないし、ケイトはゴーレムを止めてもらいつつ回復も担当してもらうから。私ら二人が遠距離攻撃するしかないんだよ」
「だからって今から習得は厳しい! 内容によるって言ったでしょ、それはダメなやつだよ!」
「えぇい文句言わないの! どうせ来年には苦手な距離の克服を学校で叩き込まれるんだから、予習だよ予習!」
「それでも私一人で敵陣行く方がまだ楽、違った楽し、そうじゃなくてえぇとまだ確実じゃない!」
「国防勲章もらえるくらいになると、実戦で新しい魔術使えるようにならなきゃいけないんだ……」
「すごいね……」
騒ぐ二人の背後では、アイドル二人が国防勲章への偏見を強めていた。




