第十二話 文化祭当日
涼やかな風が夜露に濡れた枝葉の狭間を駆け巡り、道に秋の香りが満ちる朝。
アーヴィング国立騎士団学校は文化祭当日の朝を迎えていた。
「結界ちゃんと張ったか? 隣りのクラスはクレープやるらしいから匂い漏れるとうるさいぞ多分」
「そっちは俺らでチェックしといた。つか裏の方も見に行ったらカレー用のパン見当たらなかったんだけど大丈夫なん?」
「パンなら職員室の棚借りて預けてあるよ。バーバラ先生が後で持ってきてくれるってさ」
「了解。じゃあウチから持ってきた清掃用の魔道具こっちにセットしとくわ」
圭介のクラスでは生徒達がカレー喫茶の準備を着々と進めている。
魔術が存在する異世界だからか内装は幻影により本物の喫茶店と遜色なく、錬金術を嗜む生徒が用意したテーブルと椅子も一見して高級品に見えた。
「しっかしよくできてんなあ。僕のいた世界じゃ考えられないや」
「魔術がない世界の文化祭ってどんなもんなんだ?」
未知の世界に興味を示すのは野菜スティックを齧るモンタギューだ。
クラスの出し物以外にオカルト研究部での活動も参加する関係か、手には二種類のチラシが握られている。
「こないだエリカと一緒にホーム脇に作った段ボール製の滑り台あったじゃん? あんな感じで壁とか作って、普段僕らが使ってる学習机と椅子で客席作って……」
「うわぁ」
「傷つくリアクションやめろコラ」
とはいえどんなに悔しがろうと、流石にこういった部分は異世界に勝てない。
「さて、僕もカレーの具材回収しに行くか」
「おう。アズマもまたな」
『お互い頑張りましょう』
「なんで参加者ポジションの発言してんだよコイツ」
既に肉と野菜はカット済みの状態で蒸し終えたものがホームの冷蔵庫に保存してある。複数のタッパーやボウルに入れられたそれも圭介なら一人で運べるため他の人員はいらないだろう。
教室を出てしばらく歩いたところで、見慣れているのに見慣れない存在と出くわした。
「おっすケースケ」
『こんにちは』
「…………おっす」
女子更衣室がある方向から来たのは、メイド姿のエリカである。
実際に貴族の館などでも使われている、過度な装飾やフリルなどがないロングスカートのクラシカルなデザイン。日本で何度か見たミニスカートのメイド服とは趣が大きく異なっていた。
恐らくこの手のサブカルチャー文化に対する理解がまだ異世界で完全に浸透していないためだろう。
無論元の世界には「これこそが」と鼻息荒くする者もいたが、圭介自身そこに興味があったわけでもないので深い考察はできない。
ただ、普段見慣れた女子のメイド姿にそれなりの新鮮味があるばかりだ。
「へへへどうよ、これ確かケースケの住んでた国で流行ってんだろ? 何かぶっ刺さるもんがあるんじゃねえのか」
粗野な口調でやや台無しになっているが、ビスクドールさながらに美しい彼女が大人しい印象の服を着たせいか奇妙な調和を生み出していた。
「黙ってれば似合うよ。口閉じてるか寝てるかすれば最高にかわいい」
「テメっ覚悟しろゴルァ今日はいつも以上にくっちゃべってやるからな」
巻き舌気味にエリカが激昂する。
藤野との一件から鈍っていた切れ味が戻ってきたのを感じ、圭介としては少々むず痒い。
「そっちはこれから具材取りに行くのか。着替えなくてもいいから楽でいいねえ」
「まあね。ていうか着替えると言えばミアはどうしたの? 接客担当ならもう準備済ませててもおかしくないと思うけど」
「誰よりも先に彼氏にメイド姿見てもらってるところだよ。勲章パワーで早めに入場させたらしいぜ」
彼氏彼女の付き合いが起因となったトラブルをようやく解消できた圭介と異なり、あちらは順調に青春の思い出を積み上げていた。羨望を覚えつつ納得もする。
どうか二人には幸せな交際関係を育んでほしいものだ。
「あのしょうもない勲章でも役に立つことってあるんだねぇ」
「だな。ぶっちゃけいらねーと思ってたけど、こういうのも使いようなのかもな」
普通であれば王女から授かった時点で一生就職先に困らない代物である。
『マスター。そろそろ具材の回収に向かうべきかと』
「っと、もうそんな時間か。じゃあ僕行くわ。それこそ勲章効果でエリカの隠れファンとかが出てくるかもしれないんだから、そっちも文化祭のノリで告白とかされるかもよ」
「その時は相手をぶっ殺して無かったことにするから大丈夫だ」
「なんで急に真顔でキレてんだ……怖っ……」
突如殺意を見せ始めたエリカを置いて職員室に向かう。
ここまで【サイコキネシス】による索敵は、怪しい動きを捉えていない。
何も対策できていないため何も安心できないが、それでも今は目先の仕事を全うすることだけ考えた。
他の参加者が心置きなく文化祭を楽しめるように。
例えこの後、自分達が充分に参加できなくとも。
* * * * * *
セルリアンブルーの魔術円が複数展開され、天井に設置された照明器具がぽつぽつと灯っていく。
折り畳み式の椅子がいくつも並ぶ体育館にて、[バンブーフラワー]メンバーの一員であるクリスがグリモアーツを用いて舞台上の機材チェックをしていた。
文化祭一日目である今日は彼女らに出番などないはずだが、それでもと仕事を負ったのはクリスも含めたメンバー全員の意志である。
「こっちは何も問題ないよ」
「ありがとうクリス。いつも細かい作業任せちゃって悪いねえ」
リーダーであるケイトが舞台袖から顔を出す。ペットボトル飲料の入った段ボール箱を裏口から台車で運び込んだらしく、額には一粒の汗が滲んでいた。
他の三人は各々別の仕事が入っているためここにはいない。
アガサは[バンブーフラワー]としての活動で得た上半期の収入と所得税を計算して税務署に結果報告。要は年二回の確定申告だ。
ドロシーはアニメ関連の番組にゲストとして顔を出すと同時に、作中で作られた料理を再現する料理人としても呼ばれている。
ナディアは仕事の予定こそないもののゲーム実況の収録を半日ほどしておかなければならないらしく、朝からスタジオに閉じこもっていた。
「ここの人達って騎士団目指してるくらいだからもっと堅苦しいイメージあったけど、意外とこういうイベントもしっかりするんだねぇ」
「やっぱりそういうところは学生さんなんだと思うよ……。ここに来るまでも結構見られたし」
「ファンが増えてるようで何よりだよ。でもクリスが見られるの慣れてきてるみたいでよかった。デビュー当時とか緊張し過ぎて大変だったし」
「も、もう! その話はしないでって、言ったのに……」
ごめんごめん、と謝ってから少し落ち着いて。
「でも今は、ナディアが一番心配かな」
「そう……だね。やっと幼馴染の人のこと、吹っ切ろうってタイミングだったのにね……」
昨日聞いた話によると、[プロージットタイム]を襲撃したヨーゼフ・エトホーフトがメティスに来ているらしい。
一度面会に行ってからナディアがヨーゼフの話をすることはなくなった。
が、彼が脱獄したというニュースが流れた日。
彼女は少し悲しげな表情を浮かべていたのだ。
「ナディアちゃんは私達の中で一番強いけど、もし……もしあの人と戦うようなことになったら」
「…………考えてもしょうがないよ。私達はあくまでもライブするために来てるだけで、今はアイドルなんだから」
物騒なことは騎士団と手練れの冒険者に任せて自身は関わらない。
それがこの世界において、市井に生きる者の在り方である。
「あまりここに長くいても良くないし、早く出よう。そろそろここの校長先生とか生徒会の人が準備するだろうから」
「そ、そうだね」
言いながらケイトとクリスは体育館を後にした。
まだ不安は拭いきれていないが、今はアイドルとしての活動に集中したい。
それが彼女らにとってのファンに対する作法なのだから。
* * * * * *
「首尾は上々ですぜ、お客様」
『それを聞いて安心したわ。あなた達のような人材でもこうすれば使いようはあるのね』
殺風景なコンクリートの壁をプラスチック管とポリエステルのゴミ箱が彩るそこは、メティスにおいて比較的貧しい居住区域の路地裏。
治安の関係で通る人間が限られる隘路にはタンクトップを着たドレッドヘアの男が一人、違法改造により費用がかからなくなった通信端末を用いて通話していた。
通話の相手は依頼主でもある排斥派の教育委員長である。
彼は右手に端末を持ちながら左手に持った霊符をチラチラと揺らした。
付箋ほどの大きさしかないマットポスト紙に塗布されたオリハルコンの紋様が描く術式は、見る者が見れば即座に相手の人間性を疑うだろう。
「ま、ここいらには優秀な技工士がいるんで。表にゃ一生出られないのが惜しいくらいの人材ですよ」
大気中の熱を一ヶ所に集めて周囲の温度を下げる第五魔術位階【ポケットヒーター】の魔術円に被さるように、その効果を増幅する帯状の術式がびっしりと付箋の表面を覆っている。
これを発動すれば周辺の気温が一気に低下し、範囲内にいる人間は事前に準備していなければすぐさま低体温症に陥る。老人や病人であれば生き残れまい。
「念動力魔術は低温環境に弱い。火ィ出して誤魔化すって手段もあるが、場所が一般人も出入りしてる学校の中じゃ巻き込むような真似もできねえ。彼は随分とお優しいようですからねえ」
『……客人に“優しい”なんて言葉使うの、冗談でもやめてくださる? 非常に不愉快だわ』
「おっと失礼。配慮が足りてなかったようで」
罪悪感など微塵も感じさせないまま苦笑する男の声に苛立ちを抑えきれていない女の声が、ともかくと話を戻す。
『文化祭には私の紹介状で入場できるようにしておくから、こちらの指示通りの場所に霊符を設置してちょうだい。トーゴー・ケースケのクラスの教室は把握済みだし、伝えたようにすればあっちは逃げ場を失うでしょう』
男は甲高い声を聞き流しつつ「ああ」「わかってますって」と気のない生返事を繰り返し、左手に持った霊符を見つめていた。
この霊符にかかった費用も顧客たる彼女持ちだ。
どんなに汚れ仕事を引き受けると悪名が流れても、こういった仕事は信用が第一となる。失敗は許されない。
『じゃあ、決して遅刻なんてしないように。リーダーの方はまたあっちで合流しましょう』
「あいよ。ま、精々バレないようにしましょうや。最近は[デクレアラーズ]なんてのもいますからね」
『ふんっ、あんな連中。何が怖いものですか』
――怖さを知らないお嬢さんの言葉だな。
彼にとって誰よりも尊敬する人物なら、きっとそう言っていただろう。勇敢と無謀の違いがわからない人種である。
そもここでのやり取りすら危ない橋を渡る行為であると正しく認識できていないらしい。
通話を切ると会話の終了を察したのか、大通りで他人の接近を妨げていた部下が不満げな表情を隠さず歩いてきた。
「あのクソババア、完全に俺らのこと舐めてますよね。これ終わったらヤっちゃいます?」
「ああ。どうせ事が終わりゃあ全責任を俺らに押しつけて騎士団にチクる算段だろうし、その前に事故死に見せかけて処理するさ」
お得意様になりそうもないどころか裏切る気配を隠せていないような相手だ。搾り取れるだけ搾り取ってから切り捨てるのが好ましい。
霊符をズボンのポケットにしまい込んで、男は路地裏の外へと歩き出す。
「計画の最終確認を済ませたら騎士団学校だ。トチんじゃねえぞ」
「はい!」
従順な部下の返事を背中に受けながら集合場所に向かう彼は、胸中に炎を灯していた。
依頼をこなそうという使命感ではない。
あの女への信頼感などではもっとない。
あるのはただ、ドス黒く煮え滾る復讐心。
念動力魔術を使う客人の小僧に対する憎悪と殺意である。
「俺は排斥派ってわけじゃあねえが、トーゴー・ケースケに限っては特別でな」
後ろにいるであろう部下に語りかける声は、知らず荒くなっていた。
「今回の依頼を通して必ず息の根止めると決めてんのさ」
獰猛な笑みにありとあらゆる感情が宿り、全身から迸る魔力がピリピリと周囲を刺激する。
男の名はアーロン・ホール。
かつて迷宮洞窟商店街トラロックにて、ゴードン・ホルバインの右腕として働いていた元シンジケートの構成員であった。
* * * * * *
斯くして役者は揃い幕が開く。
今のところ、道化の思うがままに。
「こちらヨーゼフ。配置に就きました」
『ピナルも配置オッケー!』
「言い方かわい~! 真面目にやれや殺すぞ」
『ごめんね……』
秋風吹き荒ぶ平原には、通信用の霊符を使ってピナルと会話するヨーゼフの姿があった。
第一ウィゼル街道に程近いそこはメティスの東側であり、障害物が少ないためか城壁の様子を確かめやすい。
常駐騎士団の目を騙して辿り着いたことで騒ぎにもなっておらず、周辺は静かなものだ。
「作戦開始時刻までしばらくあります。決して先走らないようにしてください」
『当たり前だよぉ。ヨーゼフ君はピナルのこと何だと思ってるの?』
「故障した子供」
『アハハ、機械じゃないんだから子供は故障しないよ。ヨーゼフ君ってたまにすっごいおバカになるよね! ちょっとかわいそうになってきちゃった』
「ぶん殴りてェ~!」
軽口を叩きながらヨーゼフは自身のグリモアーツを懐から取り出す。
トランプのカードにしか見えないそれが、これから騎士団を襲うのだ。
とはいえ今回の攻撃対象となる城壁常駐騎士団には、リストに掲載されているような悪徳騎士がいない。つまり極力殺さずに戦う必要がある。
単独で国が抱える軍事力の一端と衝突するだけでも大変な仕事だ。
道化に文句の一つでも言いたい気分になりながら、彼は来るべき時を待つ。
「文化祭、か」
そして物憂げな表情には、仕事以外の要因もあった。
「いいなあ。楽しそうで」
行ったことのない学校というものに馳せる想いもありながら。
これからそこで開かれる行事に水を差すべく、剣の数札が牙を剥く。
全ては彼らの理想のために。




