第十五話 紙細工の竜
擬竜術式。
何らかの形でドラゴンの姿と能力を模倣する魔術。
そしてそれは同時に、ビーレフェルト大陸全土において禁術とされる類の魔術でもある。
古き時代に作られた擬竜術式はあらゆる種族の中でも最強と謳われるドラゴンの怒りに触れたため、危険性や倫理上の問題ではなく安全面への考慮から使用が禁じられた。
現代ではそんな理由付けも形骸化し、単純にドラゴンという種族への侮辱行為として禁術指定が継続している状態である。
更に言えば出来上がった代物は実物のドラゴンに大きく劣るという事情もあり、追及するメリットも薄れたためいつしかこの術式に誰も手をつけなくなった。
だからだろうか。
本物のドラゴンが介在しない戦場において、この禁術に対抗する手段は限られてしまう。
「おい、総合本部からの応援あれだけかよ。城壁ボロボロになってんだぞ!」
「こっちはこれでも西側より多い方だっつーの! つか俺に言うな!」
「新入りあんま前出んな! 死ぬ、ぞ……」
「チクショウまた一人倒れた! どうなってやがる!」
煉瓦組みと見せかけた特殊金属製の城壁はそこかしこが陥没し、倒れ伏した騎士が未だ数名回収されないまま前線に取り残されている第一ウィゼル街道側の平原。
そこにはヨーゼフ・エトホーフトによって操られる紙のドラゴンが、城門から全身を確かめられる程度の位置に四足を地につけた状態で鎮座していた。
外観はトカゲに近いだろうか。
甲殻類よろしくかさばる厚紙の外殻を全身に鱗とばかり纏い、関節として駆動するであろう部位同士の境界線となる裂け目からは内包する術式が丹色の光を漏らしている。
そんな人為的に作り出された怪獣が周囲に破孔をいくつも残しながら、幾重にも重ねられし紙で構成された尾を振り上げて次なる攻撃を繰り出しつつあった。
「来るぞおおお!」
城門で気絶している同胞を詰所へ運ぶ中の一人が叫ぶと同時。
最前線で防御態勢に入っていた十人以上の騎士を、帳とばかりに放射される無数の魔力弾が叩いた。
悲鳴と怒号が破砕音に塗り潰され、誰にも当たらなかった弾は土を抉り後方の壁を殴りつける。
が、騎士団とて相応に場数を踏んできた猛者の集いだ。
そのままやられてばかりではいられない。
まず防御態勢に入った者達は誰一人として脱落することなく、魔力弾を全て受け止めた。
彼らは騎士団の中でも結界魔術に適性を持った言わば壁役の人員である。日頃の訓練で培われた連携が生んだ頑強な守りは、水面を歪める波の如く臆せず前へと進み続ける。
しかし恐るべきは次なる一手。
大きく開かれた口から放たれる脅威。
それを警戒し、通すまいとして彼らは弾幕を受けながら耐えたのだ。
「発射」
ヨーゼフの短い言葉に応じて、紙細工の口腔から先の魔力弾よりやや少ない量の菓子箱が射出された。
そこまで広範囲に撒き散らされるわけでもないそれを、前線に立つ騎士らが急ぎ防ごうと“シルバーソード”から結界を展開する。
色とりどりの障壁と周囲の地面に菓子箱が着弾した瞬間。
防いだ騎士全員が城壁まで吹き飛ばされるほどの大爆発が起きた。
「ぐぉあああ!」
悲鳴を上げる彼らとて最低限の情報は知っているものの、具体的な脅威としてのヨーゼフ・エトホーフトを知らない。
彼は霊符のスペシャリスト。つまり紙でさえあればいかようにでも加工できるのだ。
中に固形燃料を詰めた菓子箱に着火と追尾の術式を組み込めば、高密度の魔力が込められた結界に向けて飛来する爆弾となる。
これにより一定範囲内に騎士が一人もいない空白地帯が生じ、その分余裕が生まれてヨーゼフも城壁に接近していく。
「ちくしょう、やっぱり結界ごと飛ばされちまう!」
「第二陣は何してやがる! 急いで前に出ろ!」
「無理だ、また爆発のどさくさに紛れて寝かされちまった!」
「起こせ起こせ!」
先ほどからこの繰り返しである。
広範囲に散らされる魔力弾の連射で攻勢の手を止められ、それを耐え切った者達は爆弾で吹き飛ばされる。
それだけならまだ策を講じる隙もあったものの、未知なる要因で騎士が突然倒れてしまうという異常事態までもが発生していた。
とはいえ、その未知なる要因――言ってしまえば遠距離から他者を昏倒させる魔術が、誰によるものかは全ての騎士が理解している。
最近メティスに出没したという[デクレアラーズ]の一員、エルランド・ハンソンの所業に違いあるまい。
ただ、わかっていても対策できる事柄ではない。
今は陣形を崩され人員を削られて、それでも敵対者を城壁まで到達させないために死力を尽くすしかないのだから。
「くそっ、このままじゃジリ貧だ……ん?」
窮地を覆す転機は、突然やってきた。
視界が急に薄暗くなったかと思うと、頭上からセルリアンブルーの魔力弾がヨーゼフと紙の竜に雨あられとばかり降り注ぐ。
「うぉわっ……」
着弾と同時に炸裂するそれらを受けてヨーゼフが短い悲鳴を上げ、竜もゆっくり歩く足を一度止めた。
何事か、とその場にいる騎士が全員空を見上げる。
そこにあるのは、蒲公英色の帯状術式に覆われた浮遊島。
メティスのあらゆる場所で見かけるそれがどういうわけか城壁まで移動し、戦場を見下ろしていた。
「あれは……マジかよッハハハ、とんでもねえな」
「おい、見ろ! 勲章持ちが来てくれたぞ!」
「しかもあれって、バンブラのメンバーじゃねえか!」
騎士団の中でも[バンブーフラワー]を知る一部の人員は術式の色から島を操作しているのがナディア・リックウッドであること、同時にそれを呼び寄せたのがかつて都庁舎の一件で勲章を得た英雄であると悟る。
大きさだけは大型建造物ほどあろうかというそれには民家も空港もない。王都の端で放棄されていた極めて安価な島の一つがそこにあった。
あらゆる物体を制御・操作するコントローラー型のグリモアーツ、“サイバネティックマリオネッター”がその対象に選び運んできた結果だろう。
本来ならば第五魔術位階【ドミネーション】で島一つを操るなど不可能に等しいのだが、ナディアは類まれなる魔術の適性で巨大な物体でも対象にできる。彼女が[バンブーフラワー]において最強と呼ばれる所以でもあった。
「まさかこんなのレンタルできちゃうなんて、やっぱ国防勲章持ちってすごいんだね!」
「いやいや、おたくらの知名度と王城騎士とのコネがなけりゃこうはいかねえ」
眼下に戦場を置きながら語らうのは既に“レッドラム&ブルービアード”を構えるエリカと、絵筆型グリモアーツ“ラフドリーマー”を持って笑うドロシー。
エルフの少女二人組の後ろには、大きな丸い目を携えたゲイラカイト型グリモアーツ“グリゴリ”を背後に浮かべるクリスもいる。
「ナディアちゃん、久しぶりに大きいの操作してるけど大丈夫そう?」
「今のところ余裕。でもすぐそこに禁術使ってるようなのがいるし、油断はできないね」
クリスの更に背後、島の中央でしゃがみ込みながらナディアが応じた。
エリカが浮遊島を管理者から借りてまで第一ウィゼル街道側の城壁に来たのは、セシリアから受けた依頼を[バンブーフラワー]と共同でこなすためである。
彼女ら国防勲章を持つパーティは事態の早期収拾を目的とし、一応は戦闘能力も有する五人のアイドルを民間からの協力者として戦線に参加させた。
つまり王城騎士から依頼を受けた国防勲章を持つパーティが、独自のコネクションにより戦力を増強した形となる。この判断に対し城壁にいる騎士団は拒絶する権利を持たない。
誰にも文句を言わせない立場を手に入れたからこそ、今回のような無茶が通ったのだ。
「……うん、やっぱり防がれた。厚紙か何かを素材にした大きな霊符が盾みたいに展開されてる」
外枠が蒲公英色に輝く画面を目前に表示しながらナディアが呟く。それに対してエリカが「やっぱ一筋縄じゃいかねえな」と返した。
念動力魔術のようにただ対象物の動きを操るだけが【ドミネーション】の効果ではない。
簡易的ながら強化術式を施して耐久性を向上させたり、索敵術式で視界に映らない範囲の情報を集めるなど複数の第六魔術位階で応用できる部分があるのだ。
つまりそれは対象物をグリモアーツの延長とすることと同義でもある。
ヨーゼフは今、埒外の体積と質量を持つ相手と向き合わされていた。
が、それすら[デクレアラーズ]からしてみれば予定調和に過ぎない。
「エルランドさんの言った通りっすね。事前に仕込んでおいて正解だった」
「そうだろうとも」
霊符で魔力弾を防いだヨーゼフ、何もせず鎮座し続けた紙細工、ともに無傷。
そして声に応じたのは独り言のように呟いた青年の首筋にいる何か。
「恐らくはドロシー・レヴァインの“ラフドリーマー”による隠蔽術式【インビジブル】をクリスティアーナ・ホーリーランドの“グリゴリ”が広範囲に拡幅し、直前まで島の接近を隠し通したのだろう」
「人気アイドルは戦法も有名だから対処しやすくて助かりますよ」
ドロシーの使う魔術は空想を局所的に具現化する実体化術式。主に画家が自己表現に用いるそれを戦闘用にアレンジしたものだ。
彼女の場合は絵を媒体とするためか主に視覚情報に訴えかけるものが多く、周囲の風景に溶け込ませて物体を不可視の存在とするなど児戯に等しいだろう。
対してクリスの得意技は術式の構築と発動を離れた位置でも実現する高精度の魔力操作。
エリカの魔術円すら届かない範囲まででも構わず魔術を行使できる彼女は、第四魔術位階【エインセル】によって他者の魔術を(相手からの同意こそ必要だが)再現することが可能となる。
「仕組みがわかったところで厄介なことに変わりはないがね」
「だるっ」
先の炸裂する魔力弾などわかりやすい例で、ほぼ間違いなくクリスがエリカと協力して発動したものだ。威力が想定より低いのも【エインセル】での完全な再現が難しいためだろう。
つまり複数の魔術円を同時に制御するエリカと空想を具現化するドロシーの魔術が、多少見劣りする性能になるとはいえ島のあらゆる箇所から飛び出してくるのである。
いかなる魔術であろうと霊符で発動できるヨーゼフをして、これほど面倒な相手は類を見ないと言えた。
「化け物め」
「擬竜術式を霊符で再現するような輩が他人をとやかく言える立場かね」
「僕はいいんです。だって僕だから」
続けて飛来する魔力弾を今度は竜の尾から放たれる丹色の散弾で一発残らず相殺し、傍らに置いた段ボール箱型グリモアーツ“クレイジーボックス”から次なる兵器を引きずり出す。
「ったく、確かに悪党と組むような真似はよせっつったけどよぉ~」
にゅるりと押し出されるようにして箱の隣りに着地したそれは、段ボールを組んで作られた巨大な箱と筒の集合。
両側部に搭載された筒の先端が浮遊島へ向かって動き、そこかしこに仕組まれた機構から紙らしからぬ駆動音を響かせる。
「わざわざこっち来るとかどんだけ僕ンこと根に持ってんだよ美少女ゲーマー幼馴染アイドルがァ!」
「それは罵倒のつもりで言っているのか?」
二〇ミリ対空機関砲。
鉛玉の代わりに鉛よりも重く硬く加工された霊符の弾丸を込めたそれが、まるで火花のような丹色の燐光を噴き出した。




