第六話 ♦の4
――騎士団に通報したければどうぞ。
脱獄犯であるヨーゼフ当人からそう言われたので、圭介は一応この件をセシリアにメールで伝えた。
『[デクレアラーズ]と接触しました。今はマゲラン通りを西向きに歩いてます』
伝えはしたものの、この先どうなるかはわからない。
いかにセシリアが優れた騎士であろうと頼れる大人であろうと、圭介が今対峙している相手は[デクレアラーズ]。少年少女の二人組で遊園地を崩壊させるほどの実力の持ち主たちなのだ。
騎士団さえ来てくれれば、などと油断すれば多くの被害者を生むだろう。
既にアッサルホルトでの一件を受けて圭介の中にある彼らへの警戒心は限界まで強まっていた。
「あそこですね。あのカフェのテラス席を予約してあるんで、約束の時間まで三人で待ちましょう」
「ピナルお腹空いたー!」
「そうですか。勝手にケーキでも注文して食ってろ、金は払うから」
「どういう気持ちで奢ろうとしてんのお前は」
言いつつ三人でテラス席の椅子に腰かけた。頭上のアズマは流石にマナーの観点から載せたままにはしづらく、鞄にしまう。
『念のためにいつでも結界を展開できるようにしておきます』
「ああ、頼んだ」
状況が状況だからか降ろされたことへの恨み節はない。
向かい合う位置に座ったヨーゼフはメニュー表をピナルに渡しつつ圭介と目線を合わせた。
「先にこっちが把握している限りの話をしましょうか。今回圭介さんに会いたいと言っている相手は僕達と同じ[デクレアラーズ]の構成員です」
「……こんな場所でも会う気になってくれてるってことは、戦う気がないってことで合ってるか?」
「ええ。何せあちらは高い戦闘能力を必要としない立場なので」
立場、という言葉に違和感を覚える。
個々で役割が違うのは騎士団も裏社会の組織も同じだとは思っていたが、戦闘能力の高さにばかり目が行きがちな[デクレアラーズ]にもそういった非戦闘員による部隊が存在するのだろうか。
「♦の4。それが今日、ここで僕らと合流する予定の相手ですよ」
ダイヤ。カードゲームで扱われる印の中では経済や商売の象徴となるものだ。
アッサルホルトでエリカとユーが接触した相手、ギルフィ・ボツェクが言うには[デクレアラーズ]の構成員全員が各々の持つカードの印に合わせた役割を持つという。
目の前にいる相手で言うなら♣のカードを持つピナルは農耕や畜産などを扱い、♠のカードを持つヨーゼフは戦闘行動に特化していることになる。
敵の言い分なので真っ向から信じるわけにもいかないが、もしそれが当てはまるのなら今から来る相手は金銭や物価に関わる才能を持った人物なのだろう。
「僕も当人から詳しい話の内容を確認したわけじゃありませんがね。敵対的でないとするなら、まあ十中八九勧誘目的なんじゃないかと」
「今更そんなのが戦闘能力もないのに勧誘? 札束でビンタでもするつもりかよ」
「さあ? 数札としては数字も下の方ですし、どうなんでしょうね。あ、すみませーん、店員さん注文お願いしまーす」
本当にヨーゼフが把握しているのはそこまでなのか、彼はそれ以上何かを語ろうともせず店員を呼び止めて注文をし始めた。
「僕はアイスティーで。ピナルさんは?」
「えっとね、モンブランとズコットのどっちにしようかなって」
「どっちも食え僕が奢るっつってんだぞ舐めるな。圭介さんどうします?」
「……じゃあ、サイダーください」
三人分の注文を受けて店員が厨房の方に引っ込むとほぼ同時、とある人影がマゲラン通りから店内に入って三人の座る場所に接近してくる。
セシリアが他の騎士に指示を出したのならこうも堂々と近づかないだろう。
であればまず間違いなく、ヨーゼフ達が合流すると言っていた相手だ。
【サイコキネシス】の索敵で探った感触だと、中肉中背。極端な長身や肥満体ではなさそうだった。
姿を確かめるべく目をそちらに動かす。
そこには四〇代前半ほどの男がいた。
アイボリーホワイトの髪をオールバックにして、彫りの深い顔をした白人。上半身を青みがかったウィザードフードジャケットで包み、下半身は黒のワイドパンツで覆い隠したやや野暮ったい服装が特徴的である。
(コイツが、♦の4……?)
ジャケットの構造上、座りながら見上げると顔の下半分が確認できない。眉を見ても無表情にしか見えないものの、殺意や敵意の類は一切感じなかった。
「お疲れ様です、エルランドさん。先に注文しちゃいました」
「お疲れ様でーす!」
「ああ、お疲れ様」
ヨーゼフとピナルに短い返事で応答して、エルランドと呼ばれた男は圭介から見て左側の席に腰を下ろした。ちょうどピナルと向かい合う席である。
「圭介君も呼んだのか」
恐らくヨーゼフに向けたのであろう声は陰鬱ながらも透き通った声色。やや呆れも滲ませたそれは埒外の親しみやすさで圭介の警戒心を強引に解きほぐす。
自身に向けられたわけでもない声を聞いただけで確信できた。
目の前にいるこの男は戦闘能力こそなかったとしても、充分警戒するに値する難敵なのだと。
「こちらとしては助かるが、少々軽率だったのではないかね? まだ我々を信用してくれているわけでもないだろうに」
「どうせここで僕らが何言ったところで、簡単に信用してくれるわけじゃないと思いますよ。あと周囲に私服の騎士が三人隠れてます。警戒しておいてください」
「いざという時にはよろしく頼む。さて、私も注文を済ませよう」
メニュー表を手に取る時の動作、それらを読むスピードと目の動き、店員に声をかける際の声量と言葉選び。
何から何まで隅々まで、所作一つ一つに相手の関心を引き込む何かがあった。
(マジかよ。数字は低い方って話だけど、それでコレか)
当たり前の動作と言葉だけで警戒するところから関係を始めた圭介すら油断させかねないその在り方は、逆に王族を前にした時と同等の緊張感を生む。
戦闘能力とは全く別の軸を持つ脅威。
「自己紹介をさせてもらおうか」
明確に。
圭介はその言葉を受けて「矛先を向けられた」と強く認識した。
「私はこちらの世界の暦で十五年前にハルムスタッドから転移してきた客人、名をエルランド・ハンソンという者だ。一方的にそちらの名前を知ってしまっているが何、君ほど有名な人が相手ならそれも失礼にはならないだろう」
お互い座って顔の高さが合うと、隠れていた口元が見える。
彼は無表情を崩していない。だというのにその声だけで、まるで微笑みを向けられたかのような気分に陥ってしまう。
「…………一応、名乗っときます。東郷圭介です」
ぶっきらぼうな挨拶になってしまったもののそれを悔やむ余裕もない。
今はとにかく飲み込まれず流されず、相手が心に侵入しようとしたなら即座に拒絶するべく心の準備を整えるのが大事だ。
「どうもありがとう。さて、疲れているようだしまずは私とヨーゼフ君との用件を優先させてもらおうか」
「あの、言っておきますけど。僕ら敵同士でしょ。なのに目の前で仲間内のお話をしようだなんて、ちょっと油断し過ぎだと思いますが」
「大した話じゃないし構わないよ。それでヨーゼフくん、[エイベル警備保障]のユーイン所長についてだったね」
本当に構わないと思っているのだろう。明らかに彼らの間でしか通じなさそうな話が始まろうとしていた。
が、出てきた名前に圭介が思わず反応してしまう。
「は? ユーイン? [エイベル警備保障]の……?」
「おや、知っているのかな」
知っていると言えば知っている。
かつて遠方訪問で仕事の話をするため接触した警備会社の一員で、圭介に対する横柄な態度が印象的な男だった。
聞いた話によると[プロージットタイム]壊滅後は人身売買に関わっていたとして会社は解雇され、獄中で資格取得に向けての勉強をしていたはずだ。それがどうしてここで名前を出されるのか。
「エルランドさん、コイツそのユーインと面識あるみたいなんですけどそんな深く関わりあったわけじゃないみたいなんで」
「なら無視しよう。先日、彼の元部下数名も一緒にまとめて“シャルルの座”が引き取ってくれたよ」
それが何を意味する言葉なのか圭介にはわからない。わからないが、理解できる立場なのだろうヨーゼフは顔を手で覆って「あちゃー」と声を漏らしていた。
「じゃあ後で僕、あの人のところに顔出さなきゃいけないんスか。あちゃちゃー、あちゃちゃのちゃちゃちゃ」
「ヨーゼフ君、気持ちはわかるが落ち着きたまえ。ピナル君も、露骨に嫌そうな顔はやめなさい」
「ピナル、あの人苦手だもん。やってることも気持ち悪いし」
「弱ったな。後々反省の度合いを確認及び判断するためにも、彼らの捕縛に関わった君達の意見は必要なのだが」
ふぅ、とエルランドが嘆息しながら足を組むと同時に圭介達が先に注文していた分が運ばれてきた。
「お待たせ致しました。お飲み物がアイスティーにサイダー、ケーキがモンブランとズコットでお間違えないでしょうか?」
「あ、大丈夫です。あざっす」
「ではそちらのお客様、暫しお待ちくださいませ」
笑顔で下がる女性店員に無表情のまま手を振るエルランドが、今度は圭介の方へと顔を向ける。
「……っ」
「君にはわからない話題で盛り上がってしまってすまないね」
「ゆ、ユーインさんをどうするつもりだ。気持ち悪いことって何だよ?」
「“シャルルの座”――つまり♥のKに当たる人物は、名をロザリア・シルヴェストリというんだが」
彼は話しながら一旦目を閉じて、再度開く。
「捕縛した罪人に、何だ、このような食事の場では口にするのも憚られるような行為を働く人でね。とはいえ当人も♥の札の長として相応に矜持を持っているからか決して命を奪うような真似はしないのが唯一の救いなのかな」
カードにおいて♥は慈愛や信仰を意味する印である。その中でもキング、王の札を持つのならば相応に慈悲深い人物なのかと思いそうになるが実際はそうでもないらしい。
しかし残酷な人物だと言われても納得はしやすかった。
何せQの札を持っているのが動物を殺し続けた異常者、財津藤野なのだから。
「まあ、そういうわけで君が出会った[エイベル警備保障]のユーインという男は今頃、彼女の拠点で有効活用されているだろう。今回私は彼らにそれを伝えるべくここに来たのだよ」
有効活用。
ただそれだけの言葉に看過し難いおぞましさが付与されてしまったように思えるが、圭介とてそれに気を取られてばかりはいられない。
彼にとっての本題がまだだ。
「ユーインさんがとんでもない目に遭ってて、でも殺されてないのは何となくわかった。じゃあそれはそれとして、僕に用事って何だよ」
知人が死んだわけじゃないからか、冷静さを保ちながら話を進められる。
今は何より自分の身に何が降りかかろうとしているのか、それを確かめる必要があった。
「本当は文化祭の日に学校に来る気でいたらしいな。でも僕はお前らみたいな胡散臭い連中をみすみす学校に呼び込むつもりはない」
言いながら手を胸ポケットに当てる。
いつでもグリモアーツを【解放】できるようにと。
「今日、ここで話を済ませろ。何の用だ」
ビーレフェルト大陸に転移してきてからこれまで培った経験を活かし、相手を委縮させるほどの敵意を込めて威嚇した。半端なごろつき程度ならこれだけで逃げ出すだろう。
それをエルランドは正面から受け止めながら物ともせず冷静に答える。
「戦闘態勢に入ってもらったところ悪いが、君は私を攻撃しないよ」
「えらく断定するなオイ。理由は?」
「無意味だからだ。私は騎士団に捕まっても口を割らず、そもそも容易に捕まるわけでもなく、そして武力を有していないが故に[デクレアラーズ]側の損失も決して大きくない」
簡単に補填できる程度の人材だよ、と彼は自虐的にこぼした。それは過小評価にも程があろう、と思いつつ圭介とて察するものはある。
この場においては舌先三寸で圭介をどうにかできるわけではない。同時に圭介から見て彼をどうにかするメリットもない。
「戦う理由は削いだ。次こそ本題に入らせてもらうよ」
「あ?」
「では、圭介君。簡単な取引と行こう」
相変わらず油断ならない声色と目つきを向けつつ、彼は圭介に言い放つ。
「協力しろ、とは今は言うまい。ただこれは誠意として、そして今後の信用を得るための材料として君に一つ大切な情報を与えようじゃないか」
「大切な情報ね。何を言うつもりだあんたは」
「元の世界に戻るための重要なヒントだよ。それを今すぐに、この場で、仲間になれとは言わないから教えてあげると言っている」
何だと、と声を荒げるより先にエルランドの言葉が響く。
「いいかい圭介君。戻ろうと思えば誰でも戻れるわけではない。ここからあちらへ戻るためには、とある魔術が必要となるんだ」
隠れた口元が笑みを浮かべているのだと誰でもわかるほどに、エルランドは目を細めた。
「念動力魔術がね」




