第三話 それぞれの想い
四方を立ち並ぶ木々の幻影に囲まれたトレーニングルームは床の素材も土と石で構成されており、屋外での戦いを忠実に再現していた。
偽りの陽光に照らされる室内にはエリカ、ユー、ミアの三人が疑似戦闘用のゴーレムと向かい合っている。
彼女らと対峙するのは【スラッグゴーレム】と呼ばれる第四魔術位階で作られた巨大な人形だ。
ぐにゃぐにゃとした質感の硬貨にも似た小さく柔らかな金属が集合して蠢くそれは、全身のパーツを様々な形態に変化させて攻撃を繰り出す。
今は両手を刃に変えて交差させているが、必要に応じて盾や鞭へと変化するため油断ならない。
あくまでもトレーニング用ということで刃は立っていないものの、回復魔術で治療できる切り傷や打撲程度の怪我なら遠慮なく負わせてくるだろう。加えて攻撃を受ける箇所によっては取り返しのつかない事態にもなり得る。
本来なら失明防止用のゴーグルの着用が推奨されているところだが、彼女ら三人はいずれも裸眼のまま挑んでいた。
「【眩き華燭 誉と栄光 この手に束ねて象る刃】」
ミアの詠唱に反応してゴーレムの交差する両腕がずるりと伸び、鋏のように刃を左右から振るって三人まとめて薙ごうと迫る。
「【チェーンバインド】!」
攻撃を阻害したのはエリカの魔術円から飛び出した無数の鎖。赤銅色に輝くそれらは両腕のみならず、ゴーレムの胴体と脚部にまで絡みついた。
急な拘束に対応しきれず人型の金属塊が一瞬動きを止める。
が、実のところこの鎖は詠唱の時間を稼ぐためのものではない。
「【賛美 嬌声 驟雨が如し されど柄を手放す理由足り得ず】」
そもそも詠唱と格闘を両立する古武術カサルティリオの使い手たるミアは、魔術を構築しながら身体での攻撃と移動を行える。
必要なのは時間稼ぎではない。
これより繰り出す攻撃に向けて、回避を阻害することだ。
「【この剣は初めから 護るために握ったものなのだから】」
体を捻り回してエリカの【チェーンバインド】から逃れようとするゴーレムの付近には、既に詠唱を終えつつあるミアと“レギンレイヴ”を上段に構えたユーが左右から挟み込む形で迫ってきていた。
「【ディヴァイン】!」
「【漣・怒濤】!」
山吹色の刃と群青色の怒濤を体の両側から受けて、防御形態に変化し損ねたゴーレムは体の中心に組み込まれた術式を一部破壊されてしまう。
もはやユーに吹き飛ばされた右肩から先とミアに切除された左腕はどうにもならない。となれば残った部位から金属部位をかき集めて修復するのが常道である。
脚部と胴体を収縮して体の大きさを成人男性ほどの体積に変化させると同時、変形に伴い緩んだ拘束から抜け出す。
魔力で構成された鎖は縛る相手を失ってそのまま消滅した。
とはいえ脚部の拘束も緩むほどの勢いで金属を中心に寄せ集めたゴーレムは、ほんの短い時間とはいえ逃げ場のない空中に身を放り出してしまう。
その隙をエリカの“レッドラム&ブルービアード”は見逃さない。
赤と青の二丁拳銃から何発も射出される貫通型の魔力弾により、容量を大きく減らされたゴーレムは体のあちこちを貫かれた。
「……うーん、いまいちだな」
不満げに呟くエリカが銃口を下ろすと同時、完全に機能を失ったゴーレムが地面に落ちて砕け散る。その様子を見ていたユーもどこか物足りない顔をしていた。
「一応この訓練場では一番強いゴーレムのはずだけどね」
「つっても今まであたしらもそれなり実戦積んできたからかな、そこまで苦戦しなかったわ」
「冷静になって考えてみれば一般の訓練場で私達に合ったトレーニングする方が無茶なんじゃないの」
ミアの懸念は事実その通りと言える。
元よりグロウリーフ訓練場は駅前という立地の関係上、家族連れや学生グループが享楽目的で来訪することの方が多い。そうなると客層に配慮した結果どうしてもゴーレムの強度などが甘めに設定されてしまうのだ。
これまで排斥派との戦いを通じて数々の死線をくぐり抜けてきた彼女らにとっては、まさしく遊び程度の難易度でしかない。
一応は「アトラクション感覚で最難関に挑むと痛い目に遭う」という前評判を聞いた上での挑戦だったのだが、今の三人からしてみれば【スラッグゴーレム】とてやや頑丈な的同然である。
「今度セシリアさんに良さげな訓練場とかあったら紹介してもらおうか。王城騎士やってるような人ならそういうの知っててもおかしくないっしょ」
ゴーレムの消失から数秒を経て幻影魔術も解除され、周囲の景色が本来の無機質な四角い部屋へと変わった。やや傷が残る土と石の入り混じった床だけが戦闘の残り香を帯びている。
部屋の変化に応じて三人もグリモアーツを【解放】状態からカード形態に戻して懐にしまい込む。
「でもエリカちゃん、だいぶ安定して貫通弾を連射できるようになったよね。【チェーンバインド】も使い勝手良さそうだし」
「あたぼうよオメェこちとら学年二位だぜ。他にも色々クソみたいな第六魔術位階覚えたりしたからどんどん嫌がらせが捗るわ」
「実際それに何度も助けられてるからなあ私ら……」
言いながら部屋の外に出てしばらく歩き、誰も座っていないベンチの前でふとミアが足を止めた。
「……ちょい、二人とも」
「?」
「あん? どしたよウンコか? まさか彼氏来てたから今までウンコ我慢してたのかミアちゃん」
「いっぺん本気でぶん殴られたいのかあんたは。じゃなくて、二人ともこっち来て座りな」
言いながらミアが腰を下ろす。誘われた二人もそのまま先に行くわけにもいかず、顔を見合わせてからその左右にそれぞれ座った。
「あんさ、いい加減こっちが見ててしんどいから言うけど。二人ともケースケ君のこと避けてんでしょ」
「えっその……」
「あー、それ近いうちに言われる感じはちょっとしてたんだよな」
戸惑いを見せるユーにどこか諦観と億劫さを滲ませるエリカ。二人の反応は異なるものの、それでいて二人の悩みが共通している事実を示唆していた。
ある程度その問題から離れた位置にいるミアにより、問題点が引きずり出されようとしている。
「具体的には[デクレアラーズ]にケースケ君の彼女がいるって知ってから、何となく気まずくなってるのはわかってるよ。んで実際ンとこ二人はあの件に関してどう思ってんの? この際だから本人いないとこでぶっちゃけな」
あくまでも茶化すわけでなく人間関係についての問題を解決しようとするミアの目を見て、先に折れたのはユーだった。
「…………いやぁ、まあこれはね。ミアちゃんも多分察してるというか知ってるというかさ」
「うん」
「私、ケースケ君のこと結構好きなんだ。友達じゃなくて男の子として」
「マジで!?」
驚愕に目を見開くエリカに反して、ミアは納得したとばかりに無言で頷く。
「だから正直な話、あっちの世界に彼女いるって知って、しかもその彼女がこっちの世界に転移してきてるって知って、さ……。びっくりもしたけどそれ以上に、嫌な気持ちにはなっちゃってね」
「それで実はフリーじゃなかったケースケ君とちょっと距離置いたわけだ」
「そう、だねえ。早いうちに言ってくれてれば、って思ったりもして。そんな自分に嫌な気分になったりもしたよ」
この件に関して、ユーは何も悪くないとミアは判断していた。
だからと圭介を悪者扱いするつもりも毛頭ない。元より出ていくつもりの異世界で知り合った相手に「置いてきた恋人がいる」などと告げたところで、特に意味もないと判断するのは自然な流れなのだから。
言ってしまえばこれは事故に近いだろう。
ただ付き合いの長さや同性である点から、感情の面で少しユーに同情してしまうところはどうしてもあった。
さて、ユーの気持ちを確認したなら次はエリカの番である。
「で、エリカはどうなん。この際だから正直に言っちゃいなって、ユーちゃんともどもあんたらの気持ちについて私は薄々わかってんだから」
「え、そうなの……?」
「待てコラ、この話の流れだとあたしまでケースケのこと好きみたいになるじゃねえか」
不本意そうなエリカの発言にミアの表情が微妙な色合いを帯びる。その顔は明らかに「好きじゃないわけないだろ」と告げていた。
「いやだってさ、あんたそれで最近ちょっと距離できてたんじゃないの」
「んな事言われても考えてみろよ。ダチに実は彼女がいたってだけならともかく、その彼女が頭おかしい上にテロリストまでやってんだからちょっとドギマギしてもおかしかないだろ」
エリカが出した答えは一見して納得できるものではある。
確かに財津藤野という少女は異常だったし、立場上どうしても敵対せざるを得ない相手なのはミアもわかっていた。それが友人の恋人となれば微妙な空気にもなるのだと、その理屈も筋は通っている。
しかしそれだけではないのだろうと、これまでともに行動する中で見てきたエリカの姿を思い返した。
決して野暮な領域まで踏み込まないよう細心の注意を払いながら、ミアはやや変化球を投げる。
「ほーん、そうだったんだ。じゃあケースケ君があのおっかない女とこのまま正面衝突した末に破局したらユーちゃん一人勝ちだね、やったじゃん」
「あぇ、そうなるのかな!」
「待て待て待て待て待て待ておめーら早まるんじゃあないよ。そういうのは本人がどう判断するかもあるだろうし、ってか彼女と別れるかどうかは諸々抱えてる問題が解決してから結果見ないとわからないだろ。つーか別にその後誰とくっつくかなんてまだわからないわけだし? 何勝手に話進めてんだってのバカがよぉ」
「必死か」
「必死だ……」
早口でミアの案を否定する姿に余裕はない。
取り乱した自覚はあるのか少しばつの悪そうな顔で溜息を吐き出し、エリカは自身のこめかみに手を当てる。
「いやマジでそんなんじゃねえって。ねえよな? ねえって言えよエリカ・バロウズ。確かにアイツとはこれまで協力して色々してきたし何かと気ィ合うし遠方訪問の終わりであたしのことをいやアレは多分そういうんじゃねえから」
「何かのドツボにハマってるとこ申し訳ないけど、多分それ好きってことだよ」
「恋人としての好きと友達としての好きは違うと思いまァす!」
論理的にエリカの恋愛感情を証明するのは不可能だろうが、態度で察するものがあった。どうやらユーも同じことを思ったらしく苦笑いを浮かべている。
(こりゃエリカに関しちゃどう見ても今すぐ掘り下げるべきじゃないな)
あまりからかうべき問題でもない。ここは一旦好き嫌いから別件に視点を動かすべきだろうとミアは判断した。
「まあどう思っててもいいけどさ。二人ともとっととケースケ君と仲直りくらいしてよね。ただでさえもしもの時には背中預ける仲間なのに、もうすぐ文化祭ってタイミングで変なわだかまり残すの嫌っしょ」
「……それもそうだね。私、ケースケ君に謝ってくる」
「あたしはケースケに文句言ってくらぁ。アイツのせいで変な感じになっちまったじゃねえかふざけんなよ殺すわマジで」
世間一般ではそれをいちゃもんと呼ぶ。
「殺すならせめて仲直りしてからにしな。あと別に二人が悪いってわけじゃないんだから、ユーちゃんも変にかしこまるこっちゃないって。あんなの事故みたいなもんでしょ」
ともあれ、わだかまりの解消に繋がる会話はできたものと判断した。
元より言いたければ言うのがアガルタ根性だ。二人とも今の気まずい関係が望ましいものではないとわかってはいるのだから、これで圭介の方に問題がなければ元通りとまではいかなくとも今よりマシな結果になるだろう。
変に引きずらず関係の修復に努めてくれるならそれが一番いい。
(にしてもケースケ君の恋人があんな性格で、しかもこっちに転移してくるなんて最悪としか言いようがないな)
どこか悪意すら感じるタイミングに恨み言の一つでも飛ばしたい気持ちを抱きながら立ち上がる。
「んじゃ、男子二人のところに戻るとしましょっか。ついでに飲み物も買っていこうよ」
「あんま体動かした感じしないからそんな喉渇いてないけどな」
「私は新発売のコーンポタージュ飲みたい。最近涼しくなってきてようやく売り出されたんだよね」
二人が財津藤野と遭遇する以前の調子に戻りつつあるのを見て安堵しつつ、ミアも自身の今後について考えていた。
文化祭に来ると約束してくれたレオと、当日はどう過ごそうかなどと青春らしいことを。




