第八話 深まる疑問
文化祭本番も近くなってきたある日の夕方。圭介はコリンに呼び出されて新聞部の部室へと足を運んでいた。
いつぞやと同じようにやや少なめの紅茶が淹れられたカップを受け取りつつ周囲を見回す。
散らかっていない。
普段であれば書類の束やら事務用品やらが雑多に巻き散らかされているはずなのだが、それらの痕跡も残さず綺麗なテーブルと椅子が並ぶばかりである。
「他の部員は文化祭当日に向けて色々やってるから今は私とケースケ君しかここにいないの。まあゆっくりしてくの」
「ありがとう。ところでここってこんな片付いてたっけ」
「まあ文化祭も近いから人目に触れてもいい程度には片づけたの。つっても散らばってた諸々は全て各部員の自室や実家に均等にぶち込んだだけだからこんなん一時的な措置でしかないの」
「実はちょっとそういう感じを予想してたからそんなに意外でもないや」
エリカとともに寮室を散らかしているというコリン、及びその同類が新聞部の部員達だ。過度の期待をするべきではない。
「で、本題に入らせてもらいたいんだけど」
茶器を置いて椅子に座りながらコリンが話し始める。
本題。
それは喫茶店での一件に関する情報をコリンに提供した上で、いかなる追加情報が掘り起こせたかの確認作業であった。
「[デクレアラーズ]所属の客人、エルランド・ハンソン。年齢は四三歳。こっちに来た時は三十歳ちょうどだったみたいなの」
それは圭介から受けた依頼に沿って紐解かれる、エルランドの経歴。
未知の手段で複数人の騎士を無力化した方法を何としても知っておかなくてはならないと判断し、コリンの情報収集能力に頼る形で調査したのだ。
当初は多少高い報酬を支払うつもりでいたものの、以前の借りを返したいというコリンからの希望もあり無償での情報提供を受けることとなった。
「ハイドラ王国のクロリンデっていう田舎町に転移してきて、以降は助成金を受け取りつつ地元の牧場で住み込みの仕事をしていたみたいなの」
「早速意外な事実が判明したな」
あの不気味な雰囲気を纏った男が牧場で働いている姿をイメージするのはなかなかに難しい。とはいえ客人の方で転移する場所を選べるわけではないと誰よりも圭介が知っている。
そういうこともあるのだろう、と受け入れた。
「牧場、ねえ。ごめんちょっと知っておきたいんだけど、こっちの世界の牧場ってどんな魔術を使えると有利とかある?」
「ぶっちゃけ私も知らなかったから調べたの。そうしたらやれ結界魔術だの医療用魔術だのたくさん出てきて絞り込めなかったの……」
生き物の管理とは魔術を用いても非常に難しいらしい。
動物は意思疎通が難しいため常に未知なる存在を相手取らなければならず、そのために備えるべき事柄も枚挙に暇がないほど多いという。
「でも喫茶店での事件を通してわかったこともあるの。まず気を失った騎士は間違いなく催眠術式で眠らされてたの」
『牧場関係者に催眠術式を習得する必要性があるのでしょうか』
圭介の頭上にいるアズマから投げかけられた疑問に対し、コリンは首を横に振った。
「いくら使う魔術の幅が広いとはいえ牧場関係者にそんなもん無用の長物なの。だから可能性として高いのは第六魔術位階を複数回重ねて使用したか、そうでなければ単純に適性の有無になるけど……」
「催眠術式の適性だけならあんな真似はできないと思うなぁ」
問題は一切の動作を見せずして店内にいる複数人の騎士を無力化、一人に至っては殺傷までしてみせた魔術の正体だ。
あの場には魔力の動きを大雑把にでも感知できるアズマがいた。いかなる方法で彼に魔術の発動すら察知させず攻撃を実現したのか、それが未だにわからない。
「それと、一人だけ殺されていた騎士の死因もはっきりしたの。これ」
言ってコリンがスマートフォンを操作して圭介のアドレスにとあるデータを送信した。無言で受け取った画像を確認したところ、痛々しい写真が目に入ってくる。
頭部についた縦長の裂傷。
細いそれは切り傷にも似ており、端には焦げ目が見えた。
『頭蓋骨が比較的薄い後頭部、小脳と後頭葉をなぞるようにして焼き切られていますね。この深さを見るに一瞬でつけられた傷だとすれば即死でしょう』
「……発火、したのか? それとも電気?」
「不明なの」
圭介の疑問に対するコリンの返答は淡々としたものだ。
「店内を調べたもののそれらしい魔力反応が検出されなかった上に、事前に店内に術式を仕込んでた痕跡すらなし。映像記録でもエルランドが動いてなかったから何を考えても憶測の域を出ないの」
「マジか。騎士団の調査でもわからないなら僕なんかにわかるわけねーな」
『ここまで隠密性の高い攻撃手段を持っているとなると厄介ですね』
厄介どころの騒ぎじゃないの、と呟きながらコリンは天を仰ぐ。
今回の事件はつまるところ、騎士団でも対策が極めて難しい方法で騎士を殺害されたということだ。それはそのまま市井から王城に至るまで、様々な人々の安寧を脅かす事実となる。
白昼堂々、喫茶店でコーヒーを飲みながら敢行できる暗殺。圭介も排斥派との戦いを通して裏社会の闇に触れた経験はあるが、そんな技術は聞いたことがない。
現状では詳しい内容が公表されていないものの、それはあくまでも一般市民に対するものだ。
後ろめたい何かを抱えた貴族や大企業の関係者などはどこからか情報を入手し、怯えた様子でメティスを一時的に離れようとしているらしい。
結果、後ろめたさのない権力者が残る。
社会は静かに着々と、[デクレアラーズ]の理想に向けて形を変えつつあった。
「とりあえずエルランド当人に関する情報はこれくらい。あと他の注意事項として[デクレアラーズ]とは別に、どうにもきな臭い動きをする連中がいるってくらいなの」
「は? あいつら以外にそんなんいたっけ?」
「ケースケ君も心当たりあるはずなの。ほら、教育委員会に複数いる排斥派の人達が、なんか今度の文化祭に向けて怪しい動きしてるらしいの」
排斥派、という言葉を聞いて思わず苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。
マシュー率いる一派を倒したとしてもそれは排斥派全体の一部でしかない。彼らは今も変わらず客人を攻撃する糸口、好機、きっかけを探し続けている。
『具体的にはどのような動きをしているのでしょうか』
「今言った教育委員会関連の排斥派だけど、リーダー格の女性が同じく排斥派として有名な冒険者グループに声をかけてる様子が見られたそうなの。私が直接確認したわけじゃないけどエルマー君からのリークだから一応ホントだと思うの」
「へえ、エルマー君が。でも確かにそうなると嘘とか勘違いって可能性は低くなるよね」
彼は悪く言えば臆病な気質だが良く言えば慎重な性格だ。
その傾向はトラロックでの独断専行による失敗を経て更に強まっており、見たままの情報を見ただけの段階で真実と決めつけるとは考えにくい。
「んでその冒険者グループってのがまた悪い噂で有名な連中なの。護衛対象に暴言吐いたりギルドの受付嬢にセクハラしたり、討伐対象に指定されてるはずの山賊と過去に癒着してた疑いがあったり」
「……あんまり言いたかないけどさ。よく[デクレアラーズ]に殺されずにいるね、そいつら」
『単なる討ち漏らしかもしれません。第二次“大陸洗浄”が始まってから犯罪率は徐々に低下していますが皆無にはなっていないので』
とにかく気を付けなければならない事項が増えた。パーティ内での仲違いとも言い難いようなすれ違いは文化祭当日に解消するつもりでいたが、少々予定を早めなければならなくなったかもしれない。
頭を抱えたくなるような情報が濁流よろしく脳内に流れ込んできて忙しないことこの上ないが、弱音を吐いてもいられないのが現状である。
「最後に、圭介君が聞かされたっていう異世界転移の仕組みについて。調べてほしいって言うから可能な範囲で調べてみたの」
何せ今回の話し合いにおいて最も重要な部分にまだ触れていないのだから。
「ぶっちゃけエルランドが何言ってんだかわっけわかんねーの。宇宙とか私らにとっては実在するかも怪しい存在だし」
「そりゃそうだろうけれども!」
思わず大声を出して立ち上がる。
圭介が聞かされた異世界転移現象の真相。それをセシリアとコリンに預けてみたものの、二人とも首を傾げるばかりだった。
大陸から一定以上の距離を取ると消失してしまう怪奇現象――フロンティアと呼ばれるオカルトが、この異世界に住まう人々から宇宙という概念に対する理解と興味を削ってしまっている。
これでは実際のところ異世界においてどのようにすれば転移できるか検証する方法すら見えてこず、圭介としては非常にもどかしい状況が続いていた。
『仮に念動力魔術でこの異世界から帰還できるとしてもマスターの技巧では難しいかと』
「はっきり言いやがって。確かに僕も規模がデカすぎて意味わからんとは思ったけど、つっても誰かから協力してもらうための取っ掛かりもないの? 王城がそのへん協力してくれるとすんごい助かるんだけど」
「城の設備も予算もケースケ君が私物化できるもんじゃないの。あと意味わからんってだけで今後の調査がどうなるかまでは何とも言えないの。座して待つの」
にべもない。同時に極めて正論である。
眉間に皺を寄せながら再度腰を下ろし、一旦転移に関する情報を忘れてから目下すぐにでも片付けるべき問題に目を向けた。
「わからないなら仕方ないか。今は身の回りのあれこれを解決する方に頭を動かしてみるよ」
ともかく今は最優先でエリカとユーと話す時間を作る必要があるだろう。
事この問題において、圭介は自分が完全に悪いと自覚しているのだから。
「エルランドの魔術の話と排斥派が動いてる件、教えてもらえて助かった。持つべきは事情通な友達だねぇ」
「事情通って規模で動いてるわけでもないんだけどまあいいの。こちとら文化祭では落ち着いてあちこち回りたいし、変な懸念事項はケースケ君みたいなぶっ壊れに押しつけとくのが一番安心できるの」
「誰がぶっ壊れだ誰が」
どこまで本気なのか、コリンは自分で淹れた紅茶をちびちびと舐めるように飲んでいる。
元が肉食の爬虫類に近いのに紅茶を飲んでも大丈夫なのだろうか、と余計な心配をしつつ圭介も残りの紅茶をがばっと喉に流し込んだ。
「コリン。今更な話しちゃって悪いんだけど」
「ん?」
「ありがとう。今までもこうやって遠回りに大切なこと教えてくれてたりしたんだね」
圭介の件は心の底から誠心誠意謝罪して、そこから時間さえかければわだかまりも綺麗に片付く問題でしかない。
だがコリンの場合、アーヴィング国立騎士団学校に潜入している王国の諜報部という誰にも明かせない秘密がある。
その立場がもたらす心労と孤独感は今の圭介より強いだろう。しかし彼女はそれを数年間、ずっと抱え込みながら過ごしてきたのだ。
そんな中でも、彼女はさりげなく圭介達を助けてくれていた。
今まで何かと可能な範囲で情報を提供し続けたその誠意に、仲間内で唯一秘密を知る者として応えたい気持ちがある。
「いつか時間できたら遊びに行こうぜ。仕事とかそういうの忘れて、パーっとさ」
圭介が口にした“友達”という言葉に一瞬だけ目を丸くして。
彼女は穏やかに微笑んだ。
「……うん。時間できたら絶対呼んでよ。待ってるから」
その微笑みに笑い返す。
今回ばかりは、口調の変化を咎めずにいられた。




