第九話 秋の雪解け-エリカの場合-
新聞部の部室から出ると、外は既にマジックアワーの金色で彩られていた。
立ち並ぶ高層建築物の狭間を多様な種族が行き交い、空には標識と島が浮かぶメティスの街並みも今では慣れたものだ。慣れるまで居着くつもりはなかったというのに。
アルバイトやクエストの予定は入れておらず、クラス展示の手伝いも今日の分は終わっている。
ではもう何も予定が入っていないのかというとそんなことはない。
圭介にはこれから、人と会う約束があるのだから。
「あっ」
「おっ」
しかして約束の時間より早く、約束の場所に着く前に。
圭介は約束の相手と出くわした。
『こんばんは』
頭上のアズマが呑気に挨拶を飛ばした相手は、一人でマゲラン通りにいたエリカである。
「……これからホーム向かうとこだったんだけどな。変なとこで会っちまった」
「まあねぇ。どうせ話すつもりだったし、飲み物買ってそこの公園行こうか」
予定より早まった遭遇に合わせて動く。彼女とはなるべくリラックスした状態で話したい。
制服から着替えたらしい彼女はサツマイモのように濃い赤色のジャージを着ており、足には便所サンダルを履いていた。
見た目がビスクドールさながらの美少女で性格は育ちの悪い男子小学生、それでいてファッションセンスは身だしなみに無頓着な中年男性のそれに近い。見ているだけで何を信じていいのか判断に迷う。
圭介としては今更ここに来て女性らしさなど求めていないため何も気にならないが、エリカの方はやや嫌そうな顔で自身の袖やら裾やらを引っ張っている。
「にしても変な時間にうろついてんね。またエロ本拾い?」
「んなわけねーだろ」
「まあ、流石に年がら年中そんなもん探してるわけじゃないか」
「最近は電子書籍がメインになってきてエロ本もそうそう落ちてねえからな」
「今ので僕の優しさとか誤魔化す余地とか色々無駄になったぞどうしてくれる」
いつも通りの会話をしようと試みるも、いつもよりエリカの発言量が少ない。
やはりこの気まずさは問題だ。文化祭本番より先に関係を修復しようと決めたのは間違いではなかった。
出そうになった溜息を唇で押し留め、二人でコンビニに入る。
圭介はサイダーを、エリカは桃か何かの果物を使ったジュースを購入して公園に向かう。
丁度いいベンチが見えてきたところでエリカが話しかけてきた。
「おらっ」
「いてぇ!」
肘で。
「何すんだクソチビ暴力エロ本女……」
「あん? 誰の許可取って座ろうとしてやがんだオメーは。立ってなさい。あたしが一人でベンチに座るから」
「公園のベンチはみんなのものだって役所の人が言ってた!」
「言ってない。言ってねえよな役所の人。ウン、イッテナイヨー(裏声)」
『言っていないそうです』
「そんなことってあるかよ」
並外れた交渉力で座るエリカと向き合う位置に立たされた圭介は、うんざりした表情を浮かべつつ心のどこかで現状を受け入れていた。
有言実行できなかった自分の不手際に対する罪悪感がある。今はあまりエリカに強く出られない。
立ったままサイダーを開封すると同時、プシュッという音に紛れ込むようにしてエリカが話しかけてきた。
「最近変な空気になってんのはあたしだって気づいてんだ。どうすりゃいいのか考えてもわかんねーからよ、ここまでズルズル来ちまったが」
「……いやそりゃ僕が、ていうか僕とアイツが悪いから」
「お前一人が悪い」
「え? うわっ、びっくりした。そこで集中砲火受けるんだ僕」
異世界転移を果たす前の問題も含めて謝る雰囲気かと思ったら敵であるはずの藤野の存在すら無視されるとは予想できておらず、さしもの圭介も驚く。
目を丸くしているとエリカがじとっとした視線を向けてきた。
「あの女の話、すんな」
どこか藤野にも罪を被せようとした自分が悪いのだろうか、と新たに芽生えた反省材料と向き合っているとまたもエリカから奇妙な言葉が投げかけられた。その声には明確な拒絶の意思が込められている。
仕方がないので自分一人の非に関してのみ謝ることとした。
「じゃあやり直すよ。ここ最近、皆との間に変な空気作っちゃってごめん」
言葉を紡いだ途端、エリカが立ち上がって頭を勢いよく下げる。
「こっちこそハッキリした態度取れなくてすんませんでしたァ!」
「僕一人が悪いんじゃねーのかよ!」
『何なんですかこの人は』
「アズマにこんなん言われるって相当だぞお前」
腰を綺麗に九〇度曲げながら謝る姿に戸惑いつつ、エリカの肩に手を置いて二人並んだ状態でベンチに腰かけた。
やっと二人で座れたな、と安堵してサイダーに口をつける。何だかんだと互いに謝ったことでわだかまりもある程度払拭されたと言えよう。
「とりあえずさ、これで仲直りできたってことで大丈夫かな。一段落したらたばこや行ってパトリシアさんにお礼言いに行こうよ。今回の件で相談に乗ってもらったんだ」
「何他人様に恥ずかしい相談してんだバカたれオメェ。だったら伯母ちゃんとこにも一緒に来いよ、めっちゃ心配してたんだから」
「そっちも他人様に恥ずかしい相談してんだろが」
緩和した空気に包まれながら悪態を交わす。
完全に以前のようにとはならないかもしれない。少なくともエリカは藤野を快く思っていないようで、迂闊に口にできない話題が増えた。
それでも前に進んだこの感触だけは確かなものとして捉えられている。
一応これでエリカとの問題は解消したと見ていいだろう。
「うっし、半分スッキリした。ユーにも声かけなきゃな」
「まだユーちゃんと仲直りしてないのにあたしンとこ来てたのかよ。早く行ってやれって」
やはり友人だからかユーに対する思いやりは一層深いらしい。「言われなくても明日言うわい」と返しつつまた一口サイダーを飲んで顔を上げる。
少し離れた場所に立つ、どこか見覚えのある少女と目が合った。
「……あれ? なんでこんなとこにいるんだ」
「あん?」
思わず出た声に呼応するようにエリカも不思議そうな表情をそちらに向ける。
近づいてくるのは金髪のポニーテール。好奇心旺盛なのが見て取れる大きな瞳を爛々と輝かせ、オープンショルダーのシャツに付属するフリルとチェック柄のスカートを揺らしながら近づいてきた。
彼女の顔と名前を圭介は知っている。
もしかするとエリカも知っているかもしれない。
「ケースケ君じゃん! そっかそっか、このへんの騎士団学校に通ってるって話してたっけ!」
「どうも久しぶり……。あんま道端で話しかけないでくんないかな、お互い知名度高い方だし」
ビーレフェルトが誇る人気アイドルグループ[バンブーフラワー]が一員。
ファッション誌や美容関係のネット記事に時折その名と美貌を載せている少女。
ドロシー・レヴァインその人であった。
急に現れたアイドルの存在にエリカが目を丸くする。
「つか、なんでいんの。確か君らってロトルアに住んでたはずでしょ」
日本人である圭介の感覚で言えば、関西在住の芸能人が東京に来ているようなものだ。
人気アイドルなら王都での仕事があってもおかしくあるまい。そう思う一方で、国防勲章を得た自分がいる街に縁のある有名人が来訪したという事実に不気味さを感じる。
以前であれば運命だの偶然だのと面白半分に笑えただろうか。
あの、何もかも手のひらの上で転がしているような道化と知り合う前ならば。
「んー……ま、ケースケ君とそのお仲間になら言ってもいいかな。てかその子どなた?」
「うわ話しかけてきた!」
「動物園の動物じゃないんだから変な反応すな。ほれエリカ、自己紹介しとこ」
国民的アイドルとの邂逅に流石のエリカもやや緊張しているようらしい。
グリモアーツをしまっていると思しき胸元をしきりに触りながらドロシーの顔を見つめる。
「うっす、エリカ・バロウズっす。ケースケとはエロ本仲間です」
「え、エロ本?」
「バカ野郎お前。事実でも言って良いことと悪いことがあんだろぶっ飛ばすぞ」
「事実なん!? 詳しい事情知らないし知ろうとも思わないけど!」
最悪な言葉選びを受けて動揺するドロシーだったが、気合いで冷静さを取り戻したらしくエホンゴホンと咳払いをして仕切り直した。
「ま、まあそれは置いといて」
「やっぱ芸能人はメンタルの立て直しがはえぇなあ。よっぽど業界で薄汚いもん見てきたのかな、なっケースケ」
「コミュニケーション能力やべぇ!」
そして仕切り直しは台無しにされた。
「相手が相手だからビビるのもわかるけどいい加減に落ち着けって。今更エリカに礼儀作法は期待してないけど角や波風は立てずにいられるだろ。声出さなきゃいいだけなんだから」
「ケースケ君もケースケ君でこの子に何も期待してねーんだ……。とにかく、よろしくねエリカたん」
「おぅよろしく。……すっげー、どちゃくそ大人気のアイドルと握手しちったよ」
ともあれ騒ぎ出すような動きは見えないためかエリカの様子を暫し見守った後、ドロシーは改めて圭介に向き直る。
「なんでこっち来てるのかについては後で全体チャットで教えるから。今はお互い顔見せっていうか、ちょっと久々に会ったから挨拶するくらいにしとくべ」
「いや別に無理に予定とか教えてくれなくても」
「やー、場合によっちゃあ仕事の都合でまた会ったりもするかもだからさ。それも込みで後でね」
手を振りながら微笑む彼女は、よく見ればもう片方の手に袋を持っている。どうやら夕飯の材料を買ったばかりのようだ。
その量から察するに他のメンバーも揃ってメティスに来ているのだろう。となれば[バンブーフラワー]五人全員での仕事が入ったと見て間違いあるまい。
あの崩壊した遊園地での出来事を振り切って、以前のように活動している。
強いなぁ、と感心してしまった。圭介は今やっとすれ違った仲間の一人と仲直りできたばかりなのもあって、余計に。
「じゃ、夜に連絡するから。既読スルーなんてしようもんなら容赦しねーぞ!」
「しないよ。縁があればまたね」
「またなー。興味あるなら今度オススメのエロ本売りつけてやんよ、格安で」
いるかいそんなもん、と吹き出しながらドロシーは歩いていく。向かう先にはビジネスホテルが立ち並ぶエリアがあり、恐らくそこに他のメンバーもいると見た。
(……嫌だな)
圭介が心中で不穏な気配を感じたのは、よりにもよってこの時期に[バンブーフラワー]がメティスに来てしまったからである。
この、ヨーゼフ・エトホーフトが潜伏しているメティスに。
かつて[バンブーフラワー]のメンバーであるナディアと幼馴染であり、幼少期に両想いだったもののすれ違ってしまった青年は今、躊躇せず騎士を殺傷できる暗殺者と行動をともにしている。
あまり彼と彼女が合流するような状況を作りたくないが、もしかすると今の時点で必ず合流するようにセッティングされているのかもしれない。
(考えることがどんどん増えていきやがる)
エリカとの関係を改善できたと思った矢先にこれだ。
ユーと話し合う機会も早々に決着をつけなければ、と急ぐ気持ちが生じた。
「うっしじゃああたしも帰るべ。ケースケは夜なんか予定あんのか?」
「夕飯と風呂済ませたらメールだけ確認して寝るよもう。頭痛い」
近づきつつある文化祭本番、藤野との対立、ユーとの仲直り、エルランドによる未知の手段での暗殺、何か暗躍している排斥派、ヨーゼフと[バンブーフラワー]が接触する可能性。
考えるべき事項があまりにも多い。圭介一人で抱えるのは無理がある。
「ごめんエリカ、ちょっと夜にメールってか電話したい。気まずくて黙ってたけど相談しなきゃいけないあれこれが増えてて困ってんだよ」
申し訳なさを隠せないままエリカに頼み込む。
今度こそ、「エリカなら」と信じる気持ちを抱いて。
「しゃーねえなもう。遠慮しねえで何でも言えや」
その苦笑交じりの軽々しい返答にどれほど心が救われたか。
今度こそ圭介は、エリカとの関係を望ましい方向にやり直せたと確信できた。
「あんがとね。やっぱエリカはいい奴だ」
「こっ恥ずかしい寝言ほざいてんじゃねえよ。んじゃ、また夜にな」
少しだけ紅潮する頬を隠すように背中を向けて、エリカが歩き出す。
圭介も満ち足りた心持ちでその小さな後ろ姿を数秒ばかり見送って、宿泊施設へと足を向けた。
ちゃぽり、と握りしめるペットボトルに残されたサイダーが動いて泡立つ。
『これでエリカ・バロウズとの関係は修復できましたね』
アズマの呟きを受けて少し微笑むも、圭介とてまだ安心したわけではない。
「まだまだ、これからさ。これから僕はエリカを信じていくんだ」
『それをいつまで続けるおつもりで?』
元通りの関係に戻ることこそ機械である彼にとっての最終目標なのだろう。
それを否定はしないが、圭介としては人間関係に“最終”などあるのだろうかと疑問に思う部分もある。
ただ、強いて区切りを設けるならば。
「んなもん、元の世界に帰るまでだよ」
そんな、本気で言っているのかどうか怪しくなりつつある言葉が道標だ。




