エピローグ 今はまだ、此処で
「ヴィンス・アスクウィスは全身複雑骨折と内臓破裂という死んでもおかしくない重傷を乗り越えてどうにか生還するも、精神的にかなり衰弱している様子で騎士団からの聴取に応じられる状態ではないそうです」
圭介がヴィンスを目も当てられない状態にした、その翌々日。校長室に呼び出された圭介はいくらかスケジュールに空きが出来始めたレイチェルからその後の報告を受けていた。
あの後、片足を踏み潰されたウォルトと虫の息となったヴィンスを救急隊に任せて見送った四人は同時に到着した騎士団に連れられて詰め所まで案内された。事件の当事者として事情聴取を受けるためである。
状況の説明を求められるままにした結果、ヴィンスの靴に付着した血液と肉片がウォルトのものであると判明したため特に疑われるような事態にもならず、夕飯時を少し過ぎた時間帯には帰路につける運びとなった。
それに伴って圭介によるヴィンスへのあれやこれやも緊急避難対応として事務的に片付けられ、事実上の無罪放免を言い渡されたが、
「……何か、すいませんでした」
当然そんな事で圭介の罪悪感が拭えるわけもない。
校内では殺されそうになりながらも立ち向かった彼の立場を考慮する声が過半数を占めるが、圭介が来るより以前から学校で過ごしていた彼らも日頃優しくしてくれていたヴィンスを知っているばかりに複雑な心境を隠せずにいるようである。
何を言えばいいのかわからない、と面と向かって言われた時には圭介の方が気を遣った。
「貴方が気に病む必要はありません。寧ろこれは彼の本質を見抜けず留守を預けた私の失態です。どう詫びたものかと戦々恐々しているんですよ、こう見えて」
「真顔でおっしゃられましても……頭にケサランパサラン引っ付いてますよ、三匹も」
「そういう貴方も五匹くっついてますよ」
互いに数え合って、また溜息一つ。
「……んんっ。それとウォルト君ですが、彼は見た目だけなら足を元に戻すことは可能だそうです」
「へぇ、それは普通によかった」
あの車に轢かれたカエルの死骸のように潰れた足が元に戻るという辺り、魔術によるものか圭介の知らない技術によるものかは定かでないにせよ大した医療技術である。
「ただ確実に後遺症は残るとのことでしたので、今回の事件を契機に彼は自主退学となりました。これは当人の希望もあってのものであるとご理解ください」
まあ、当然だろうと圭介は哀れみの情を向けずにいられなかった。
聞けばジェレマイア家はあの後ヴィンスが書いた便箋に記載されていた内容を騎士団に確認されたことで脱税の嫌疑をかけられそのまま家宅捜査と相成り、ウォルトの父親であるブルーノ・ジェレマイア氏は王国騎士団総合本部へ連行されたという話だった。
その結果、彼が元々住んでいた屋敷は中にある家具やら衣服やらも含めてその全てが差し押さえられた。借金の問題もあるが使用人達が給料未払いを許さなかったのも大きい。
つまり彼が帰るべき場所は永遠に損なわれたのだ。
「彼のこれからは彼に任せましょう。当面、貴方は貴方が為すべきを為して下さい」
「……はい」
レイチェルの言う通り、生活圏内から姿を消した相手に執着しているわけにもいかない。
皮肉にも圭介を殺そうとしたヴィンスの行動が、結果として明確に圭介を敵視する[羅針盤の集い]リーダーの退学を引き起こしたのである。当面の脅威は去ったと見て、今後は客人の帰還方法について調査する時間が、
「ではこちら、貴方が先日欠席した分の授業内容を記録したプリントと配布する予定だった学期末試験の試験範囲です。念のためにあの日午後の授業を担当していたデボラ先生に確認しておいて下さい、今日中に。それと以前アドラステア山に行った際にゴブリンの小隊を目撃しましたね? その後も山中で目撃情報が複数寄せられたことから王都内に集落を設けている可能性があるとの懸念もあり、政府から学校側に正式な依頼が入りました。来週学校行事の一環として全学年参加の合同クエストを開催しますので、当日は第一目撃者として皆の前で簡単な応答をして頂く運びとなりましたのでご報告します。詳しくはこちらのプリントをご確認下さい。ああ、昨日と一昨日に回収し忘れたアガルタ文字の書き取りと読み取りの宿題ですが丁度よかった、今ご持参頂けていますか? なければ今夜そちらのお部屋にお伺い致しますが……」
「やだこの人溜め込んでたとばかりにめっちゃ喋る!」
与えられなかった。世の中そんなもんである。
* * * * * *
放課後の中庭で、圭介とモンタギューが仲良く並んでベンチに座っていた。
モンタギューの方はいつも通り野菜スティックを咥えつつスマートフォンでオカルト関係のまとめサイトを巡回しており、圭介はメモ帳に鉛筆で何事かを書き込んでいた。
不意にモンタギューが野菜スティックを一旦手に取り、口を開く。
「まさかあのヴィンス先生がねぇ……案外わかんねえもんなんだな、ああいうのって」
「正直僕なんてあの時必死過ぎて、先生が人を殺そうとしてたとか未だに信じられてないからね」
あれ以来、何度目になるかわからない溜息を吐く。その様子を隣りの黒ウサギが物憂げに横から見ていた。
モンタギュー本人としてはあの日、便箋の存在を知りながら圭介達が悪戦苦闘していた際に呑気に部活動を優先していたこと、「まさかあの便箋を受け取って本当に約束の場所に行ったりしないだろう」と油断してエリカ達に焼却炉裏の件を伝えなかったことを後ろめたく思ったりもしていたらしい。
しかしアガルタでは珍しい傾向だが、彼は素直に感情表現をしない。
昨日一日中続いた、何かにつけて無言で野菜スティックを突きつけてくる様は謝罪のつもりだったのだろうか。そう思うと面白おかしくも可愛らしくも思えた。
「そんであんた、さっきっから何を書いてんだ」
現在圭介がメモ帳に書き込んでいる文字は日本語である。
興味津々に覗き込んでくる不躾さを不思議と不快に感じさせない。客人の文字は各々の出生によって全く異なる為、オカルト研究家として純粋な好奇心を持ったようだった。
「僕ラノベ作家目指してるからさ。今回異世界に転移してからヴィンス先生を倒すとこまでをとりあえずネタとして記録しておこうと思ってね」
「あぁ、“デンジャラスフリーフォール”だっけ? 先生もよく死なずに済んだよな、俺なら手足のどっかしら捥げてたぜ」
「騎士団の人に『普通死ぬから二度と人に向けて使うな』って言われたよ」
「そりゃそうだ」
「でもね」
メモ帳を閉じ、胸ポケットからグリモアーツのカードを出す。
ドアノブを握るその手は、果たして何処へ向かおうとしているのか。
「ああしなければ殺されてただとか、ああした結果死んでたかもしれないとか。そういうのはもうこりごりだよ」
圭介が好んで読む漫画や小説では、平凡な少年が非日常に巻き込まれるという現象が頻繁に生じる。
その影響を受けて小さい頃に一度か二度ほど非日常に憧れた日もあったが、今では平凡な人生が恋しくてしょうがない。
やれ殺すだの殺されるだのは、俯瞰する立場でなければ娯楽になり得ない。
「……ま、おかげで小説のネタにはなったかな」
「何よりじゃねえか。まあ俺は小説とか読まねえが」
「これから書こうって相手にそんなん言わないでよ」
苦笑混じりに立ち上がる圭介が向いた方向には、校門付近で彼を待つ三人分の影が並ぶ。
「行くのか」
「うん。また明日ね」
「あいよ」
飾り気のない挨拶を交わして圭介は歩き出す。
今日はこの後、約束があるのだ。
* * * * * *
マゲラン通りの一角にて、圭介、エリカ、ミア、ユーの四人はとある喫茶店のテラス席に座っていた。
最近話題のスイーツ店、との話だったが圭介にとって崩しに崩したアガルタ文字の店名は解読不能を通り越して最早図形の域である。
「んじゃ、ケースケの【解放】と生還を記念して乾杯!」
ソフトドリンクの入ったプラスチックのコップをぶつけ合う。ユーのコップだけが二回りほど大きく、他三人のコップが押しのけられるついでに零れかけたりもしたがどうにか持ち直した。
相当痛めつけられたミアとユーだったが、騎士団の詰め所に行った際に回復魔術を受けて今では完全に無傷である。
その様子を見ていた圭介は自分の怪我も治してもらおうと思ったが、変に頑丈な体のせいで「いや君平気でしょ」と窘められて終わった。
つまり今日の集まりは圭介一人の為だけでなく、病み上がりのミアとユーの慰労会も兼ねているのだ。
女子に人気の高い店だからか、やはり客層はどうしても若い女性に偏る傾向にあるようである。というよりも寧ろ、男子である圭介がやたらと浮いていた。
「祝われてるはずなのに肩身が狭い!」
「まあまあ、オラ今日はあたしらの奢りなんだから馬鹿程食えオルァッ」
「やめろやめろ僕の皿にそっちの生クリームまで移すなただでさえ山盛りなんだから! おいどうすんだパンケーキもプリンも行方不明じゃん生クリームが我が物顔でのさばってんじゃん!」
「あ、シロップとチョコソースどっちかける?」
「訊きながら両方かけるのやめてもらっていい?」
ついでに久し振りに圭介とまともに向き合えたからか、若干暴走中のエリカも悪目立ちしていた。
「あっははは……でもよかったじゃん、二人ともついこないだまではギクシャクしてたしさ。仲直りってのとは微妙に違うかもだけど」
「うん。二人とも楽しそうで安心したよ」
「他人事だと思ってまぁ……それはさておき、今回は色々と助けてもらったよ。三人には逆にお返ししたいくらいなのに甲斐性ないって辛いもんだね」
生クリーム山脈からパンケーキとプリンを掘り起こしつつ、圭介は微笑んだ。
借りを作ってばかりいる自分に厭気が差したりもしたが、彼は今“アクチュアリティトレイター”という心強い武器を手に入れた。
これからいくらでも彼女らに貢献して借りた分を返済できると思えばこの場での奢りも快く受けられる。
しかしその言葉を受けたミアとユーは顔を見合わせると、にやりと笑った。
「じゃあさ、ケースケ君。一つお願いがあるんだけど」
「ん、何? 全裸で職員室に突っ込めとかは無理だよ、アレは中学一年生だからスレスレで説教だけで済ませられたんだから」
「いやそんなん誰も望んでないから、皆が不幸になるだけだから。そうじゃなくてさ、ケースケ君って私達二人を呼ぶ時にえらく他人行儀になるじゃん」
「……む」
思い返せばエリカを呼ぶ時は呼び捨てだったのに、彼女らを呼ぶ時には必ず“さん”を付けて呼んでいたと今更ながら気が付く。
日本語での応答がアガルタ国民にどのように翻訳されているのかはわからないが、他人行儀な雰囲気は伝わっていたらしい。言葉が通じるなら込められた意味も通じて当然という、この異世界の潔癖さが垣間見えた瞬間である。
「だから私達の事は普通に、エリカちゃんと同じように呼んで欲しいの」
先に努力を提示するためか、ユーの敬語も取り払われていた。こうなれば圭介も応じざるを得ない。
「…………じゃあ。ミア」
「はーい」
「ユー」
「はい」
「……恥ずかしっ!」
赤くなった顔を両手で覆った。同時に不思議な充実感も芽生えてくる。
思えばこれまで「どうせ元の世界に戻ればなくなる関係だから」と無意識に距離を取っていた。それで構わないと思ってきた。
だが実際には難儀な事に、一定水準以上の信頼関係を築いている。
共に死線を乗り越えた吊り橋効果か、単純に彼女らが人格者なのか。何にせよわかり切っている事実として、圭介は今この場で著しく不利な立場にあった。
「おうケースケ、そんなに距離取りたければあたしのこたぁエリカ様って呼んでくれて構わないぜ」
「このタイミングでそういう発言するとか一周してありがたいわ。でもエリカ様はちょっと」
何か照れ隠しできる物は無いかと周囲を見回し、結果として目の前の皿にてんこ盛りになった生クリームが意識を支配した。
スプーンで掬い取って頬張ると、誤魔化しに利用しようとしたのが申し訳ない程に上質な味わいが口一杯に広がる。
そも圭介は牛乳が苦手だが、口に含むと同時に鼻腔を吹き抜ける乳の芳醇な香りは見事に全身に沁み込んだ。
砂糖を最低限の量に抑える事で実現されるその風味は、幸せをそのまま食べているかのような錯覚さえ引き起こす。
エリカがかけたチョコソースの香ばしさがアクセントとなって、飲み込んでからももう一口を口に運びたくなる。
乳製品は買ってまで食べるものではないと断じてきた牛乳嫌いの価値観が、一撃で粉砕された。
「いやあでもここの生クリーム美味しいねえ! やっぱアレだね、脂質と糖分は依存性ある分だけ違うね! 畜生の体液が材料の合法ドラッグとは思えないよ! マジで手間かかる仕事してるわーこのお店も!」
褒めているのか貶しているのかわからない大絶賛を繰り出すと、圭介の目の前で不思議な事が起きた。
ついさっきまで暴走していたエリカがテーブルにうつ伏せて、耳まで真っ赤になりながらピクピクと悶えている。表情が見えないせいで怒っているのか笑っているのかわからない。
ミアとユーは顔を逸らしている。口元に手を当ててこれまたピクピクと震えているが、まだエリカと比べるとわかりやすい表情だ。彼女らは必死に笑いをこらえていた。
「あ、ごめん。特定の職業に就いている方々を侮辱する意図は一切含まれていませんのでね、そこはご勘弁願いたいかなーって。え、そうじゃない?」
何が何だか理解できないまま、震えるエリカのつむじを眺めてみた。
戸惑う中でもちょっとした連想を経て、その様が土下座に見えてしまう。
(ああ、あの時の僕もこんな感じに見えたのかな)
随分と古い記憶に思えてしまう彼女と出会った日のことを思い出しながら、口の中の甘味をブラックコーヒーで流し込んでふと空を見上げた。
赤く焼ける夕映えは、彼の知る街と繋がっていない。
でもこの甘い時間の中で、寂しさは感じなかった。




