第十四話 混迷
王都で裏稼業を営んできたカティス・ミントンはこの日、仲間の誘いに乗じて騎士団学校の破壊工作という大仕事を請け負っていた。
何でも最近トラロックから地上に出てきたアーロンなる人物が排斥派である教育委員会と結託し、有名な客人である東郷圭介を窮地に立たせるべく今回の作戦を練ったという。
聞くところによれば依頼人であるご婦人は今回起こす事件のきっかけを客人に押しつけるつもりらしい。
曰く、「彼がいなければこんな事件も起こらなかったはずだ」と。
そうがなり立てれば周囲が東郷圭介を迫害するように動くとでも思っているのだろう。
思想だけが先走った排斥派にありがちな後先考えない所作だ、と彼は率直に思った。
そしてまず間違いなくアーロンはこの依頼人を手早く切り捨てて裏切る算段でいるはずである。何故ならカティスでも誰でも関係なく、裏を知り裏に生きてきた人間なら大抵の人間はそうするからだ。
社会の闇で生き残るのは常に弱者と強者であって、愚者ではない。
霊符の調達は他ならぬカティスが担当した。アーロンの注文通り周辺の気温を一気に低下させる効果を持つものと、所有者だけは保温効果を受けて低体温症から免れるものの二種類。
後者の霊符は依頼人の分だけ用意しなかったし、他のメンバーもそれに対して何も言わなかった。
こうした手続きをする中で話した感覚を信頼するなら、恐らくではあるが。
アーロンは東郷圭介に対して明確な殺意を抱いている。
ともあれ危険な男だと感じ取った以上は口答えなどするつもりもなかった。教育委員長には偶発的に事故死してもらいつつ、ターゲットの東郷圭介にも同様にご退場願うだけだ。
以前であれば最終的に依頼人が死ぬようなプロとしての信用と信頼を失う仕事はしなかった。
だが今は事情が異なる。[デクレアラーズ]なる組織が第二次“大陸洗浄”などという暴挙に及んでいる今、こういった依頼の数自体が減少傾向にあるのだから。
カティスにとって何よりも重要なのは今日の食い扶持だ。
選り好みできる立場ではないのだから、大罪を犯してでもやるしかない。
『まずご紹介するターゲットはカティス・ミントン、三十五歳! 顔写真はこちらですので見つけた方はなるべく殺しておいてね! 死体はこっちで勝手に回収しておくので!』
だから。
ラケルと名乗った少女のおぞましいくらい明るい声が自身の名前を紡いだ時、彼は思わず膝から崩れ落ちてしまった。
校舎内の廊下には多数の来客や学生がいて、彼らは自分の手に持ったタブレット端末や空中に浮かぶ画面とカティスの顔を見比べている。
『なんでもフリーの冒険者をしながら裏で霊符の違法製造と売買を繰り返してきたということでして、今回はこのアーヴィング国立騎士団学校に凶悪な性能の霊符を――』
周囲に集まる人々は今のところ彼を狙おうとはしていない。
ただ明らかに迷惑そうな顔でこの場からいなくなることだけを望む声が聞こえてくる。
逃げるべきか。
すぐにそう考えられる程度にはカティスの中にもまだ冷静な部分が残されていた。
いくら一般人より戦闘経験が豊富な騎士団学校の関係者とはいえ、[デクレアラーズ]の言葉にすぐ便乗して校内で殺人事件を起こす者などそうはいまい。
校舎内に入ってしまったものの事前に依頼主から受け取った地図から複数の脱出ルートは割り出してある。脚力を増幅する魔道具も装備した今、脱出それ自体は難しくないはずだ。
目的の教室は目と鼻の先にあるため、霊符の設置にも時間はかからないだろう。
全速力で仕事を終えてすぐに逃げ出せば何も問題はない。アーロンに命を狙われるような事態にもならず、仕事上の信頼も失わずに済む。
崩れた膝の片方を起こして前かがみになり、どうにかこうにかクラウチングスタートの体勢をとる。
早く動かなければ誰かしら心変わりして殺しに来ないとも限らない中、カティスは自身に向けられたいくつもの視線を振り払うように全力疾走した。
「うわっ、こいつ!」
「きゃあ!」
短い悲鳴など無視して目指すべき教室へと意識を集中させる。仮に何らかの魔術で狙われたとしても簡単には当たらないだろう。
立ち止まらず進む。振り向かず進む。とにかくひたすら進む、進む。
為すべき仕事を済ませてしまえば助かる可能性の方が高いのだから。
(ここだ!)
受付を任されたのであろう女生徒が呆気に取られているのを尻目に目当ての教室へと侵入する。これまた驚いた様子の生徒らが視界に入るが知ったことではない。
(霊符を……!)
懐に手を入れて、紙の感触を確かめて。
急に視界が青磁色の蝶の群れで埋め尽くされた。
「あ?」
蝶が通り過ぎたところで視界が歪み、意識が遠のく。
全身の力が抜けて視界が傾く。自分の体で感覚も残っているのに、まるで車がスリップした時のような危機感の薄れと遅れがあった。
(何が、起きて)
この一秒後にカティス・ミントンは後頭部を焼き切られて絶命する。
半分以上を裏社会で費やした彼の人生が終わる直前、最期に見た景色の中。
「まずは一人目か」
テーブルに座り紅茶を飲みながら、彼を眺める男と目が合った。
* * * * * *
「ダメだこりゃ、うんともすんとも言わない!」
「そんな……」
圭介達が急ぎ駆けつけた放送室で機材を操作しようとするも、ラケルによる個人情報の読み上げは止まらない。
せめて緊急アナウンスで生徒らと来客の避難誘導だけでも済ませておきたいところだが、まず電源ボタンを押しても反応すら見せなくなってしまっている。
校長であるレイチェルから生徒会や教職員の面々に文化祭の中止を口頭で言い広めるよう指示しておいたものの、焼け石に水だろう。
『おっと早くも紹介してる途中でカティス・ミントンの死亡を確認しました! 死体はこちらで回収しておくのでお気になさらず~』
しかも最悪なことに騒動が始まった途端、排斥派側から死者が出てしまったらしい。
「おいおいどうなってんだ誰だそんな真似したの……!?」
動揺する圭介の携帯にメールが届く。
コリンからだ。件名は無題、本文も余計な挨拶などは省略した上で極めて短い文章のみが記載されていた。
『男の死因は後頭部を焼き切られたことによる頭部外傷』
いつぞや見た記憶のある死因である。圭介が目の前で起きたにも拘わらず、止められなかった殺人事件と同様の手段だ。間違いなくエルランドの仕業だろう。
恐らく一番槍として排斥派側に死者を出すことで、文化祭に来ている他の生徒や来賓などに「簡単に人が殺される状況である」と強く印象づけるのが目的と思われた。
同時に[デクレアラーズ]の活動方針に内心同意を示している民間人の殺人に対する心理的障害を取り除くことも考えているに違いない。
圭介がそう結論付けると同時、レイチェルが素早い動作でスマートフォンを操作する。
「もしもし、こちらアーヴィング国立騎士団学校! ただいま[デクレアラーズ]によるテロ行為及び排斥派からの破壊工作を受けています!」
騎士団への通報。それは学校の関係者として、一人の大人として、直接的な戦闘能力を持たない民間人として当然の行動だった。
公権力とて[デクレアラーズ]から受けた被害は大きい。必ず騎士団が救援に向かってくれるはずだと圭介や他のメンバーも話の流れをじっと静観する。
「…………どういう、ことですか」
だからレイチェルの口から出てきた絶望と恐怖の滲む声は、彼ら全員にとっても想定外であった。
「そんなっ、いえ確かにそうですが彼らはまだ学生……! あのっ、こちらも決して余裕がある状態では! ちょっと!」
少なくとも好ましい内容とは思えない会話の様子に注目が集まる中、青ざめた表情のレイチェルが圭介達に向き直る。
「今、騎士団に通報したのですが……メティス西部と東部の城壁がそれぞれ別の客人に襲撃されている状態だそうです。それで他の騎士団もそちらに人員を割いているとのことでした」
「えっ、そんな! タイミングが悪いなんてもんじゃないっすよ!」
慌てふためくレオの言葉は逆に圭介の思考に冷静さを取り戻してくれた。
確かにこれではあまりにもタイミングが悪い。
まるで最初から決まっていたかのように悪い。
つまりなるべくしてなった結果なのだろう。恐らく全て[デクレアラーズ]のシナリオ通りなのだ。
そこに最終的な確信を得るきっかけとなったのは、エリカがレイチェルと同じ機種であろうスマートフォンを操作しながら発した言葉である。
「ネットで情報調べた感じ、東には……ンだこりゃ。紙細工のドラゴン? みたいなのがいて、西にはデカいゴーレムが軍勢率いて進軍中だとよ」
圭介とミアはそれが誰の仕業なのか即座に理解できた。
多種多様な霊符の使い手ヨーゼフ・エトホーフトと、群れ成すゴーレムの指揮者ピナル・ギュルセル。
かつて壊れゆく遊園地にて戦い、今回エルランドとともにメティスを訪れていた[デクレアラーズ]の構成員。
となればこれはアーヴィング国立騎士団学校での騒動に騎士団を介入させないための妨害工作と考えて間違いない。
「しかも先ほど通報した際、むしろ城壁常駐騎士団の方から国防勲章を持っている皆さんに後方支援を依頼するつもりでいたようです」
「はァ!? いやいやいや無理でしょ人死に出てんのに!」
「落ち着いてミアちゃん、向こうもそれは知らなかったんだから」
「それにその人死にだって[デクレアラーズ]が仕込んだことのはずだよ。これ、今さっきコリンから送られてきたメール」
とはいえ死因に関する情報を共有したところで、そのエルランドの居場所がわからなければ事態は好転しない。
「つってもこの学校の生徒がそんな、人殺しを推奨するようなゲームなんかに参加しないって。犯罪の片棒担ぐような真似したら騎士なんてなれやしないんだし」
ただそれでも彼らがかろうじて理性を保っていたのは、ここが騎士団学校だからだった。
「だから実行犯を見つけ出すための時間的余裕はあるはずだよ。落ち着いて確実にあいつを捕まえないと」
「そ、そうっすよね。文化祭を台無しにされたのは最悪っすけど、それでこんな人殺しなんて真似するわけ――」
「校長先生!」
圭介とレオの言葉を遮るようにして室内に入ってきたのは、生徒会で会計を務める少女だった。紫色の肌と特徴的な角や翼を見るにサキュバスの類だろうか。
「どうしましたか」
「大変なんです! 一部の二年生が文化祭の中止を受けて暴走して、排斥派の人を血眼になって探してて!」
報告を受けたレイチェルが「あぁ……」と呻きながら天を仰ぐ。あり得ないと思っていた事態が現実に生じつつあるためか、圭介もレオも同時に動きを止めた。
「おい伯母ちゃん、どういうこったこりゃ」
「今年の二年生はちょっと例年以上に熱を入れてて……いえ、こんな話は後にしましょう。とにかく今は急いで学校中の騒ぎを収束させなければ」
その言葉に同意してすぐさま行動に移そうとした瞬間、圭介のスマートフォンから着信音が鳴り響く。
「おわっ、今度は何だクソッ!」
早く動きたい時に、と苛立ちを込めて送信者の名前を見た。
セシリア・ローゼンベルガー。
第一王女の側近でもある王城騎士からである。
想定していない相手からの急な連絡で混乱する思考が余計に乱れていく。情報の洪水を受けて考えがうまくまとまらない。
「一応出とけ。もうこうなったら時間より情報が欲しい」
「お、おう」
いっそ無視しようかと思ったものの、意外にもエリカから飛び出た強い口調での進言により思わず応答ボタンをタップしてしまう。
周囲にも声が届くようスピーカーモードにした途端、凛々しい女性の声が聞こえてきた。
『ケースケか、今どこにいる?』
「学校ですよ。そっちに情報いってるかわかりませんが、今は」
『大まかな状況はこちらも把握している』
早くも学校の惨状が伝わっているのは恐らくコリンから報告を受けたためだと思われる。
彼女なら第一王女に情報を流すため、セシリアと繋がっていてもおかしくない。
『だが事態は今お前が認識している以上に厄介だ』
「今以上、っすか……」
『ん? まさか他のパーティメンバーも一緒にいるのか。だとしたら話が早いが』
「ああはい、一緒です。全員聞いてますよ」
レオの声を聞いて即座に他のメンバーの存在に感づいた彼女は、この場にいる全員にとって嫌な情報を提供してきた。
『結論から述べよう。西側と東側の城壁では現在、実行犯である客人による攻撃だけでなく何者かによる遠隔攻撃での被害者まで続出している』
「遠隔攻撃?」
『ある者は催眠魔術で眠らされ、ある者は後頭部を焼き切られている。……ほんの少し前、お前が喫茶店で見たものと同じ方法でだ』
あり得ない、と叫びたくなるような報告だった。
メティスの城壁で西と東、真逆の位置にある城壁で同じ魔術による攻撃が発生しているというのだ。しかもついさっき、学校で起きた殺人事件と同様の手法を用いてである。
これをエルランド一人で実行していると仮定した場合、一人の客人が全く異なる三ヶ所で致死性の攻撃を撒き散らしているということになるのだ。しかも一部の相手には手心さえ加えている。
明らかに常軌を逸している魔術の射程。これだけの広範囲で暴れられては、場所を絞ることなどできはしない。
何より喫茶店で見た限り、エルランドの魔術は【サイコキネシス】での索敵網でも知覚すらできなかったのだ。その隠密性も加味すると現状勝ち目などどこにもないと言える。
「そんなん、どうしろと」
『だが我々騎士団はエルランドの潜伏先がそのアーヴィング国立騎士団学校である可能性を高く見積もっている』
「えっ」
それでもセシリアは王城騎士だった。ただでさえ就くのが困難とされるアガルタ王国の騎士団において、第一王女の傍に身を置く者として彼女は動く。
『詳しい話は後だ。今はその校舎内に怪しげな魔術を使う客人がいると仮定した上で、お前達に動きを決めてもらう必要がある』
すなわち、東西の防衛戦に参戦して常駐騎士団による学校への援軍を早めるか。
あるいは校舎内に潜むエルランドを探し出し、騎士団への遠隔攻撃を止めるか。
『すまんが全てそちらの判断に任せる形となる。この際だ、戦力を学校にいる知り合いの中から補充しても勲章保持者の肩書があれば誤魔化せるものと思ってくれて構わん。もしもの時は王城騎士の私が責任を負う』
どちらにせよ騎士団が来なければ校内の騒ぎを抑えるのは難しく、かといって騎士団側の戦いを先に終わらせるためにはラケルとエルランドが引き起こした事件を一時的に放置しなければならない。
本当に学校のどこかにエルランドがいるのかどうかの論拠すら聞けていない中、どうしたものか圭介は放送室内に視線を巡らせる。
すると、【サイコキネシス】の索敵網の中を突っ切って自分達がいる方へと進む複数の人物がいるのを感じ取った。
「誰か来る」
「お次はどなただァ? もうこんだけ色々あると誰が来ても驚かねえぞ」
目まぐるしく動く事態に辟易した様子のエリカが顎をしゃくりながら言うと同時に出入り口から飛び込んできた者が、五人。
「君らは……」
『なんだ、どうしたケースケ』
ヨーゼフやピナル、エルランドとは別にメティスに来ていた彼らの知人。
そして今回の騒動でせっかくの仕事が台無しにされかけている被害者。
「状況はある程度把握したよ! 私達もみんなに協力させてほしい!」
騒乱に包まれし騎士団学校の中に在って華やかさを失わず燦然と輝く少女達。
怒れるアイドルグループ、[バンブーフラワー]がそこにいた。




